第二章 友遠方より来たる…
一
山本徹はついにやって来た。
『ここが本当に、あの場所かぁ……』
山本が自分の眼を疑ったのも不思議ではなかった。目のまえに広がっている風景そのものが、彼の知っている日頃から見慣れたものではなく、まるでいきなり異世界にでも迷い込んでしまった旅人ように、異様な環境に飛び込んできたのだから、山本ならずとも戸惑いは隠せなかったはずだ。
そこに広がる原野には、あちらこちらに樹齢数百年はあろうかと、思われるほどの巨木が林立していて、辺りには膝下くらいまである下草が一面に生い茂り、どこか遠くのほうでカッコウが鳴いているのが聞こえた。山本は周囲を見渡したが、人影はおろか小動物の姿さえ、目にすることは出来なかった。
そこには、まさしく吉備野博士から見せられた、RTSSの三次元立体画像と、少しも変わらない風景が、四方を山々に囲まれた形で広がっていたのだ。しかし、三次元映像で見た風景と、自分の眼で実際に見る映像とでは、こんなにもインパクトが違うものかと、改めて思い知らされた山本であった。
そんな中で、さて、これからどうしたものかと考えていたが、
『そうか、まず河に出なければだめか…。河はどっちのほうだろう……』
太陽の位置から、だいたいの方角を割り出した山本は、ゆっくりと自転車を漕ぎ出した。果たして耕平は、本当にここにいるのだろうか。と、いう一抹の不安を押さえつけながら走り続けると、はるか前方に二メートルほどの丸木で出きた柱のようなものが見えてきた。
近づいて見ると、片一方のほうの皮が剥ぎ取られていて、何やら文字のようなものが刻み込まれていた。
『何なに…、いったい何語で書いてあるんだ……』
目を凝らして刻まれた文字を読んだ山本は、見る見る顔色が変わって行くのを、自分でも感じ取っていた。
『やっぱり来てるんだ…。耕平のヤツは、ここに……』
そこには鋭い石のようなもので、刻み込まれた文字でこう書かれていた。
二〇一八年四月二十四日 佐々木耕平 ここに至る
その時、山本は頬を伝って熱いものが、流れ落ちるのを抑えることが出来なかった。ここに着いてから、まだわずか数十分しか経っていないにも関わらず、耕平の消息というか手掛かりが、掴めたことを山本は神に感謝した。
それにしても、紀元前一年とは言っても耕平が、ここに来てから何年くらい、経過しているんだろうか。目の前に立っている、この丸太を見ても刻まれた文字は、まだ新しいものだから、そんなに時間は経っていないはずだった。横のほうに目をやると小さな枝が出ていて、葉っぱが出ているところを見ても、それほど時間が経っていない証しだった。
『丸太そのものも、そんなに風雨にも晒されていないようだし、まだ半年か一年ぐらいのものだし、時間のずれはそんなに関係ないな…。さて、そろそろ行って見るか……』
吉備野博士に見せてもらった、RTSSに映し出された河を見つけるべく、山本はまた河のある方向を目指して走り出していた。
しばらく走り続けると、ゆるく傾斜のついた草原の下方にキラキラ輝きながら、東西に流れる河が見えてきた。
『おお、あれだ、あれだ。もう少しだ。よーし、行くぞ…』
山本は必死になってペダルを漕いで、どうにか河岸まで辿りつくことが出きた。
『これが、ほんとにあの河かぁ…』
自分の眼を疑いたくなるほど、その河の川幅は山本の知っているものよりも狭かった。自然というものは長い年月をかけて、その造形を変えていくものなのだろうか。
『人がいたのは、確かもう少し上流のほうだったな…。ん、なんだか腹が減って来たな。ここで何か食っていくか。腹が減っては戦が出来ないって云うからな』
山本は自転車を止めるとリュックから、カップ麺と飯盒を取り出した。河に入って飯盒に水を汲もうとして、水があまりにも透き通ってきれいだったので、両方の掌で水を掬い取ってひと口含んでみた。非常にうまかった。山本のいた年代にスーパーなどで売られている、どんな天然水よりも美味しく感じられた。
『うん。こりぁ、うまいや。こんなうまい水は呑んだことねぇぞ。それに空気もきれいだし、何だか気持ちまですっきりして来たなぁ』
薪になりそうな枯れ木を集めて、山本はお湯を沸かし始めた。
やがて、腹ごしらえを終えた山本は、また川上を目指して走り出していた。すると、突然パーンという音がした。自転車のタイヤのパンクだった。
『何だよ。パンクかぁ、ついてねえなぁ、こんなところでパンクなんてよ……』
うんざりしながらも、こうなれば歩くほかはなかった。自転車をその場に放置するとリュックを背負い、両手にキャンプ用具とテントを持って歩き出した。
あのRTSSで見た人影が写っていた大きく湾曲した川の辺りまで、あとどれくらい掛かるのか見当もつかないまま山本はひたすら歩き続けた。
やがて、山本の眼にもそれと判る大きく湾曲した河の流れが見えてきた。木立の合間から見える河の周りには人影らしいものは何ひとつ見当たらなかったが、やはり道は間違っていなかったという安堵感に、山本は内心ホツと胸をなで下ろす思いだった。
『さて、ここまで来たぞ。どっちに行けばいいんだろう……』
この辺で人影を見たのだから、きっとこの近辺に縄文人の集落があるはずだ。気をとり直した山本は、河とは反対に北を目指して歩き出していた。
それから、しばらく歩き続けた山本だったが、一向に集落らしいものも見つからないまま、夕暮れ近くになりかけていた。陽が落ちてからでは未踏の地であり、どんな危険が待ち受けているか、分からないと思った山本は大きな木を見つけると、その下に野営をするための手にしていた、荷物を下ろすとテントを張る準備を始めた。
テントの設営が終わったころには、もうすっかり夜の帳につつまれていた。足元に置いてあったランタンに火を入れて、山本は夕飯の支度に取りかかっていた。
翌朝、目覚めると清々しい陽光が、山本をすっぽりと覆うように輝いていた。太陽に向かって大きな屈伸すると、焚き木集めに取りかかったが、この辺は昨日ほとんど拾い集めていたから、ほんのわずかな小枝くらいしか落ちていなかった。仕方なく少しばかり遠出しようと思った山本は、ついでに湧き水か小川でもあれば、汲んで来ようと水筒を下げて出て行った。思った通り焚き木は、結構な量を集めることが出来たが、水は残念ながら見つけることが出来なかった。
それでも一時間ほどかけて、小枝や枯れ木を拾い集めると、それだけでも一束ほどの量になった。それをツルなどで束ねて背中に負うと、山本はテントを目指し歩き出した。
ようやく、テントが見える地点まで辿りついた。立ち止まって額ににじみ出た、汗を手の甲で拭うとしたが、もう少しの辛抱だとゆっくりと歩き出した。その時つま先が石につまずいて、前のめりに倒れ込みそうになるのを、足を踏ん張って持ちこたえようとしたが、間に合わなかった。山本は左手をついたが、左膝に体重が掛かり過ぎたのか、足首に鈍い痛みが走るのを感じた。急いで起きあがるとズボンを捲し上げ、靴下を下ろすと足首の踝辺りが、見る見る腫れあがって行くのがわかった。捻挫らしかった。山本は痛みを堪えながら立ち上がると、片足飛びでどうにかテントまで辿りつくことができた。
テントに入ると少し横になって休憩を取り、タバコを一本取りだして火をつけた。吐き出された紫煙はテント内をゆっくりと漂ってゆく。
『しかし、これはちょっとヤバイことになったぞ…。捻挫の薬なんて待ってこなかったし、完全に治るまでどれくらい掛かるんだろう…』
いままで捻挫など一度もやったことのない山本には、完治の見通しなどまったくわかるはずもなかった。足首がズキズキと痛んだ。このままでは自力で歩き回ること自体、当分の間は無理だろう。杖になるような物があれば少しは楽かもしれないな。と、思った山本はいきなり上半身を起こして、
『あった、あるぞ。ピッケルだ。ピッケルだぁ…』
山本は傍らに置いたままになっている、キャンプ用具の中から急いでピッケルを探し出すと、左手で持ち替えて立ち上がってみた。右足に重心をかけて立ち上がると、比較的に楽に立つことができた。
『よし、これならいいぞ…』
テントをめくって外に出てみたが、捻挫した足首の痛みはそのままだったが、何もつかないよりははるかに楽だった。
それから、折り畳み式の簡易椅子に座り、どうにか朝飯を済ませてから、これから先の自分は、どうするべきか考え始めていた。足の捻挫が完治するまでは、ここから動くことはまず不可能に近いこと。食料のほうも節約さえすれば一ヶ月や二ヶ月くらいは十分持つはずだ。まず、耕平がここにいることは間違いないのだから、これも時間をかけて捜せば絶対に見つかるはずだから、それこそ根気よく例え草の根を分けてでも、必ず探し出してやろうと決心していた。
こうして、山本徹は持久戦を覚悟した上で、じっくりと腰を据えて捻挫が、完治するのを待つことにしたのだった。
二
佐々木耕平が、この縄文の世界に来てから、間もなく三年になろうとしていた。
ここが紀元前の、いつ頃の年代なのかは判らなかったが、縄文時代であることだけは、耕平にも認識できていた。最初にここへやって来た時に出逢った、カイラとウイラ姉妹の妹のウイラと結婚して、ふたりの間には子供も生まれ、穏やかな気候にも恵まれて、コウスケと名付けられた、耕平とウイラの子供もすくすくと成長していた。
この時代は、耕平が暮らしていた時代よりも、はるかに気候が温暖であった。冬も耕平の住んでいた時代より、極めて温かいものであり、ここに来た当初は耕平もどうして、こんなに温暖なのか不思議に思ったほどだった。
耕平は、ここ縄文の世界に来たばかりの頃は、言葉はもちろん解らなかったし、生活環境も自分のいた二十一世紀とは、まるで異質のものに感じられて、多少なりとも戸惑いはしたものの、邑の住民たちの素朴で温厚な人柄に助けられ、余所者である耕平を邑のみんなが、温かく向かい入れてくれたことは、右も左もわからない彼にとって、非常にありがたいことであった。
耕平が、ウイラ姉妹によって連れて来られた集落は、この周辺のあちこちに点在していたが、集落間での争い事もまったく見られず、食材なども狩猟で得た小動物や、野山で採取した木の実類とともに、お互いの間で物々交換などの、交易も盛んに行なわれており、極めて平穏な日常が繰り広げられていた。大陸のほうから入って来たとかで、最近では稲作も始まり人々の暮らし向きは、ますます安定したものになっていた。
そんな中で、ほとんどの住民たちも耕平に対してすべての面で好意的であり、集落の他の住民たちと何の隔たりもなく食物を分け与えてくれていた。
耕平も、そうした人々の行為にばかりは、甘えてはいられないと考え、ここに来る前に持ってきた。競技用のアーキュリー弓があるのを思い出し、狩猟でもやって少しでもみんなの役に立ちたいと、ウサギとか山鳥などのいそうな場所を、教えてもらうためにウイラに案内を頼んで、とある森までやって来ていた。しかし、競技用のアーキュリー弓は、あくまでも競技用だけあって、飛距離や的を射る性能には優れてはいても、殺傷力に関しては多少疑問があったのだ。それは競技用のアーキュリー弓は、生き物を殺傷するためのものではなく、もともと競技に用いるものであるから、弦や弓本体の強度に問題があるのだと、考えていた耕平ではあった。
これでは実践としての、狩猟には向いていないことを知った耕平は、邑の中で弓の名人と言われている人に、弓を見せてもらい独自で試行錯誤の末に、弦には麻の繊維を編んだものを使い、見事に一張りの弓を完成された。
耕平は出来上がった弓を、さっそく名人に見てもらうことにした。それを見て手に取った名人は、弓と耕平の顔を交互に見比べて驚きの様子を見せた。とにかく、試し打ちがしたいということで、何か的になるようなものがないかと探していると、三十メートルほど離れた木の枝に山鳥が一羽羽を休めているのを発見した。名人は急いで弓に矢をつがえると、大きく引き絞り山鳥に狙いを定めると、勢いよく矢を放った。矢は見事に命中し、山鳥は甲高い鳴き声をあげて地面に落ちた。名人は満足そうな表情で耕平に弓を返すと、「いい弓だ」と褒め言葉を残して、射落とした山鳥を手に立ち去って行った。
こうして、耕平も狩猟の仲間に加えてもらい、もともと腕に覚えのあった耕平は、メキメキ頭角を現して行った。そして、いまでは准名人とでもいうべき立場に置かれていた。そんなわけで、今日も耕平はひとりで普段はあまり、人が行かない地域まで足を延ばしていた。おかげで、もうこれまでに山鳥が二羽と、野ウサギを二匹仕留めていた。
照り付ける陽光に喉の渇きを覚えた耕平は、どこかに木陰はないかと辺りを見回した。四百メートルか五百メートル先に、大きな松の木が生えているのを発見した。速足で松の根方まで辿りつくと、そこに腰を下ろし竹で作った、水筒から一気に水を喉に流し込んだ。
ここは耕平にとっても初めてくる場所で、この辺にしては珍しく樹木も少なく、辺り一面草原が広がり穏やかな陽光を浴びて、草原全体がゆっくりとうねっているのが、心地よく感じられた。耕平は遠くのほうを見渡していた。すると、はるか遠くにほうにも大きな巨木を見つけた。その根方で何やら揺らめいているのに気が付いた。何だろうと思い、目を凝らしてみても判然とはしないまま、とにかく行って確かめて見ようと立ち上がった。近づくにつれて、それがテントのような物であることが判った。
『テント…、何で縄文時代にテントがあるんだ……』
半信半疑のまま近づいて行くと、それは耕平にも見覚えのある。テントであることが判ってきた。
『あれは山本のテントじゃないか…。何でこんなところに山本がいるんだ…』
一目散にテントへ駆け寄り、何のためらいもなく両手で入り口をかき分けた。
「山本! やっぱりお前か、一体どうしたんだ。何でお前がここにいるんだ……」
テントの中で横たわっていた山本も一瞬驚いたらしく、上半身を起こした。
「こ、耕平。ホントに、お前か……。佐々木耕平なんだな…」
そこに立っていたのは、長く伸びた髪の毛を後ろで束ね、粗末な衣服を身に纏った佐々木耕平だった。
ふたりは、しばらく無言でお互いの顔を見つめあっていたが、最初に口を切ったのは耕平のほうだった。
「んでも、どうしてお前がここにいるんだよ。確か、オレが最後に逢ったのは二十八年後のお前だったはずだぞ。それが何で、歳もそうオレとあんまり変わらない山本がどうしてここにいるんだよ。お前、いつの年代からやって来たんだ…。どうやってマシンを手に入れたんだよ」
次々と質問をぶつけてくる、耕平を見ていた山本だったが、いくらか冷静さを取り戻したのか、やっと口を開いた。
「実はそのことなんだけど、二〇四四年にお前がタイムマシンを送っただろう。それを拾った人が未来のオレのところに届けてくれたらしいんだ。それで未来のオレがいろいろ考えた挙句にオレのところにやつて来たってわけだ。彼が云うには自分も歳だしあまり無理も出ないから、あとの判断はオレに任せるからといって、このタイムマシンを後で送ってよこしたんだ。あ、そうそう、それからお前がタイムマシンに、付けてよこした手紙も読ませてもらったよ」
そういうと、山本はリュックを引き寄せて中から、耕平の手紙と未来の自分が書いた手紙を手渡した。
「よく解かったな。この暗号が」
自分が書いた走り書きを見なから言った。
「ん.未来のオレが帰った後、最後のBCってのが判らなくって困っていると、未来のオレがマシンに結び付けた、その手紙をつけて送ってくれたんだよ」
と、山本は二枚目の紙切れを指さした。
「ああ、それから、これをお前に渡してくれと、吉備野博士から預かってきた」
山本は、またリュックを開けると、真新しいタイムマシンを取り出した。
すると、それを見た耕平は、
「オレはいらないよ。そんな物は…、もうここからはどこにも行かないんだから…、吉備野先生に返しといてくれ…」
「そうはいかないよ。それをお前が持ってないと、博士がお前の居場所が掴めないらしいんだ。それにどこにも行かないって、お前いまここで何をやっているんだよ。耕平。それより、いつまでも突っ立ってないで、座ったらどうなんだ。そこに」
山本に言われて、耕平もようやく腰を下ろした。
「それにしても驚いたぜぇ。あの公園だった場所が、林とか原っぱしかないんだからよ。ホントに、ここは縄文時代なんだよなぁ…。お前の服装を見てもわかるけどな…。いや、とにかく逢えてよかったよ。しかし、お前もずいぶん逞しくなったもんだよなぁ。しばらく見ないうちによぉ」
目の前に座っている耕平を、まじまじと見つめながら山本は言った。
「オレのいたほうじゃ、お前がいなくなってから二年、いや、もうすぐ三年か…。もうそんなに経つんだな……。去年平成天皇が退位されて、いまでは元号も令和に改まって二年目になるんだぞ。世の中どんどん変わっているんだ。それで未来の自分から判断は、全部きみに任せると云われて、オレもあんまり自信はなかったんだが、矢も楯もたまらずお前を捜しに、こうしてやって来たってわけだ。
ホントに自信がなかったんだ。日本史のなかでも古代史は、特に苦手だっただろう。そんな中で縄文時代に行って、お前を探し出すなんて絶対に、無理だと思っていたのに、こうやって巡り会えたんだから、神さまに感謝しなくちゃいけないよなぁ…。
あ、そうだ。このあいだ公園で偶然に、河野先輩に会ったんだよ。紀元前一年前ってどんなところだろうと思って、ネットで調べてみたんだが全然わからなくて、河野先輩が古代史に詳しいことを、思い出したから電話で聞いてみたんた。いやぁ、実に参考になったよ。あの人はホントに詳しいな。オレは感心しちまったよ」
山本はタバコに火を付けてひと息いれた。
「すまないな…、山本。お前にばかり心配かけて……」
「何云ってんだよ。友だちだろう。お前とオレは、友だちが友だちのことを心配して、何が悪いって云うんだよ。そんなこと気にすんなよ。耕平らしくもない」
コイツはコイツなりにいろいろ調べたり、それなりに努力を重ねてここまで、辿りついたのだろうと思うと、なぜか熱いものが込み上げてくる耕平だった。
「ところで、何でこんなところで寝てたんだ。お前は、こんなに天気がいいのに…」
「ん…、それがな。二・三日前に枯れ木を集めに行った帰りに、石に蹴躓いて足首を捻挫したらしいんだ…」
山本はジーンズの裾を捲って左足を見せた。なるほど足首の踝あたりが、靴下越しに腫れ上がっいるのが見てとれた。
「うわ、ずいぶん腫れてるじゃないか。それじゃ、かなり痛いだろう。大丈夫かぁ……」
「ん、まだ少しな。食料は十分持ってきたから、完治するまでここにいようと思ったんだけど、こんなに早くお前に逢えて助かったよ。うちのカミさんにも、黙って来ちまったからよ。こんなところで、もし、野たれ死にでもしたらどうしようかと、実のところ少々心細くなっていたんだ」
「じゃあ、ちょっと待ってろ。いま薬草取ってきて湿布してやるから、すぐ戻るからもうちょっとだけ辛抱していろよ。これがすごく効くんだから、待ってろよ」
そう言い残すと、耕平は足早に立ち去って行ったが、ものの十分も経たないうちに、薬草を両手に抱えて戻ってきた。
傍らで湿布薬を作っている、耕平を眺めながら山本が聞いた。
「ところで、耕平よ。お前ここで何をしてるんだ。こんな辺ぴなところに、いたってしょうないだろうが…。オレの捻挫が治ったら一緒に帰らないか」
「そうは行かないよ。オレ結婚してるんだ。それに子供もいるしな…」
思いもしなかった耕平の言葉に、愕然とした山本は叫び声をあげていた。
「何だって、お前が結婚して、子供もいるって…、ホントかよ。耕平」
「ああ、本当さ。コウスケって云うんだ。可愛いぞ」
まだ驚きの色を隠せないまま山本は聞いた。
「しかし、お前のカミさんって、一体どんな女なんだ…。縄文時代の女ってのは…」
「ああ、もと住んでいた世界の女なんかとは、比較にならないくらい素朴で、純粋ないい娘なんだぞ…。さあ、出来たぞ。足を出してみろよ。塗ってやるから」
耕平は、手早く山本の足首に薬草を塗ると、包帯代わりに山本の持っていた、タオルを足首に巻きつけた。
「出来たぞ。これから、オレのところに連れてくから、とりあえず荷物は必要なものだけ、そのリュックに詰め替えてお前が背負え、あとはオレが負ぶって行ってやる。残りは明日にでも取りに来てやるからよ。さあ、行こうぜ」
こうして、耕平は山本を背負うと、彼の住んでいるという、邑を目指して歩き出した。
「いやぁ、しかし、お前ホントに逞しくなったよなぁ、まるで昔が嘘みたいだよ」
「毎日野山を駆け回っているからなぁ、それでだよ。きっと」
空にはやや西に傾きかけた太陽が、ふたりを包み込むように優しい光を放っていた。
三
邑に着くと、耕平は一戸の竪穴式住居の前まで来ると、中に向かって声をかけた。初めて耳にする言語だったが、それほど山本には違和感のなく聴くことができた。
これが縄文時代の言葉なのかと、興味深く聞いていると中から、うら若い女が小さな子供を抱いて出てきた。
「オ帰リナサイ」
縄文語ではなく、少したどたどしかったが、現代語で話しているのを聞いて、山本は小声で耕平にささやいた。
「あれ、お前が教えたのか…」
「ああ…」
耕平は山本を下ろすと彼を指して、
「ト・オ・ル、友だちだ。これはウイラだ。こっちが息子のコウスケだ」
と、ウイラから子供を抱き取ると山本に紹介した。
「こんにちは」
ピッケルを杖代わりについて、山本も挨拶した。
「コンニチハ」
まだ十六・七歳くらいにしか見えないウイラも、にっこりと微笑みながら挨拶を返したが、その純朴で可愛らしい笑顔をみた山本は、おそらくウイラの笑顔のことは、一生忘れられないだろうと思った。山本にとって、それほどウイラの笑顔は初々しく、印象に残る微笑みだったのだろう。
その夜、山本が持ち込んできた、米・味噌・ハムソーセー・ソーセージ・缶詰などで食事を取った。特に、ウイラは初めて口にする、これらの食物に眼を輝かせている様子だった。山本は、これも一緒に持ち込んできたウイスキーで、久しぶりに耕平と飲みながら、積もる話に花を咲かせていた。
翌朝、山本が眼を覚ますと、足の痛みが夕べ休む前にウイラから、塗り直してもらった薬が効いたのか、足の腫れもすっかり引いていて、痛みのほうもいくらか残ってはいるが、歩行をするのにはほぼ支障をきたさない程度にまで、回復しているのを知った。
耕平とウイラの姿が見えないので、山本はひとりで外に出てみた。空を見上げると今日もよく晴れて、さんさんと輝く朝の陽光が、山本をやさしく照らしていた。
足を慣らすためにあちこち散策していると、耕平が野草らしいものを入れた、ザルを持ってウイラとともに戻ってきた。
「よお、起きたのか。どうだ、足の調子は…」
「ああ、すっかり痛みが取れたよ。それにしても、よく効くな。あの薬草は」
「ん、あれは昔からこの邑に伝わっている薬草だそうだ。打ち身や捻挫の腫れや痛みに効くらしい…。ところで、どうだ。今日はお前も一緒に狩りに行って見ないか。確か、お前は学生時代に槍投げかなんか、やってたんじゃなかったっけ…」
「ああ、やってたよ。でも、あれはただの競技だから、狩りなんてとてもとても、第一オレ狩りなんてやったこともないし…」
「何云ってんだよ。オレのアーキュリーだってそうだろう。たまたま競技用のヤツを持って来たんだけど、やっぱり競技用じゃ役に立たないことが判って、苦心して造ったのがいま使っているこの弓だ。お前だってやれば出きるって、槍なら誰かのを借りてやるから一緒に行こうよ。なあ、山本よぉ」
耕平にしつこく勧められて山本は渋々承知したが、考えてみれば耕平に出きたんだから、オレだってやる気になれば出きるはずだ。という、持ち前の負けん気をだす山本だった。
耕平から借りてもらった石槍を手に、山本と耕平は獲物を狩るべく、さっそうと狩場を目指して行った。
耕平は、昨日山本がキャンプをしていた地点を目指していた。あの辺りは邑の人間でもめったに行かない場所で、獲物も豊富にいるはずだから、初心者の山本でも何がしかの獲物を、得られるチャンスがあると考えていた。それに帰りがけに山本のテントやら、キャンプ用具を持ち帰らなければと考えていた。
目的地に着くと、ふたりはテントを外して巨木の根方に置き、残った食品類やその他の道具は、山本のリュックに入れて背負った。
それから、ふたりはあちこち歩き回ったが、適当な獲物を見つけることは出なかった。
「やっぱり、この辺じゃ無理か…。よし、向こうの森のほうにでも行くか。だけどよ、この辺の森は、オレたちの知っている森とは違うから、お前も気をつけたほうがいいぞ。何が潜んでいるか知れないんだから、辺り中に気を配っいないと危険なんだ」
「ん、わかったよ。それじゃ、行って見っか」
森の中は、山本が想像していたよりも、はるかにうっそうとした森林地帯で、樹齢何百年も経ちそうな、巨木ばかりが生い茂っていた。
「うわぁ、すごいな、これは…。こりゃあ、ホントに何が出てくるか、わかったものじゃないぞ。おい、ホントにこんなところに、入って行っても大丈夫なのかよ…」゛
山本はあまりにも巨木が密集した樹林に、少しビビったのか不安そうな顔で耕平を見た。
「大丈夫だよ。この時代に、はそんなに危険な動物なんていないよ。気を付けなくちゃいけないのは、手負いのイノシシくらいのものかな。ヤツらは傷を負うと興奮して、こっちに向かって突っ込んてくるから、それだけは気を付けたほうがいい」
「なるほど、猪突猛進か。アッハハハ」
昨日までの土地勘もなく、たったひとりでどうしたらいいか、途方に暮れていた自分が、まるで嘘のよう思える山本だった。
「あ、そうだ。お前サバイバルナイフ持ってたよな。あれ、きょうも持ってるかい」
「ああ、持ってるよ。何に使うんだ」
「何でもいいから、その辺の幹に印を付けておいてくれ。帰る時の目印にするから、オレもこの辺りは初めてで自信がないんだ。だから、万一のためだよ」
「なるほど。よし、わかった。任せとけ」
こうしてふたりは、森の中へと踏み入って行った。しばらく道なき道を進んで行くと、水の流れる音が聞こえてきた。
「お、なんか川があるのか。こんなところに」
山本が言うので、音のするほうに歩いて行くと、小さな川に突き当った。
川幅が五・六メートルほどの川には、小動物たちの水飲み場になっているらしく、鹿や野生の山羊野ブタの類がのんびりと水を飲んでいる。
「おい、耕平。獲物がいっぱいいるぞ。どれを狙う」
山本が小声で言った。
「あんまり、大物は狙わないほうがいいぞ。持って帰るのが大変だからな」
「よし、じゃあ、あの野ブタの小さいほうを狙ってみようか」
ふたりは標的を決めると、まず耕平が弓に矢をつがえて山本に言った。
「まず、オレが打つから当たったら、お前がそのやりで仕留めてくれ」
「よし、いつでもいいぞ」
耕平は、弓を目いっぱい引き絞ると、野ブタをめがけて矢を放った。耕平の放った矢は見事に命中し、それを見定めた山本は、間髪を入れずに石槍を投げた。
山本の投げた槍は、見事な放物線を描いて飛んだ。野ブタはもんどりを打つように、その場に倒れ込んだ。周りで水を飲んでいた動物たちは、蜘蛛の子を散らすように、どこかへ逃げ去って行った。
「やったぞ、山本。大したもんじゃないか。見直したぞ」
「いや、こんなのはまぐれ当たりってやつさ。大体だよ。初めてやって、こんなにうまくいくはずがないし…」
耕平と山本は急いで、野ブタが倒れているのところまで走り寄った。
耕平の放った矢は野ブタの背中に、山本の石槍は肩口に突き刺さっていた。
「さて、コイツをどうするかだな。邑まで持って帰るにしたって、コイツは相当重そうだし、お前は捻挫したところが、まだ痛いんだろう。オレひとりじゃ、とてもじゃないが無理だな…」
「いや、そうでもないぞ。夕べ塗ってもらった薬草が効いて、今朝起きた時はまだ少し痛みもあったんだが、いまは全然痛くなくなったみたいなんだ。ホントにあの薬草は効いたぞ。耕平。せっかく捕まえたんだから、何とかしてふたりで持って帰れないか。こんな時はどうすればいいんだ」
「ん、じゃあ、やってみるか。まず、腹を割いて内臓を全部取り出して、少しでも軽くしてから、ふたりで担いで帰るか…」
そうと決まれば話は早かった。耕平は山本からサバイバルナイフを借りて、野ブタの内臓をきれいに取り出すと、それらをすべて川に流し入れた。
次に耕平は太い蔦ヅルと、細長い丸太を見つけてきた。蔦ヅルで野ブタの両足を結わえ、結わえた両足のあいだに丸太を通すと、
「さあ、出来たぞ。そろそろ日が暮れないうちに行こうか」
それを見ていた山本も、耕平の手際のよさに感心しながら、
「お前って、前からそんなに器用だったっけ…」
と、言うと、耕平もまんざらでもなさそうに言った。
「そうでもないさ。でもな、いざ文明から切り離されてみると、こうでもしないと生きて行けないんだよ。オレもここまで、慣れるまでに二年も掛かったんだ。それにしても、見事だったな。お前の投げ槍、あれが当たっていなければ、あの野ブタに逃げられていたぜ。きっと、どれ、ぼちぼち行って見ようか」
「だから、さっきも云ったろう。あれは、ただのまぐれ当たりだって…。よし、それじゃ、行くか」
こうして二人は、時々休憩を交えながらも、三時間がかりで夕暮れ前には、ウイラとコウスケの待つ邑へ帰り着いた。
その晩の夕食は、ふたりで獲ってきた野ブタを解体して、邑人にも分け与えた残りを耕平は山本が、持ってきたフライパンを使って、塩と醤油で味付けしたステーキを、作って三人で食べたのだった。初めて口にするステーキの味に、ウイラは歓喜のあまりに黙々と食べ続け、その姿を山本は印象深く見つめていた。
四
縄文の時間たちは、その時代に住む人々と歩幅を合わせるように、ごくゆっくりとした歩調で進んでいた。それは追われるような日常を過ごしている、山本たちが暮らしていた二十一世紀の時間の経過とは、まるで違うもののように感じられた。どうしてこんなにゆったりとした時間が流れているのか、この世界に来たばかりの山本には知る術もなかった。
この時代の人々の平均寿命は三十五・六歳で、邑の長老と呼ばれている者でもせいぜい、四十歳前後までしか生きられなかった。山本たちの暮らしていた時代では、病気に罹っても医学の進歩によって、よほどの難病でない限り早期発見・治療により、ある程度まで回復することも出来た。この時代の人々にとっては、『病気』イコール『死』という方程式に繋がり、一度病気に罹った者は奇跡でも起きない限り、存命する可能性は極めて低かったと考えられる。
まず、その短命の一番の原因と考えられることは、衛生面と食生活の著しい片寄りに、あったのではないかと思われる。現代社会に住む私たちと違って、風邪を引けば薬を飲み体調が悪ければ、病院に行くということもない。だから、平均寿命の三十五・六歳というのも、頷ける話ではないのだろうか。
縄文の世界において、長老と呼ばれ長命を誇っている者は、よほど丈夫な体に生まれついたか、特別な何かが備わっていて、それがうまく組重なって、稀に長生きできた人々も、いたのではないかと思われる。現代社会では九十歳とか、百歳という高齢者が存在するが、確かに長命を誇っていた人もいたが、江戸時代くらいまでは『人生五十年』と、言われていた時代もあったのだが、それはそれなりに、仕方のないことではないかと思うのだ。
さて、ふたりが狩りから戻った翌日、ウイラの姉のカイラが訪ねてきた。ふたりは何ごとか話していたが、話が終わると狩りの準備をしていた、耕平と山本のところへやってきた。
「コンニチハ」
カイラはふたりを見つけて声をかけてきた。
「やあ、カイラ、おはよう」
耕平があいさつをすると、一緒についてきたウイラが言った。
「ワタシタチモ、一瞬ニ行ク。イイ、コウヘイ。姉サン、行キタイ。ダカラ、ワシモ行ク。イイ、コウヘイ」
「ついて来てもいいけど、きょうも少し遠くまで行くんだ。昨日野ブタを捕まえたあたりまでだ。お前たち、ついて来れるのかい」
「ヘイキ、ツイテ行ク。ダイジョウブ、ネ」
耕平がOKを出したので、無邪気に喜んでいるふたりを、見ながら山本がささやいた。
「おい、耕平。あんなに喜んでるけど、本当に大丈夫なのか。あのふたり。ここからだとたっぷり二時間は掛かるぞ」
「お前は知らないから、そう思うんだろうけど、ああ見えてもあのふたりは、オレたちよりもよほど足腰がしっかりしてるんだ。何しろ、小さい頃から野山を駆けめぐって育ったんだからな」
「へえ…、そうなんだぁ。じゃあ、そろそろ行こうか。オレも初めてのわりにはうまく行ったんで、少しは自信がついたみたいだから、きょうも頑張るぞ」
四人はまるで遠足にでも行くような気分で、暖かな陽光がさんさんと降りそぐ中を出かけて行った。
森林の入り口まで来ると、耕平は山本が持ってきた鉈を取り出して、行く手を阻む小さな木などを、なぎ倒して進んで行った。後からウイラとカイラが続き、しんがりは山本という万全の体勢で進んで行った。やがて、小川のせせらぎが聞こえる地点まで近づいていた。
「おい、耕平。この森を抜けた辺りで少し休まないか」
と、山本が言いだした。
「どうした。また足でも痛むのか。山本」
耕平が、心配そうに振り向いた。
「いや、そうじゃないんだけど、少し足が吊ったみたいなんだ」
「わかった、ここを出たらちょっと休むぞ」
取り急ぎ周りの小枝類をなぎ払いながら、耕平は森の出口まで出てくると、休憩をとるために腰を下ろした。山本も腰を下ろすと、ジーンズの裾を捲りスニーカーを脱いで足首を揉み始めた。
それを見ていたカイラは山本の傍に寄ると、黙ってひざまずくと手を払いのけるようにして、山本の足首をやさしく揉み解し始めた。
「あ、ありがとう、カイラ」
山本が礼を言うと、カイラはにっこりと微笑んだ。その微笑みも先日ウイラが見せた、あの純朴で可憐な微笑みに、勝るとも劣らないものを感じ取っていた。カイラの笑顔を見ていると、この時代に来たばかりの時に抱ていた、不安など朝風が霧を吹き散らすように、きれいに消え去って行くことに気づいた。
しばらく休んで、山本が持ってきた乾パンや、缶詰などで腹ごしらえを済ませた後、耕平が木陰から川辺の様子を除くと、やはり昨日と同じくらいの動物たちが、水を飲んでいるのが見えた。ウイラが耕平の袖を引っ張るようにして、右の方向を指さして何ごとかを告げた。彼女が指した方向を見ると、一頭のカモシカが水辺近くで草を食んでいた。
「よし、あれを狙おう。カモシカはおとなしい性質だから、イノシシみたいに傷を負っても、やたらと暴れたりしないから安心だ。どうする、山本。また、オレが最初に打つから、お前が槍でトドメを刺すか…」
「よし、やろう」
山本は槍を右手に持つと、膝歩きで五・六歩前進して身構えた。耕平は弓に矢をつがえて大きく引き絞り、カモシカに狙いを定めた。山本もさらに二・三歩前に進むと、静かに立ち上がって石槍を構えた。
耕平が矢を放ち、山本も間髪を入れずに石槍を投げた。耕平の矢も山本の石槍も見事なまでに獲物を捕らえ、カモシカは甲高い叫び声をあげるとその場に倒れた。
「殺ったぁ。殺ったぞー」
山本徹は叫ぶが早いか、一目散にカモシカのところへ駆け寄って行った。後から耕平とカイラ・ウイラ姉妹もやって来た。山本の投げた石槍は、カモシカの首に深々と突き刺っていた。それだけで、カモシカは絶命したものと思われた。
「見事だな、山本。何がまぐれなもんか。これはお前の実力なんだから、もっと自信を持ってもいいぞ。山本」
ウイラとカイラは手を取り合って喜んでいる。
「それじゃ、また、ここで内臓を出して、少しでも軽くして持ち帰ったほうがいいな。
コイツは、この前捕まえた野ブタよりも重いからな。山本はウイラたちと協力して処理しといてくれ。オレは向こうで蔦やなんかを用意してくるから」
耕平が立ち去った後、三人はカモシカの解体を開始した。カイラは山本にサバイバルナイㇷを、貸せという仕草を示した。いつも自分が使っている石のナイフよりも、山本の持っているサバイバルナイフのほうが、はるかに切れることをカイラは知っていたのだ。山本が手渡してやると、カイラは実に器用な手つきで、カモシカの開体作業を開始した。
この時代の女たちは、男たちが野山で狩ってきた、獣の解体処理作業に長けているのか、見事な手さばきで内臓を取り出し、次々と川に投げ入れて行って、あっという間に作業を終了すると、カイラは川でナイフに付いた血のりを落とすと、
「アリガトー」
と、言って山本に返して寄こした。
「うまいもんだね」
山本は頭を撫でてやると、カイラは嬉しそうに微笑みを浮かべた。そこへ蔦のツルや中太の丸太を担いだで耕平が戻ってきた。
「何だ。もう終わったか。ずいぶん早いな」
「いやぁ、驚いたよ、耕平。この時代の女って、みんなこんなに逞しいのか…」
「ああ、そうらしいな。それが過酷な自然の中で、生きて行く生活の知恵というか、もっと遥かな昔から長い間かけて培われてきた、人間の本能みたいなものなんじゃないのか」
「そうかぁ…。これじゃ、とてもじゃないけど、オレたちのいた二十一世紀の女どもには、どんなことをしたって、太刀打ちなんか出来ないな。こりゃあ」
「よし、それじゃ、きょうも日の暮れないうちに帰るとするか。みんなで手分けしてカモシカの足を縛ってくれ」
カモシカを通した丸太の前のほうを、耕平が担ぎ後方を山本が担いだ。さらに耕平の後ろにウイラがついて、山本の前にはカイラがついて担いだ。こうして、カモシカを担いだ一行四人は、意気揚々と邑へ帰って行った。
それからの山本は、縄文時代にやって来てから耕平と組んで、よほど天候が悪くない限り、毎日狩りに出て獲物を捕らえてきたのだから、邑人たちの食生活もそれなりに潤って行き、ふたりの周りでは縄文時代の時間が、ゆっくりとした速さで流れ去って行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます