Side:Minato 5

6月13日。土曜日。

「お……おまたせ……!」

すごく念入りに早めに家を出て、待ち合わせ15分前に駅についた。……なのに、敬介はもう普通にそこに立っていた。いつからいたんだろう……。

「ごめん、どれくらい待った……?」

「5分ほどだな。少し早く来てしまった。……湊もこんなに早く来るのは珍しいな」

「あ、うん。俺も遅刻しないようにって思ったら逆に早くなったっていうか……」

「…………そうか」

「うん……」

「……行こうか。プラネタリウムの前に先に昼飯を済ませておこう。俺でよければ就活の愚痴も聞くから遠慮なく言ってくれ」

「……うん!」

これと言ってお互い食べたいものもなかったのでとりあえずサイゼで好きなものを注文した。

就活の愚痴は控えめに。だって、せっかく敬介と2人なのに、嫌な話ばかりしたくない。代わりに敬介の就職先について探りを入れておくことにした。

「敬介は学校推薦だっけ。どこ受けるの?」

「NN製薬の開発職を志望している」

「すごっ……めちゃくちゃ大手じゃん……」

誰でも知ってる有名ドリンクを売ってる企業だ。同じ大学の同期だというのにこの差よ……。

「受かるといいんだがな」

「敬介なら受かるって!」

「ありがとう。湊にそう言ってもらえると嬉しいよ」

敬介の言葉にどきどきして、そわそわして。落ち着かないまま食べた食事はどこか味がぼんやりしていて。浮足立ったままプラネタリウムへ。

「……俺さ、実はプラネタリウムって来るの初めてなんだ」

「そうなのか?」

「うん。田舎にはそういうの無くて。だからその……変なことしてたら教えてほしい」

「変なことも何も……。映画とそんなに変わらないぞ。スクリーンが正面じゃなく上にあるというだけだ。椅子が倒せるようになっているから、寝転がって星空を見上げるような感じで……」

「へぇー……」

「……俺こそ、誘っておいて申し訳ないのだが……実は銀河鉄道の夜自体にそこまで詳しくはない。未読者でも問題ない内容だとレビューには書いてあったが、もしわからないことがあればあとで聞くかもしれない」

「それは大丈夫!そういうこともあろうかとちゃんと原作読み直してきたし!」

「頼もしいな」

「ふふ」

係員の指示に従って2人で薄暗いホールの中へ。週末の昼間だけあって中は結構混雑していた。隣同士に座って、椅子を倒して時間を待つ。開演までの間、天井には様々な広告が大写しにされていた。

(確かに映画みたいだ)

椅子が倒れるのと、飲食ができないのと。映画との違いはそれくらいしかなさそうだった。撮影禁止のアナウンスが流れ、世界が真っ暗になる。


――気づけば、学校の椅子に座っていた。


(あ、これ。銀河鉄道の夜の冒頭の……)


『ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。』


主人公ジョバンニが天体に関する授業を受けるシーンだ。ジョバンニは先生の問いに自信がなくて答えられず、答えを知っているはずの親友のカムパネルラもジョバンニと同じように答えることができない。父親は遠くに漁に出ていったこと、母親が病気であること、ジョバンニはまだ子供ながら働いて駄賃をもらい、母を支えていること――そんな話の内容がナレーションで説明される。

シーンは流れ、今夜がお祭りであること、心無い友人たちからジョバンニがからかわれること、その友人たちと一緒にカムパネルラがいたこと、さびしくなったジョバンニは、ひとり走っていったことがころころと変わる映像に映し出されて。


『銀河ステーション、銀河ステーション……』


遠くに眺めていたはずの星空が近づいて――違う、まるで俺たちがその星空に吸い寄せられていくかのようにぐるぐる回りながら落っこちていって――。

……そうして今度は、列車の中に座っていた。


がたごと、がたごと。

銀河鉄道の夜の物語、星座に描かれた世界の通りに景色が次々と流れていく。

北の十字架、アルビレオの観測所、蠍の火。


『カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。』


そして、底しれぬ闇を湛えたそらのあな


ジョバンニが振り返ると、そこにカムパネルラはいなかった。



***


「…………」

「……湊」

「あっ……」

しばらく放心してしまっていた。慌てて首を振って椅子を起こす。心配そうに俺を見ている敬介に大丈夫だと頷いた。

「と、とりあえず出よう。いっぱい言いたいことあるけど、とりあえず……」

「ああ。足元が暗いから気をつけて」



「――良かった。いや、うん、俺銀河鉄道の夜のアニメも実写映画も派生作品もいろいろ見たけど、めちゃくちゃよかったよこれ。あの世界の星空をあんなに間近で見れるなんて思わなかった。星座の解説も入っててわかりやすかったし」

近くのカラオケに移動して、(どうせ歌わないから)ディスプレイを消して、飲み物を確保して、ようやく落ち着いたところで俺は感想を切り出した。

「星空の解説はさすがプラネタリウムというところだったな。わかりやすかった。かなり実際の星空に添って描かれた物語だったんだな」

「そう、賢治はそこがすごくてさ――」


……後から振り返るとかなりオタクみたいな……いや実際オタクなんだけど……勢いで話をしてしまった。途中で賢治から草野心平に話が飛んだ辺りで「脱線してるぞ」と指摘されなければもう少し話し続けていたかもしれない。

気づいたら空になっていた烏龍茶のグラスを手で弄りながら伝える。

「……うん、いいもの見れた。ありがとう、誘ってくれて」

「よかった。少しは気晴らしになっただろうか」

「なったなった、それどころかまた元気出たっていうか……やっぱり俺、本や文学に関わるところで働きたいなって思った」

「湊……」

「正直自信なくしてたんだよ。やっぱり出版社ってそう簡単に入れるところじゃないしさ。保険で教職取らなかったのちょっと後悔したりもして。……本に関われるなら仁みたいにさ、本屋で働くのも悪くないかなって思ったこともあった。それなら別に就活そんなに頑張らなくてもさ、バイトから正社員とか……そういうのだって狙っていけるだろうし……」

「…………」

「でも俺は本を売ることよりも本を作ることのほうに興味があるんだ。作ってる人達にも興味がある。こんなに人の心を動かしてくれるものを、俺も作ってみたい」

敬介を見つめる。すごく、……すごく心があたたかい。目の前のことが大変で、厳しくて、忘れそうになっていた夢を、思い出せた。

「……ありがとう。あのさ、俺……」

「湊、……いいだろうか。俺から言わせてほしい」

「え……」

ソファの上で手が重なる。あたたかくなっていた心が、一気に燃えて熱くなる。

これは、まさか、俺の自惚れや思い込みじゃなくて、……本当に?

「……好きだ、湊。……湊が笑っていると、俺もとても嬉しくなる。もし嫌じゃなければ……これからも、俺の隣で笑っていてくれないか。そのために俺ができることならばなんでもする」

「…………っ……!」

視界がぼやける。目の奥が熱い。重なっていないほうの手で、目元を拭う。驚いた様子の敬介の顔が見えた。

「みな、……その、すまない、まさか泣くほど……」

「いやじゃないよ、……泣くほど、嬉しくて……。……俺、俺も敬介がずっと好きだった。入学式の日からずっと……。……でも、男同士だから、勇気、が、出なくて……っ、嫌われるのだけは、嫌だって、思って、今まで、言えなくて……!」

「…………そうだったのか」

「……うん、……でも、今日こそ言おうって思ってた。敬介が、俺のために誘ってくれて、俺のために選んでくれて、それだけですごく、嬉しかったから、伝えないまま卒業するなんて絶対に嫌だったから……」

俺の左手の上に敬介の右手があって。その更に上に俺の右手を重ねる。

「……俺からも言わせて。敬介、好き、大好き……」

「湊……!」


右肩を掴まれ、引き寄せられる。重ねた手を、指を絡めるようにつないで。

そっと、おそるおそる窺うように、重ねた年月分の思いを確かめるように。

……震える唇を、触れ合わせた。


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