第2話. 揺らぎ

「はい、これ。貴方のお茶ね」

 

 彼女からペットボトルのお茶を手渡され、僕は、彼女の運転するバンの助手席に乗っていた。


 車の後ろには僕の家の住居バッテリーが積まれていて、あと財布と家の鍵、僕の荷物はそれだけだ。つい彼女の熱の籠った話に乗ってしまい、のこのこ付いてきたのだ――なにせ仕事が貰えるのだから。


 それに例え嘘であっても、空っぽの僕にはもう、何も失って困るものはない。


「木下 護くん、よね? 私は、美空 舞。よろしくね」


 僕の名前を知っていた事には驚いた。

 正直、何かまずい気がしていた。

 僕はその時、少し訝しむ様な目つきで彼女を見ていたに違いない。


 ポニーテールで、正面に『REV』のロゴが入った黒いキャップを被っている。

 アンダーリムの眼鏡がよく似合ってて、とても知的で美人だ。

 それに黒のタンクトップに白いデニムのホットパンツ!

 アウトだ。まともな仕事の服装じゃあ、あり得ない。

 でも彼女にはそれがとてもしっくりと似合って見えた。

 年は同じくらいだろうか?

 それに、“美空 舞” なんて名前――まるで芸能人みたいだけど彼女にはそれがまた似合っている。


 疑っていた筈なのに、彼女はやっぱり綺麗で、僕の用心はどこかに置いてけぼりになってしまった。


「あら、どうしたの? やっぱり不安?」

「いや……」


 もっと普通の、自然な顔つきをなんとか取り繕ってみた。


「……綺麗だな、と思って。その、君の声とか名前とか」


 本当は顔もスタイルも抜群だけれど、流石にそれは誤魔化した。

 彼女はクスッとして、

 

「ありがと。そうねー声優みたいって言う人も居たかしら。この苗字と名前は、私も気に入ってるわ。とってもね。でも貴方の名前も素敵よ」


 小学生の時、授業で自分の名前の由来を調べて発表する事があった。


 母は名前の由来について、


「たくさんの人を守って、その人の笑顔を守って欲しい。そんな立派な人になります様にって願いが込められているのよ」


 父は消防士で僕が高校生の時、殉職した。

 

 消火活動中に、赤ん坊を助けに火の中へ入っていったそうだ。

 幸い赤ん坊は軽い火傷で済んだのだが、救出した直後、バックドラフトに巻き込まれ、父は死んだ。

 今でもその母子と、あの時、赤ん坊を手渡された同僚の方が、父の墓へ毎年見舞いに来ている。


 そんな父を誇りに思っていたし、僕なりこの名に恥じぬようと、自衛官になった。


 けれども今じゃあ僕らの存在は、国からは不要とされ、納税の多い有産階級からは煙たがられ、その下の賃金労働者からも白い目で見られるのだ。


「僕には……出来過ぎた名前さ」


 車は段々、僕の街から遠ざかっている様だ。

 散々、うんざりさせられた悪夢から放たれる様で、不思議と心は軽くなっていた。

 ただぼんやりと窓を流れる景色を見つめ、僕はいつの間にか眠ってしまった。



(続く)


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る