第2章 Deneb&Albireo

Side:Jin 1

……ずっと、敬介のことが好きだった。

『まーた泣いてる。こんどはどーしたんだよ』

『ぐすっ……、本ばっかりよんでて、へんなやつって言われた……』

『なんでだよ、本をよむのはいいことだって先生も言ってただろ?』

『俺みたいなのはって言うんだって、べんきょうばかりしてるへんなやつなんだって……』

『……じゃあさ、俺もべんきょうする!ふたりでべんきょうして、すっごい学校いって、みんなみかえしてやろうぜ!』

『仁……?』

『敬介がただしかったんだって、俺がしょうめいしてやるよ!』


……ずっと、好きだったんだ。



『お前らずっと一緒にいるよなー?幼なじみつってもちょっと近すぎない?』

『もしかしてー……そーいう関係だったり?』

『うわ、キモッ、近づくと××菌がうつるぞ!』


『……って中学の頃は噂だったんだけどな』

『高校入った途端に仁のやつ、あんな美人と付き合い始めてさー』

『まあモテそうな顔だとは思ってたけど……』


『……別れた?』

『うん、1年頑張ってみたけど、やっぱりなんか、本気になれなかったってーか』

『……そうか』

『はーぁ、やっぱさー。俺のことわかってくれるのは敬介だけだって。女はもーこりごりだぜ』

『何言ってるんだ。ほら、煩悩も断ち切ったところで模試近いんだし勉強するぞ』



ずっと、ずっとずっとずっと。

言えないまま。

思いだけ、心の中で燃やしたまま。



『あ、おーそーいー。何してたんだよ、もう受付始まってるぞー』


一緒の大学に入れた。学科は違うけれど、隣の学科だし、お互い実家から通うし、何も問題ないと思ってた。

言えなくても。いつか敬介を全部理解してくれる女が現れて結婚して子供が生まれても。俺は一番の親友として、敬介を一番理解している男として、ずっと傍にいられればよかった。


『……って、そっちの人は?』


…………あいつが現れるまでは。



***


「ありがとうございます。合計で3060円になります。カバーはお付けいたしますか?」

「いらないです」

「わかりました。それでは3060円ちょうどお預かりします。お品物こちらになります。ありがとうございました、またお越しください」


……本屋のバイトを選んだのはなぜだったのだろう。

今となってはもうよくわからない。きっとあいつが、敬介が好きになった「男」が本が大好きだったから、あいつのようになりたくて、本がたくさんある場所に身を置いてみようと思ったのかもしれない。

実際のところ力仕事は多いわ、紙をたくさん触るから手が切れたり乾燥したりするわ、給料は安いわで、あまりいいことはなかった。あいつが本屋でバイトしていない時点であいつに近づく手段はこれじゃなかったんだって気づくべきだった。

何度も辞めようと思っては人手不足で躊躇って、今じゃもう一人前の「店員」だ。

こんなことがしたかったわけじゃないのに。


「…………」

……あの客、もう30分近くうろうろしてるな。

「ちょっと見てきます」

「はーい」

本屋でバイトしてわかったことといえば、本屋はクソみたいに万引きが多いってことだ。立ち読みで本をボロボロにする奴も正直かなりムカつくけど、万引きは漏れなく全員死ねって思っている。

だけど万引きは原則現行犯じゃないと捕まえられない。だから怪しい客はみんなさりげなくマークするのだ。

うろうろしている不審な客――若い男だ――に近づいてみると、手には何も持っていなかった。既に腹や上着の中に隠してしまっている可能性もあるがぱっと見ただけではわからない。これでは断言できないので、仕方がないから声をかけることにした。

「お客さま、何かお探しでしょうか?」

「――!」

ほら、なんだよそのビビり具合。露骨に目ぇ泳がせてさ、やましいことがある人間のビビり方じゃねぇか。

「……あ、……えっと、…………か、『神とともに生きるべし』という本を、探していて……」

……知らないタイトルの本だ。そもそも本当にそんなタイトルの本あるのか?口からでまかせじゃねーだろうな。

と思うもののお客さまである可能性が1%でもある限りは邪険にできない。営業スマイルを浮かべて検索機の前まで案内した。

「えっと、……か、……み、……」

本当にその本を探しているのか、少し離れたところから様子を窺う。ちょっとイライラするくらいに入力が遅い。年齢的にまだ学生だろお前。スマホと同じようにその程度の機械扱えっての。

「……あった」

えっ。

「E-8の棚……。ありがとうございました、探してみます」

「…………」

E-8……宗教系の本の棚だ。確かにそこにならあんな胡散臭いタイトルの本もあるかもしれない。一応インカムで近くの店員に連絡して、俺はレジに戻る。しばらくしてそいつは本当にそのタイトルの本を持って俺のいるレジに戻ってきた。1冊で5000円。……高っ。

つーか帯見てわかったけど、あれカルト宗教の本じゃないか……?万引きじゃなくてよかったけど違う意味で不安になるな……。もちろん本屋の店員である以上、どんな客が何を買ったなんてことは店員同士でも漏らさないし、漏らせないが。


「…………」

こうしてまた、人に言えない話が増えていく。


***


その日は夕方から大雨だった。

『ごめん、装置のスイッチ切るの忘れちゃって……!行ってもらえる?お願い!』

同じ研究室の奴からLANEで雑に後始末を頼まれて、バイト終わりにわざわざ大学に向かう。俺が最初に研究室LANEに既読をつけてしまったのが運の尽きだ。というか他の連中は何やってんだよマジで。つーか自分で行けよクソがよ。

『ありがとう♡仁くん優しくて大好き♡』

「…………くだらねー」

俺の何を見てるんだろうなって思う。

……優しいっていうのは、敬介みたいな奴のことを言うんだ。

イライラしながら電車を降りて、大学まで歩いて研究室に入って、実験装置の電源を落として戸締まりをして、また駅に戻る。その頃には、傘があっても靴の中がじわじわ濡れるような雨になっていた。

「あー、くっそ……」

今日は朝からずっとイライラしている。理由はなんとなくわかっている。敬介とあいつが一緒に出かけたからだ。

(……なんで手助けしちまったんだろ)

こんなにムカつくのに。

(……でも、敬介が喜んでくれるから)

こんなに無意味なのに。


駅の明かりが近づいてきて顔をあげる。

目の前を、見慣れた2人が通り過ぎていった。


「…………あ」


2人が、1本の傘を分け合って。

手を、つないで。

幸せそうに、笑って。




急に立ち止まった俺に誰かが後ろからぶつかってきた。

持っていた傘が落ちる。

ごめんなと走り去る声が聞こえる。

だけど、傘もぶつかってきた奴も、今の俺にはどうでもよくて。


――あの道は、あいつの家に向かう道だ。


「……………………あ、……はは、……あー……」


乾いた笑いを吐き出す。

吐いた途端にべたべたに湿って、濡れて、気持ちの悪い怨嗟になる。

それでも、吐き出さずにいられなかった。



「……ちくしょう…………!」



……わかっていたんだ。

俺は昔から人より少し、勘が良かった。

……わかっていたんだ。

俺は何をどうやっても敬介からは幼なじみとしか見てもらえないことを。

……わかっていたんだ。

入学式の日、突然俺たちの前に現れたそいつが敬介を好いていたってことも。

敬介も、そいつを少し意識していたってことも。


わかっていても、いざ、それを目の前にすると。



「…………なんで、……なんで俺じゃだめなんだよ……!!」



顔はよかった。でも敬介の好みじゃなかった。

頭もよかった。でも敬介の気を引けなかった。

体力もあった。でもそんなのは意味なかった。


敬介が、俺を好きになってくれなかったから。




この日、十年以上続いた俺の片思いは誰にも知られないままひっそり終わった。

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