番外編
Extra:Keisuke × Minato 1
社会人は忙しい。それくらいわかっていたつもりでいた。
だけど。
『ごめん、敬介。また埋め合わせするから……』
「仕方ないさ。仕事頑張れよ」
『……うん、じゃあ切るね、また電話する!』
「ああ、またな。………………はぁ……」
仕事が違うと恋人と生活リズムが全く合わなくなる、というのは想定していなかった。
俺たちが大学を卒業し、新社会人になって3ヶ月が過ぎた。
俺が入社したのは大手製薬会社。その開発職ともなるとかなりの激務を想像していたのだが、実際にはこの3ヶ月は完全に全部署合同の新人研修であり、定時出社定時退社のきわめてホワイトな勤務状況が続いていた。
そして配属先が決定してからも半年はいわゆるOJT期間となり、残業は原則無しとなる。実際新人がいきなり新商品開発に携われるわけもなく、しばらくは過去の商品の開発プロセスの勉強、市場調査結果の確認とグラフ作成、先輩方の開発した商品のモニターアンケートの手伝いなどなど……まあ要するに補助的な仕事ばかりが続くことになるらしい。
話が長くなったが、要するに俺はそこまで忙しくないわけだ。
(まさか学生時代より暇になるとは思わなかった)
三鷹の実家に帰っても午後6時過ぎくらい。朝は8時過ぎに家を出れば間に合うのでかなりゆとりがある。
……そうなってくるとやはり、恋人に会いたくもなるものなのだが。
「…………まだ仕事中だろうな」
俺とは対照的に、俺の恋人……湊は多忙な日々を送っていた。
本が好きで編集者になりたいと夢見ていた湊は、無事出版社に就職できたものの第一希望の小説や文学本の編集ではなく、女性向けのファッション誌の編集部に所属することになった。
『残念だけどさ、しょうがないよ。人はもう足りてるって言われちゃったらどうしようもないっていうか』
ただでさえ電子書籍の台頭で縮小気味な紙の出版。小説となればなおさら厳しい、と湊は言っていた。
『希望は出し続けてるからさ、空きができたら入れてくれ!って。それまでは今のところで頑張るよ。何事も経験だし』
『ファッション誌の編集って何をやるんだ?』
『企画出し、取材、それからライターさんから上がってきた内容の確認と校正とか?いろいろあるよ。結構忙しいみたい』
……と言っていた湊の言葉は現実になった。
とにかく忙しい。日中は連絡待ちで暇なこともあるらしいのだが、相手方の都合で取材が土日になることはよくあるし、毎日ではないが親交を深めたり顔を覚えてもらうための食事会や飲み会もある。
そのうえ湊は酒に弱いから飲み会のあとはたいてい朝まで寝てしまっているので連絡が取れなくなる。夜に送ったLANEの返事が翌日朝というのも珍しくなかった。
『ごめんないつも』
『週末仕事入っちゃった、ごめん』
『ごめん』
……気づけば、湊は俺に謝ることが多くなった。
湊のせいじゃない。だからいつも許す。けれど。
(……今週もだめで、来週はもともと予定があるからだめで……代休で平日休むらしいけど俺は研修があるから休めないし……)
……だんだんと湊に謝らせるのが申し訳なくなってきて。
できないデートの約束を、しなくなっていった。
「佐伯!お前今日の夜暇?」
7月のある金曜日。帰ろうとしたところで同期の男に声をかけられた。
「どうしたんだ?」
「営業の子と合コンやる予定なんだけど一人ドタキャンされてさ!急で悪いんだけど来てくれよ。お前なら全然文句なしだからさ!」
「合コン?いや、そういうのはちょっと……」
恋人がいる身で行くものでもないだろう。同期に恋人がいることは話していないから、誘った側に悪気があるわけではないのはわかっているが。
「なんだよ、見た目通りの奥手かお前。ダメだぞ、このご時世若いうちから積極的に相手見つけていかないと結婚できなくなっちまうぞ。ソースはうちのアラサー兄貴」
「だが……その、俺には恋人が……」
「マジ!?彼女いるの?あちゃー……いやでも頼むよ人数合わせで座ってるだけでいいから!持ち帰ったりしたら浮気だけど誰も選ばなければセーフだろセーフ!」
「…………」
……正直に言えばそれもどうかと思う。恋人がいるのに合コンに出てくる男は誰にとっても不誠実ではないか?
「気になるならその彼女さんの許可取ってこいって!」
「いやでも向こうは仕事中……」
「頼むよ~!それか佐伯の代わりに合コン出れる奴探して!」
「それは……」
もともと俺はそこまで積極的に交流を広げるタイプではない。学生時代の友達もほとんどが幼なじみである仁の友達を紹介してもらったものだ。当然、仁がいない会社内に合コンに代わりに出てくれと頼めるほど親しい人などいないわけで。
「……わかった。聞くだけ聞いてみる。でも向こうも忙しいから、連絡つかなかったら諦めてくれ」
「おーう!」
……どうせ出ないだろう。そう思って鳴らした電話は意外にも2コールで繋がった。
『敬介!』
「えっ、湊……仕事は?」
『めちゃくちゃ頑張って定時上がり!ちょうど敬介に電話しようと思ってたところで……』
……湊の時間がある。そして今日は金曜夜。朝まで一緒にいられる日だ。
この時点で俺はもう湊を優先したくてたまらなくなったのだが、目の前に同期がいる。
『敬介?』
「……すまない、飲み会に行ってもいいだろうか。会社の同期に誘われていて……」
「おいこら彼女さんに不誠実だろ、合コンって言え合コンって!」
「っ」
馬鹿、聞こえるだろう──と小声で同期に言い返そうとしたところで。
『え、合コン?いいよ?』
すごくあっさりと、湊から了承の返事があった。
「……え」
『会社の人と付き合いで行くんだろ?それくらい気にしないよ、俺』
「いいのか……?」
『俺だってたくさん飲み会行くけど特に敬介に許可なんて取ってないじゃん。気にしなくていいって』
「…………、そうか、わかった。行ってくる」
『うん。またLANEする~』
…………。
「なんだよめちゃくちゃ理解ある彼女じゃん!よかったな!」
「……そうだな」
……自分で言っておきながら了承の返事をもらえたことに少し傷ついていた。
……信頼されている?そうかもしれない。
会社の人であれば異性と飲みに行くのも普通?そうかもしれない。
でも。湊はそれで本当にいいのか?
自分を優先してほしいって思わないのか?
俺は……俺だったら嫌だぞ。湊が……。
「よっしゃ行くぞ~!営業って可愛い女の子多いんだよな、佐伯はどんな子が好み?」
考え込み始めた俺の背中を同期が叩いた。それで気が散る。
「いやだから俺は」
「わかってるよわかってる!でもどうせ座るなら好みの子の隣がいいだろ!てかあとで彼女の写真も見せろよ!みなとちゃんだっけ?可愛い?それとも美人系?」
「だめだ、写真は絶対見せないからな……!」
「ケチー」
……またLANEすると湊は言っていたが、その日の夜、湊から連絡はなかった。
「…………」
怒らせただろうか。それとも本当に気にしていなくて、なんなら、俺がいなくてもどうでもいいと思っていたり……。
…………。
結局俺もその日湊に連絡を入れなかった。
湊が何を考えているのかわからなくて怖いと思ったのは、これが初めてだった。
***
「と、いうわけで……それからなんか全然連絡がなくて……」
「マジで言ってますか先輩」
「マジで言ってる……」
「敬介さんとうまくいかなかったなんて言ったら仁さんに刺されますよ」
「刺されるかも……」
「…………」
ヴェールの向こうから「だめだこいつ重症だ……」とでも言いたげな視線を感じる。知ってる。わかってる。まず日曜の夜に後輩であるお前にこんなこと相談しに来てる時点で本当アレだってわかってる。
ありとあらゆる原因は俺にある。
正確に言えば俺の仕事。正社員だし小さいとこだけど出版社だしまあ普通の会社と同じだろうと思ったら甘かった。
小さい会社ということは、人手が足りていないということだ。自分の仕事だけならまだしも人の仕事を手伝ったり電話応対したり来客対応したりあれやこれやでやることが多い。
そのうえ慣れてないから失敗もたくさんする。もともとそんなに器用なほうじゃないからミスしては怒られたり先輩の手を煩わせたりしてる。さすがに俺の失敗を全部先輩に肩代わりしてもらって自分は定時であがりまーすなんてできないし。埋め合わせとかお詫びとかでまた雑務が増えていくし。
そのせいで、恋人の敬介と数ヶ月近くすれ違っている。
「最後に直接会ったのはいつですか?」
「先月……4人で仁の誕生日パーティしたとき……」
正確に言えば
「……2人きりで会ったのは?」
「ゴールデンウィークの始めだから4月末……」
「5月の間一度も会ってないってことじゃないですかそれ……」
元大学の後輩である円が心底呆れたように溜め息を吐く。あ、こいつは去年いろいろあって大学を辞めて、今は俺と敬介の友達である仁と同棲しながら銀座のバーで働いてる。で、今はそのバーのカウンターで飲みながら話聞いてもらってるって感じ。
普段はこんなしっかりサシで話せないんだけど、日曜夜でお客さん少ないから特別に許してもらってる。
「あー……俺もお前らみたいに同棲すればよかった。お互い今の家から引っ越す必要ないんだよなーとか、お金溜まってからーとか遠慮せず一緒に暮らそうって言えばよかった……」
「同棲してても普通にすれ違いますけどね。おれが帰ると仁さん基本的に寝てますし。朝は仁さんのほうが早いですし……」
「いやでも会話はするだろ?」
「それはしますよ」
「いいなー……」
「現実見てください先輩。解決策として同棲を選ぶのはいいですけど、それより前に状況をなんとかしないと自然消滅しますよ。ほら早くスマホ出して連絡してください」
「…………うぅ……」
一昨日……金曜日の朝から時が止まったままの敬介とのLANE画面。……合コン終わったら連絡してくれると思ったのに。
敬介が飲んでる間に家の中片付けて、終わったらすぐにでも俺の家泊まっていってって言うつもりだったのに。
あー……勢いで女の子お持ち帰りとかしてないよな……!?敬介に限ってそんなことないって信じてるけど……信じてるけど……!!
……というか、本当は合コンなんて行ってほしくなかったんだけど。でも俺の都合で会えないのに、敬介の人付き合いまで俺のわがままで縛るとかできないし……。
「……そもそも最近デートにも誘われてないんだよね。どうせ俺が仕事でドタキャンするから約束するだけ無駄って思われてるんだろうな……あー…………」
「うっざ……」
もう全く隠す気ゼロの低い声が飛んできた。
「お前仮にも客にその態度はなくない??」
「仮にも店員にうざ絡みしてるのはどっちですか。出禁にしますよ」
「それはやだ。ここめちゃくちゃきれいだもん」
ちょっと前にこの店は大改造してリニューアルオープンした。本当にちょっと前のことなので、まだここは知る人ぞ知る穴場の店だ。いつか俺が企画できるようになったらここ真っ先に取材するって決めてる。出禁は困る。
「先輩が連絡すれば済む話じゃないですか」
「……そう、だよな……」
ああでも何を言えばいいんだ?今週末空いてる?俺が空いてないかもしれないのに?合コン楽しかった?楽しかったって言われたら普通に凹むわ今の俺なら。仕事どう?恋人の会話として色気なさすぎない?というかそもそもここ数ヶ月予定確認と今日仕事で何したみたいな話しかしてなくない?日報かな?
「…………」
「…………」
「……先輩」
「ん?」
「酒の力を貸します。奢りなんでどうぞ」
目の前に細長いグラスに入ったカクテルが置かれる。飲んでみるとなんかレモンティーみたいなカクテルだった。ってレモン入ってるな。あ、すごい飲みやすい。紅茶のカクテル?ちょっと違うかな。なんだろこれ。
「まどか、これなんておさ……?」
……あれ?
グラスの半分くらいまで飲んだところでぐらっときた。強いお酒を間違って飲んでしまったときみたいな感覚。あれ、なにこれ、めが回る……?
「うう……」
「……あーもう本当になんなんですかね先輩方は」
手からスマホが取られる。あ、こら、かえせよ、なにするんだ。そう思うのに動けなくて……あれ……。
***
ブーッ、ブーッ。
日曜日の23時過ぎ。明日に備えてもうベッドに入っていたタイミングでスマホが鳴った。電話だ。こんな時間に誰だ……?と思いながら画面を見る。湊だった。
「っ、もしもし?」
『湊先輩は預かりました。返してほしければおれの店まで迎えに来てください』
「……円?」
電話の相手は湊ではなかった。円の声……だと思う。少し自信がなかったのは、記憶の中の声より少し低く感じたからだ。
『証拠です。先輩、何か喋ってください』
『……んー……?……なぁに、まどか……?』
『……はい。寝てはいませんが意識ぼやっぼやの限界状態ですね』
……覚えのあるやりとりだ。あのときは電話ではなくLANEのテキストだったが。
大学のときはこの呼び出しで迎えに行った。だけど当時とは違う。三鷹から銀座は遠い。それにあのときと違ってすぐに出られる状態ではないし、明日は仕事だ。
『すまない、無理だ。タクシー代は後で出すから湊は送ってくれないか』
『無理ってどうして』
『……学生のときとは違うんだ。明日も仕事なのに今から銀座まで行けるわけないだろう』
『それがどうかしましたか』
……それがどうかしましたか?
冷え切った声に思わずスマホの画面を見返してしまう。湊の電話番号。湊と一緒に酒が飲めて、俺のことを知っている相手なんて仁と円しかいない。だから相手は円のはずだ。なのにどうして、こんなにも……。
『三鷹からならまだ来れますよね?23時半の電車なら乗れるでしょう』
「いや、行くことはできても帰れないだろう」
『帰りが心配なら明日必要な鞄とか着替えとか持ってくればいいじゃないですか』
「だが……」
『湊先輩だって明日仕事なのになんでこんな風に潰れちゃったのか理由も聞かないんですね』
「…………」
『はーぁ』
電話の向こうで溜息が聞こえる。ガサガサと音。
『仕方がないですね。湊先輩、敬介さん来ないそうですよ』
『……う……けーすけ……こない?』
『来ません。だから今夜はおれと一緒に帰りましょうか』
『まどか、とー…………?』
『はい。おれの家まで一緒に。今日は仁さんいないんで二人で過ごしましょうか』
「――――ッ」
『……ふたり?』
『はい。タクシー代敬介さんが出してくれるそうなんで、おれの仕事終わったら一緒に帰りましょうね』
『……うんー……?』
再びガサガサと音。……いや、音なんてどうでもいい。待った、今なんて……。
『聞いてましたか?このまま敬介さんが迎えにこないなら、おれが先輩を持ち帰ります』
「な、……そういう紛らわしい言い回しはやめろ。家に泊めるだけだろう」
『本気でそう思ってますか?』
俺に対する円の声は一貫して冷たい。
『おれが傷心の先輩に一切手を出さない聖人君子だと断言できるほど、敬介さんはおれのことを知ってますか?』
「……仁のことを裏切る気か?」
『
「…………ちが、そうでは……!」
『……先輩かわいそ。やっぱりおれが慰めてあげようかな』
「やめろ……!」
『文句は直接聞きます。ではまた』
電話が切れる。すぐに掛け直したけれどもう出なかった。
時計は23時15分を指している。終電は……。
「……ああくそっ、間に合え……!!」
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