01

 22世紀。世界各地には海底都市が点々と存在している。

 100年前に起こった災禍により、地上で暮らすことのできなくなった人類は海中で暮らすという手段を選んだのだ。


 海中都市の一つ、リトルブルーオーシャンスクエアはスノードームのように街から外の景色が常に見えるよう設計されており、ドーム内は青と白の光で満ちている。

 ドームの中心に鎮座した古戦艦がシンボルの海中都市だ。

 飲食店からブティックなどあらゆるものが揃っていて、別の都市に移る必要がない以上、なかにはこの街で一生を終える人さえもいる。

 そんな海底都市の中へ続く地下通路をミオンが歩いていると、


「どこ行ってたの?」


 その少し手前に、目元を怒らせたセーラが立ちふさがった。

 腰に手を当てて頬を膨らませている姿は、いかにもご立腹ですと言わんばかりだ。

 

 金髪ツインテールを垂らした青い瞳の少女。

 彼女はセーラ。自分の名前がセーラだからって、セーラー服に海軍帽 (彼女曰くセーラ帽とのこと)まで被っている、少し変わった女性型アンドロイドガイノイドだ。

 同じガイノイドであるミオンに比べて小柄で、やや幼い印象を受ける。


「ちょっと都市の外をお散歩してたんだ」

「セーラ、ミオンと約束してたのに……なんで電話に出てくれなかったの?」

「約束……あ、そういえば今日だったっけ!?」


 ミオンのメモリの中の、不在着信の連続通知はセーラによるものだった。

 それに紐つけられたようにミオンははっと思い出した。


 今日は――セーラと絵本を買いに行く約束をしていたのだ。

 ミオンが慌てて顔を上げる。セーラの両腕には厚みのある、ラッピングされた本が大切そうに抱きかかえられていた。


「朝、ミオンの部屋に向かったらいなかったんだもん。返ってくると思って待ってたのに電話も出ないから、セーラ1人で買いに行っちゃったよっ。むぅ」


 セーラは不満げにプイッと顔を背ける。


「セーラ。ごめんね、私うっかりしてた」 


 ミオンがしゅんとした様子のセーラの頭から帽子を外し、頭を撫でると、彼女はぎゅうっと抱きついてきた。彼女の髪からの、ふわりと漂う甘い匂いに包まれる。

 彼女は幼い子どもをモデルに作られたため、ある程度のらしさを引き継いだのかもしれない。 


「今日発売した絵本はどんなのだったの? 確か、セーラが好きなボンキュワネットさん執筆の絵本だよね」


 セーラはうずめていた顔をミオンの方へ上げる。

 

「ううん、まだ読んでないんだ。タイトルはね、『星クジラの尾引き』って言うんだ。表紙の絵は沢山のお星さまを尻尾から出すクジラの絵だったよ。尾引きと誘きを掛けているんだって。あと二冊はねー、ナイショ」


 セーラは本を抱きしめたまま、顔をぱぁっとはしゃがせ、ミオンのお腹に体を擦り付けながら無邪気に回ってみせた。 

 彼女は絵本好きということもあってか、発売日に本屋さんに行って買ってくるのが楽しみなのだ。


 彼女がまだ造られて間もない頃、生みの親である博士に沢山読み聞かせてもらった影響で絵本が大好きになったとか。

 これにはミオンも思わず微笑んでしまう。


 なかでも『ボンキュワネット』という作家の手掛ける絵本は、彼女にとって群を抜いてのお気に入りらしい。子供のような甘いタッチの絵が特徴的で、柔らかな文体にも心地よさを感じるとのことだ。とはいっても、その素性は不明で海底都市の外を潜水艦で行脚しながら執筆を行っている噂さえある。


「ねー、ミオン! これから一緒に喫茶店に行こう!」

「いいよ。けど、一旦シャワー浴びなくちゃだから、少し時間かかっちゃうかもしれないけどいい?」


 ミオンは海中から戻ったばかりなので、彼女の髪からは海の匂いがした。

 彼女の申し出にセーラは快く頷くと、シャワーに向かうミオンの後をついていく。



 ミオンが水着から着替えた後、二人が向かったのは、リトルブルーオーシャンスクエアの一隅に位置する喫茶店『ス・ウィムスーツ』だ。

 カランコロンと乾いたドアベルを鳴らして、ミオンとセーラが店内に踏み入れると、暖かな笑顔を振りまく少女が出迎えてくれた。

 胸元には『メイシャ』と、ネームプレートが添えられている。


「ちわっす! 二人とも今日もお疲れこさん!」

「こんにちはー!」

「メイシャさん、お疲れさまです」

「さあさ、こっちへどぞー!」


 二人が案内されたのは、テラス席だった。

 活気づけられたセーラはルンルンスキップで、ミオンよりも一足先に案内された座席へ腰がける。はつらつとしたメイシャとは反対に店内の空気は厳かである。落ち着きのあるBGMが流れる室内の天井では、ファンが静かに回っていた。 

 中は広く、客は少ない以外は至って普通の雰囲気だ。 

 店内には、人がまばらにいて他にアンドロイドは見当たらない。


「何にしようかなー。どれにしよっかなー」 


 セーラは足をバタつかせながら、デジタルメニューを見入る。


「メイシャさん、私はキリマンジャロコーヒーを一杯、お願いします」


 彼女は一度迷ってしまうと、なかなか注文が決まらない。

 その隙に、とミオンはコーヒーを注文する。


「セーラもミオンと同じのを飲みたい!」

「……やっぱり私はオレンジジュースにしよっかなぁ」

「じゃあ、セーラもそれ!」


 セーラの口には苦いコーヒーはまだ合わないかもという配慮があっての上だろう。


「はーい。マスター ウィムスーツ、生搾りオレンジジュースを二杯フルパで!」


 メイシャは口元に手を当て、カウンターに呼びかける。

 カウンターではガタイのいいロマンススグレーのイケオジが腕を組んで待ち構えていた。ピッチピッチのスク水を着た、ガタイのいいロマンスグレーのイケオジが腕を組んで待ち構えていた。


 男は仁王立ちのポーズを取ると、指をパチンと鳴らす。

 すると、どこからか4つのオレンジが降ってきた。男はソレを片手でキャッチするともう片方の手にグラスを二つ握りしめた。

 彼は芸術性に富んだ踊りと共にオレンジを絞り始めた。


 ワルツだ。

 一回転、二回転と彼は回る。


――彼の名は、ス・ウィムスーツ。

 世界でいちばんスク水が似合う男。

 スク水への愛はどこまでも深く、マリアナ海溝よりも深い。



――彼の名は、ス・ウィムスーツ。

 世界でいちばん白鳥のワルツが似合う男。

 小学三年生の頃、ピアノ演奏会で優勝した経験を持つ。



――彼の名は、ス・ウィムスーツ。

 その変態性から、近所のスーパーを出禁にされた男。

 芸術家はいつの時代も孤独なのである。神は彼に一物しか与えなかった。



 ゼエ、ハア。ゼエ、ハア……。

 オレンジを絞り終えた彼の頬には熱い涙が伝っていた。

 すかさず、メイシャは彼の片手からオレンジジュースで満たされたグラスを受け取り、それらにストローを添えてミオンとセーラの待つ席へ提供した。

 セーラは早速ソレを手に取る。


「ふはー、美味しー」


 一口つけたセーラはとても満足そうである。


「セーラ、今日は偉ーくご機嫌アガってるけど、楽しんことあったの?」

「うん、今日はね、ボンキュワネットが書いた絵本の発売日だったんだー。本当はミオンと一緒に行く予定だったんだけど、色々あってねー」

「ミオン、しっかりしなよー。あははっ」


 メイシャがミオンの肩をどつくと、ミオンは申し訳無さそうに笑う。

 ウィムスーツはその睦まじい様子を聞き流しながら、口元に自慢げな笑みを浮かべていた。


「もう一杯!」


 オレンジジュースを飲み干したセーラはメイシャに告げるが、彼女は申し訳無さそうに首を横に振った。


「めんごね、最近果物の値上げが続いてて在庫ないんだ。つって、ここんとこ最近、リブオスに来る貿易船の数が行方不明になるってのが発生してんだってさー」

「……消息フメー?」


 セーラはメイシャを見据えたまま、きょとんと繰り返す。


「あれ? その顔は知らない感じ? んっとね、最近、リブオスに到着する予定の貿易船が行方不明になる事件が増えてるらしくてね。不自然な海流が起こったと思ったらいつの間にか消えちゃうんだって。そのせいで業者が船を出すのを躊躇って、おかげでウチも一苦労だよ。巷じゃ、の仕業だって噂されてるけどね」  


 リブオスとは、リトルブルーオーシャンスクエアの略語である。

 メイシャはエプロンのポケットから取り出したスマホを手繰り、やがてスクロールしていた指を止めると、画面を二人に見せつけた。

 画面上には、地図アプリのスクリーンショット画像が表示されており、そこには、青い点を示すピンが何本も刺さっている。 

 どうやら事件の発生した地点をマーキングしたものらしい。


 「へー、ほー」と、やや前にのめったセーラの隣で、ミオンは不安そうに身を縮こまらせて画面へ視線を注いでいた。


「多分海中保安庁もそろそろ動き出すと思うけどね。もし海中保安庁に担当を任されるようなことがあったら、そん時は頑張って!」 


 メイシャの忠告をありがたく受けつつ、二人はお礼の言葉を述べてから、カフェを出た。お会計は、220円。ドームの外には、いつも通り海が広がっていた。

 日が暮れてオレンジに染まった陽射しは十分に暖かく、街全体を包み込んでいる。


 今から遡ること100年前――21世紀。

 あの一世紀前を境に、世界は海の底に沈んだ。

 宇宙から襲来した宇宙苔アストラモスの惑星環境破壊兵器によって。


 アストラモスは生物のDNAの断片でも残っていれば、そこからクローンを作り出して寄生することで、意のままに操ることができる。そうして彼らは生態系の頂点にに立ち、その支配領域を地球全土にまで広げようとした。


 彼らにとって人間のような知的生命体は非常に厄介。 

 そこで、かつて人類の発展に貢献した科学者や芸術家、さらには剣豪までのクローンを用いて、人類の抹殺に乗り出したのだ。


 だが、そんな彼らに対抗すべく立ち上がったのが、海中保安庁――。

 21世紀に壊れずに残った遺物、彼女らアンドロイドに、そんなアストラモスから人類を守り抜くという使命を与えたのだ。

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