臨海22世紀

長宗我部芳親

海中退治譚編

海中退治譚編 プロローグ


――海に沈んだ街の跡地をこうして泳いでいると、なんだか不思議な気分になる。


 水の底にできた、陽だまりの上にゆっくりと舞い降りた。

 地面に降り立つと泥が起こって、近くを泳いでいた小魚の群れが散り散りになっていった。空から差し込む光は、水面が波立つと共に揺らめいている。


 もう誰もいない、一世紀ほど前に滅んだ都市。

 かつて道路に散乱していた瓦礫は海流に流され、きれいになっていた。

 今では、建物の跡だけが残っている。苔が生して、海藻が繁茂していたり、と原型は崩れているけれど、やっぱり当時の匂いがした。 


 ビルの長窓に街を泳ぐ私と、魚の姿が映る。

 私との思わぬ出会いに驚いた魚は、咄嗟に近くの建物の影に姿を隠した。


 頭の中にインストールした22世紀の位置情報アプリじゃ、この辺りは日本関東海溝の真ん中だとしか書かれていない。でも、旧式1世紀前のアプリだと、○×銀行本店ビルだとか、△□神社だとか、ちゃんと当時の住所や建物が書いてあるから、昔を思い出すのならこのアプリがぴったりだ。


 セーラにも、「どうしてそんな古いアプリを残しているの?」と、よく言われちゃうけど、当分アンインストールするつもりはない。

 

 所々背の低い藻が生えた、ひび割れた道路の真ん中。

 空っぽになった信号機の横には、日本橋まで24kmと書かれた標識が貼られている。この先もきっと、おんなじ景色が広がっているはずだ。 


 百年前の、あの惨状さえなければ、今もここは人で賑わっていたはずなのに。


 昔に思い馳せてみた。

 あの日の人々の賑わい。街の匂い。

 

 あの日を境に。宇宙の彼方から襲来した宇宙苔アストラモスの惑星環境破壊兵器によって地球上の全ての陸地は海中に沈んでしまった。かつての栄華を誇っていた人類は、今じゃこの広い海の断片に位置する海底都市でしか暮らしていない。


 ここにいる魚達には、自分達の目の前に広がるこれらが一体何なのか、検討もつかないんだろうな。そう思うと、少し寂しい気持ちになる。


 ふと、視界に映った、忘れ物のトラックの、濁ったサイドミラーを指で擦ってあげると、遠くに赤い鉄塔が見えた。

 東京タワーだ。

 

 今じゃすっかり傾いてしまって、見る影もないけど。

 私は振り返ってしばらく景色を眺めた後、また泳ぎ出した。 


 ビルの壁が剥がれ落ちた廃墟ビルの間を抜けていくと、大きな交差点に出た。

 信号の消えた横断歩道を渡ると、そこには錆だらけの看板がある。 

 掠れた文字によれば、ここは商店街みたい。

 旧式のアプリには『花形商店街』との記載があった。


 ふらりと立ち寄った商店街の店の多くは、シャッターやら壁が崩れ落ちてしまっていて、中が丸見えになっていた。ある建物はテナントを募集中と貼り紙が出ていた。  この番号に電話をかけたら誰かが出てくれたりするのかな?  なんて。


 考えごとをしながら泳いでいると、気づけば、カフェにやってきていた。

 テラスにある私だけの特等席に腰掛けて、テーブルの上に軽く触れると、ホログラムのメニュー版が浮かび上がってくる。


『――本日のおすすめ:キリマンジャロコーヒー』 


 タンザニア北部のキリマンジャロで採れた豆を使ったコーヒー。

 一口啜ると、独特の酸味が鼻腔に抜ける。酸味の後にやってくる苦味は強すぎず、香りも引き立つ一品。お値段 : 一杯七百円。

 

 ちょっと高いかも。

 お手頃価格とは言いにくい。


 メニューの更新は一世紀前から止まっている。

 仮に注文ボタンを押してみても、『申し訳ございません。注文に失敗しました』と表示されるばかり。店員さんがいないから当然だよね。

 そっとメニューを消した。


 ん、ん~~……。


 身体を伸ばすようにして、椅子の上で大きく伸びをした。

 ちょっとの間を挟んでから辺り一面に影が落ちる。

 顔を上げると、ちょうど魚の群れが上空を横切っていくところだった。


 気づけば、日射しが随分と傾いてきている。

 もうすぐ夕暮れみたいだし、今日はここまでにしておこう。


 バイバイ。また来るね。 

 心の中でお別れを言って海底都市へ戻った。

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