Side:Jin 18

――その日から、博士と連絡が取れなくなった。



(…………もう一週間経つのに既読にならない)

あれからどうやって家に帰ったのかも曖昧だ。その場にいなかったはずの敬介が俺の親と何か話していたのは覚えてるから、たぶん湊が敬介に連絡して、敬介が俺を連れ帰ってくれたんだろう。

敬介がどう言ってくれたのかは知らないが、おかげで俺は最初の3日ほどは自分の部屋で静かに過ごすことができていた。食事は部屋の前に置かれていたし、片付けもいつの間にかされている。姉貴が姉貴の旦那と帰ってきていたらしいが、一言も声をかけられなかった。

一応部屋にいる間も何もしなかったわけじゃない。バイトしばらく休むって連絡して、眼鏡屋に予定の日に取りにいけなくなったからって連絡して、……最低限の連絡しかしてねぇな……。

それから部屋を出て、敬介と会って。痩せたなってつらそうな顔で言われて。たった3日で変わらねぇって笑ったつもりだったけど、泣いてしまった。

「例の日出羅木ひいらぎ教のことを調べられる範囲で調べてみた」

「…………」

X県日出羅木市を聖地とする新興宗教。……新興と言ってもその歴史は明治初期まで遡るほど古く、土地の名前になるほど地域に根付いている。信者は国内外合わせて百万人以上。その総本山、日出羅木市の中心にある御屋敷で暮らすのが――日出羅木の代表者であり、神乃子。

神乃子の名前は世襲制で、男女を問わない。現在の代表は女性――つまり、博士たちの母親だ。

「……思い出した、あいつ、日出羅木神乃子って人が書いた本を持ってた。……親だったんだ……」

「…………」

「……ごめん、ありがとう。敬介は何も関係なかったのにな」

「関係ないなんてことがあるか。円は仁の……、……大事な相手だろう。それなら俺にとっても大事な友人だ」

「ありがとう。……ところで湊はどうしてる?」

「……湊はお盆で実家に帰っているが、まだ落ち込んでいるようだ。自分が円を呼び出したんだからと責任を感じていた」

「湊のせいじゃねぇよ。……たぶんあの学士って奴なら博士の家に乗り込んで連れていくくらいはやったはずだ」

……そうしたらきっと、何もわからないまま博士が消えていたことになる。

何があったのか、誰と一緒に行ったのか、わかっているだけ今の状況はまだマシだと言える。

「…………あの様子じゃ少なくとも、殺されるとかそういうことはねぇだろうし」

「………………」

「……ちゃんと五体満足で帰ってきてくれるかは、わかんねぇけど」

「仁……」

「……なあ敬介、相談なんだけど」

「行くなよ」

「…………」

「……日出羅木教は社会問題になるようなカルト宗教と比べたら穏当なところだ。だが、どんな宗教であれ素人が総本山に乗り込んでいくのは危険な行為だ。……帰ってくると、円は言ったんだろう」

「……うん」

「だったら信じて待つしかない。……仁の身にまで何かあったら、それこそ俺は……」

「……わかってる、大丈夫。……わかってる、待つよ……」



(…………)


そして、家の中で最低限の生活をしながら、時々スマホでその宗教のことを検索しては鬱になって、……今に至る。

……片思いもつらかったけど、何もできずに待つというのもつらい。

「…………ちゃんと飯食えてるのかな、あいつ……」


***


……9月になって、俺はバイトにも復帰した。湊とも『落ち込んでばかりもいられねーよな!』とLANEを送りあって、お互い、空元気でもなんとか動けていることを確かめた。

「ありがとうございます。合計で1200円になります。カバーはお付けいたしますか?」

「いりません、あと支払いスピードペイで」

「わかりました。それではそちらの端末にタッチお願いします。お品物こちらになります。ありがとうございました、またお越しください」

博士がいなくても、働けるし、笑えるし、ご飯は食べられるし、生きてもいける。

だけど心のどこかがずっと空っぽのままのような、何をしていても虚しいような、そんな気持ちがあった。


……俺、やっぱり博士のこと好きだったのかな。


いまいち自信がない表現になってしまうのは、自信をもって言えるほどあいつのことを知らないからだ。まだこれから、まずは友達として一緒に過ごしたり、笑ったり、ごはんを食べたりして、知っていこうってところだったのだ。その矢先にいなくなってしまった。

それに本当に好きだったならもっとショックを受けるんじゃないのか?何を犠牲にしようと連れ戻しに行けるんじゃないのか?――なんて、そんな疑問がぐるぐると頭を過ぎる。好きだったとしても、そんなに「本気」ではないんじゃないか?とか。

「結城、今日もう上がりな。あとオレやっとくからさ」

「山田……。でもお前の清掃雑だし……」

「そりゃ結城ほどはちゃんとできないけどさ、オレはオレなりに頑張ってるよ」

「……」

「てかさ、結城が腹黒いのは知ってたけどいつものお前ならもうちょっとちゃんとした言葉で繕えるじゃん。それができてない時点でお前ぜんぜん本調子じゃないよ。疲れてんならさっさと帰りな?」

「…………、……わかった。今日はお前にまかせて帰る……」

「おう、またな!」

(……サボり魔の山田にまで気遣われてしまった……)

敬介に失恋したときだってギリギリどうにかなってたのに。

敬介のときとは全然状況が違うけど、でも。

……胸が苦しい。


***


9月半ば。いろいろ考えて、今までもらった手がかりから博士のことを知っていこうと思った。

まずあいつが時々言っていた「悪魔」という言葉。これは検索ワードに「日出羅木教」とつけたらすぐにわかった。


『日出羅木教では神乃子さま(日出羅木教のトップ指導者)を始めとする、日出羅木教の教えを体現できている人、高潔な奉公の精神を持つ人のことを「天使さま」と呼んでいます。逆に、教えに背いた人、特に日出羅木教では禁忌とされる性の乱れなどの罪を犯した人を「悪魔」と呼び、一度「悪魔」とされた人は罪を精算するための深い奉仕(平たく言えばお布施です)をしなければ通常の信者の扱いすら受けられなくなります』

『そのため日出羅木教の方には、冗談でも「悪魔」という言葉を使った表現は使用してはいけません(女性だと小悪魔ガールとか言ってしまいがちですが、NGです)相手をひどく傷つけてしまいますし、悪意があったとみなされれば言ったあなたが相手からひどく罵られてしまうことでしょう』


――ただ一言、おれのことを、……『悪魔』だと。そう罵ってくれたら、おれはもう金輪際あなたに関わらないと約束します。


「…………本気でそう思ってたのか、あいつ……」

初めての夜、抵抗するための言葉として教えられた「悪魔」という言葉。きっとあいつにとっては本気で恋心を終わらせるに等しいトドメの言葉だったのだろう。それを、きっと俺が抵抗するだろうと思いながら言った。

(どういう感情だよ。……俺に、嫌われたかったのか……?)

俺がそんな言葉でやめてもらえるわけがないと博士を疑って、ここまで来たら別にどうでもいいって自棄になってたから言わなかっただけで。

(…………わかんねぇよ、お前のこと。知れば知るほどわかんねぇ。俺に分かる言葉で説明しろよ)


『不用品売るならメルカル! 日○羅木のお香 1箱5000円(SOLD OUT)』

香は本堂で焚かれているありがたいもので、お布施の金額が一定以上になると一般信者でももらえるようになるらしい。元信者らしき人がメルカルで出品しているのも見た。博士の家にあったものと同じだった。


『宗教と就職について - 就職ドットコム 日出羅木市には高校まであり、市内に住む信者は基本的にその高校を出るため履歴書を見ればすぐにわかる』

『日本の宗教 - 日出羅木教 -日出羅木教の教えについて 日出羅木の教えを要約すると「尽くし」です。人に尽くし、社会に尽くし、神様に尽くせば、それが巡り巡って誰かから尽くされ、幸福になるというものです』

『Hallo知恵袋 - 生活 - 宗教 - その他の宗教 質問:日出羅木教3世です。婚約者とセックスしたら両親から悪魔だって言われました。納得がいきません。確かに避妊具をつけてのセックスは教義違反ですが、婚約者とするのもダメだなんておかしいと思いませんか?』

『【BAN覚悟】宗教学者による新興宗教ガチ解説 part12 - WaiTube 日出羅木教は今後衰退すると思われます。生活面での教義(尽くし)は非常に穏当ですが、今の時代に「子作りを目的としない性行為はすべて悪行」とするのは無理があります。世界的にLGBTを受け入れる流れになってきていますし、この不況では夫婦間でも子を儲けない・人数を絞るというのも普通にあるでしょう。事実、インターネット上でもそのようなトラブルに関する質問が特に宗教二世と呼ばれる方から多く寄せられており――』


(……そろそろ一旦検索やめよ。下手に詳しくなるのもよくねぇ気がする)

……ただ、とにかく。博士は「次期指導者」の立場でありながら男同士の性教えに反する行為に目覚めてしまったので家を追い出されたらしい、ということはわかった。

だけど追い出しておきながら何らかの理由でまた必要になって連れ戻されたというところなのだろう。学士との会話からしてたぶん跡継ぎ問題で揉めてたんだろうけど……。

(あと、博士のことで調べてないものといえば……)


――嫌いです。

――やさしいカムパネルラが死んでしまうから。


博士が唯一、嫌いと言っていたもの。

銀河鉄道の夜。


「…………」


あの日以来疎遠になってしまったあいつに、LANEを送る。


『湊に聞きたいんだけどさ、銀河鉄道の夜ってどういう話?』

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