Summer Triangle 2

「あ~……仁さんの匂い落ち着く……最高……」

「お前バーと家でギャップありすぎだろ……」

後ろから抱きついてきて離れない博士に、仁は呆れたように溜め息を吐いた。そのまま手元の雑誌を捲る。『特集 女子会・デートにオススメ、東京のオシャレなコンセプトバー10選』というページまで捲って手を止めた。フルーツの宝石箱のようなきらきらと輝くカクテルの写真が、ページの半分以上を大きく飾っている。

……あの夏から2年。いろいろなことがあった。

「すっかり人気店だな、あの店も」

「本当にあの崖っぷちから盛り返したのは奇跡ですよ……仁さんには大感謝です」

「星を見るバーってアイディアを出したのは俺じゃなくてお前だろ?」

「でもおれは元のお店の形に戻すことしか考えてなかったんで。いっそ新しい店にしてコンセプトも一新したら?って仁さんの鶴の一声がなければ無理でしたよ。おかげで千客万来、売上倍増、おれの評価もうなぎ登りです」

「女にもモテるようになったしなー」

博士が笑顔のまま固まる。仁はふん、と鼻を鳴らして博士の長いポニーテールの毛先を雑に指先で弄り始めた。


2年前、大学を辞めた博士は銀座の隠れ家バーでアルバイトを始めた。これまでの知り合いとなるべく遭遇しなさそうで、仁の就職先東京の中心地からも通いやすく、客に本名を告げる必要がなく、顔が見えづらい夜の店──というひたすら条件面だけを追い求めた勤め先だったが、隠れ家度合いが過ぎたのか客が少なく売上面でじわじわと追い込まれていた。

そのタイミングで地震が起こり、店の中のグラスというグラスが割れ、内装もめちゃくちゃになってしまった。もう店を畳んだほうがいいのか……と誰もが諦めかけたタイミングで「いっそ新しい店として全く違うテーマでやり直すのはどうか」と博士が店長に提案したことですべてが一新され、『銀座のど真ん中で星を見ながら飲める店』としてSNSを中心に話題になった。博士も今ではその店の看板バーテンダーとして活躍している。

仁は予定通り大手メーカーに就職し、約束通り博士と同じ家で暮らしている。当初は後輩とルームシェアすると親に宣言していたが『あんた他人と一緒に暮らせるような性格してないでしょ、裏表激しいんだから』という姉の一言でなし崩し的に恋人であることがバレてしまった。両親は最初こそ戸惑っていたが、敬介にも男の恋人がいると知ったことで「まあ、今どきそう珍しいものでもないのかもしれない」と受け容れたようだった。

ここにいない湊と敬介のその後にも触れておこう。湊は出版社への就職が叶ったが第一志望であった文芸部には配属されず、月刊の女性向け雑誌の記者として活躍している。それでも、同じ会社ならいつかはチャンスが巡ってくるはずと前向きだ。敬介は大手製薬会社に勤めながらそんな湊を支えている。一年ほど前にちょっとしたすれ違いから破局の危機があったが、それを乗り越えた今は以前よりも確かな絆で結ばれていた。……そのときの話については、またいずれどこかで。



「湊から聞いて知ってるぞー。これ湊たちが取材に来た日、客の女の子から告白されたんだって?」

「……んぐ」

「なーんで全員黒いヴェール被ってるような店でお前だけモテるんですかねー?」

「……しょ、しょうがないじゃないですか。カクテル注ぐ瞬間だけはヴェール取らないと、色がちゃんと見えないんですよ。万一きれいに混ざってないものをお出ししたらそれこそ問題ですし……」

「その一瞬でどれだけの女を惚れさせてきたんだか。あーあー、見た目脱オタクしたら今度はモテるバーテンになっちまうとは。人は変わるもんだよなー」

「……この見た目に整えたのは仁さんじゃないですか。2年前に買ったこの眼鏡も、あれから伸ばし続けてるこの髪も、全部仁さんの好みに合わせてそうしてるんですよ」

「俺の好みっていうか、髪を染めずに見た目変えるならもう伸ばすしかねーなって思っただけ」

「その割には毛先いじるの好きですよね。セックス中もよく触ってますし、今だって」

「……うるせーな」

そっぽを向く仁を、博士は更に強く抱きしめる。

「素直じゃなくて嫉妬深い仁さん。だからおれは毎回毎回、あなたのために違うカクテルを注ぐんですよ。あなたへの愛が尽きていないと示すために」

「…………バカ」

仁が博士の髪の毛を強く引く。「あ、痛」と短い声が漏れた。

「何するんですか、もー……」

「これやる。魔除けにでもつけてろ」

仁が小さい箱を博士に押し付ける。博士がそれを受け取るために姿勢を崩した一瞬の間に仁は博士の腕から抜け出て立ち上がった。そのまま台所へと向かう。

「なんですかこ、れ……」

箱を開けて、博士は言葉を失う。……石のついていない、シンプルな指輪だった。

「……仁さん、あの、これって……」

「魔除けだつってんだろ」

缶ビールを開けながら戻ってきた仁がぶっきらぼうに答える。

「つけてれば言い寄ってくる女もちょっとは減るんじゃねぇの」

「……っ、仁さん!!」

「わ、バカやめろビールこぼれ……!」

「おっと、危ない……!」

傾きかけたビール缶を博士が慌てて受けとめて、そっとテーブルの上に置く。それから改めて仁を正面から抱きしめた。

「……もしかしたらお前目当ての客が減って売上落ちちまうかもしれねぇけど」

「そんなことはないですよ。というかこの前の女の人、今は隔週で来てくれる常連さんになってるんですけど、2回目のご来店のときにはもう完全におれと仁さんの関係理解してましたからね。今日は北十字のお兄さんいないんですね?って言われたこともありますよ」

「…………」

「その『女の客のこと細かく覚えてるんだふーん』みたいな目やめてくださいよ、もー。嫉妬深いんですから」

「…………しょうがねぇだろ、……こんな、かっこよくなるなんて思ってなかったんだよ、俺も……」

「だからそれも仁さんのため、仁さんとこれからも一緒にいるためなんですって。どうしたら信じてくれますか?……おれからも『魔除け』、贈ったほうがいいですか?」

「………………」

「それとも魔除けじゃなくて、結婚指輪がいいですか?」

「…………ん」

仁が苹果みたいに赤い頬で頷く。博士が微笑み、その頬に口づけた。


「可愛い。よし、ヤりましょう」

「……ビール開けたばっかなんだけど?」

「おれが飲んでおきますから仁さんはその間に後ろ洗ってきてください。はい解決」

「お前な……」

「いやですか?」

「……嫌じゃ、ない……。……俺も博士とシたい……」


ようやく本音を零した口に、ちゅっと音を立てて口づける。



「愛しています。ずっと、ずっとね」

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