Side:Minato 2

敬介との出会いは、3年前。大学の入学式の日のことだ。

(な……なんとか最寄り駅にはついたけど、こっからどう行けば……)

入学式は大学じゃなくて別のホールでやるってことに当日の朝気づいた俺は、どうにか正しい駅まで辿り着いたものの駅の出口で思いっきり迷っていた。いわゆる「おのぼりさん」な俺に東京の地理は全くわからなかったし、目でそのホールを探そうとしてもあっちもこっちも高い建物と人だらけで全然見えなかった。

しばらく駅前をうろうろしたあとスマホで地図を見ればいいって気づいて表示してみたのだけど、地図のルート通りに進んでいるはずなのになぜか全然違う方向に進んでいて、おかしいおかしいこのままじゃ遅刻するって焦ってたとき。

『……あの、すみません。もしかしてM大学の新入生の人ですか……?』

『……は、はい!』

『入学式のホール、そっちじゃなくてこっちです。……俺もこれから行くのでよかったら一緒に行きませんか』

高身長の眼鏡スーツの人に声をかけられて……。……それで俺は、あっという間に恋に落ちた。



『俺は佐伯敬介。数学科です』

『うわっ、数学科!?すっご、頭よさそう……。あ、俺は大久保湊。国文学科だ。……佐伯は俺と同い年だよな?だったらタメ口でいいよ』

『……じゃあ、そうさせてもらおう。……いや、スーツが真新しくて若いし同じ新入生だろうなとは思ってたんだが、いきなり馴れ馴れしく話しかけるのもどうかと思ったんだ』

道すがらちょっと話しただけでもいい人なんだってわかって。

『スマホの地図通りに進んでるはずなのになぜかルートから外れるんだよな。自分が向いてる方向とスマホの進行方向が逆になってるっていうか……』

『それは多分コンパスがずれてるんだな。スマホをこう持って、手首を使って8の字に動かすと改善されるはずだ』

『8の字……?こう?』

『そう。数回繰り返してから、マップを開き直してみてくれ』

『こんなことで……えっ、ほんとだ、直ってる、なんで!?』

『スマホのコンパスは地磁気……地球から発生している磁気を使っているんだが、電子部品同士の干渉でも磁気が発生するからどれが地磁気なのかわからなくなることがあるんだ。こうやって振ってやるとスマホの部品から発生している磁力線はスマホに追従して動くんだが、地磁気だけは動かない。それで正しい地磁気をスマホが認識し……』

『…………』

俺の知らないこともいろいろ知っていて。

『……す、すまない。難しかっただろうか』

『い、いや……物知りだなって……』

そのうえ気も遣えて。優しくて。

(……いいな……。……こういう人が彼氏だったらいいのにな……)



俺はもともと男しか好きになれない男だった。

高校でそれが周囲にバレた結果、なぜか中学時代のたいして会話したこともない同級生にまで知られてしまっていた。

偏見の目で見られるのがイヤで、都会に出ればなんとかなるだろうって思って東京に出てきた。……だから恋はしたかったし、欲を言えば彼氏だって欲しかったし。

そんな状態でいきなりこんないい人に出会ってしまったら、それは惚れるのも仕方がないだろう。


『あ、あの。今度、今日のお礼させてほしいんだ。だからその、連絡とれるようにLANE教えてほしいんだけど……!』


まずは彼にそういうケがあるのかないのか、恋人はいるのかいないのか、そういうところから慎重にリサーチしていこう……と思ったところで。

『あ、おーそーいー。何してたんだよ、もう受付始まってるぞー……って、そっちの人は?』

……今どきな感じの垢抜けた茶髪で、顔面偏差値SSRの男が親しげに敬介に近づいてきて、めちゃくちゃショックを受けたのを覚えている。

ただ、その男――仁はとてもいいヤツで。

『LANE?いいぜいいぜ、敬介ももちろんいいよな?』

『だ、大丈夫だが。……すまん、友だち登録はどこからすれば……』

『ったく、前教えただろー?こうやって、大久保のスマホにこれ近づけて……はい、できた!ついでに俺もいい?ダチは多いに越したことないし。それから湊って呼んでいい?俺のことも仁でいいし、こいつのことも敬介でいいよ』

『なんでお前が仕切ってるんだ。……まあいいが。構わないか、……湊』

『あ、……うん。大丈夫……!』

色んな話が仁を通すことでサクサク進んだ。

一緒に食事に行くのは当日のうちにクリアできたし、俺の家でゲームするのも、空きコマの時間になんとなく一緒にだべるのも、休日一緒に遊びに行くのも、全部が全部、トントン拍子にうまくいって。

『カノジョ~?いると思うか~?数字ばっかり見てるようなバッチバチの理系だぞコイツ』

『数字ばかり見てる理系はお前もそうだろう、仁』

『俺は物理学科だからもうちょっと現実見てるもんね』

『ユークリッド空間は現実じゃないみたいに言うな!』

……一ヶ月が過ぎる頃には、俺はすっかり2人と仲良くなったのだった。



***


――映画の翌日、月曜日。文学部校舎前広場のベンチ。

(とはいえ仁の優しさに甘えてたら敬介と二人きりになるのは無理なんだよな……)

一緒に遊んでるだけでも楽しかったから今まではそれでもよかった。だけどそろそろ本気を出さないとまずい。

文系と理系は校舎が分かれているから、基本的にLANEで待ち合わせないと会うこともできない。それぞれの校舎は南北に1キロメートル近く離れているので食堂や購買で偶然に賭けるのはダメだとここ3年でイヤというほど学んだ。

(彼女も彼氏もいないことはわかってる。ちょっと同性愛描写のある文学本を貸したときも同性愛描写自体には何も言われなかった……だから少なくとも反射的に『キモ』とか『無理』とか言われることはない……と思う……。だからそろそろ……そろそろ動かないと……!)

でも何かと仁を通していたせいか、俺と敬介二人の共通の話題って意外とない。ゲームとか飯とかだと仁を誘わないのもちょっと不自然だし……。

(本は昨日映画の後に貸したからな~。それを返してもらうために会うのも、俺から言い出すのは早く読めって催促してるみたいで嫌だし)

……文学部の俺と違って理学部の二人は普通に4年次も忙しい。忙しいところに就職活動とバイトも入ってくるので、本を一気読みする時間なんてなかなかないだろう。

「あーっ!やらない言い訳ばっかり!もうちょっと前向きになれよ俺!」

「…………うるさ……」

「うわっ!?まどか!?いたのかよ!」

「不審者がいたんで通報しようか迷ってました……」

「えっ!?不審者!?どこ……」

「先輩のことですよ」

このド失礼なことを言ってきたやつは国文学科2年の円博士まどかひろと。読んでる本はミリも被らないが……学内の貴重なゲイの知り合いだからなのかたまにこうして話しかけられる。

「またケイスケさんのことですか」

「そうなんだよ、そう、そうなんだよ……。どうしたらいいと思う?」

「さっさと告ればいいじゃないですか……。3年も友達やってるんですから人となりはお互い十分わかってるでしょう」

「わかったようなことをさ……」

「おれなんて未だに好きな人の顔と名字しか知りませんからね……話しかける機会が……無で……」

「そりゃ店員と客じゃなあ……」

円はどっかの店の店員に一目惚れして通い詰めてるらしい。ストーカーになってないだろうなと時々疑っている。

「そうですよ。だから連絡手段持ってていつでも直接会えるのにうだうだしてる先輩見てると普通にムカつきます。何やってんだって」

「…………」

「ないんですか、二人で酒飲んで押し倒すとかそういう機会」

「ないよ!?」

酒を飲むとなったらまず3人でだ。敬介は自分から飲もうってタイプじゃないし、俺はちょっと酒弱いから俺が飲むって言い出すと絶対介護してくれる奴が必要になるしで、必然的に仁が必要になるというか……そもそも仁が飲みたいって言わないと酒盛りにならないっていうか……。

「ないなら作ればいいじゃないですか」

「簡単に言ってくれるよな……。……そもそも二人きりで会う口実がないんだよ……」

「あー……なんでしたっけ?幼なじみがいて邪魔してくるとか?」

「邪魔はされてない!……というか、そいつがいなかったら俺ここまでスムーズに敬介と仲良くなれてないし……。……邪魔じゃないんだけどさ、そいつを通さないと連絡ができない自分が情けないっていうか……」

「話があるから会いたい、でいいじゃないですか。それでそのまま告りましょうよ」

「簡単に言ってくれるよなあ本当に!!」

「それ以上に難しく考える必要あるんですか?」

「うっ……」

黒縁の分厚い眼鏡の向こうから円のジト目が突き刺さる。正論が痛い。

「ケイスケさんに好きな人いるんですか」

「……多分いない」

「ケイスケさんの恋人になりたいんですか」

「それは……!なれるものなら、なりたい……」

「じゃあ何で躊躇してるんですか」

「……それは……。……振られるのが、……いや、振られた後、友達ですらなくなるのが怖いんだ」

「…………」

「……やっぱさ、性的指向ってアレじゃん、自分ではどうにもならない部分あるだろ。敬介がどんなにいいヤツでも、生理的に無理ってなったらどうしようもないし……」

同性愛描写に嫌悪がなくても、それが自分に向けられていると知ったら拒否してしまうなんて人はいくらでもいる。それでアウティングされて自殺みたいなひどい話だって実際ある。そもそも俺はそういうのが嫌で都会に来たのだ。

「……じゃあなんで、最初から歌舞伎町とか行ってゲイの男探さなかったんですか」

「それをやる前に敬介と出会っちゃったの!……だからさ……」

「……はー……」

くっそウザ……みたいな溜息が横から聞こえる。わかってるよ、うじうじしてる男がくっそウザいのはわかる。まして先輩。3倍ウザい。

少しの沈黙のあと、円がぽつりと言った。

「……1週間」

「ん?」

「1週間以内に告ってください。できなかったら罰ゲームってことで」

「はぁ!?」

「それくらいの圧力かけないと無理でしょ、先輩には」

「ちょ……だ、……ええ!?なんでお前に圧かけられないといけな……」

「おれのためです」

「なんで」

「先輩がうまく行ったら今度はおれの応援してもらおうと思ってるんで。おれが1人で突撃するより小さい先輩がいたほうが警戒心薄れてくれるんじゃないかって思いますし」

「小さいって言った?なあ、お前今先輩に向かって小さいって言ったか?」

「身長何センチですか。ちなみにおれは180あります」

「ぐ……1……6…0………後半!」

「…………」

「その目やめろ!!」

わかってる。わかってるんだよ、俺は敬介や仁と並んでも小さい。円と並んでも俺のほうが後輩に見えることくらいわかってる!

「じゃそういうことで」

「は!?え、ちょ、……やんないからな!?罰ゲームなんて!!」

「やりたくないならさっさと告るんすよ」

「人の話を聞けー!!」


……こうして俺は後輩から「あと1週間以内に告れ」という無理難題を押し付けられたのだった。

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