第5話

 ギルム本国を守るには心許ない城壁の前に、キルサ軍の囲うような布陣が出揃う。前面には人間の歩兵が数千びっしりと並び、その背後に同数程度の弓兵と、矢をも通さぬ灰色の丸々とした装甲を身に宿した虫人奴隷が数百控えている。


 それと比較するとギルムは城壁を防衛するために訓練された兵士の数がまず足りない。なので急遽一般市民から徴兵を行い何とか数を見繕い、キルサの足を止める体裁だけは何とか保っていた。



「俺たちで、守るんだ!! この国を!!」

「おおおおぉぉ!!」

「…………」



 初めての戦争体験がほとんどな徴兵たちは異様なほど士気が高く、布陣しているキルサ軍を威嚇するように雄叫びを上げている。そんな者たちを正規の兵士たちは無言で見送るだけだ。


 そんな雑音が響き渡る中でも、キルサ軍は攻城準備を着々と進めていた。キルサはゲーム序盤こそ粗悪な人間の奴隷しかいない典型的なプレイヤーのチュートリアル要因の国だが、虫人奴隷を手に入れてからは厄介な相手に成り得る。


 キルサ軍は動物の腱を利用した移動式の大型投石器を目標の位置に向けて調整した後、本来なら石を入れるお椀型のバケットにダンゴ虫のように丸まった虫人奴隷を入らせた。


 それから十数人の兵士たちは滑車が複合されたロープを全力で引っ張り上げ、装填を完了する。そして投石器の兵長である男が装填状態に問題がないことを指差しで確認した後、兵士が発射するためのロープを引いた。


 そこそこ使い込まれている投石器はさながら巨人のような軋みの唸り声を上げ、ギルム城壁に向けて虫人奴隷を射出した。空中に飛ばされた虫人はしばらく球状の状態を維持した後、頃合いを見て身体を大の字に広げて着弾位置を確認した後に再び丸まる。


 結果としては飛距離計算が合わなかったのか、その虫人奴隷は城壁手前の地面に着弾するに留まった。頑丈かつ丸まれるほどの柔軟性も秘めている装甲のおかげか、その虫人はほぼ無傷で起き上がる。


 弓兵の数人がその虫人を狙って矢を放つも、数本当たりはしたが背中の装甲に弾かれて刺さらない。そのまま走って帰還していった虫人を兵士は苦い顔で、徴兵たちは唖然としながら見送るしかなかった。


 そしてキルサ軍はその結果を考慮して車輪付きの投石器の移動を複数機一斉に開始し、装填する作業員にロープの引き絞りを強めるよう伝えた。そんな風景を高台から見ることしかできない兵たちは、これから起こるであろう未来を嫌でも想起させられた。



「何だよ、あの化け物。あれが、飛んでくんのかよ……」

「あんな大きさの奴に入られたら、誰が勝てるんだ?」



 勇み足で徴兵を受け入れた男衆たちも、人間の常識を超えた数メートルはある虫人が飛んでくるのを目にしてからは暗い現実を認識し始めた。ギルム滅亡の危機を知らされて恐怖に麻酔でも効いていたかのように高かった徴兵たちの士気は、相手の万に届く壮観な布陣を目の当たりにしてみるみるうちに萎んでいく。



「落ち着け!! 数匹飛んできたところで囲めば倒せる相手だ!」



 そんな士気の低下を隊長は何とか防ごうと声を張り上げるも、徴兵された者たちの顔は晴れない。確かにあんな熊みたいな体格の化け物でも囲めばいずれ倒すことは出来るだろうが、その間に何人も犠牲になるのは確実だ。


 その捨て駒になるのは自分かもしれないという不安は、カシスと違い明確な武力もなければカリスマ性もない隊長では拭えない。


 だがあの厄介な投石器を破壊しようと打って出ることも、この兵力差では無謀だ。ここまで生き残った二千の兵で突貫すれば可能性こそあるが、投石器を破壊できても帰還は間違いなくできない。そうなればこの防壁を守るまともな兵力はいなくなり、残ったキルサ兵に蹂躙されるのみだ。


 つまるところ耐えの一手しかない。しかも耐えたところで増援などの見込みもない、希望の光すらない防衛線だ。


 だが例え負け戦だとしても守りを放棄すれば、国外に避難できないような立場の弱い市民がキルサ国に奴隷として徴収されてしまう。指を咥えてそれを見ているわけにもいかないが、それでも全員を守ることはもう不可能だ。


 だからこそここでキルサ軍の数を少しでも削ることが重要だ。街中でのゲリラ戦に持ち込むにしても、ここを無血で明け渡すわけにはいけない。


 そしてそれから数十分ほどは、弓兵でのじりじりとした応戦が続いた。だがその間に段々と投石機の精度も定まってきたのか、城壁に丸まった虫人が砲弾のように着弾し轟音が響き渡り始めた。


 流石に石壁に真正面からぶつかる衝撃には耐えられなかったのか、虫人はそのまま意識を失い落ちていくが、五つ放たれた内の一つはとうとう城壁を超えた。



「迎撃する! 私たちに続けぇぇぇ!!」



 徴兵されたばかりの者たちは隊長から命を賭けて戦えと言われても、その命令を聞きはしない。だからこそ隊長自らが先陣を切って虫人の着地点に向けて駆け出した。


 そして虫人の着弾地点を避けて穴が開いていた箇所に駆け付けると、虫人は球状を解除し兜を取り払ってその全貌を明らかにした。


 兜で隠されたその頭部は人とあまりにもかけ離れていた。その黒い目だけ見ればくりくりとして可愛らしいものだが、人のような鼻はなく、飛び出た触角は機敏に動き凶悪な上顎は周囲を威嚇すように開閉していた。


 まるで削り取られたようにへこんでいる腹部からは十本の短い足がかちゃかちゃと硬質な音を立てながら蠢き、その中でも上部にある人間に近い手には鈍器が握られている。



「どけぇぇぇ!!」



 その異形ともいえる虫人の姿に恐れおののいている素人共を退けて、隊長はいの一番に切り込んだ。それに後続の兵士も続き周囲の状況を把握し動き出そうとした虫人の足止めに入る。


 虫人は隊長の剣を鈍器で防ぎ、その他の兵士の槍を短い足で器用に弾いた。そして兜を脱ぎ触角を露わにしたことで取り戻した空間把握能力を駆使し、自身の姿に恐れを抱くほど士気が低い兵の多い場所に向かおうとする。



「これにここを超えさせれば市民は成す術もなく殺される!! 盾を構えて少しでも足を止めろ!! 俺たちが殺す!!」



 隊長とて厳しい訓練と実戦を重ねているとはいえ、カシスに比べれば一般人の域を出ない。巨大な昆虫のような人外を相手取れるような地力もなければ、人を率いられるような知略を巡らせることも苦手だった。


 だがそんな脆弱な存在だということを自覚していても、守る者のためになら命を張れる覚悟を持ち合わせた。そんな無謀ともいえる切り込み隊長を目の当たりにした兵たちは感化されるように怒号を上げ、虫人を押さえようと盾を構えて殺到した。



「だああぁぁぁ!!」

「……!」



 いかに数メートルを超える人外だとしても数十人が相手ではいずれ圧殺される。鈍器の振り回しにより数人は大きく吹き飛ばされたものの、その隙に虫人との対人経験がある隊長含む兵士たちが、懐に剣を構えて柔らかい腹部を狙いねじ込むように体当たりした。


 そんな兵士たちの頭に食いつこうとした上顎を、他の兵士が盾を割り込ませて防ぐ。そして腹部から生えた複数の足が鎧と擦れる音は次第に弱まり、最後には少し黄色がかった血を地面に広げたまま虫人は力尽きた。



「な、なんだ。倒せるじゃんか! こんな化け物でも!!」

「迎撃準備!! 次が来るぞ!!」



 決死の覚悟で止めを刺した兵士たちが離れたことで支えを失った虫人が地面に倒れると、それを見ていた徴兵たちは意外とやれるのではと息巻いた。しかしこれからは五匹がそれぞれバラバラの場所で降ってくるので、素人含めた兵に任せるしかない。


 その後も弓兵同士による矢での応戦と、虫人投擲による奇襲は行われ続けた。ただ生き残った兵士たちは虫人との戦闘経験がある者が大多数なので、少々の犠牲こそあれ囲って倒し何とか歩兵が城壁に梯子をかけたり、城門を破壊するための破城槌などの設置を阻んだ。



「……!」



 だがそんな攻城戦に終止符を打つ者が、これまでの投石計算を下に発射されてきたのを隊長は目視した。ギルムの防衛拠点であるここより断然堅牢だった副都市を落とされるに至った原因であるその虫人は、他の灰色と違い黒曜石のようにつるりと光っていた。



「総員、撤退!! 撤退だー-!!」



 風魔法を扱えるカシス同様、一騎当千の力を持つダンゴ将軍。それは他の虫人とは比較にもならない質量を以てして、石の床をぶち抜き城壁上に着弾した。

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