第20話

 奴隷たちの労働力を駆使し長い年月をかけて作られた、キルサ本土にある巨大な石造りの王城。その上部にある王間で宰相からの報告を聞いたアルバレート・オルトは、思わずといった様子で口元を褐色の手で覆う。



「本当に、ソルが敗れたのか? あのギルムに?」

「ウルズ領からの情報を鑑みるに、間違いないかと」



 北路を迂回させて進ませた偵察部隊は、数ヶ月かけてキルサ本土へとようやく帰還した。だが出兵した一万の兵と弟のソルの行方は未だにわからず、当のギルム国はウルズ領と密に交易を重ねていることが判明した。


 そして偵察隊の一人がその交易に紛れてギルム国の情報を探ったところ、相変わらず数々の敗戦で脆弱化していることは確かだが崩壊まではしていなかった。それに今までと比較すると何処か再起の可能性すら垣間見えたこと。


 その切っ掛けとなった原因が一万ものキルサ兵を退けたことであることは容易に想像できるし、未だに姿を見せないことからしてソルの生存も絶望的だろう。



「容易な足掛かり程度でつまずく……あの、ソルがか?」



 第一王子であり王の正位継承者であるオルトにとって、ソルは決して油断の出来ない相手だった。こちらが下手を打てば王位の継承を奪われかねない敵対者であると同時に、キルサ国になくてはならない能力を兼ね備えてもいた。


 特筆すべきは王子たちの中でも軍の指揮に長け自ら前線にも出られる武勇と、それにより侵略した土地に住まう女子供に容赦なく奴隷紋を焼き付ける冷徹さ。ソルの残忍な所業はキルサ国内をも震え上がらせると同時に、味方としてはこれほど頼もしいものもなかった。


 そんなソルにギルム国を陥落させる手柄を渡すのはオルトの立場を揺るがしかねないものであったが、それを看過してでも早期に決着を付けたい理由が彼にもあった。



「心中、お察しします」



 王の継承者としてキルサ国の中枢を担っているオルトの隣に控えることを許されている、絹のように清らかな白髪で目を隠している女性は憐憫れんびんの言葉をかける。その一声に彼の表情は文字通り溶けた。


 彼女の顔立ちは数多ものきさきを持つオルトが目を奪われるほどの美貌であり、身体つきは男を魅了するために作られたと言われても納得するほど豊満だった。


 キルサの王城内の一部からは傾国の女とまで言わしめている、虫人の女王であるヴィーナ。数ヶ月前にソルが発見した人外じみた美貌を持つかいこ族の彼女に、オルトは夢中だった。


 ヴィーナは同族である虫人の保護を引き換えに、その身柄をオルトに預けた。だがそれはあくまで当人同士、それもオルトが虫人たちを人質に無理やり持ち掛けたようなものだった。なので王族や家人たちは当然容認していなかったので、それを認めさせるために譲歩をせざるを得なかった。


 その譲歩の一つとして、ソルには滅亡寸前なギルム国への出兵を任せた。それにオルトとしても虫人の保護に必要である新たな土地――それも聖剣教により自然豊かである聖地がある本土は早急に必要だった。いくら亜人に寛容とはいえど、国内で虫人の保護区を作るのは民の反発もあり出来なかったからだ。


 だがソルという戦力も加われば過剰ともいえるギルム国への侵攻は、結果として見れば何故か失敗に終わりその原因も未だに不明だ。仮に噂程度に聞く風の魔女が力を発揮したとしても、ソルであれば撤退の判断を見誤らないだろう。


 それ以外の要因があることは明らかであるが、御伽噺と心中していたような国に都合よくそんな奇跡が起きるのか。それならソルが死を偽装して暗躍する、と考えた方がまだ現実味がある。



(だが、これは好機でもある)



 武勇を持つ第二王子にヴィーナが信頼を寄せていたダンゴ将軍が消息不明となったことは、キルサ国においては大きな打撃だ。だがそれと同時に好敵手がいなくなったことでオルト派閥の地盤は強くなり、女王の頼れる盾も消えた。


 確かにギルム国本土への踏み込みは予想外の失敗を喫したとはいえ、今までの戦果で広がった国力の差は未だに開いたままだ。いくら一騎当千の魔女がいたところで、数万の兵を波状的に送れば敗北は必須だろう。



(まさか、あの化け物が討ち取られるとは思いもしなかったが……そこだけはギルムに感謝しなければな)



 虫人の中でも異様な大きさと岩盤のような硬さを誇るダンゴ将軍すらも生き残っていないことはオルトも驚いたが、それでヴィーナが傷心してくれたことはとてもありがたい。おかげでようやく付け入る隙ができるというものだ。



(絶対に、我が物にしてみせるぞ……。そのためなら、多少の犠牲は構わん)



 あくまで政略結婚という側面は拭えず未だにその瞳を見ることも叶わないヴィーナ。そんな彼女が初めて見せた弱みに何とか付け込もうと、オルトは画策を巡らせていた。

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