Side:Jin 11
並んで座った敬介と湊が、驚いた様子で俺を見ていた。湊の手が、当たり前のように敬介の太腿の上に乗っていて、敬介の手もその上に重ねられている。俺が見ているのにその手が離れない辺りで全部察した。……一線越えてきたって顔だ。
でも、なんでここにいるのか全然わかんねぇ。お前ら今頃2人で星見ながらイチャイチャしてんじゃねーのかよ。
「俺たちは、天気が本格的に悪くなりそうだったから2泊目をキャンセルして戻ってきたんだ。宿の近くの川が決壊したら旅行どころじゃないからさ。念のため……」
「……そういう仁こそどうしたんだ、そんなに慌てて乗ってきて。しかも浜松町って……」
「…………あ、……えっと」
…………言えるかよ。
こんな、今とっても幸せです、なんて顔した連中に。
危うくマルチに騙されそうになって、契約書にサインさせられそうになったから逃げてきた……なんて。
(…………言えるかよ)
そんな、空気壊すようなこと。
「……いや、研究室の連中と遊んでたんだけどさ、バイト遅刻するって思い出して急いで出てきたっていうか……」
「――なーんだ、そっか!びっくりした!……なんか死にそうな顔してたから、トラブルとか事件とかあったのか!?って思っちゃった」
「バイトには間に合いそうか?」
「なんとかな……」
「仁、立ってないでこっち来て座れよ。新宿まで乗るんだろ?」
「……ああ……」
「湊、俺たちは品川で降りるからな。あと3駅だぞ」
「わ、わかってる。大丈夫」
「……品川?なんで?」
「や、その、天気悪くて向こうから引き上げてはきたけど、旅行自体は続行しようって敬介が言ってくれたからさ。……品川プリンセスホテル行こうかって。……そのさ、東京住んでると一周回って東京のホテルって行く機会ないじゃん?一度泊まってみたかったんだよ、あのでっかいホテル……!」
…………あー……そうですか。
つまりアレか。昨日は温泉宿でしっぽりヤって、これからもっかい綺麗なホテルの部屋でヤるってこと?
「俺も泊まったことはなかったし、アミューズメント施設もいろいろあるらしいから行ってみるのも悪くないなと思ったんだ。近くに水族館もあるしな」
「あ、水族館も行きたい!」
「ああ。チェックインしたら予定立てるか」
「うん!……あ!そうだ、仁へのお土産が鞄に……」
「いらねーよ、まだ旅行中なんだろお前ら。それに今渡されても……」
「……そ、そうだよな。バイト行くのに土産渡されても荷物になっちまうよな!ごめん、じゃあまた日曜以降に……仁の家まで渡しにいけばいいかな?」
「ああ。仁だけでなく仁のおばさんにもお土産があるからな。持っていこうか」
「わかったよ。また連絡してくれ」
『次は田町――田町――お出口は左側です。京浜東北線は――』
……あと、2駅。
「そうだ、聞いてよ仁!もーすっごい綺麗だったんだ、地上の天の川!お祭りもめちゃくちゃ楽しくてさー」
「へー、どんな感じだったんだ?写真あんなら見せてよ」
「いいよ、ちょっと待ってスマホ出すから……」
「…………」
「ほら、この黄色い点みたいなやつ、これ全部星でさ……!」
「すっげーな、昨日は天気よかったんだな」
「うん!なんかさ、銀河鉄道の夜思い出してほんとに感動したんだよね。川に映ってるだけでこれだけたくさん星があるのにさ、宇宙には一体どれだけ星があるんだろうって……」
「…………」
「……でさ、――が、…………、……で……」
……ああ。
『次は……ゲートウェイ、お出……右側――』
……なんだか、音が遠い。電車の揺れが妙に身体に響く。
早く、終わんねーかな、この時間……。
「……仁、少しいいか」
「何……?」
「……顔色が悪いが、大丈夫か?バイトは休んで家に帰ったほうが……」
音が遠くても、敬介の声はハッキリ聞こえた。
だから、心配してくれているのがちゃんとわかる。湊を挟んで、俺の表情をずっと見てくれていたんだ。それが嬉しくて、きつくて、悔しくて、わけわかんなくて。
(……もし今ここで泣いて、俺の気持ち全部ぶちまけたら、2人はどうすんのかな)
さっきみたいに叩きつけて、飛び出して。そうしたら追いかけてくれるのかな。
(…………。……馬鹿かよ。そんなこと考えて、構ってちゃんかよ)
「……仁?」
「んー、いや、なんでもない。大丈夫。バイトはちゃんと行けるから」
「そうか……?無理はしないようにな」
「わかってるって。それより2人とも、予定外のトラブルで大変だろうけど最後まで旅行楽しめよな!」
(ああ、……俺、いつから)
『次は品川――品川――お出口は右側です。新幹線、東海道線――』
「ありがとう、仁!」
「ちんすこうやうなぎパイじゃなくて、ちゃんとその地域らしい土産を選んで買ってきたから楽しみにしていてくれ。湊、降りるぞ」
「うん!」
――1人で抱えこんで、作り笑いしかできなくなってる仁さん見てられないんで。
(いつからこんなに、作り笑いがうまくなったのかな)
品川で2人が降りて、大勢の人が乗ってくる。空いた席も瞬く間に埋まる。
一瞬でたくさんの人に囲まれて、ひとりになる。
「…………」
きつい。苦しい。……どうして、こんなに。何もかも。
人間関係が、うまくいかないんだろう。
「…………っ」
涙が出そうになるのを堪える。こんなところで泣くわけにいかない。俯いて、なるべく何も視界に入れないようにして、新宿駅に着くのをただひたすらに待つ。
大崎、五反田、目黒、恵比寿。
隣が立って、座って、また立って、入れ替わって。
渋谷、原宿、代々木、新宿。
扉が開いて、ようやく俺も立ち上がろうとしたそのとき。
(……あれ?)
やたら……「軽い」ことに気がついた。嫌な予感を覚えながら見下ろす。
…………鞄がない。
「……え、あれ」
慌てて身の回りをぱたぱたと探り始める。隣に座っていた若い女が迷惑そうに眉を顰める。すみません、と小声で謝って、座席の尻の下、足元、棚の上を見る。どこにもない。気づけば扉は閉まって、電車は再び走り出していた。
(…………やばい)
(……あ、スマホにモバイルSuika入ってなかったっけ!?)
残高があったかはわからないが、それがあれば、と思って、更に思い出す。いつもズボンのポケットに入れてあるスマホは、今日のセミナー開始時に鞄の中に仕舞ったということを。
「………………」
つまり、考えられるのは1つ。鞄ごとセミナー会場に忘れてきた。……ということだ。
(やば……い)
財布には当然身分証明書が入っている。住所が割れる。家の鍵だって入ってる。
スマホのパスもそんなに難しくない。ロック解除されればLANEから研究室、バイト先、全部が筒抜けになる。
『菜々たち、ずーっと友達だよね?』
背筋がゾッと冷たくなった。来る、かもしれない。バイト先、学校、……家にも。
それだけならまだいい。もしかしたら免許証のコピー勝手に使われて契約したことにさせられたり、借金作られたり、犯罪に巻き込まれたりしたら……?
……最悪内定取り消しだってありえる。マルチと関わったってだけで周囲からもドン引きされるかもしれない。
(……どうしよう、どうしたらいい?とにかく今日は家に帰るべきじゃない?ネカフェに泊まる?スマホも財布もないのにどうやって?)
とにかく知恵を絞り出そうとして焦る。気づいたら新大久保駅も過ぎようとしていた。
『次は、高田馬場――お出口は右側です』
大学最寄り駅の高田馬場。駅に知り合いがいる可能性に賭けて、俺はそこで降りた。
……だけど人生はそう甘くない。夏休みの駅に学生はほとんど通りかからない。……せめて品川につくまでに鞄がないことに気づいていれば2人に金だけでも借りられたのに。……詰んでいる。
駅の改札前で30分経って、1時間経って。外も真っ暗になって。……これ以上遅くなると、本当に帰れなくなる。意を決して、駅員に切符がないことを申し出た。
「切符ないですか。どこの駅から乗りました?」
「浜松町……です」
「山手線でここまで来ましたか?」
「……はい」
「であれば270円ですね、もう1回払って紛失切符再購入いただければ大丈夫ですんでー」
「……そ、……れが、……財布も、…………」
言葉がつかえる。苦しい。駅員の目が厳しくなる。せめて財布を探すふりだけでもしようと、ズボンのポケットに手を入れる。左右、空。尻ポケット……。
「……え?」
何か、紙が入っている。引き抜いて、しわくちゃなそれを開いてみる。千円札だった。
「え、……なん、で……?」
「はい、1000円ですね。じゃあお釣り730円です。なくした切符が見つかれば払い戻しできますけど手数料かかりますんでよろしくお願いしますねー」
手元に730円が残り、俺は駅の外に出ることができた。
「…………どうして……?」
捨てる神あれば拾う神ありというのか。たまたま神様が俺の尻ポケットに千円札を捩じ込んでくれていたということか。……いや、そんなのありえない。何か理由があるはずだ。何か……最近このズボンを履いて外出していた日は……。
「――あっ」
……思い出した。一週間前。
円が、ファミレスで、助けてくれたとき…………。
『うぜえんだよ!マジで俺に構うんじゃねえよ!』
少し多めに返された金を円の手から奪って、尻ポケットに入れて、……そうだ。そのまま完全に忘れてた。忘れてたからそのまま洗濯されてしまって…………。
「…………っ……」
……どうして。
何もかもが、こう。
好きな人は離れていって。
信じた人には裏切られて。
嫌いだと突き放した人に、助けられて。
「…………なんで、……俺、……こんな、……こんなことばっか……」
頭の中がぐちゃぐちゃになる。
スマホも鞄もないし、家にもしかしたらあいつらが居るかもしれないと思うと怖くてとても帰れないし、そもそも今日家に誰もいないから帰っても中入れないし、どうしたらいいのか全然わからない。わからないけど。
『敬介さんのこと忘れたくなったらまた来てください』
これ以上、ひとりでいるのは嫌だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます