Side:Jin 8

菜々たちはすごく積極的だった。

次の週末に同じバーのイベントに行ったら、平日夜にも飯に誘われて。新宿のでかい本屋でバイトしてるってことも話したからか、気づいたらバイトがある日は4人で会ってファミレスや居酒屋でダベるようになっていた。

4人もいると話が長引くもので帰りも終電ギリギリになることが多く、朝が正直ちょっとつらくなってきた。でも、それ以上に楽しかった。

(やっぱ馬鹿騒ぎできる友達がいるっていいな)

それまで湊や敬介たちと過ごしていた時間が、そっくりそのまま菜々たちと過ごす時間に変わって。向こうは向こうで楽しくやってるのか、グループLANEもほとんど鳴らなくなった。


……そんな日々が1ヶ月続いた、7月下旬のある日のこと。

「オレさ、起業家になるって夢があるんだよね」

ファミレスで、唐突にナツジがそう言った。

「勉強してるって言ったじゃん?あれ学校の勉強じゃなくて経営者になる勉強なんだよね、実は。ほら、初めてあのバーでオレらと会った日さ、すげーDJいたじゃん?あの人実は趣味でDJやってて、本業は経営者なんだよね。オレら、あの人のファン兼弟子みたいな感じでさ」

「オレ……ら?」

向かいの席に座るカズサを見る。「実はオレも!」と頷かれた。俺の隣に座っていた菜々も「私も!」と言う。そして鞄から一冊の本を取り出した。帯にはあのグラサンDJの写真が載っている。

「ほら、これ先輩が書いた本なの!本出せるってすごいよね!しかも10万部発行されてるんだって!」

(……見たことねぇ本)

本屋の店員だからってすべての本を把握しているわけじゃない。でもビジネス書で10万部売れるような本なら、一度は注目本の棚に平積みされているはずだ。俺がど忘れしてるだけかもしれないからはっきり言えなかったが、少し違和感を覚える。

「仁くん、メーカーに内定決まってるって言ってたよね?」

「うん」

「でも、まだ入社まで時間あるじゃん。それまでの間にさ、ビジネスの知識つけておけば同期よりも一歩リードできると思わねえ?」

「お前マジで頭いいしさ、たぶん今から勉強すれば更に伸びると思うんだよね。もしかしたら会社勤めるより独立したほうが稼げるかも」

「え、……いや、急にどうしたのお前ら」

ちょっと前まですげーしょうもないバカ話してたじゃねーか。なんでこんな急に勉強だのビジネスだの言い出してんの……。

「……あはは、悪い悪い。いやさ、昼間久しぶりに先生に指導してもらってさ、最近遊んでばかりでたるんでんじゃないか?って」

「確かに最近この4人でつるんでばっかりだったからさ、ヤベッ!ってなって」

「でも私たち仁くんのことはすごい気に入ってるから、どうせなら遊ぶだけじゃなくて一緒に勉強もできたらいいなって思ったの!」

「そ、……そう……?」

「そう!だからもしよければ週末のセミナー、一緒に参加しない?経営だけじゃなくてビジネスマナーとかも学べてお得だから!」

菜々が俺の目をまっすぐ見つめながら言う。その瞳はびっくりするほどキラキラしていた。

「えー……いや、俺そういうのは……」

「……でも半年後には社会人なんだろ?」

「大学卒業ギリギリまで遊んで、そこからいきなり社会人やろう!ってなってもさ、挫折するかもしれねぇよ?」

「大丈夫、セミナーって言っても全然難しくないから!名刺交換の練習したりとかさ、電話のかけかたとか?そういうのから始まるやつもあって……」

隣、正面、斜め前の席から畳み掛けられる。……なんでこんなときに限って壁際の奥の席に座っちまったかな俺は!とりあえずちょっとくらいは話聞いてやらねーとダメかこれ……?と思ったとき、誰かが俺らのいる席に近づいてきた。黒の野球帽を被って黒いマスクをした長身の男だ。

「ちょっといいですか」

誰?という顔で3人がそいつを見る。俺も誰だこいつと思って、一瞬おいてから気づいた。――円だ。ぼさぼさ髪と眼鏡がないから咄嗟にわからなかった。

「……え、誰……?仁くんの知り合い?」

「あ、……ええと、俺の大学の後輩……」

「先輩、いきなりで悪いんですけど金貸してくれません?」

だるそうな声で円が言った。

「は?」

「財布忘れちゃって。ちょっとレジまで来て払ってくれるだけでいいんで」

「はぁ!?なんで俺が……!」

「……そ、そうだよ、後輩なんでしょ?いきなりお金貸してなんて失礼すぎ……」

「外野の意見は聞いてないんで」

円が冷たい目で菜々を睨み下ろす。小柄な女が座った状態で身長180ある男から睨まれればそれなりに威圧感があるだろう。びくっと震えて黙ってしまった。

「先輩」

「…………」

「……二度は言いませんからね。おれと一緒に、レジまで来てください」

「…………」

……はっきり言って、こいつについていくのもそれはそれで不安があった。だけど。

「悪い、ちょっと行ってくる」

「あっ、仁くん……」

鞄を掴んで立ち上がり、テーブルをずらして無理やり菜々の前を通る。そして円の隣に並んで歩いた。

「…………」

「…………」

お互い無言でレジまでたどり着く。円が伝票を出して、俺が金を払って、……一緒に店を出た。



「――……、……気づいてくれてよかったです」

店の敷地から完全に出たところで、円がマスクを外しながら微笑んだ。

そして胸ポケットから黒縁眼鏡を取り出してかけ、帽子を取って軽く頭を振る。……ああ、俺が知ってる円になった。

「…………お前が俺のこと『先輩』って呼ぶことなんてなかったし、やたら敵意剥き出しなのも気になったから何かあるんじゃねーかって思っただけ。で、何だよ?人に金まで払わせて」

「お金は返します。財布持ってないとか嘘なんで。……でもその前に聞かせてください。仁さん、あの人たちと知り合いなんですか?」

「え?うん。知り合いっていうか、友達……だけど……」

「聞こえてきた会話、胡散臭すぎましたよ。たぶんマルチじゃないですかあれ」

「マルチ……!?」

マルチって、あの、たまにニュースとかで問題になってるやつ……?

「い、……いやいや、そんなことねぇよ。あいつらとは先月バーで偶然出会ってさ、今日は確かにちょっと変だったけど、昨日までは普通に友達だったし……だいたい、マルチってマルチ商法ってやつだろ?別にモノ売りつけられたりとかはしてねーし……」

「本当ですか?」

「本当だよ。……まあパー券は1回買ったことあるけど、実際パーティには参加したし……」

「…………」

「……俺の友達なんだから失礼なこと言うんじゃねぇよ」

「……本当に違うんならいいんですけど」

「つかなんで居たんだよ、ストーカーか?」

「違います。偶然です。月末締め切りのレポートの追い込みしてただけです」

「わざわざ中井から新宿まで出て?」

「……まあ、新宿に居れば偶然すれ違うくらいはできるかもって期待してなかったって言えば嘘になりますけど」

「やっぱストーカーじゃねえか!」

本屋来なくなってちょっとは俺に気ぃ遣ってんのかと思ったらこれだ、余計キモくなっただけじゃねーか!

「本当に店が一緒だったのはたまたまなんです。信じてください……」

信じられるかと睨みつけると、円はそれ以上の弁明を諦めたようだった。鞄から財布を取り出して、千円札を出す。……俺が払った額より少しだけ多い。

「お返しします」

「いや、多い。700円とかだっただろ」

「残りは電車賃です。今日はもう帰りませんか。0時近いですし」

「……は?いや、あいつらまだ居るんだから戻らねえと……」

「戻ったらもう助けてあげられませんよ」

「…………」

「仁さんも今日は何か変だったって違和感あったから逃げてきたんじゃないんですか?」

「…………」

「……おれが言えたことじゃないですけど、付き合う相手はもっとよく選んだほうがいいです」

「……っ、お前……!」

怪しいな、おかしいな、そうは思ったけど、それ以上に円の物言いがムカついた。人の友達に向かって失礼過ぎるだろこいつ……!

「すみません。……でも仁さんは、場の空気に飲まれやすいというか、人の顔色を窺って断れないくせがあるみたいなんで」

…………なんで、……まだたった数回しか話したことないのに。

「……わかったようなこと言ってんじゃねーよ」

「あ、……仁さん!」

「うぜえんだよ!マジで俺に構うんじゃねえよ!」

千円札を掴んで尻ポケットに捩じ込んで、来た道を早足で戻る。

「……っ、……すみません。余計なことをして。でも、これだけ」


街のざわめきの中、円の声が聞こえた。


「嫌だと思ったら従わないでください!あなた自身を守るために逃げてください……!」




……それ、お前が言うのかよ。俺にあんなことしたお前が……。


『……それでお前に抱かれろって?……マジでいい加減にしろよ、何もかもお前の都合のいい妄想じゃねーか。俺は傷ついてなんかねーし、お前の慰めもいらない』

『……逃げる手段はもう教えましたよね。嫌なら逃げる、それだけです』



「――――クソっ……!」




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