Side:Jin 20 ★

――10月上旬。

「本日発売『悪滅の刀』はお一人様一部までとなってまーす!個別に会計レジを設置していますので商品カードをお持ちのうえ南側の特設レジまでお越しくださーい!」

「中央レジでは『悪滅の刀』のご購入はできませんー!」

社会現象になったマンガの最新刊発売日で職場本屋は戦場と化していた。

「いらっしゃいませ630円です、はい370円お釣りです、ありがとうございます!」

「はい次の人どうぞ!630円です!」

「他の本の同時購入はできません、こちらの本は中央レジでお会計お願いします!」

「すみませーん、悪滅の刀11巻ってどこにありますかー?」

「最新刊以外は品切れです!申し訳ありません!」

バイトも今日はフル出勤。特設レジには俺みたいな歴の長い精鋭バイトが入れられて、新人や動きがトロい奴は普段より静かな中央レジや店内の見回りに充てられていた。

「いらっしゃいませ630円です、はい370円お釣りです、ありがとうございます!」

どさくさ紛れの万引きが出たらしく店内インカムで連絡が飛び交っているが反応する余裕がない。とにかく客が途絶えないのだ。開店からずっとこの調子だし、このペースだとあと30分もしないうちに品切れなんじゃねぇか……?


「――『悪滅の刀』最新刊店頭分完売でーす!」

――予想通り、いや、予想よりも早く、11時半には完売のアナウンスが鳴り響いた。

「お、終わった……結城もお疲れさん……」

「……終わってねぇよバカ。これから予約客と、完売の2文字が読めない奴らからの質問攻めが来るんだぞ……」

「…………あー……」

ほしい本は予約しろマジで。マジで。と切に思いながら一旦休憩のためバックヤードに引っ込む。ペットボトルに口をつけてほっと息を吐いていると、インカムに声が入った。

『結城さーん』

『はいはい、何?』

『なんか結城さんに会いたいって客が来てるんですけど追い返したほうがいいですよね?眼鏡かけた男性の方です』

新人の若い女の声だった。普通ならそもそもそんな連絡を取り次ぐな……ってところなんだけど。

『行く。どこ?』

『あ、2番です』

『わかった。待ってもらって』

――眼鏡の男。その一言にどうしようもなく期待してしまう。混雑する店内を可能な限り急いで歩いて、エレベーター近くの出入り口へ。パーカーのフードを被って顔を隠した、眼鏡の男。

「……あ……!」

「…………お久しぶりです、仁さん」

眼鏡の奥の瞳が泣きそうに細められた。……間違えようなんてない。

「……博士……」

「すみません、お忙しいのに。……なんだかすごく人が多いですね」

「ああ、やべぇマンガの発売日だからさ。もう完売したのにこの有様だぜ」

「マンガで……?それはすごいですね」

「……ってそんな世間話はどうでもいいんだよ!いつ帰ってきたんだ、なんで連絡の1つもよこさないんだよ……!」

「すみません、帰ってきたのはついさっきです。東京駅から真っ直ぐここに来て……連絡ができなかったのはスマホが手元になかったからです」

「スマホがない?」

「最後の最後でしくじって手荷物回収できなかったんですよね。伯父さんが手配してくれた新幹線のチケットと現金だけ持って出てきたんで」

あはは、となんでもないような顔で笑う。――いや、笑いごとじゃねーだろそれ!

「大丈夫ですよ。スマホは買い直せばいいし、身分証明書は再発行すればいいし、家の鍵は大家さんに言って交換すればいいし、……やることは多いですけど全部取り返しがつくものですから」

「…………」

「それよりも、……またあなたに会えてよかった」

「…………っ、……おかえり……!」

「……ただいま」

博士の指が俺の目の下をそっと撫でる。それで泣いている、と気づいた。

「だめですよ泣いたら。まだバイトあるんでしょう?」

「……っ、そう、だった……。……今日、14時には上がるから、待ってて」

「14時?早いですね」

「夕方から研究室行く予定だったからさ……でもいい、やめる。お前と一緒に居ることのほうが大事」

「仁さん……。……はい。おれも、仁さんと一緒にいたいです。待ってますね」


***


バイトを大急ぎで上がって、改めて博士と合流する。エレベーターの中、2人きりなのをいいことに手の甲同士を軽く触れあわせた。博士が少し驚いたような顔をしてから手を繋いでくる。俺からも強く握り返した。

「積極的ですね。どうしたんですか?」

「どうした、じゃねえよ……」

……ああ、言いたかったこと、伝えたかったこと、いろいろあるのに喉がつっかえて全然出てこない。代わりにまた涙が出てきて、エレベーターを降りるとき、乗ってくる人にぎょっとされてしまった。

「仁さん」

「……うん」

「おれの家行きませんかって言おうと思ってたんですけど……」

「…………」

「その……その顔は、だめですよ。そんな顔で電車乗せられないです。人に見せたくないです。仁さんの泣き顔……」

「……ごめ、泣き止む……」

「……そう、じゃなくて。ああもう、はっきり言います!…………ホテル行きませんか、このまま……。おれが無理です、すぐにでもあなたに触れたい……」

「……」

……頷く。俺から拒む理由はなかった。


博士は一切迷わずに新宿の表通りを抜けてホテル街に俺を連れていった。

「ここでいいですか?」

「違いわかんねぇし、任せる」

無人の薄暗い空間で部屋の写真を見て博士がパネルを押す。そのまま細い廊下の先にあるエレベーターまで手を引かれた。

……詳しいんだな、と微かに心がささくれ立つ。高校生のときから経験あるみたいなこと言ってたし、実際詳しいんだろうけど……。

「仁さん?」

「別に?なんでそんな慣れてんだろって思っただけ」

「……今その話聞きたいですか?」

「聞きたくない」

「ですよね」

部屋に入るとオートロックなのか自動で鍵が閉まった。靴を脱ごうとして制される。

「ホテルなんで靴脱がなくていいですよ。それより……」

「…………」

「最後の確認です。……教えてください。あなたの気持ちを」

「……ここまで来て嫌って言うつもりはねぇよ」

「そうじゃなくて。……あなたがおれをどう思っているのか知りたいです。これからおれはあなたにどういうつもりで触れればいいのか、教えて……」

壁に追い込まれる形で博士を見る。いわゆる壁ドンってやつだ。でも博士が優位に立ってる気は全然しない。審判を待つような、切ない目に。

……素直になろう、と思った。

「…………好きだよ」

「!」

「ずっと考えてた。俺はお前のことが好きなのか、懐いてくるお前を振り切れないだけなのか、ただ寂しいだけなのか、心からお前と向き合うつもりがあるのかって……何度も」

「…………」

「でも、気づいたんだよな。そうやってずっと……連絡が取れない間もずっとお前のこと気にして、お前が残していったものをひとつひとつ調べて知っていって……そこまで執着してたら、もう好きってことでいいんじゃねぇの?って」

照れ隠しに笑おうとして失敗する。あー……なんか本当、真面目な告白じゃん、こんなん……。

「……おれの恋人になってくれますか?」

「いいよ。改めてよろし……っ!!」

顎を掴まれて、がっつくようなキスをされる。こら、ばか、いきなり、とか言葉で抗議する前に舌が入り込んできて上顎をくすぐって……ってちょっと待て、なに、えっ……。

「ん、んんんっ!ふぁ……あ……んぅ……」

……な、何。キス、キスだよな今の。やば、……もしかしなくても、こいつキスめちゃくちゃ上手……!?

主導権なんて少しも奪い返せなくて、壁に寄りかかったまま少しずつずるずると身体が下がっていく。腰を抱きかかえるように伸びた博士の手が尻をズボン越しに撫でてきて、あ、……だめだ、ヤバい、これ……!

がくっ、と膝から力が抜けたところで博士に支えられた。そのままゆっくり床に座る。

「…………仁さん……」

「はあっ……はあっ……、お前……いきなり本気出すな……!」

「す、すみません。つい……キス、ずっと我慢してたんで……」

「ケダモノ。エロガキ。……奥行くぞ。身体、……洗わないと……できねぇだろ……」

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