Side:Hiroto 4

――悪いことをすると、お堂に入れられた。

お堂の中は少し寒くて、頭を冷やすのに丁度いいと母さんは言っていた。

「――――――」

お堂の中は、むせ返るほど「神様」の匂いがしていた。


「……よし」

もうおれは「神様」の寵愛をなくしてしまったけれど、この匂いの中で祈る習慣だけは残している。いつかはやめなければと思いながら。煙草みたいなものだ。

立ち上がってリビング……リビング?いまだにあの寝室兼生活部屋を何と呼べばいいのかわからない。洋室に戻る。

「仁さんおまたせしました。電話終わりましたか?」

「終わった終わった……ってなんかすごい匂いしてない?お前」

「そのうち消えるので気にしないでください。それより荷物ありました?」

「ああ、届けられてるっぽい。だから今から行こうと思うんだけどさ」

「その前に確認いいですか?……仁さん、今日もバイトじゃないです?」

忘れてた、という様子で仁さんが固まった。

「今何時」

置いてあるスマホを手に取って確認する。

「7時前ですね。バイト何時からですか?」

「開店……10時からだから、準備もあるし9時半には入ってないと……。ちょっと待ってくれ、えーと、ここから浜松町駅まで行って荷物取りに行って、それから三鷹まで帰って着替えてまた新宿まで出て……」

……乗り換え案内を検索する。

「浜松町駅までなら一旦高田馬場まで出るよりここから直で大江戸線乗ったほうが早いですね。大門で降りて歩けばだいたい30分でいけます」

「で、7時半だろ?そっから戻って……」

「浜松町駅から三鷹なら45分ってとこですね」

「8時半前くらいか。んで新宿まで15分だから……あーよかった、全然間に合う」

「朝ごはんと乗り換えと駅から家まで歩く時間と、そもそもここを出る支度の時間を計算に入れてますか?」

「…………」

「入れても急げば9時半には間に合うと思いますけど、朝からそんな大移動したらぶっちゃけ疲れません?面倒じゃないですか?」

「め、面倒だけどやらないわけには……」

「そもそも家に帰る必要あるんですか?制服置きっぱなしとか?」

「いや、バイト先のロッカーにあるけど……でも制服はエプロンとシャツだけで、ズボンは自前だし、あと単に2日連続で同じ服着たくねぇっていうか……昨日走って汗かいてるし……」

「服貸しましょうか……?たぶんサイズは一緒だと思いますし……」

「…………」

「浜松町駅から直で新宿行けば30分くらいなんで、トータル1時間くらいで済みますよ」

「………………」

仁さんが黙ってしまった。『お前の言うことはわかるけど、そこまで頼るわけには』って感じの顔をしている。

……もうひと押しかな。

「どっちにしろおれも一緒に行かないと荷物取り戻すまでの間に何かあったら財布もスマホも身分証明書も何もなくてまた詰むことになりますし、いまさら仁さんに貸しを1つ2つ増やしたところでおれは気にしませんし」

「……いやでも、下着とか、ハンカチとかはさすがに……」

「それは今からコンビニ行って朝ごはんとかと一緒に買ってきましょう。歯ブラシとか洗顔料とかもほしいですよね。となると今の仁さんの所持金では心もとないでしょうし……」

「…………わかった。わかったよ。……もう少し世話になる。コンビニ行こう」

「よく言えました」


コンビニでおにぎりとカップ味噌汁と、ハンカチと下着と靴下と、歯ブラシと洗顔料と(ひげ剃りはいらないみたいだった。ひげ脱毛してるらしい。意識高いなー)、あといろいろ細々したものを買って、おれの家に帰る。

「……てかさ、普段飯食うときもいつもベッドに座ってこのサイドテーブルみたいなので食ってんの?」

「そうですけど」

「いや椅子買えよ。折りたたみの椅子あるだけでだいぶ違うだろ」

「確かに1人で食べるならとにかく、2人で食べようと思うと肘ぶつかってやりにくいですね……」

「…………」

「仁さんが次に来るときまでには考えておきます」

お互いもう一回シャワーさっと浴びて、仁さんにおれの服を貸して、それで8時少し過ぎたくらいに出発した。

「……なんか」

「どうかしました?」

「いや、……服から円の匂いがする……って思っただけ。洗剤の匂いにあの香がちょっと混じったみたいな……」

「おれの服ですからね。……なんかおれの匂いがするって言われるとちょっとエ……痛った、踏まないでください」

「電車内だぞバカ…………!」

浜松町駅まで行って、荷物を引き取る。

「中身全部ありました?」

「あったあった。よかった……。今からならバイトも余裕で間に合うし、ほんと助かった、ありがとな。服はまた今度洗って返すから……」

「お礼なんていいですよ。代わりにおれからお願いがあります」

「……何?」

「LANE教えてくれませんか。……急に訪ねて来られても次はほんとうにいないかもしれませんし」

「……それは、まあ、うん。服返すときにも必要だし、……いいよ」

……初めてセックスしてから1ヶ月半くらい過ぎて、ようやく連絡先を交換した。



仁さんと別れて、おれのバイトは夕方からだから一旦家に帰った。ベッドに寝転んで天井を眺めながら考える。

(……で、これからどうしよう)

告白はした。セックスはした。連絡先の交換もした。……順番が変な気もするけれど、とにかく「普通の恋愛」に必要なことは1つずつこなせている。

(そういえばキスしてないな。でもキスはもうちょっと後に取っておいたほうがいい気がする。初夜があんな感じだったし……)

キスは両思いになったら、もしくは仁さんからしてくれたらしよう。なら次は両思いに……仁さんにおれを好きになってもらうためにどうしたらいいか。

(…………うーん……)

肝心要のそこに知見がない。おれは昔から勝手で「人に好かれる」ような行動ってしたことないし、一夜の相手はほとんど顔で釣ったし。そもそも仁さんのほうが顔がいいんだよな。今までフリーだったのが奇跡ってレベル。ある意味敬介さんに感謝だ。

(1回目は強引に、2回目は弱ったところにつけこむように、となったら3回目は……?)

……わからない。困った。恋愛経験もなければ仁さんのこともたいして知らないおれにはお手上げだ。

(……ノロケカウンター食らうかもしれないけど、湊先輩に協力してもらうか……)

スマホに手を伸ばして湊先輩にLANEを送る。もしかしたらまだ旅行中かもしれないけど、そこは気にしない方向で。


『仁さんとのことでちょっと相談したいんですけど、いいですか?』


『いいぞ!』

返事早。

『LANEでいい?通話する?それとも会って話したいとか?』

『通話って……敬介さんいるんじゃ』

『うん、隣にいる。今俺の家だから通話自体は平気』

文面から余裕がにじみでている。彼氏とのデート中に他の男と通話してても相手が怒らないと信じ切ってる。なんなら3人で話したほうが手っ取り早いんじゃないかとすら思ってそうだこれ。

……仁さんには黙っておこう。少なくともしっかり立ち直るまでは。

『じゃあ通話で』

まあその余裕に一切合切遠慮せずに乗っかるのがおれという人間なんだけど。

OKのスタンプの直後にLANE通話がかかってくる。早すぎ。

『おつかれー円』

「おつかれさまです。急にすみません」

『いいよいいよ。……俺たちもさ、仁のことは気になってたし』

「気になってた?」

『昨日電車の中で偶然会ったんだけどすごい死にそうな顔してたんだよね。本人が誤魔化してきたから言いたくないんだろうと思って深く突っ込まなかったんだけど』

『あー、円、俺も話に入っていいだろうか』

「敬介さんですね、どうぞ」

『……ここ数ヶ月、仁は様子がおかしいんだ。表面上はいつもどおりなんだが、表面だけって感じがするというか……。最近は特に顕著で俺とも距離を置くようになっていて……。こんなこと初めてだからどうしたらいいのかわからないんだ。幼なじみなのにな』

……バレてないと思っていたのは本人だけ、ってパターンかなこれは。

仁さんのほうが誤魔化しは一枚も二枚も上手だけど、さすがに幼なじみからは「誤魔化されているかどうか」はわかってしまう、みたいな。

『そういうわけでさ、俺たちも逆に聞きたいんだよ。何か知らない?……って連絡先もまだ交換してないんだっけ?じゃあもしかして仁の誕生日以来会ってない?』

「いえ、今月頭にたまたま同じファミレスでご飯食べててそこで会ってますし、連絡先は今朝交換しました」

『今朝……?』

ドがつくぼんやりの先輩もさすがに気づいたらしい。向こうが数秒沈黙したのがわかる。

『え。……何があった……?』

「…………」

……まあ、仁さんの意思を尊重してマルチ云々とセックスしたことは黙っておこう。ただそれはそれとしておれの目的は果たしたい。

「実は仁さん昨日鞄落として家に帰れなくなってたんですよね」

『えっ!?』

「それで一晩おれの家に泊めました。鞄は駅に届けてもらってたんで一緒に回収しに行って、それでついでに連絡先聞いたって流れです」

折衷案。ウソにならない範囲で部分的に伝える。

『そ、そうだったんだ。あー、昨日送ったLANEが今朝やっと既読ついたのってそういうことか……』

『まったく、家の鍵がないならないで俺の家に来ればよかったものを……仁なら母さんたちも二つ返事で泊めただろうに』

「まあ過ぎたことを責めないであげてください。結果的になんとかなったんで」

『それならいいんだけど……。あ、えーと、話それたな。それで円の相談って?』

「仁さんともっと仲良くなりたいんですけど、どうしたらいいと思います?」

『……直球だな……』

「なりふり構ってられないといいますか……」

電話の向こうで「う~ん」という声がする。まあ、やっぱり悩むよな……。

『仁にとって円ってまだ「急に告白してきたの後輩」みたいな感じなんだよな?』

「そうだと思います」

セックスはしたけど基本的な認識はそんなものだろう。

『そもそもどうして仁のことを好きになったんだ?』

「え、一目惚れです。バイト先の本屋で迷子になった子供をあやしてるの見てドキドキしたっていうか……」

『……あれ?仁って子供好きだっけ』

『いや……。たまに姪っ子の世話をさせられては愚痴ってるから慣れてはいるんだろうが……』

「おれも仁さんは子供好きじゃないと思ってますよ。どっちかっていうと、好きでもないものに対してあれだけ優しくできるのすごいなって感動したほうなんで」

『お前の感動ポイントちょっとずれてない?』

「案の定不審者のおれにも優しかったですし……」

『仁と親しくなりたいならまず不審者を脱するところから始めたほうがいいぞ』

「ぐうの音も出ない正論ありがとうございます」

『うーん……。……あ、じゃあ、こういうのはどう?』

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