Side:Jin 2

「……あー……」

自分のベッドで目を覚ます。二日酔いの後みたいに頭が痛い。酒は飲んでないから……ああ、きっと風邪でも引いたんだな。

雨に濡れて悲劇のヒロイン気取ってみたところで、現実はそこからまた傘を拾って電車に乗って家に帰っただけだ。濡れてるから満員電車は見送るハメになったし席にも座れなかったしでロクなことはなかった。おまけにこの体調不良だ。

(バイト休むか……?)

スマホを手繰り寄せてLANEを開く。店長の「今日山田さんの代わりに出れる人いない?」というメッセージを最後に1時間ほど流れが止まっていた。

「マジかよ、山田あいつまた休み……」

一人抜けならギリなんとかなるが二人はキツい。……行くしかねえなと溜息を吐いた。

(行く途中で風邪薬買って飲んでおけばなんとかなるだろ……)


……なんとかなった。頭は痛いがくしゃみとか鼻水とか目立つ症状がないから接客はできる。大雨の翌日だからか、日曜でもそこまで客が多くなかったのは幸いだった。

(あ、あいつこの前の……)

この前の不審な客だ。また長時間何も持たずにフロアをうろうろしている。時々立ち止まっては立ち読みをして、また離れて。何がしたいんだ?

めんどくせぇけどもう一度声かけに行ったほうがいいかもしれない。山田が休みなせいでフロアに出ている男が俺しかいないってのもある。……あー、マジでイライラする。頭痛ぇ。

「お客さ……」

声を出した途端、ふわ、と足元が急に曖昧になった。力が入らない。え、何、何が起き、て……。

「結城さん!」

…………あれ。

……状況がわかんねぇ。今どうなってる?

「結城さん、大丈夫ですか……?……っ、熱、熱ありますよ!」

「…………う、っせ……」

耳元で騒ぐな。……ていうか、あれ、俺誰かに支えられてる……?なんか、いるな、誰か……。

……そこでやっと俺は状況を理解した。ふらついた俺を、あの不審な男客が正面で支えている。ヤバい、と思って咄嗟に後ろに離れた。ふらふらする。目が回りそうだ。

「……あー……すみません、……もう大丈夫です……ご迷惑を……」

「いやその熱で大丈夫なわけないでしょ。他の店員さん呼んできますから座っていてください。無理ならせめて壁に寄りかかって」

「……いや、本当に、……大丈夫ですんで」

他の店員を呼ばれるのもそれはそれでめんどい。店長ならまだいいけど、他の女店員なんて呼ばれた日には今日のことをネタに恩を売ってきたり媚を売ってきたりうざいことになるのが目に見えてる。

息を大きく吐いて、ご迷惑をおかけしてすみませんって頭を下げて、今度は倒れないようにゆっくりバックヤードに戻る。更衣室で少し座って、落ち着いたところで店長に早退を申し出た。

――体調不良なら仕方ないけどと言いつつ若干迷惑そうだった店長の目が、いやに記憶に残った。



風邪薬が合わなかったのか効かなかったのかそもそも風邪じゃなくてインフルだったのか。何もわからないが、帰宅してから俺はすっかり寝込んでしまった。寝て起きてを繰り返して、結局症状が落ち着いたのは翌日……月曜の夕方。必修の輪講も休んでしまった。

そして寝ている間に敬介が来て、俺の一番好きな店のクッキー缶を置いていったらしい。

「諸々のお礼だ」と。…………食べる気になれなくて、全部家族に渡した。

(寝ててよかった。……今敬介の顔見るの、きっつい)

LANEじゃなくてわざわざ訪ねてきた辺り、用件はあいつとうまく行ったからその報告ってところだろう。そういうことは直接言わなければっていう律儀さは敬介らしい。

夕食前にあいつから『風邪ひいたんだって!?大丈夫か!?』とLANEが来た。

なんでお前が知ってんの――なんて意地悪は言わない。俺は大人だから。

『もうすっかり元気だぜ』と笑顔のスタンプを返してスマホをベッドに投げた。


***


6月21日は俺の誕生日で、この日は毎年敬介と会っている。……大学生になってからはあいつも加わって、3人であいつの家でケーキ食いながら飲むのが定番になっていた。

場所を貸してくれるのはありがたいんだが、今年は正直行きたくない。気が重い。

結局マジであいつらは対面で俺に伝えるつもりらしく、LANEでは全然、今まで通り「友達」を装ってる。適当にバラしてくれたほうが適当な反応で返せるから楽なのに。

(もう明日か……)

バイト中もずっと憂鬱だ。それでも客が来たら笑えるのだから俺案外役者とか向いてるのかもしれない。そんなうざったいものになって注目集めるつもりは更々ないけど。

『例の人来ました。2番です』

インカムで注意喚起が流れる。あの不審な男はもうすっかり俺以外の店員にもマークされていて、入店から退店まで警戒対象になっている。今のところ被害はないが、行動があまりにも不審すぎるのだ。買ってくれるときはクソ高い本を買ってくれるので邪険にもできないが、大抵は何も買わずに帰っていくから……。

2番――エレベーター近くの出入り口に様子を見に行く。今日は早めに睨んでおいて、さっさと帰ってもらおう。……と思ったら。

「……湊?」

なぜか今日は、その不審な男とあいつが――湊が一緒にいて。

「……え、先輩、……まさか知り合い……?」

「うん、ほら、前ちょっとだけ話したじゃん。敬介の幼なじみの――」

軽率に他人の個人情報喋るんじゃねーよ。湊に声をかけて遮る。

「どうしたんだよ、わざわざ新宿まで買い物?」

「あ、ええっと、今日は後輩の付き合いっていうか……!」

湊が「後輩」を肘でつつく。不審者もとい後輩が一歩前に出てきた。

「……あ、……この前は大丈夫でしたか……?体調……」

「ええ、もう大丈夫です。ご迷惑おかけしてすみませんでした」

「いや、迷惑なんてそんな。……あの俺、円博士ひろとって言います。実は前から結城さんのこと、気になっていて……」

なるほど、この不審者は俺が目当てだったのか。そう考えれば今までの行動も納得がいく。俺が一番最初に気づいたのも、そもそも向こうが俺の視界に入る範囲にいたからなんだろう。

でもそれはそれだ。

「……すみません、そういう話はちょっと。仕事中なので」

「……そ、そうですよね。すみません」

「湊ももういい?レジ人足りなくて呼ばれてるからさ」

湊が俺と後輩……まどか?変わった名字の奴を交互に見て、困ったような顔をする。だけど最終的には「うん……」と中途半端に頷いた。

店を出ていくのを横目で確認しながらインカムに告げる。

『例の人退店しました』

……できればもう二度と来るなよ、と心の中で毒も吐いた。


***


「…………」

翌日。6月21日の16時過ぎ。俺の誕生日。湊の家。

「ごめん、どうしても来るって聞かなくて……」

「こ、こんばんは……」

昨日追い返したはずの髪の毛ぼさぼさの地味な眼鏡不審者男が、なぜか湊と一緒に俺と敬介を出迎えていた。

「円……?どうしてここに?」

「敬介さんお久しぶりです。……その、おれも仁さんの誕生日をお祝いしたくて」

おい勝手に下の名前で呼ぶなっつーか敬介とも面識あんの?何こいつ、何??

「あ、もちろんタダでとは言いません。ちゃんと手土産のお酒とおつまみも持ってきてますので」

「……その、円にもいろいろ世話になったから断りにくくて……」

「ううん、まあ、俺は構わないが……」

断ってくれよ。『俺の』誕生日会だろ、なんで俺と全然親しくない奴がいるんだよ!

そんな俺の祈りむなしく、湊が敬介を手招く。たぶん事情を説明しているんだろう。玄関先に俺と円だけが残される。円が小声で話しかけてきた。

「結城さん、あの、本当に昨日は……というか今まで本当にすみませんでした。物凄い不審者でしたよねおれ……」

「不審者の自覚があったんですか?」

あ、やべ。思わず敬語出ちまった。

「……はい。最近はずっと警戒されているなというのも感じていて。これ以上万引きとか疑われる前に本当のことを打ち明けようと思った次第で……」

「…………」

「すみません。ご迷惑なのはわかっていたんですが、湊先輩のご友人だと聞いてお店以外で会える可能性があると思ったら居ても立っても居られなくて……。あの、本当にお邪魔でしたら帰りますから……」

……部屋の奥に行った湊と敬介を見る。事情説明は終わったらしく、俺のほうを窺いながら何か話している。その距離が、やたら近い。

「……一つ聞いておく。あの二人の関係は知ってるのか?」

「はい。ずっと面倒くさい片思いの話を聞かされてましたから」

「……あ、そ」

正直こいつがいても俺は全く嬉しくないけれど、これからあの二人が付き合い始めただのイチャイチャだの最悪夜の話だの聞かされることになるのであれば、第三者もいたほうがちょっとは話題が分散されるかなと思った。

あと単純にここで追い返すと湊とこいつの間が気まずくなりそうだし。

「……別にいいよ。祝ってくれるんならな」

「は、……はい!それはもちろん!」

「ところで酒強いのか?」

「強いですよ。九州男児なんで」

「へー……んじゃとことん付き合ってもらおうかな」

よし、憂さ晴らしに潰してやる。

そう思いながら俺は靴を脱いだ。円もほっとした様子で俺についてくる。


素性が明らかになった円の印象は不審者だったときとそう変わらず、地味で暗そうで、体も細くていかにもオタク――そんな感じだった。


「いいですよ。朝まで付き合います」


だから、その眼鏡の奥に猛獣が居たことに、気づけなかったのだ。

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