Side:Jin 13
風呂を出て部屋に戻ると、円がベッドの上であぐらをかきながらスマホをいじってるのが見えた。
「風呂あがったぜ」
「ああ、はい。……だいぶ顔色よくなりましたね」
「おかげさまでな」
「よかったです。仁さんがお風呂入ってる間に浜松町、水、マルチ辺りの単語でちょっと調べてみたんですけど、たぶん仁さんが勧誘されたのってこのA商ネットワークってやつじゃないですか?」
スマホの画面を見せられる。検索結果の画像の1つに、見覚えのある本の表紙があった。
「あ、この本あいつらが持ってた……」
「やっぱりそうですよね。ここ別のサプリ系マルチの分派で、専門学生や大学生中心にビジネス経験と称して水売らせて借金かさんだら最終的に自分たちの労働力として吸収していくみたいなヤバいとこなんですけど、勧誘自体はだいぶ広く浅くっていうか、1人をいつまでもしつこく追いかけるみたいなこと基本ないっぽいんですよね。ほら、学生なんて腐るほどいますから」
「…………」
「だから関係者のLANEと着信全部ブロックして、奴らが出入りしてた場所にしばらく近づかなければ大丈夫だと思いますよ。正確な住所まで教えたわけではないんでしょう?」
「そ、そうか……?でも大学でも会ったことあるし……」
「
「……たぶん違う」
「なら夏休み挟みますしもう会うことないんじゃないですかね。念のため、学内でそういう勧誘があったってことは学生センターに報告して、注意喚起とかしてもらいましょうか」
……少し、驚いてしまった。黙っていると円が「どうしました?」と眼鏡の奥から覗き込んでくる。
「い、いや……やたら手際いいっていうか、詳しいなお前……」
「…………調べ物が得意なだけです」
「そういうもの……?……って、あ!いや待った、問題がまだある」
「なんですか?」
「……バイト先はバレてる。バイト終わりに近くの店で飯とかしてたから……」
「あー……」
円が顎に手を当てて考え始めた。
「しばらく休むのが最善ではありますけど……できれば働きたいですよね、夏休みですし」
「うん、急に穴開けんのもマズいしさ」
「なら、お店付近ではなるべく独りにならないようにしてください。出待ち入待ちとかされると厄介なんで、同僚の人とかに頼んで一緒に帰るとかしてもらって……。話しかける隙がないってことがわかれば向こうも諦めると思います」
「……いや、それはちょっと厳しい。俺、バイト先の奴とは外で会わねーようにしてたから……個人的に仲いいやつもいねーし」
「じゃあいっそ敬介さんとかに協力……」
「だめだ!」
「……!」
「……っ、悪い、大声出して。……でも、敬介や湊にはこの件知られたくねぇ。……今あいつら楽しそうなのに、俺のことで迷惑かけらんねぇっていうか、……単純にこんな、騙されかけたとかダサくて言えねぇっていうか……」
「身近な人には知っていてもらったほうがいいと思いますけどね。いざというとき、助けてもらえますから」
「…………」
「…………仁さん、人を頼るのが本当に苦手ですよね」
「……うるせーな……」
「なら、いっそおれが送り迎えしましょうか?」
「――――……っ、いや、いいよ、必要ねぇ」
「そう言うと思いました。でも、なにかあれば言ってくださいね」
円が立ち上がった。スマホをズボンのポケットにしまって、俺の横を通り過ぎる。
「おれもシャワー浴びてきます。先に寝てていいですけど、ベッド半分空けておいてもらえると助かります」
ぱたん、と扉が閉められる。しばらく廊下と洗面所を出入りするような音が聞こえていたけれど、やがて静かになった。
「…………はー……」
また円と同じベッドで寝るのか……と思うと少し気が重い。だけど今回ばかりは本当に贅沢言ってられねぇっていうか、泊めてもらえるだけ御の字っていうか……。
(……対価として抱かせろとか、言われたりすんのかな……)
……あの日、初めてケツに指とか……アレとか挿れられて。最悪だったけど、気持ちよかった。
『――敬介さんのこと忘れたくなったらまた来てください』
(……っ、違、そういうつもりで来たわけじゃ……。ただ、もう、ここしか思いつかなかっただけで……)
ふと、ベッドのヘッドボードが視界に入る。照明のリモコンが置いてある平らな天板に、コンセントが2穴。それから引き出しが4つついていて……あの夜を思い出しながら、その1つを静かに開けてみた。
(うわっ)
ゴムの箱とローションと、あとなんか……浣腸を手のひらサイズまででかくしたやつと、不透明なビニール袋に入った細長い何か。あとティッシュとかも入ってる。……エロいことするためのものしか入ってねぇ。
まさか他もこんな感じなのかと思って1つ下の引き出しも開けてみると、そっちにはスマホの充電ケーブルみたいなのが何本も詰まっていた。残り2つを開けるのはやめておいた。
(やめやめ、見なかったふりしよ……。本棚でも見てよ……)
ベッドを離れて壁際の本棚へ。……確かに、湊が言っていた通り宗教や哲学系の本が多い。
『人はなぜ「神」を信じるのか』『救われるための祈り方』『世界の宗教~アジア編~』『自分らしさを取り戻すためにできる10個の変革』『人生は考え方で変えられる』……。
(…………ていうか、あいつ国文学科だよな?……文学に関する本、全然なくね……?)
ざっと背表紙だけ眺めていても、本当に上から下まで哲学宗教がらみだ。俺の身長とほぼ同じ高さの本棚でこれは相当な「ガチ」さである。
(『神とともに生きるべし』……)
……確か、俺の店で買っていった本だ。本棚から引き抜いて表紙をめくると何か紙が落ちた。一瞬栞かと思ったが、あの日のレシートだった。
(…………ああ、そっか。そういやレシートに店員の苗字印刷されるんだった……)
だからあいつ、名乗る前から俺の苗字知ってたのか。……確か熱出して倒れかけたときも結城さんって呼ばれた気がするし……。
レシートを拾い上げて表紙に挟み直すときにカバー折り返しの著者紹介が目に入った。アラフォーくらいの黒髪美人の写真の下に『
名前がやたら目を引いただけでプロフィール自体には興味がなかったしそれ以上は読まずに閉じる。他の棚も見ていると、一冊だけ紙のカバーのかかった文庫本があった。……うちの店のカバーじゃないな、と思いながら開いてみる。ずっと前に買ったものなのか、カバーの端も本のページも少しよれていた。
「……銀河鉄道の夜」
そのタイトルに少し苦い気持ちになる。……敬介に、銀河鉄道の夜のプラネタリウムの存在を伝えたのは俺で、それを見たあと2人は結ばれたのだから。
「…………そういや読んだことねぇな……どんな話なのかも知らねぇ……」
更にページをめくるとどうやら本自体は短編集のようで、銀河鉄道の夜は一番最後に載っていた。そこまでページを飛ばす。
(う、……昔の文章だ。読みにくいな……)
もともと俺はそんなに本を読むほうじゃない。数ページめくって、これはだめかもと思ったところで扉が開く音がした。
「まだ起きてたんですね」
「……眠れなくてさ。なんか難しい本読めば寝れるかなって」
「ここの本、入眠にはまるで向きませんよ。自分はなんのために生きてるんだろう……とか夜中に考え始めると止まりませんし」
「や、でも、普通の本もあるじゃん。一応」
文庫本を持ち上げて見せると、円の目がほんの僅かに揺らいだように見えた。……なんだ?動揺してる……?
「……仁さん、銀河鉄道の夜って知ってますか」
「内容は全然。タイトルくらいは知ってるけど」
「……そうですか」
「てかこの部屋の本一通りざっと見たけど、文学って感じの本これしかなくね?好きなの?」
「…………嫌いです」
押し殺したような声だった。言葉も表情も意外で、思わず問い返す。
「……なんで?」
「……やさしいカムパネルラが死んでしまうから」
「人が死ぬ話嫌いなのか?」
「そういうわけじゃないですけど。……それよりそろそろ寝ませんか。1時過ぎてますし」
「あ、もうそんな時間か」
微かに硬化した態度が気になりつつも、円がベッドに潜ってしまったので俺もそれにならって横になった。背中同士が微かに触れる。
「電気消します。……おやすみなさい」
「…………おやすみ」
「…………」
……円から何の要求もなかったことにほっとしつつ、少し戸惑ってもいた。
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