Side:Jin 17
――失恋を吹っ切って、一応本当に吹っ切れたかの確認のために冷却期間1日おいて、急な姉貴の襲来をかわして、火曜日の夕方。
博士にLANEを送ったら秒で通話がかかってきた。
『どういう意味ですか』
「どういうも何も言葉通りだよ。敬介のこと、ちゃんと吹っ切れたから、報告」
『吹っ切れた、って……』
「おとといお前らが帰ったあとさ、敬介が戻ってきて。それで話したんだ」
博士は俺の気持ちの整理がつくまで待つって言ってくれた。だから、整理終わったぞ、これからはちゃんとお前と向き合っていくから、って伝えようとしたのに。
『敬介さんとしたんですか?』
想像もしてなかったことを言われて絶句してしまった。
――なんでそうなるんだよ。お前下半身のことしか頭にねえの?俺のことも敬介のこともなんだと思ってんだよ、失礼過ぎるだろ、馬鹿野郎。
……普段ならすぐそんな感じで返せるのに、出てこなかった。
(――――……俺)
……疑われたことが、ショックだった。別に、俺は、博士の恋人でもなんでもないし、確かに博士とヤりながら敬介の名前を呼んだことだってあるし、でもだからって、敬介本人と寝るとかそんなのは全然別問題で。
『すみません。……バイトなんで切ります。それじゃ』
「……っ、あ、おい……!」
慌てて呼びかけたときにはもう切れていた。『誤解だバカ』『するわけないだろ』って送ったメッセージも既読にならない。
(バイト……あー……この前と同じ時間だとすると22時とか23時とかなのか終わるの……?)
あと4時間以上ある。一旦諦めてメッセージを入れた。
『話したいからバイト終わったら連絡して』
だけど日付が変わってもメッセージは既読にならない。通話も繋がらない。
「…………なんでだよ」
嫌われたのかって不安と、いくらなんでもこれは俺悪くないだろって怒りでもやもやする。1時過ぎて、明日は俺もバイトだし寝ないとまずいなと思ったところでスマホが震えた。
「博士!……っ、おせーんだよ、今何時だと……!」
『…………、すみません、スマホの電源を入れるのを忘れていて……』
「忘れてたってお前……」
『……それより、すみません。変な早とちりして。なんか不安になってたみたいで、おれ……』
「……お、おう、……わかってくれたんならいいけど……?」
……何だ?博士の声に違和感がある。
『……あの』
「何?」
『……、……いえ、いいんです。こんな夜中にすみませんでした』
「なんだよ、言いたいことがあるんなら言えよ」
『…………なら、お願いがあります』
「……何?」
『大丈夫だって、言ってもらえませんか。……詳しい話は何もできないし、おれが心配しすぎてるだけで実際には何も起きないかもなんですけど、不安なことがあって。……だから、大丈夫だって励ましてくれませんか。根拠なんてなくていいんで』
「…………」
何、バイト先でなんかやらかしたとか……?まあ、励ますだけなら。
「……よくわかんねーけど、大丈夫だよ。なんとかなるって、博士」
『………………ありがとう、ございます……』
震えて、消えそうな声。……ちょっと待った、泣いてるのか……?
嫌な予感がする。悪い勘と言ってもいい。とにかくこのまま電話を切ったらだめだ。そう思って話を続ける。
「なあ、お前明日もバイトか?16時か17時ぐらいに新宿出れる?なんかお前ちょっと変だぞ、どうせなら顔見て励ましたほうがいいだろ」
『……明日は……休もうかと……』
「なら俺のバイト終わったらお前の家行くから、いい?」
『それは、えっと……』
「家にいろよ」
『…………はい』
「じゃあ、寝るけど。なんかあったらLANEよこせよ。なるべく見るようにするから」
***
ワイチューバー速報
新着記事 【炎上】人気ワイチューバーのトレンド探究隊さん、イケメン店員を無許可で撮影してガチ拒否&出禁wwwwww
この記事への反応
・マジのガチ拒否で草
・TikTikで切り抜き見たけど店長らしき人にガチ説教されてるときも隠し撮りしててマジカス
・ここ新宿アルト前のビアガーデンじゃん
・俺らがやったら即通報なのに女さんは出禁だけで済むの不公平だろ
・てかこいつら誰?
***
(就活のために入れてたニュースアプリ、うざい記事の通知も多いしいい加減消すか……)
中井駅に向かう電車の中でニュースアプリをアンストする。ついでにもう遊んでないゲームも2つ3つ消した。
スッキリしたところで念のためにLANEする。
『そろそろ駅着くけど家いるよな?』
『います』
『あの、本当に来てるんですか』
『来てるよ』
『なら、すみません。お金はあとで払うんで、何か食べ物買ってきてもらえませんか』
……何だ?
あいつのマンションから近くのコンビニまで徒歩2分もかからねぇのに。
『もしかして体調悪いのか?薬とかいる?』
『薬は大丈夫です。外に出たくないだけなので』
『出たくないってお前バイトは?』
…………返事がなくなった。駅についてしまったし、続きは会って聞くことにして降りる。
(この前おにぎり何味食ってたっけあいつ……)
ピザのときはなんでもいいみたいなこと言ってたし嫌いなものはないと信じてツナマヨと昆布と梅干しを1つずつ。あとカップラーメンも一応買った。
マンションのエントランスから呼び出しかけると無言でオートロックが開いた。何か言えよ……と思いながらエレベーターで最上階に向かう。角部屋のチャイムを押すと、また無言で鍵が開く音がした。でもそれきり扉が開かないのでこちらから開ける。
「おい、ひろ……」
玄関まで漂う香の匂いに絶句する。なにこれ、焚きすぎだろ。
「早く入って扉を閉めて」
「……と……?」
「早く」
……何だこれ。何か変だ。
頭の中でガンガン警報みたいに俺の勘が囁いてる。「なんかヤバい」「逃げるなら今しかない」って。
「…………っ」
扉を閉めて中に入った途端、背中に硬いものが当たる。一瞬遅れて、扉に押し付けられるように身を寄せられていると気づいた。肩口に博士の額があって、表情が見えない。明かりがついていない家の中は何がどうなっているのかわからない。腰の辺りで鍵がかけられる音がする。首の横でチェーンロックがかかる音がする。
「…………」
「…………」
そのまま1分近く、博士は動かずにいて。さすがにこれはと思ったところで顔が上がった。
「……大丈夫、です。すみません。あなたの顔を見たら、ほっとしてしまって……」
「何があったんだよ」
「……言える範囲で話します。奥行きましょう」
ようやく廊下の電気が点く。明るい色にほっと息を吐きながら、奥に進んだ。
ベッドの縁に座っておにぎりを1つ食べてから、博士はぽつぽつと話した。
「おれ、諸事情で隠れ住んでるんです」
「……こんな東京のど真ん中で大学生やりながら?」
「木を隠すには森の中って言うじゃないですか。東京はおれみたいなのが隠れるにはいい土地なんですよ」
「確かに近所付き合いとかマンション住んでたら全然ねーだろうけど……でも一体なんで?」
「これも諸事情で理由は言えないんですが、実家から逃げてて」
「逃げ……?お前、勘当されたって……」
「半分は本当です。父親に勘当されています。でも、母親はそもそも勘当自体に反対していたといいますか、おれがいないと困る立場といいますか……。……おれは戻る気は更々ないので逃げ切りたかったんですけど」
博士がスマホを出した。何か、やたらエロ広告の多いサイトを開いている。
「これ何」
「ワイチューバー速報っていうまとめサイトです」
スクロールしていくとTikTikの動画があった。タップするとTikTikのアプリが開いて再生される。……ってこれ。
「手ブレと雑音ひでーけど、これお前じゃん!」
「……やっぱりわかりますよね」
「そりゃ顔も声も無加工なんだしわかるって!てかこの動画何」
「昨日バイト中に
「……えーと、つまり、ここまでの話を総合すると『実家から逃げてるのに顔映った動画がネットに上がったからマズい』ってこと?」
博士が頷いた。い、いや、いや~……?
「だ、大丈夫じゃね……?こんなまとめサイトにしか載ってねーようなTikTik動画誰も見ねえだろ……」
「……おれもそう思いたいんですけど。……その、おれの実家、結構、力があるというか」
「…………」
「……全国に、おれの顔を知っている人がいるんです。だから、誰かが見て家に連絡入れるかもしれないって思ったら」
「……」
「……ビビりすぎなのは、わかってるんですけど、怖くて、…………外に出たら、『神様』がおれを見ている気がして…………」
「……『神様』……?」
博士は口を押さえて首を横に振る。
「今のは失言でした。忘れてください」
「博士」
「……すみません。大丈夫です。あ、あなたも食べますか?夕食まだですよね」
「さっきからなんで俺の名前を呼ばねぇんだ」
「…………。……怖いから、です」
「何が」
「あなたを巻き込むのが」
「わからねぇよ、わかるように言え」
腕を掴んで促す。博士の唇が青ざめて震えていた。
「……もしかしたらもうとっくにこの家もバレてて、おれが気づかない間に盗聴器とか、仕掛けられてるんじゃないかって……」
「き、昨日の動画だろ?さすがに考えすぎだって……」
「……そう、そうですよね。……だめですね、頭回ってない……すみません、昨日からずっと、こんなで……」
……マルチに騙されかけたときの俺みたいだなって思った。あんなに冷静で俺に親身になってくれた博士が、あのときの俺以上に動揺して正常な判断ができていない。
今度は俺がなんとかしてやらないと。そう思って、少し強めに言う。
「もう今日はそれ食ったらシャワー浴びて寝ろ。栄養不足に睡眠不足。ネガティブな気分になるときはまずそれを疑えってネットニュースで見たことあるぞ」
「…………そうですね……」
……博士の返事は、どこか上の空だった。
***
「…………」
博士に食べさせて、風呂入らせて、ベッドに寝転がらせたら、あっという間に寝てしまった。
(……てっきりヤる流れになると思ってたのに)
いや、ヤるために来たんじゃないんだけど。でも、この部屋に来たときは毎回シてたからなんかそういう空気になってもおかしくないくらいには思ってたっていうか……。
(ていうか俺帰るタイミング逃したな。どうしよ。寝たばっかりで起こすのは申し訳ないし、かといってこのまま帰るのもな。鍵かけずに出て行ったらまたビビっちまいそうだし)
ちょっと悩んで親に『友達の家に泊まるかも』とLANEする。まだ19時だし、博士が起きたら帰るってことで。……それまでどうすっかな。
「……んー……」
ベッドの縁に座ったままスマホで『TikTik 動画 削除依頼』みたいな単語で検索をかける。要はこの切り抜き動画さえ消えちまえば博士も安心できるわけだろ……?
「通報ボタンから削除理由を投稿……んー……まずアプリ入れないといけねぇのかこれ」
まあさっきアプリ消して容量余裕あるからいいかとTikTikアプリ入れて、会員登録して、さっきの動画を探す。……見つからないから、さっきのまとめサイトを探してリンクを踏んだ。
「あれ…………」
『このアカウントは利用規約違反により凍結されています』
「…………消えてる……?」
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