Side:Hiroto 6
真っ暗な部屋の中で目を覚ますと、目の前に仁さんの寝顔があった。同じベッドで向かい合って一緒に寝ている……。
「…………っ!?」
上がりそうになった声を必死で押さえて状況を整理する。……そうだ、夕方仁さんが来てくれて、それで半日ぶりくらいに食事して、お風呂に入って、そのまま寝て……。
(……仁さん、帰らずにずっとここにいてくれたんだ)
おれが寝てしまったから帰るに帰れなかっただけかもしれないけど、それでも嬉しい。
おれの様子がおかしいって気づいて来てくれたのも嬉しかったし、こうして一緒に眠ってくれたことも嬉しい。
「……やっぱりおれ、あなたが好きです、仁さん……」
起こさないように小声で囁く。……ああ、好きだ。こんなおれに心を割いてくれる天使さまのようなあなたが好き。本当は天使さまじゃなくて失恋で悩んで苦しんでつらい思いをしていただけの人間だったところも好き。
好きだからこそ、おれの家の話には巻き込めない。巻き込みたくない。
(…………どうか、見つかりませんように)
どの神様宛なのかも定めずに漠然と祈る。
(おれはただ、おれの好きな人と一緒に過ごしたいだけなんです……)
***
翌朝、目を覚ました仁さんから問題の動画がアカウントごと消えていることを教えてもらった。
「そもそも無断転載ばっかりのアカウントぽかったし、普通にBANされたんじゃねーの?」
と仁さんは言っていたけれど、少しだけ不安が増した。
「それで今日はどうするんだ?動画も消えたのにまだ引きこもるのかよ」
「え、と、……それは……」
「……予定ないなら出かけようぜ。また服貸してくれよ」
「…………」
「鈍いな。……デートしてやるって言ってんだよ」
「……デート?」
仁さんが俺を見て「なんだその間抜けな顔」と笑った。
「は、……えっと、デート?仁さんが、おれと?」
「他に誰がいるんだよバーカ」
仁さんの手がおれの頭をくしゃくしゃと撫でる。
「気分転換しに行こうぜ」
家を出て新宿に向かって。
「あっしまった!大江戸線だから定期使えねぇ」
「なんですかそのボケは……仁さん東京何年目ですか」
「生まれたときからだよ、悪かったな!」
「というか三鷹から高田馬場まで行くのに総武線じゃなくてわざわざ新宿経由する定期買ってるんですね」
「え、うん。そっちのほうが週末便利だしさ。そういうお前はなんでバイト先新宿にしたの。お前は別に新宿までの定期持ってるってわけじゃねーんだろ?」
「もちろん仁さんと偶然を装って会うためですけど……」
「連絡先教えたんだからもういいだろ、ストーカー行為は!?」
「す、ストーカーはしてませんって!会えたらいいなって思いながら普通に通ってるだけです!それに交通費は支給されてますし!」
「あー……。ったく……。…………これからは会いたいなら普通に連絡しろよ」
「…………はい」
2階にあるモスで朝ごはんを食べながら炎天下を歩くスーツの人達を見下ろして、しょうもない話をして。
「世間はもうお盆休みだってのに大変だよな社会人って……」
「仁さんも来年からはああなるんですよ」
「うっ……」
「いやでもスーツ。リーマンって属性すごいいいなって思うんですよねおれ。昔動画漁りました」
「属性って言うな。ていうか朝からそんな話すんなバカ。話題の引き出しがそれしかねぇのかこのエロガキ」
「えっ……純粋にスーツ着た男の人って大人っぽくてかっこいいですよねって話をしようと思ったんですが……」
「えっ……」
「……仁さんがスーツの似合うリーマンになったら食べちゃっていいってことですか?」
「曲解すんなバカ!」
食べ終わったら開店と同時に近くの百貨店に入って。
「前々からお前を連れて行きたいところがあったんだわ」
「……眼鏡屋さん……?」
「そう!……たぶん変装のつもりなんだろうなってのはわかってて言うけど、お前その眼鏡本当に似合ってねぇんだよ!」
「はっきり言いますね!?」
「だからもうちょっとシンプルな眼鏡買う!おら行くぞ!」
「ええ、で、でも顔がはっきり出るのはちょっと……」
「そもそもマジで特定されるときは眼鏡の有無なんて関係ねぇからな。ていうかあの動画、眼鏡かけてたときのお前も映ってたじゃん」
「それは……そうですけど」
「だから眼鏡買い替えて、それから美容院行って髪染めて、あと服もちゃんとしたブランドのやつ買ってさ、……全部変えちまえばこの街であの動画からお前を見つけるなんてもう不可能だろ」
「…………」
「というわけで行くぞ!とにかく俺はお前が素材の良さを全殺ししてるのが気にいらねぇ!」
「えっまっ、えっ、今素材が、えっ……今褒めてくれたんですか仁さん!?」
たくさん眼鏡試着して、そのたびに似合う似合わないであれこれ笑って。
「はー、やっと決まった。お前意外とこだわりつえーのな。結局後日受け取りになったし」
「だ、だって、その……せっかくだから似合っているものを選んでもらいたい気持ちとフレームないやつだとほぼ素顔ままになってしまうのではって葛藤があって……」
「大丈夫だっての、他もどんどん変えていくから。……っと、あー、俺の行きつけの美容院今日休みだ。お盆だからかー」
「えっ」
「適当なとこに頼んで雑にされるのもヤだししょーがない、美容院はまた今度で今日は先に服買おうぜ服」
「……じ、仁さんの行きつけ美容院……?そ、そんなレベル高いところ無理ですよおれには無理です」
「普通の美容院だって!」
広い街の中、これだけ人がいるのに全然気にならない。あなたのことしか、見えなくて。
「あ、何アレ。あのすみっこの店」
「アイス……?ドーナツ……?どっちだろう、両方っぽい書き方してますね」
「食っていい?」
「いいですけど、さっき朝食べたばかりでよく入りますね」
「は?全部は食わねえって。半分こしようぜ」
「…………!」
「……なんてな?甘いモンだめなら俺1人で食うけど……」
「いえ、ぜひ、ご相伴に預からせていただきたく」
「お前のそのわかりやすい変態ムーブだんだん慣れてきたわ……」
楽しい。時間が溶けるように過ぎていく。
動画撮られたあと家に篭っていた時間はぞっとするほど長かったのに。
……このまま不安な時間が終わって、あの動画が誰の記憶からも消えて、ずっとここに、……仁さんの隣にいられたらいいのに。
そのとき。おれのスマホが鳴った。
***
「はぁっ……はっ、……おい、博士!待てって!」
新宿アルト前。いつもより人通りが少しまばらなそこを全力で駆けていく。急に駆け出したおれを仁さんが追いかけてくる。信号待ちで止まったタイミングで追いつかれて腕を掴まれた。
「なんだよ、湊に、何言われ……」
「……来てるんです」
「来てる……?」
「おれの、弟が」
「……だ、だったら尚更、行ったらまずいんじゃ」
「でも湊先輩が人質に取られてるんですよ」
「……っ」
「行かないと。……おれが行けば済む話なんで。仁さんは今日はもうここで帰ってください」
「か、帰れるかよ!!」
腕を掴む力が強くなる。……掴まれた腕も、胸も痛い。
「……わかりました。一緒に来てください」
「…………」
「でも、口は出さないで。できるだけ離れていてください。あなたを巻き込みたくはないので……」
指定されたトトールに駆け込む。入り口近くの見やすい席に、湊先輩の姿があった。その正面、……ああ、こちらに背中を向けていても、わかる。
おれと瓜二つのすがたかたちをした『次代の天使さま』。
「ぼくらは日、出づるところの神様の末裔――」
「先輩、そいつから離れて……!」
「――
――――ああ。
「ひいらぎ、さま……?」
とうとう知られてしまった。仁さんだけでなく、湊先輩にも。
「俗世間の方にわかるような言葉で言い直すと、教祖様の子孫です」
「教祖、……、え?」
「……喋りすぎだ、学士。おれが来たんだから無駄話はそこまでにしろ」
「そうですね。いつどこで『家族たち』が見ているかわからない」
学士が立ち上がり、おれの手を取る。おれと同じ顔で、おれと違う笑い方をする。
「――だから迂闊な行動は控えてほしかったんですが。ご家族の皆様から『どうして博士さまがこんなところに?』と訊ねられたぼくらが、あの動画を消すのにどれだけ苦労したと思いますか?」
「お前は何もしてない」
「家族の苦労はぼくの苦労も同然です。それにぼく自らこうして迎えに来ている。苦労はしていますよ。こんな息苦しい街で呼吸をしていること自体が一種の苦労ですからね」
「…………」
「お父様が危篤です。……意味がわかりますね」
「おれはもう棄教した身だ。日出羅木の家のことには興味ないし、お前が勝手に跡を継げばいいだろ」
「そうもいかないんですよ。いくら双子とはいえど、やはり長子が継ぐべきという意見もまだ根強い。ぼくらは今後のため、家族のために、正当な手段で次代の『
学士が少しだけ顔を近づけて、おれに囁くように言う。
「……いっそ博士が死んでくれたほうが早いんですが、この時期の不審死はそれこそ悪い憶測を生みますし」
何の淀みもなく「死」という言葉を口にして、再び元の笑顔に戻る。
「それに棄教したって言いましたか?面白い冗談ですね。知ってるんですよ、純一伯父さんに定期的に香を送ってもらってること」
「……っ」
「一家の
学士はおれの手を取ったまま、呆然としている湊先輩に笑いかけた。
「協力ありがとうございました。車を待たせているのでぼくらはもう行きます」
「……っ、ま、待った!お前、円をどこに連れていくつもりだ……!?」
「ただの里帰りですよ。……そうでしょう?」
学士の目がおれを一瞬見て、今度はおれの後ろにいた仁さんを捉える。
「お二人共、いままで博士と仲良くしてくださってありがとうございました。それでは失礼します」
「…………黙って聞いてりゃ、何勝手なこと言ってんだよお前……!」
仁さんが前に出て、テーブルをドンと叩く。他の客の注目が集まった。……だが、都会の店だ。学生同士の小競り合いであるとわかれば周囲の関心はすぐにそれていった。学士が不快感を隠さずに言う。
「……乱暴者。博士、こんな人と仲良くしていたんですか?」
「俺が乱暴者ならお前は無礼者な上に人の話を聞かないクソ野郎だよ。博士は行かせねぇ。1人でとっとと帰るんだな」
「だそうですが。……どうなんですか、博士」
「…………」
「『神様はいつでもあなたを見ています』。今この瞬間も。あの姦しい女達のカメラのように」
「博士。もういい、帰ろう。会ってみてよくわかった、こんなヤツのいる家に帰る必要――」
「仁さん、いいんです。わかっていたことですから」
……わかっていたことだ。
いくらおれが
……たとえそれが、おれにとって不利益な行動となるとしても。
言葉を、せめて選ぼう。心配をかけないように。
「大丈夫ですよ、仁さん。おれはまたここに戻ってきます」
「……ひろ、……」
「だっておれは、あなたを愛していますから。だから」
学士がおれの腕を引く。それに逆らわずについていく。仁さんが伸ばした手を、目だけで見て、触れないように距離を取る。
「少しのあいだだけ、さようなら。あなたの隣で見た光を、おれは忘れません」
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