Side:Jin 19
9月末。「単純に要約すると賢治の言いたいことが伝わらない」「原作が無理ならせめて映画見て」というこじらせオタクな湊の提案により、2人で湊の家で銀河鉄道の夜の映画を見ることになった。
……なんだかんだで湊と直接会うのは博士との件があったあの日以来、ほぼ1ヶ月半ぶりくらいになる。
「昭和の古い映画だから配信とか全然ないんだよね。リマスター版出たときに買っといてよかった」
「1つ聞くけどさ、湊はこの話好きなのか?」
「好きだよ。綺麗な星の旅ってさ、やっぱロマンじゃん、現実に行けない分さ」
「カムパネルラって奴が死ぬのに?」
「なんでそんなクリティカルなところだけ知ってるんだよ!」
「……博士が嫌いだって言ってたから」
「あー……」
湊が何か納得したような声を出した。
「だから急に銀河鉄道の夜のあらすじを教えてくれって言ってきたんだ」
「そ。自分で読んでみようと思ったんだけどさ、あの句読点全然ない長い文章?あれが俺ダメでさ。自分が今どこ読んでんのかもわかんなくなるっつーか」
「まあ文豪って呼ばれる人達の文章はクセがあるからな。慣れてないと難しいかも」
「……でも嫌いだって言う割に、あいつの本棚にあった唯一の文学って感じの本がこれだったんだよな。何度も読み返してたみたいだったし」
「…………とりあえず話の続きは見終わってからにしよ。内容わからないと語れないし」
***
1時間と少しの短いアニメ映画だった。黒い画面に静かにエンドロールが流れる。
「どうだった?」
「……なんとなくわかった」
「なんとなくって」
「内容のことじゃねぇよ。なんで博士がこの話を嫌いって言ったかってほう」
『1人で抱えこんで、作り笑いしかできなくなってる仁さん見てられないんで』
『また自分を追い詰めるようなことを考えてませんか?』
「あいつたぶん、カムパネルラを『損な役回りの奴』とか『善行を積んだのに死んでしまった奴』とかそういう風に見たんだろうなって思った。あいつ、そういう報われない努力みたいなのが嫌いぽかったからさ」
「…………それは考えようだと思う。結局カムパネルラは良いことをしたから母親のもとに行くことができたって思えるかどうかなんだよな。カムパネルラにとってのさいわいが、天上にあるか、地上にあるかって話」
「…………」
「でもわかるよ。ラストシーンでカムパネルラが無事に見つかってさ、ジョバンニとカムパネルラがこれからも親友としてずっと一緒にいられたら幸せだよな。賢治はそうしなかったけど、それはそれで1つのハッピーエンドっていうかさ」
「……なんつーか、童話ってもっと単純なもんだと思ってたんだけど難しいのな」
「賢治の作品はまだ研究が続けられているくらいだからな。特にこの銀河鉄道の夜は賢治が途中で死んじゃって決定稿がない上に何度も書き直されてるんだ。だから初版でいた登場人物が最後の版ではいなかったって差もあったりして……」
「あー……うん、その辺のオタクうんちくはいいや」
「ひっど!?」
「見せてくれてありがとな」
「……あーうん、どういたしまして」
湊の言葉を最後に、少しの沈黙が落ちる。湊はDVDをケースにしまいながら小さくつぶやいた。
「……どうしてるのかな、円」
「…………」
「もう後期始まるじゃん。このまま来なかったら……」
「…………知るか、なるようにしかならねぇよ」
「な、仁そんな言い方……!」
「………………」
「……ごめん。一番苦しいのは仁だよな」
「なんでそう思うんだよ」
「円のこと好きなんだろ」
「…………」
「そうじゃなかったらわざわざ部屋にあった、たった一冊の本について知りたいなんて言わないだろ。……素直じゃないんだよな、ほんとさ」
ジュース持ってくる、と湊が立ち上がる。冷蔵庫を開ける背中に向けて話を続けた。
「お前にそんななんでもわかってますみたいな顔されるのムカつくんだけど」
「む、まあ仁は何考えてんのかわかんないとこもあるけどさ。でも今のはあってただろ」
「その質問に答える前に……。湊、俺が少し前まで好きだったやつの名前当ててみろよ」
「えっ?好きなやついたの?俺の知ってる人?」
「……ほらなぁ」
苦笑する。ま、いいかと肩を竦めて戻ってきた湊からカルピスを受け取った。
「俺、子供の頃からずっと敬介のことが好きだったんだぜ」
「え……」
「……ほんとつい最近まで、お前に取られてからもまだ好きだった。お前らが親しくしてるの見るたびに悔しくて、恨んでも仕方がねぇのに恨むような気持ちが出てきて……。……そんな俺の気持ちに最初に気づいたのが博士だった。ちょっと手段は強引だったけど、俺はあいつに慰めをもらったんだ」
「…………」
「この数ヶ月ずっと気持ちがぐちゃぐちゃでさ。あいつがいなかったらたぶん俺はまだ、お前らのことを避けてたと思う。そんで弱ってるところを悪い奴らにつけこまれてボロボロになってた。あいつが俺を助けてくれたんだ。……あいつとの間に恋愛らしい甘酸っぱい出来事があったわけじゃない。けど」
「……救われたんだ、円に」
「…………そう」
「そういや先月仁の家に遊びに行った帰りの電車でさ、そもそも仁のどこが好きなのって聞いたんだよ。そしたら――」
『この前通話したとき一目惚れって言ってたじゃん。今はどうなの。何度か話して見た目以外もちゃんと好きになってる?』
『なってますよ。思っていたよりもずっと弱い人で、だからなんとか守ってあげたいって思っています。それと同時に、おれには手の届かない星のような人だとも』
『星?』
『夏の大三角って知ってますか』
『知ってるよ。ベガ、アルタイル、デネブの3つの星を繋いだ夏の星座だろ?』
『厳密には星座ではないですけど、そうです。ベガとアルタイルはいわゆる織姫と彦星ですね。で、その間に天の川が流れている。七夕伝説では年に一度しか会えない2人のために間にいるカササギが天の川に橋を作るんです。そのカササギって呼ばれているのがはくちょう座……デネブですね』
『……うん』
『おれは仁さんをそのデネブのような人だと思っているんです』
『……えっごめんよくわかんない。どういうこと?』
『
『……あっ、もしかして今すっごい小っ恥ずかしい比喩表現してる?』
『してます。ていうか小っ恥ずかしいって言うのやめてくださいよ、文学部のくせに』
『自分に当てはめられるとびっくりするだろ誰だって!』
『まあ織姫と彦星の話は置いといてですね。デネブです。デネブは北十字の頂点の星でもあるんですよ。わかりますか?迷ったとき、悩んだとき、顔を上げるとそこに美しいしるべがあるんです。目がさめるような永久の光が……』
『永久の光……?』
『あ、おれここで降ります。――まあ、要約すると仁さんの顔めちゃくちゃ良いですね。になるってことで』
『なんで!?』
「――あのときは結局顔かよって思ったんだけどさ……。今思うと電車内で時間なかったのもあるけど、俺があいつの言うことをはっきり理解できてなかったから『顔』って要約したんだろうなって。今ならわかるよ。たぶんあいつ、銀河鉄道の夜に出てきた北十字の話してたんだと思う」
湊が立ち上がって本棚から一冊の本を取り出して開く。そのまま静かに読み上げた。
「『その島の平らないただきに、立派な眼もさめるような、白い十字架がたって、それはもう凍った北極の雲で鋳たといったらいいか、すきっとした金いろの円光をいただいて、しずかに永久に立っているのでした』」
――「ハルレヤ、ハルレヤ。」前からもうしろからも声が起りました。ふりかえって見ると、車室の中の旅人たちは、みなまっすぐにきもののひだを垂れ、黒いバイブルを胸にあてたり、水晶の珠数をかけたり、どの人もつつましく指を組み合せて、そっちに祈っているのでした。思わず二人もまっすぐに立ちあがりました。カムパネルラの頬は、まるで熟した苹果のあかしのようにうつくしくかがやいて見えました。
「ここで描かれる北十字は、これから銀河鉄道の……死後の旅に出る人への救いの光として描かれているんだ」
「……救いの光……」
「……あいつ本当は銀河鉄道の夜のこと、全然嫌いじゃないと思うよ。カムパネルラの死が納得できないだけで、あいつはあのうつくしい星の世界自体は愛してるんだ。……きっと子供を助ける仁の中にその輝きを見つけて、祈るように恋して……。だけどお前は十字架でも星でもなくてただの人だからさ、自分が救われたお礼にお前のことも救いたいとか思ったんじゃないのかな」
読み終わった湊が苦笑する。俺は頭を抱えて溜息を吐いた。
「あーもー、そういうとこだぞ博士ぉ……もっと他人がわかるような言葉で言え……」
「…………」
なんなんだよ。なんなんだよ。……俺がお前にとっての光って、なんなんだよ。
『――仁さん』
俺そんな大したことお前にしてねぇだろ。
邪険に扱ったり、助けを振り払ったり、全然素直になれなかったり。
勝手に苦しんで、空回って、逃げることさえできなくて。
『好きです』
――どん底から俺を引き上げてくれたのは、お前のほうじゃないか。
「……はー、帰ってきたらマジでもっと簡単な言葉で言い直させてやる。小学生でも分かる言葉にしろつってやる……」
「それ、仁が恥ずかしいだけじゃない?」
「うっせ、俺にポエムは解読できねーんだよ!!」
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