Side:Jin 9

「仁くん!」

「わりーわりー。ちょっと外で説教してた。やな思いさせちゃってごめんな」

「びっくりした、マジであのまま帰っちまったかと思ったぜ」

「んなことするわけねーじゃん」

「よかった……。仁くんのそういうところ、信頼できるって思うよ、私」

戻ってきた俺を3人は安心した様子で迎えてくれた。それに礼を言いつつ、元の席に座って話の続きをする。1日の土曜日にセミナーに行くことになって、詳細をLANEで共有してもらった。

……円はもう戻ってこなかった。


***


8月1日土曜日。浜松町の貸会議室でセミナーが行われた。出てきた皆の「先生」は今日はグラサンをかけておらず、いかにも高そうなスーツを着ていた。

セミナーの内容はやる気にあふれていた。若いうちに具体的な目標を持つべきとか、上から言われるままに行動していてはだめだとか、稼ぎ方にはコツがあるんだとかいうことを「先生」が熱心に語った後、実習として6人グループを作ってゲームをすることになった。

ゲームの内容は「別室に置いてある見本の通りにパズルを組み立てる。ただし、別室に行けるのは1グループから2人、別室に行った人から直接話を聞けるのも2人、パズルを触って組み立てができるのも2人」……という、要は共同作業と役割分担がいかにスムーズかつ確実にできるか?というものだ。

(こういう共同作業、就活でもやったな)

そして終わったあとは何がよくて何がダメだったのかをチームで話し合って発表する……という感じだった。

「先生」の本が受付で売っていたけれど購入は自由だったし、特に強制もされなかったから買わなかった。「先生」についてもまあこういう若いやつ向けのセミナーとかコンサルとかで食ってる奴なんだなーって思ったくらいだ。

(やっぱマルチじゃなかったじゃん。円のやつ、脅かしやがって)

「仁くん」

「……あ、先生」

俺に声をかけてきた「先生」は、礼儀正しくお辞儀をした。

「はじめまして。来てくれてありがとう。菜々くんたちから話は聞いているよ。M大学の優秀な子だって」

「いや優秀だなんて……俺は普通ですよ」

「えっ、M大学!?」

「すご……そんな人もこのセミナー受けてたんだ……」

大学名を聞いた周囲がざわざわし始める。……まあ確かに、世間的な評価は高いのはわかる。じゃなきゃあんな大手メーカーに俺みたいなのが入れるわけないし。

「君が自分を普通だと思うのは、周囲に更にハイレベルな学生さんが揃っていたからだろうね。実際、それは重要なことだ。低レベルな集団に居続けることは自分の可能性を潰し、能力を退化させることに他ならないからね。君は鶏口牛後という言葉を知っているかい?」

「故事成語ってやつっすよね。大きな組織で人の後ろにひっついてだらだらやってるよりも、小さな場所でもトップに立ったほうがいい……みたいな」

前に湊から聞きかじった知識を引っ張り出して答える。「先生」が拍手してくれた。

「素晴らしい。よく勉強しているね。わたしもそれを教えているんだ。……君は、大企業の数多の若手の1人となるよりも、もっと自由なフィールドで先端を走る才能があると思うよ」

「……え、いや俺はその……」

「もちろん大企業に勤めることにもメリットはある。安定というのは人生にとって大事な要素の1つだ。だが、安定だけを望んで縮こまっていてはいけない。安定はいつか倦怠に変わり、人生を退屈にする。面白く生きるためには、知識や人脈という土台を固めたならばすぐにでも挑戦していくことが重要だ。そして人生とビジネスは切っても切り離せない。ビジネスで挑戦していくことは、人生に挑戦をしていくことに繋がるんだ。わかるね?」

「……はい」

「今回はセミナーというもの自体に不慣れな人に向けた易しい内容のものだったから、君には少し物足りなかったかもしれない。今度は来週の金曜日に少し難しい内容のセミナーをやるんだ。都合がついたら是非来てほしい。君のような優秀な参加者は、周りの刺激にもなるからね。……それでは、また会おう」

再び一礼して「先生」が去っていく。部屋を出て行った後、ナツジたちが驚いたような顔をして俺に駆け寄ってきた。

「すっげーなお前!初めてで先生にあれだけ褒めてもらえるとか超レアだぜ!?」

「そうなのか?」

「そうだよ!先生は正直で厳しいご意見しかくださらないの!その先生から……いいな~!羨ましい!」

「発表のときもめちゃスラスラ話してたしさ、すごいよなホント!きっとお前、先生のところにいたらもっと伸びるよ!」

「……そ、そうかな……?」

……まあ、褒められて悪い気はしない。やる気のねぇ班員たちの尻拭いをし続けて実質ひとりでレポートもプレゼンもこなしてきたこの3年半は無駄じゃなかったってことか……。

「来週の金曜日、来れる?午前中から夕方までなんだけど……」

「来週の金曜……7日か」

カレンダーを見なくても思い出せる。昼過ぎから閉店までずっとバイトだ。……前日の木曜日から敬介と湊が2泊3日で旅行に行くから、できるだけ何も考えなくていいように、木曜から2人が帰ってくる土曜日まで、バイトの予定を詰め込んでいた。

(……でもアレだよな、バイトだって結局手が空いたときに余計なこと考えちまうし。……本当に何も考えたくねーなら、全然関係ない人とずっと一緒に居たほうがいいかも……)

「……ん、バイト入ってるけどこっち来れるか調整してみよっかな」

「よかった!待ってるからね!私たちも必ず来るから!」

「今日は楽しかったぜ、また飲もうぜ!」

「ああ、またなー!」


学校外での勉強も、いい刺激になるかもしれない。

確かに大手メーカーに入社するけど、別に、最初からすごい仕事をやらせてもらえるわけじゃないだろうし。もし使い捨てみたいな扱いされそうなら転職とか考えることになるだろうし。……そう考えると、使えるスキルは多いほうがいいし。

…………なんてことを考えながら、店長にLANEでシフトの変更を申し出る。別の奴と交代することでどうにか予定を空けられた。


***


夏休みが本格的に始まって、俺の毎日はバイト、4人で会う、バイト……をぐるぐる繰り返すだけになった。その間は一切敬介に会うこともなく、なんだ、俺も敬介に依存せずに生きていけるじゃん。やればできるじゃん、みたいに思ってた。

そして8月6日、木曜日。バイトに行くために支度をしているとお袋から声をかけられた。

「仁、ちょっといい?」

「なに?」

「秋田の克幸伯父さんの体調がよくないみたいでね。今夜お父さんと一緒に行ってこようと思うのよ。あんたも来れる?」

克幸伯父さん――というのはお袋から見た続柄で、俺から見ると母方のじいちゃんの兄――大伯父にあたる人だ。……小さい頃に一度会ったかもなーくらいで、正直全然ピンとこない。

「無理。今からバイトだし、明日も予定あるし」

「うん……まあそうよね。じゃあお父さんと2人で行ってくるわ。2~3日家を空けることになると思うから、あとよろしくね。戸締まりはちゃんとするのよ」

「わかってるって」

支度を終えて家から出るときにリビングをチラ見すると、お袋が準備に奔走しているのが見えた。親父は普通に平日仕事だから、帰ってきたらすぐ出発できるようにしているんだろう。喪服らしき黒い布も見えて……まあ、本当に数日帰ってこないんだろうなと思った。

家を出て駅についたくらいのタイミングで、敬介と湊から久しぶりにLANEが送られてきた。

『いってきます』

『おみやげ希望あったら書いといて!』

「ふん、お前らが遊んでる間に俺は働いて真面目に勉強してるんだからな」

……2人の仲睦まじい様子に、傷つかなくなってきたことがわかる。

やっぱり、友達とか目標とか、そういうのがあるとないとじゃ全然違う。

『ちんすこうがいい』

『行き先沖縄じゃないんだけど!?』

『空港で売ってるだろ。うなぎパイでもいいぜ』

『それは浜松だ』

(いいんだよ、2人で旅行してる最中に俺のことなんか考えなくて)

帰りの空港で思い出したように適当なものを買ってきて、無事に帰ってきたって報告して、……そんなもんで十分なんだよ。


(中途半端に手の届くところにいないでくれ)


遠くに輝く、星のように。



(…………どうにもならないものだってわかれば、諦められるんだから)

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