Side:Jin 21 ★

――結局2時間で3回ヤった。

「腰いてえ、腹減った、さすがにちょっと……一旦なんか着る……。ってバスローブちょっと濡れてんな」

途中で椅子に放り投げたバスローブが湿っていて、これもっかい着直すのか……と、うーんとなる。

「フロント電話して替えのやつ持ってきてもらいましょうか」

「替え持ってきてもらえるの?じゃあそうしようかな」

「ついでにフード頼みましょう。何がいいです?」

ベッド備え付けの電話前で博士が待機しながら俺に聞いてくる。俺は椅子に座ってフードメニューの冊子をめくった。

「……すご、カラオケ並にいろいろあるじゃん。えーレタスと鮭のチャーハン美味しそう……これにしよっかな。あとはフライドポテトで」

「じゃあそれと……他にご飯もの何があります?」

「えーと、おにぎりと、雑炊と、牛丼と、カレーと……」

「あ、雑炊にしますおれ」

「マジ?腹膨れる?」

「……いや、実はその、向こうにいた間ずっと粗食だったんでいきなり揚げ物とか食べたら胃もたれしそうだなって不安が……」

えっ、と顔を上げると博士は苦笑していた。とりあえず頼んじゃいますねと受話器を上げて簡潔に注文を済ませる。ついでに休憩から宿泊への延長も頼んでいた。

「……よし。受け取りは顔合わせなくていいようになってるんで大丈夫ですよ」

「…………なあ、博士」

「はい」

「そろそろ教えてほしい。お前に何があったのか。この2ヶ月のことだけじゃなくて、……最初から、俺にもわかるように全部」

「…………そんなに面白い話じゃないですよ」

「恋人になったら教えてくれるって言っただろ」

「あー……参ったな、そんなことも言いましたね確かに」

記憶力がいいなあ、と博士がベッドの上を四つん這いで横断して俺の近くまで来る。

「いいですよ。でも、おれと仁さんだけの秘密でお願いします」


***


扉の外に届けられた清潔なバスローブを着て、温かい食事に口をつける。

少し食べたところで博士がゆっくりと喋り始めた。

「一部学士まなとが喋っちゃった部分とも重複するんですが……おれの実家は日出羅木教という新興宗教の教祖、日出羅木御言ひいらぎのみことを祖先に持つ、宗教一家です」

「……うん」

「教祖はずっと御言……唯一の『神様』だけですが、神様の言葉を現世に伝える者として代々、神乃子かのこというものが定められてきました。平たく言うと指導者とか代表者とか、そういうのです。そしてそれはずっと、男女問わず神乃子の長子が受け継ぐと決められていました」

「……それが博士だったんだな」

博士が頷く。雑炊を一口、口に入れて飲み込んでまた続ける。

「おれが家を勘当された理由は前お話しましたよね。日出羅木の最大の禁忌である『性の乱れ』……自慰や生殖を目的としない性行為を何度も繰り返したからです。中学生くらいの頃から自慰行為が見つかるたびに一晩お堂に入れられてたんですけど、そのうち自慰行為の後にお堂に入れられるところまでが頭の中で結びついちゃったのか、お堂に入るたびに興奮するようになっちゃったんですよね。お堂は朝のお祈りの時間にも使う部屋なので、お堂に入って興奮してお祈り終わって出たらヌいてそれがバレてまたお堂に入って……って気づいたらもう自分でもやめられなくなってしまってて」

「最悪なパブロフの犬だな……」

「そのうえ、おれはどうも女の子ではなく男の身体に欲情すると気づいてしまいまして。高校生の頃、好奇心を抑えきれなくなったおれはスマホでこっそり他県の男の人と繋がって、エロいことをするようになりました。もともと自慰行為の件もあって母さん……当代の神乃子からは距離を置かれていたんですが、それがバレてからはもう大変で……」

「…………」

「母さんはあくまでおれを『矯正』しようとしました。次代の神乃子がそんな悪魔的行為……まあ要するにエロいことですね、そんなものに耽るなどありえない、もう二度と家から出さずに閉じ込めておけばだろう、って。……そこに異を唱えたのが父さんでした」

博士が僅かに俯いた。

「父さんはもともと信者ではあったんですが、日出羅木の街の出身ではない……『ふつう』の世界を知っている人でした。ずっと母さん……神乃子の言いなりだった父さんがその日、烈火の如く怒り出してこう言ったんです。――こんな悪魔はこの家にふさわしくない、出ていけと」

「…………」

「……悪魔という言葉は、日出羅木教徒にとって最大の侮辱です。母さんはよくおれをそう罵っていましたが、父さんに言われたのはそのときが初めてでした。最初はすごくつらくて、悲しかったんですが、伯父さん……父さんの兄の家に養子として迎えられて、気づきました。おれはもう何も隠さなくていい、日出羅木の教えに従わずに生きてもいいのだと。……そこから先はこの前話した通りです。勉強してM大学に入って、好きに生きてました」

ふと思い出してレタスチャーハンを口に入れた。話を聞きながら食べていたらすっかり冷めてしまっている。博士の雑炊も冷めてしまったのか「先に食べちゃいましょうか」と苦笑していた。


「……それで続きは?」

広いベッドに2人くっついて横になって、目の前の博士に声をかける。

「続き」

「なんで今になって連れ戻されたのかってのと、どうやって戻ってきたんだってのと、今後大丈夫なのかって話」

「あー……そうですね。それ話さないと落ち着いてデートもできないですよね……」

「…………」

「……半年くらい前に父さんが倒れて、余命宣告されました。伯父さんからも連絡をもらっていてそれは知っていたんですけど、父さんの発言力が弱くなったのを契機に『博士さまを家に呼び戻すべきだ』という話が幹部たちの間で出たようなんです。もともとおれの所業は日出羅木の家にとって決して許されない恥でしたから、おれが出ていった本当の理由を知っていたのは、おれと直接血が繋がっている日出羅木の家族と、おじの家だけでした。表向き、おれは高校卒業と同時に次代神乃子として海外の支部を巡回していることになっていたんですけど、裏では学士が次代神乃子になるためにおれを追放したんだとか根も葉もない噂が立ってしまっていて……」

「……それでお前を連れ戻す必要が出てきたと」

「そうです。学士が次代神乃子として家族……ええと、一般の信者の方の支持を得るためには、おれに関する悪い噂は全部消しておかないといけなかった。だから伯父さん経由でこっそりおれを呼び戻して話を合わせるつもりだったらしいんですけど、先にあの動画が信者の方に見つかってしまって」

「…………」

「表向き海外にいることになってるおれが新宿でバイトしてたらおかしいじゃないですか。だからまあ、これ以上余計な真似をするなって感じで、父さんが死ぬまでずっとお堂に閉じ込められてました。あ、トイレとお風呂は監視つきでしたけど入れましたよ。逆に言えばそれだけですけど……」

「……お前の父親、いつ死んだの」

「はっきりわからないんですけど、今日の日付から逆算するとたぶん9月の半ばです」

「つまり1ヶ月以上そのお堂にいたってこと……?」

「はい。足が壊死しない程度に強制的に正座させられて、ずっと」

「な、お前、そんなの虐待だろ……」

「……うーん、世間的には子供に長時間正座させるって虐待みたいですね。おれは物心ついた頃から基本姿勢が正座だったのでよくわかってないんですけど」

「足大丈夫なのかよ」

「そこは長年信者に正座させてきた家ですから。どこまでが許容範囲なのかはよく熟知してますし……大丈夫でしたよ、なんとか」

「…………」

手を伸ばして博士の太腿を軽く撫でる。大丈夫ですって、と博士が笑った。

「父さんが死んだ後、統一集会というものが開かれました。たくさんの信者が集まっていろいろなものを決定する議会みたいなものなんですが、そこでの議題が『次代神乃子を誰にするか』というものになっていました。母さんと学士、そして一部の付き人たちは教えを体現できている学士が次代神乃子となるべきと思っていて、大部分の幹部と何も知らない一般の信者は長子のおれが次代となるべきだと思っていました。だから集会ではおれと学士がそれぞれスピーチして、どちらがより神乃子に相応しいかを決めることになったんです」

「……スピーチって、何喋ったんだよ」

話を聞く限り、博士が同性愛者であることをバラしたら指導者の子供が教えに背いていることがバレるから後継者決めどころではなくなってしまうし、かといって適当に弟にあとを任せたなんて言おうものなら裏で脅して言わされてるみたいな感じで結局弟への疑惑は消えないだろうし……。一体どうしたんだ?

「まず高校卒業後1年半近くの経歴をでっち上げました。インドネシアに行って現地の支部で精力的に布教活動していたことにしたんです」

「…………。はい?」

「もちろんパスポートも持ってないので大嘘ですよ。いやー、世界の宗教学んでおいたのがこんなところで役に立つとは。現地の宗教との教えの違いがどうこうみたいな話しておけば生活そのもののディティールは多少雑でもなんとかなったんで……」

「…………」

「で、今回志半ばで日本に呼び戻されてしまった、神乃子の務めは大事だとわかってはいるがおれは世界中にもっと日出羅木の教えを広めたい、ちょうど日本には学士がいる、おれは世界に、学士は日本に、それぞれ分担して日出羅木の教えを伝えていくのが双子の神乃子として生まれたおれたちの宿命だと思う……みたいなことをつらつらと」

「……えっ、それ誰かが原稿用意したとか……じゃなくて?」

「一から十までおれの創作です」

「怖、それを人前で喋って納得させたってこと?うまくいったのそれ」

「失敗してたらおれ今ここにいません」

むちゃくちゃだこいつ。わかってはいたけど。

「それで神乃子を学士が引き継ぐことが決まったはいいんですけど、結局おれがまた東京で好き勝手したら嘘がバレるじゃないですか。だからやっぱりおれをここに幽閉しておくべきだとか、御屋敷にいたらバレたときかえってまずいことになるだろうからいっそ本当に海外に放逐すべきだとか、いろいろ揉めまして。その間に父さんの葬儀も始まってしまって、それでまあ、これ以上ここにいたらまずいなって、どさくさ紛れに伯父さんからお金と新幹線のチケットをもらって逃げ出しました」

「……それ、もう一回追いかけてこないか?」

「母さんは御屋敷から離れられないですし、学士も神乃子になった以上は下手に動けません。向こうはなんとしてもおれを捕まえたいでしょうけど、捜索すること自体が向こうにとってリスクになるので心配はいらないです。もちろん、一般の信者にバレたら終わりなので今まで以上に身を隠して生きる必要はあるんですが。だから大学は辞めようと思ってます」

あっさりと、博士は大学を辞めると言った。

「っ、いいのかよそんな……」

「言ったじゃないですか、もともとやりたいことがあって大学に入ったわけじゃないって。そんなに未練ないです」

「それは、そうだけど……」

「まあ、問題は生活費なんですよね。当面は伯父さんが出してくれるらしいんですが、ずっと頼るわけにはいかないですし。早めにもう少し家賃安いアパートに引っ越して、大学中退でも雇ってくれる仕事を見つけないと……」

「博士……」

「せめて生活費くらい稼げるようにならないと、仁さんに胸を張ってこれからも一緒にいてくださいって言えないですからね」

え、と声に出したつもりが息を吐いただけになった。博士が微笑んで、俺を抱き寄せた。

「……離しませんからね。おれ、この2ヶ月の間、仁さんのことを思っていたから耐えられたんです。また会いたい、もう一度触れたい……ずっとそう思って、頭も体もたくさん使って……」

「……っ」

「これからも一緒にいられるように頑張りますから。……どうか近くで見守っていてください。おれの天使さま、おれを導くしるべの光である、あなた」

「……っと、に、恥ずかしい表現してくるんだからお前はさ……!」

俺からも抱きしめ返す。俺はそんな恥ずかしいこと言えないから、普通に言う。

「……半年待ってろ」

「え?」

「……半年経って、俺が社会人になったら。そうしたらお前と一緒に暮らしてもいい」

「…………本当、ですか?」

頷く。あ、と思い出して付け足した。

「椅子は買うぞ、2脚な」

「ふはっ、……もちろんです!」

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