第一章 山本が未来の自分から聞いた話
一
ふたりはホテルに部屋をキープすると、窓際のテーブルに向かい合って腰を下ろした。
「さて、さっそくなんだけど、その入り組んだ話ってのはどんなこと…」
待ち切れないとばかりに、山本は未来からやって来た自分に質問を始めた。
「うん。この話は非常に難しい話なんだ…。なぜ、耕平がこの時代に来ないで、二十八年も経った私ところに来たかわかるかね…」
「いや…」
と、山本はひと言だけ言うと、次の言葉を待った。
「耕平は、自分が向こうに行った時期の、もっとも近い時点に帰ろうとしたらしいんだ。だが、耕平は自分が向こうで体験した話を私に…、いや、きみに話すのが怖くなって結局のところ、二十八年も経った私の年代を選んだらしい」
「え、なんでだ…。何故なんだ。どうしてもっと早い時期に、帰って来なかったんだろう…。それになんでオレに話すのが怖かったんだ…」
「それはだね。アイツが体験して来た話をきみに…、若い頃の私に云ったら怒り狂って、ぶっ飛ばされるんじゃないかと思ったらしい。それで、考えた挙句に私のところにやって来たというわけさ」
それでも山本は解せないらしく、
「向こうで何かとんでもないことでも、やらかしたとでも云うのかい。耕平の野郎…。
もっと手短に云ってくれよ。オレが気が短いの知ってんだろう。アンタは、未来のオレなんだから…」
「いや、悪かった。その通りだな。これで、きみも少しは予備知識ができたと思うから、率直云うと、耕平が着いたのは一九九〇年ではなく、一年前の一九八九年だったって云うんだよ。そこで、耕平にはその気がなかったらしいんだけど、偶然に娘時代の母親にぶつかりそうになって、避けきれずに自転車ごと転倒して肘を擦りむいたらしい。
責任を感じたおふくろさんは、耕平を家に連れて行って傷の手当てをしてくれたそうだ。そうこうしているうちに、中学生の頃に亡くなった耕平の祖父さんが帰ってきて、いろいろ話しをしているうちに、自分は坂本耕助といって失業中を利用して、日本中旅して回っているのだと、偽名と勝手にでっち上げた作り話をしているうちに、ひと晩泊めてもらうことなったんだそうだ。夕食の時に、祖父さんとおふくろさんを交えて、ビールを飲みながら祖父さんの会社の話になったそうだ。祖父さんの会社では、雑役係のアルバイトを募集していたんだが、その頃は、ちょうどバブル景気の真っただ中で、アルバイトみたいな安い賃金で、働くヤツなんて誰もいなくて困っていて、もし急ぐ旅でないのなら少しの間でもいいから、手伝ってくれないかと頼まれたらしい」
そこまで一気に話すと、未来の山本はタバコを取り出して火をつけた。
「で、それからどうしたんだい。耕平は…」
「ん、ぜひにと頼まれた耕平は、次の日から祖父さんの会社に通うようになったんだそうだ。ところが聞くところによると、おふくろさんは未だに付き合っている人も、いないということだった。こうなると、一体誰が自分の父親になる人は、どんな男なんだろうと相手が現れるのを待っていたんだが、一向に現れる気配もないというんだ。
そのうち祖父さんが、出張で北海道に出かけた日の夕方、耕平が会社を出てくると外で、おふくろの亜紀子さんが待っていて、飲みに行こうと誘われたんで、『ぼくはまだここに来たばかりで知ってる店もないし、また今度にしませんか』って、断ったら、あたしが奢るから行こうって強引に誘われて、耕平も仕方なくついて行ったそうだ」
「ふーん…、アイツらしいな……」
「それから、亜紀子さんの友だちも呼んで、大いに盛り上がていたそうなんだが、そのうち亜紀子さんの呂律が回らなくなって、そのままカウンターに頭を乗せて、眠ってしまったんで耕平は、店のマスターにタクシーを呼んでもらって、帰ってきたって云うんだよ」
「なんだか、喉が渇いてこないかい。電話をしたら何か持ってきてくれるんじゃないかな。ビールでも呑もうか」
山本が云うと、未来の山本もニンマリと笑いながら、
「お、いいね。自分同士で呑むなんてことは、普通なら絶対にあり得ないことだから、ぜひ飲もう」
いうよりも早く、立ち上がるとフロントに電話をかけに行った。未来の山本が電話をしているのを聞きながら、二〇二〇年の山本徹は何だかわからない、不思議な感覚に捕らわれていた。それは、こんなにあり得ないことばかりやっていると、その反動でいつか良くないことが起こるのではないかという、半ば恐怖感のようなものを感じていた。
「すぐ持ってくるそうだ」
電話をかけ終わった未来の山本が戻ってきた。
「ところで、ここからが核心部分だから、よく聞いてくれよ。
酔いつぶれた亜紀子さんを連れて帰った耕平は、家に着いた頃は亜紀子さんもいくらか酔いが醒めていて、家に入ったとたんにもう一回酒を飲もうと、騒ぎ立てたって云うんだよ。それで、耕平も一杯だけなら付き合うという約束で呑み始めたんだが、やっぱり亜紀子さんはすぐに酔いが回って、テーブルの上にうつ伏せになって眠りそうだったんで、亜紀子さんの部屋まで連れてってベッドに座らせて、後でくるからと云って戻ってきたんだが、耕平も少し酔ってはいたが台所の後片付けをしてから、亜紀子さんの部屋に行って見ると、パジャマには着替えていたものの、寝てないでベッドの上に座っていたんで、寝かせようとしたら耕平の腕を掴んで、もの凄い力で引っ張られたたもんで、耕平のヤツは酔いのせいもあって、亜紀子さんの上に倒れ込んでしまったそうだ」
「………」
「それでも、耕平は必死に亜紀子さんを離そうともがいたんだが、力いっぱい抱き着いて来るんで、どうしても離せなかったんだとさ。そしたら、亜紀子さんに『どうしても抱いてくれないのなら、あたし死んじゃうから…』と、云われて、耕平は昔私から聞いた、親殺しのパラドックスを思い出して一瞬頭の中が真っ白になって、後のほうはあまり覚えてないって云ってたなぁ…」
そこまで話した時、ホテルのボーイがビールとつまみ類を乗せたワゴンを運んできた。
「はい、ご苦労さん。じゃあ、あとは呑みなからでも話そうか」
「それでは、さっそく頂きますか」
山本がグラスを取って未来の山本に注いでやると、
「それでは、普通ならあるはずのない、ふたりの出逢いに乾杯しよう。カンパーイ」
未来からやって来た、年上の山本はグラスを高々と上げた。
「カンパーイ」
現在の若い山本もつられてグラスを上げる。
ふたりとも一気にビールを飲み干すと、
「いやぁ、実にうまい。それにしても、お前さんくらいの年の頃だったら、カミさんもまだ細っそりとしているんだろうな。いまじゃ、もう昔の面影も見られないほど、ブヨブヨなんだからなぁ、いまのうちに節制するとか、注意するようにとか何とか、手を打っておいたほうが、いいんじゃないのかな」
「へえー、そうなのか…。でも、それって過去に干渉することに、なるんじゃないのかなぁ」
「でも、そんな些細なことは、大して気にすることでもないさ。それより、きみが将来幻滅するんじゃないかと思っただけさ」
そんな他愛もない話に花を咲かせなから、しばらくビールを呑んでいたふたりだったが、若い山本が急に思い出したように口を切った。
「ところで、何だぁ…。耕平のヤツは何で、いまの時代に戻って来ないで、二十八年も経ったアンタの時代に行ったんだい。そこんところが、いまいちオレにはわかんなんだよなぁ…」
「それはだね。そんなことがあってから、一ヶ月くらい経った頃に亜紀子さんから、少し話があるからって云われて、一緒に公園に行ったそうなんだよ」
「……」
「その話がどんな内容だったのか、わかるかい。きみは…」
「いや…」
「そうだろう。私にもわからなかったよ。実はね。この時、亜紀子さんはすでに妊娠していたらしいんだ」
「え、妊娠…って、誰の……、まさか…」
山本は驚いたように腰を浮かした。
「そう、そのまさかなのさ。亜紀子さんは、その時、すでに耕平の子供を宿していたんだよ」
「こ、耕平の子供…、おふくろさんが…、そんな………」
若い山本は、驚きのあまり絶句してしまった。ふたりの間のしばらく沈黙が流れたが、年老いた山本のほうがまた話を続けた。
「最初は私も耳を疑ったほうなんだよ。アイツが…,耕平自身が、自分の父親の存在を調べに行って、自分の父親が自分であることを知らされたんだ。それを思うと、何という馬鹿なことをやってしまったのか、不思議でしようがないんだよ。しかも実の母親とだよ…。これは、まさしくミイラ取りに行ったヤツが、反対にミイラになってしまったと云うしか云いようがないな…」
山本はひと言も喋らないで、年老いた山本の声に耳を傾けている。
「それで耕平は、このままここにいたら、大変なことになると思ったらしく、一九八九年から去る決心をしたらしい。そこで、これから生まれてくる子供の養育費と、亜紀子さんが当分の間暮らして行けるくらいの金を遺して行きたいと、当時こっちから持って行った、新聞の縮刷版のコピーを、引っ張り出して調べていたら、あったらしいんだよ。それが…」
「いったい、何がだい…」
思わず聞き返して、山本はゴクリと生唾を飲み込んだ。
「うん、それはだね。競馬の第十四回エリザベス女王杯のレース結果のコピーで、配当オッズが何んと四三〇・六倍だから、例えば二十万買ったとすると配当金は、一億二千九百十八万になる計算だ。そこで耕平は、私が貸してやった金の残りをポケットに突っ込んで、十一月十二日の競馬場に行って、まんまと二億数千万の金を、せしめたというわけなんだが、きみならどう思う、この耕平の行動を…」
「どう思うって云われてもなぁ…、そんなこと考えてみたこともないし…」
「いや、確かにその通りだよ。アイツも多分、亜紀子さんと生まれてくる自分のために、金を得ようと必死だったんだろうが、私が思うに競馬なんてものは調教データと、自分のカンとかを頼りに、さんざん迷った挙句に儲かれば、嬉しいからやっているんだし、それが一番の競馬の醍醐味だと思うんだよ」
未来からやって来た山本は得意げに自分が、これまでに経験してきた競馬談議に花を咲かせていた。
二
「オレもそう思うよ。しかし、アンタの個人的な意見はこっちに置いといて、それからどうしたんだい。耕平のヤツは」
話が横道にそれてばかりいる、未来の自分に業を煮やしたのか、山本はいったん釘を刺してから話の先を急がせた。
「ん、だから、いままで話したすべてのことを、この年代のきみに…、つまり私に話したら本当に殴られるんじゃないかと、私のところに来たって云ってた。あ、そうそう、忘れないうちに、これを渡しておこう…」
そう言って、未来の山本はカバンの中から、分厚く膨れた封筒を出して山本の前に置いた。
「二百五十万入っている。前に借りた金と、その利子分だと云ってた」
「ええ、そんなに…、でも、オレが貸したのはたかだか二十万くらいのもんだぜ…。こんなにいらないよ」
「私も同じことを云ったんだが、どうしても取ってくれって置いて行った」
「でも、これはアンタに寄こしたんだろう。いまのオレが貰ってもいいのかな…。それに、いくらアンタの年代と云ったって、二百五十万といえば結構な大金だろう。それをオレが貰ってもいいのかい」
「いや、いいのさ。耕平が置いてったのは五百万だから、これはその半分だ」
「へー、そうなんだ……。それじゃ、遠慮しないで貰っとくけど、耕平はどうしたの。その後……」
「それが、誰も知らない世界に行ってひとりで暮らすとか云ってたし、おふくろさんに逢ってけって云ったんだけど、それは出来ないとかなんとか云うから、私も少々頭に来てそのまま別れてしまったから、その後のことはわからない…。それから家に帰って、しばらくして見知らぬ人が訪ねてきて、この手紙とタイムマシンとを届けてくれたんだ。さて、私は仕事が残ているんで、そろそろ戻らけれはいけない。私が戻ったらすぐマシンを送ってよこすから、あとのことはきみの判断に任せるから、よろしく頼むよ。私もそうは若くないんでね。そんなに無理も出来ないんでね。後はきみの判断でどうするか決めてくれ。それじゃ、行って見るから…」
未来の山本は時計の調整を終えると、立ち上がってスタートボタンを押した。シューンというかすかな音とともに、山本の目の前から未来の山本の姿は、かき消すように見えなくなっていた。
残された山本は、未来からやって来た自分が置いて行った、小さく折り畳まれた紙切れを開いてみた。そこには、次のようなことが書かれていた。
この時計を拾われた方へ
申し訳ありません。
この時計を拾われた方は、誠に申し訳ありませんが、
宮上町二一八 山本徹宅か、最寄りの警察まで届けてください。
この時計は、とても大切なものですので、何卒よろしくお願いい
たします。
親愛なる山本徹へ
B⑦=Manu 画面⇒壁⇔空間=照射 ハイフン⇒BC
わかってくれ。頼むぞ
耕平
『ははーん。耕平のヤツ、いくら自分がミステリー好きだからって暗号はないだろうが…。
それにしても、何だぁ、この、B⑦=Manu 画面⇒壁⇔空間=照射 ハイフン⇒BCって、オレは名探偵ポアロや金田一耕助じゃないんだぞ…。
うーん…、B⑦=Manu 文字版⇒壁⇔空間⇒照射 ハイフン⇒BCってのは、何のことだ…』
そんなことを考えなから、山本は時計を手に取ってみた。
『B⑦…、B⑦……、B、時計だから、B…、ボタン…。そうか、わかったぞ。ボタンだ。つまり、七番目のボタンだ。七場目のボタンがどうした。それから、何なに…、画面⇒壁⇔空間⇒照射 もしかすると、七番目のボタンを押して壁に向かって映し出せってことか…、Manu…、そうかマニュアルか、わかって来たぞ。次は、何なに…、ハイフン⇒BC、これは何だぁ…。まったくわからんぞ…。うーん……』
ここまで考えて、山本は頭を抱え込んでしまった。いくら考えてもBCの意味がわからず、タバコを咥えて火をつけようとした時だった。テーブルの一角が揺らいで、タイムマシンの時計が姿を現した。見ると時計のベルトに細く折られた紙片が結ばれていた。
山本は、急いで時計から紙切れを取り外すと、それを開いてみた。紛れもなく自分の筆跡だった。そこには、二、三行の文字が記されていた。
先ほどは言い忘れたことがあるので、したためました。
多分ではありますが、BCと言うのは紀元前のことかと
思われます。よろしく。 山本
『紀元前だって……、それじゃ、耕平のヤツ、いま紀元前にいるって云うのかい?』
山本は驚きの色を隠せなかった。
『紀元前って云ったて、一体いつ頃の年代に行ったんだ。アイツ。どうせ耕平のことだから何万年も前には行かないだろう。せいぜい行ったとしても、紀元前一世紀くらいのものだろう。あれ、紀元前一世年って、日本ではいつ頃の年代なんだろう。オレって日本史、特に古代史は苦手だったからなぁ。誰か詳しいヤツいなかったかな……。ん…、あ、そうだ、思い出した。河野先輩が確か日本史に強かったよな…。近所だし、聞いてみるか』
山本は、さっそくホテルを引き払って自宅に帰り、思い立ったが吉日とばかり河野のところへ電話をかけた。
「もしもし。あ、先輩ですか。オレですけど、日本の古代史について聞きたいことがあるんですけど、これから、ちょっと伺ってもいいですか」
「あ、山本くんか。いや、来なくてもいいよ。ちょうど出かける用事があるから、あんまり長居は出来ないけど、こっちから行ってやるから、ちょっと待っててくれ」
電話が切れてから、ものの五分も経たないうちに河野はやって来た。
「ところで何だい。きみの知りたい日本の古代史っていうのは…」
「はあ、実は日本の紀元前一年前って、どんな時代だったのかなと思ったもので…、あ、すみません。それより、急に呼び出しちゃったりして、先輩忙しかったんじゃなかったんですか…」
「いや、いいんた。かえって家を抜け出す口実ができて、こっちとしては礼を云いたいくらいさ。どうも、うちの子供たちときたら三人とも男の子だろう。しょっちゅう喧嘩ばかりしてるから、毎日ギャアギャア騒いでうるさくてしようがないんだよ。いや、ホントに助かったよ」
「いや、本当にすみません」
迷惑がっているんじゃないかと思っていた山本は、河野が意外にホッとしているのをみて少しは安心した。
「ところで、いまきみが云っていた、日本の紀元前一年頃というのはだね。続縄文時代と呼ばれている年代なんだ」
河野は真面目な表情になって話し出していた。
「その続縄文時代って、普通に云われている縄文時代と、どう違うんでしたっけ、昔教わったような気もするんだけど、オレどうも日本史の中でも古代史の部分は、あまり得意じゃないって云うか苦手だったもんで…、その続縄文時代っていうのは、どんな時代だったんですか。先輩」
「年代でいうとだな。つまり、ん……、縄文時代から弥生時代へと移行してゆく、中間点というような年代と考えられているんだ。いまでこそ、縄文時代なんて云ってるけど、そんな縄文時代も歴史的には、一万六千年にも及んでいるんだよ。もともとは東南アジアなどの、異民族が北方から樺太を経由して、まだ北海道が蝦夷地と呼ばれる遥か以前に、渡来してきたのが始まりで、徐々に本州のほうにも移り住むようになって、そこに住んでいた原住民族とも交わって行った。それが、いまの日本人のルーツとも云われているんだよ。同じように海を渡って九州にやって来た者たちもいるのさ。ほら、きみも知ってるだろう。この街でも二十数年前に、発見された縄文遺跡のことを。あれは縄文晩期の二千から三千年前のものだって話だぜ。
これは余談になるんだが、最近のDNA判定でわかったことなんだけどね。日本人は中国民族や朝鮮民族とは、まったく違うY染色体を持っているっていうんだ。だから、日本人は大陸系の民族とは、全然違った独自の進化形態を辿って来たんじゃないかと、云っている人類学者もいるくらいなんだ。ところで、何でそんなことを知りたかったんだい。山本くんは…」
「いや、たいしたことじゃないんです。ただ、いま書こうとしている小説の、テーマにしてみようかと思って…」
山本は、とっさに思いついた作り話が口に出た。
「ほう、また、きみ得意のSF小設かなんかかい」
「まあ、そんなところです…」
「それならネットで調べればいいぜ。いまはネットが発達してるから調べる気になりゃ、何だって調べられるんだからな。ホントに便利な世の中になったもんだよ。こんなものでいいか。これから行かなくちゃいけないところがあるんでな」
そういうと、河野は立ち上がりながら、
「いや、ホントに調べる気があるんだったら、本気で調べてみるんだな。縄文時代は奥が深いぞ。何しろ一万年以上も続いたんだからな。それじゃ、ぼくはそろそろ行って見るから、またな」
「いやぁ、先輩、お蔭さまで、たいへん勉強になりました。きょうは本当にありがとうございました」
山本は礼を言って河野と別れた。
三
河野が帰ると、山本はさっそくパソコンを立ち上げて調べ始めていた。
『確か先輩は、続縄文時代とか云ってたな。ええと、紀元前一年前、一年前と………』
日本史時代区分表というのを見つけた
『んーっと…、あった、これだ。続縄文時代っと、ふん、ふん。縄文時代は…、あれ、北海道は確かにそうだけど、東北のあたりはすで弥生時代になっているぞ。だって、紀元前一年だろう…。どうなっているんだ。これは…』
日本の古代史に疎い山本には、いくら調べてもそう簡単に判かるはずもなく、途中であっさり投げ出していた。
しかし、いつまでもこんなことばかりは、やってはいられないと思ったのか、何か最良の手立てはないものなのかと、一生懸命に思いを廻らせていた。
『このままじゃ、いつもの堂々巡りになってしまうぞ。どうしよう、どうすればいいんだ』
そんな思いに悩みあぐねていると、あることを思いついた。
『そうだ。吉備野博士に相談してみるか。それがいいや、そして、あの確かRTSSとか云ったな。あれで耕平の消息を調べてもらえば一発でわかるじゃないか。なんでオレはそんなことにも、気が付かなかっんだろう…」
そう思うと山本は虚仮(こけ)の一念で、あと先のことなど考えもせずに、吉備野博士への連絡用のボタンを押していた。
すると、すぐさま山本の傍らに吉備野が姿を現した。
「なにか、ご用ですかな。山本さん」
「すみません。急にお呼び出しをして、どうぞこちらに座ってください。博士」
吉備野が腰を下ろすのを待って、山本はさっそく口を開いた。
「実は、先生にお願いがありまして、来ていただいたわけですが…」
「ほう、どのようなことですかな。その願いとは」
「また、先生のところへ連れて行っていただいて、あのRTSSという機械で耕平が、いまどこで何をしているのか、調べてほしくて来ていただいたのですが…、ぼくをもう一度博士のところへ、連れて行ってもらえないでしょうか。お願いします」
「そうですか。あなたは、そんなに佐々木さんことを心配しているのですね。わかりました。彼は本当に素晴らしい友人を持たれましたね。よろしい、それでは参りましょうか」
博士はポケットからコントローラーを取り出して、何やら操作をし始めた。するとふたりの姿は山本の書斎から瞬くうちに見えなくなっていた。
瞬きをするかしないうちに、山本と吉備野の姿は目映いばかりに光輝くような、吉備野研究所の中にあった。
そこでは、この前来た時と同じように複数の助手たちが、テキパキとした動きで働いているのが眼に入ってきた。
「それでは、山本さん。こちらのほうに来てください」
吉備野はマザーマシーンの近くまで行くと、山本に椅子を勧め自分も腰を下ろした。
「吉備野博士。実はですね。ぼくのところに二十八年後の自分が、耕平が送って来たという、このマシンを使ってぼくのところに来たんですよ……」
山本は腕を捲って時計を見せながら、未来の自分から聞いた話の一部始終を語り終えた。
「それで、博士もご存じかと思われるんですが、このマシンは紀元一年以前に合わせると、すべてハイフンマークになるんです。ですから、耕平の性格から見てもそんなに遠い過去には行ってないと思うんです。おそらく、耕平は一番最初の紀元前一年くらいの辺りに行ったんじゃないかと、ぼくは睨んでいるんですが…」
「わかりました。しかし、あなたも佐々木さん同様に、なかなか聡明な方ですね。そこまで推測されるとは、感心いたしました」
「あ、それから、これは先輩から聞いた話なんですが、紀元前一年というは続縄文時代と、呼ばれている年代だそうなんですが、ぜひ、その辺の周辺を調べてみて頂けませんか」
「わかりました。それではやってみましょう」
吉備野が機器類を調整すると、巨大スクリーンにはよく晴れた空をバックに、森林やうっそうとした草原の風景が三次元立体映像で映し出した。山本は初めて見る映像にしばらく目を奪われていたが、気を取り直したように吉備野に尋ねた。
「確か、この近くに平成九年頃に発見された縄文時代の遺跡があったと思うんですが、そこを映し出せますか。博士」
「縄文時代の人々は、魚や貝などを得るため川沿いに、集落を作っていたと思われますから、川沿いに沿って捜してみましょう」
画面に細長く流れる河が映し出される。映像は河に沿って西へと遡って行く。人影らしいものは何も見当たらない。画面はゆっくりと西へ移動する。川は北寄りに大きく湾曲している。
『これが、あの河かぁ……』
そこに映し出された河は、山本がいつも見慣れている一級河川ではなかった。河端もさほど広くはなく歩いても渡れるかと思われる広さなのだ。映像はさらに川上へと移動して行き、遥か遠くのほうの岸辺近くで何か動いているものを捉えた。それが近づくにつれて河原と浅瀬で戯れている人間であることが判明した。
「あ、人間だ…。縄文人だ!」
山本は、思わず叫び声をあげて立ち上がっていた。吉備野が映像をアップすると、粗末な着衣をつけた子供と若い女たちだった。女たちが捕まえた魚を子供たちが、それを河原に運んでいる様子が、肉眼でも見て取れるようになっていた。その中に耕平らしい人影は写ってないかと、目を凝らしていた山本だったが、それらしい姿はどうしても見つけることが出来なかった。
ここで一旦スクリーンは止まった。
「いまお見せしたものは、縄文の最晩期と思われる年代の映像と推測されます。どうですか、ご納得いただけましたか」
RTSSの操作を終えると吉備野は語りかけてきたが、山本はしばらく黙りこくってたが、このままではどうすることも出来ないと思ったか、
「驚きました…。でも、あんなにも地形って違っちゃうもんですか。それで、耕平の居そうな場所って判るもんでしょうか」
吉備野は少し考えた後、
「それは佐々木さんがRTМS、つまりタイムマシンを所持していれば、検索も割とスムースに行えるのですが、現在はあなたが持っておられる。ですから、いまの時点では非常に困難な状態にあります。実に残念ではありますが…」
「そうですか…」
それだけ言うと、山本はガックリと腰を下ろした。
「ところで博士、その…、このRTМSですか、これをもうひとつ分けて頂くことって、できないでしょうか」
「ほう、それは何故ですか?」
「縄文時代に行って、耕平を探し出して帰ってくるように、説得してみようと考えましてね。その時に渡したいと思ったものですから…。不可能なら諦めますが…」
吉備野は腕組みをして何かを考えるような仕草をしてから、
「よろしいでしょう。それでは、これを渡して頂きましょうか。そのほうがこちらといたしましても、佐々木さんの所在が把握できますので、都合がよろしいでのです」
吉備野はポケットから、真新しいRTМSを取り出すと山本に手渡した。
「ありがとうございます。これから帰って、準備をしたいと思いますので、これで失礼します」
「あ、それから山本さん。向こうで何か困ったことがありましたら、連絡ください。いつでも飛んでいきますので」
「はあ、いろいろありがとうございました。それでは、これで行ってみたいと思います」
山本は吉備野に別れを告げて立ちあがった。
「こちらに来てください」
吉備野は助手のひとりに命じて山本を二〇二〇年へと送り出した。
四
現代に戻った山本は、いろいろと思いを巡らせていた。
『すべてが終わったら、また元の時間に帰って来ればいいんだから、会社や女房のほうは問題はないな。あとは持って行く物だなぁ…、何を持って行けばいいんだろう……。そうだ。食い物か、当座の食料品だ。しかし、どれだけの時間がかかるかわからないから、日持ちのする物がいいな…。ん…、保存食か、何があるんだ。保存食って…、缶詰・カンパン・ソーセージ・羊羹・ハム、あと何がある……』
ネットを立ち上げて調べ出した山本は、必要なものを紙に書き出して行った。
『へえー、こんなものまであるのかぁ…』
持って行く物リスト
缶詰(肉、牛・くじら・馬・焼き鳥等 魚、さんま・いわし・さば・まぐろ・さけ
貝類等 果物、桃・リンゴ・梨・パイン・みかん等)保存食、カップ麺・乾パン・
ソーセージ・ハム・雑炊・かゆ等 菓子類、ビスケット・クラッカー・チョコレー
ト・ガム・飴・ドロップ類。それに米と。・炊事用品、チャッカマン、その他
「こんなところかな。それから、忘れちゃならないのが、酒とたばこと…。あ、飯を炊いたり湯を沸かしたりするのに飯盒も必要か。まあ、飯盒ならキャンプの時に使ったのがあるから、あれを持って行けばいいか…」
書き出したメモを見ながら山本はひと息入れた。
『よし、これからスーパーとか回って、実際に見てみないとわからないか….よし、そうしよう』
山本は、まずスポーツ用品店に行くと、一番大きめのリュックを買い込んだ。
あとはメモに書き出した食料品その他必要なものを買って、リュックに詰め込んだ。
リュックを背負ってみるとずっしりと重かった。
「こりゃあ、自転車を持って行ったほうがいいな。出発は明日の朝にしよう。
そんなことを考えながら家に帰ってきた。書斎に入ってもう一度点検と確認していると、
『何か、まだ足りないものがあるような気がするんだけど、思い出せないなぁ…、何だろう…。気のせいかなぁ……』
もう一度ネットを立ち上げて、サバイバルに関する項目を調べ始めると、
『そうか、サバイバルナイフか、こいつは絶対必要だな、それから塩と醤油か。なるほど、なるほど。これは忘れてたな。うん。シュラフはあるからいいと…。あと、鍋か…。かさ張るなぁ。小さなフライパンでもいいか、どうせひとりだし…。しかし、今日や明日ってわけには行かなくなって来たぞ。もう少し綿密に計画を立ててからでないと、ハチャメチャになる可能性があるからな。第一縄文時代なんてどんなところか、判ったもんじゃないからなぁ……』
こうして、山本徹は会社帰りにホームセンターなどを回って、自分で必要と思われる品々を買い集めて行った。
そんなこんなで一週間が過ぎ去り、どうにか旅立ちの準備が整った山本だったが、どうしてもひとつだけ気になることが残っていた。縄文時代について山本が知っていることと言えば、ごく限られた知識に過ぎず無防備の現代人が突然行ったとしても、まったく危険性はないのだろうか。と、いう点であった。
他民族との争い事とか、戦争といったものがないのか心配になってきた。自分の身を守る必要があるのではないか。何かしら身を守るべき武器になるものが、必要なのではないかという、不安が沸き上がってくるのを抑えきれなかった。
まして、アメリカのような銃社会と違って、法治国家である日本では個人的に、銃を手に入れることなど不可能に近かった。狩猟に使う猟銃でさえ警察等に届け出をしなければ使用できないのだから、いまの山本に入手することなど、到底無理と言ってもよかった。
『そうだ。もう一度河野先輩に、その辺のところをもう少し詳しく聞いてみよう…』
山本はポケットからスマホを取り出すと、河野宅に電話を入れた。
『はい、河野でございますが』
「もしもし、あ、奥さんですか。山本ですが、先輩はいらっしゃいますか」
『あら、山本さんですか。お久しぶりです。少々お待ちください。いま呼んできますから』
少し間をおいて、河野が電話口に出てきた。
『おお、山本くんか。何だい』
「あ、先輩、お忙しいところすみません。実は縄文時代について、もう少し聞きたいことがありまして電話したんですが、いま大丈夫ですか…」
『ああ、大丈夫だよ。何だい』
「この間は、ちょっと聞きそびれたことがありまして、えーと、あの縄文時代の人って争い事とか戦争ってのはなかったんですかね」
『うーん、きみも知ってると思うが日本列島は太古の昔、大陸と陸続きだったんだ。その頃はまだ氷河期が続いていて、それがいまから一万年くらい前になると、やっと間氷期に入り穏やかな温暖期になったんだ。それに伴って極地の氷が溶けだして水位が百二〇メートルも上昇して、大体いまの日本列島が形成されたと云うわけだ。それ以前に北方や南方から陸伝いに獲物を追って渡ってきた人類の祖先たちが、もともとそこに住んでいた元日本民族と交わったのが、縄文人の始まりと云われているんだよ』
河野の熱心な説明に山本は黙って聞き入っていた。
『そこできみの質問なんだが、争いとか戦争って云ってたね。確かに、ちいさな小競り合いはあったかも知れないが、こと戦争となるとそれらしいものを物語っている遺跡は、どこからも発見されていないんだよ。だから、ぼくが思うに縄文人って云うのは、とても温厚で穏やかな、民族だったじゃないかという気がするんだよ』
「そうですか。いや、とても参考なりました。どうもありがとうございます。じゃあ、現代人が例えばタイムスリップして縄文時代に行ったとしても、別に武器なんかはなくても大丈夫ってことですかね。先輩」
『まあ、そういうことになるだろうね。何だい。山本くん、きみのSF小説のネタ作りかい。そんな話を書くつもりでいるのかい。きみは。まあ、頑張って書いてくれ。それじゃ、いいかい。これくらいで』
「はい、助かりました。どうもすみません。ありがとうございました。失礼します」
山本は電話を切った。武器は心配ないと聞かされたが、もし、イノシシや熊にでも襲われたら、どうしょうかとも思った。かと言って、武器らしい武器も持ってないし、動物は火を恐れるから、松明でもあればいいのかとも考えた。
『松明…、松明って、どうやったら作れるんだぁ…』
松明という名前は知っていても、何を原料にして出来ているのか、時々時代劇に出てくるのを見て知っているだけで、実際にはどうやって作ったらいいのか、現代人の山本にはその製造法などわかるはずもなかった。そこで、また山本はネットで調べ始めた。
『原材料としては松の根っこか枝か…、こんなもの簡単には手に入らないし、何か他に代用になるものはと…、竹・綿・ポロ布・針金か…、よし、これなら簡単に手に入るぞ』
山本はさっそく物置に行くと、松明の材料探しを始めた。苦労した甲斐もあって、それらしい材料もどうにか見つかって、そのまま松明づくりに取り掛かった。結果的に二時間ほどかけて、三本ばかりの松明らしいものを作り上げること出きた。
『よし、出来たぞ。あとは灯油を染み込ませれば完成だ。最初っから灯油を染み込ませるのは危険だな…。灯油はペットボトルにでも詰めて持って行くか。よし、そうしよう』
こうして、旅立ちの準備がすべて終わった。しかし、ここで山本はある戸惑いを感じていた。それは、河野のところと違って結婚してから四年も経っているのに、山本には未だに子供がいなかった。そんな妻をたったひとりにして行くのが忍びなかったのだが、結局のところ、終わったらこの時間に戻って来ればいいんだから構わないか。という、自分に対する言い訳めいたことを考えながら、旅立つ決心をした山本であった。それでも何かしら気を咎めるものがあったのか、妻のところに行ってその姿を目に留めておこうと、しばらく眺めていると、妻も山本の視線に気が付いたのか、
「何よ、そんなに人のことをじろじろ見て、キモいわね。どうしたのよ」
妻に言われて山本は一瞬ドキッとしたが、
「いや、な、何でもないんだ。何でも…」
と、誤魔化すのが精いっぱいだった。
そして、いよいよ山本徹のタイムトラベル決行の時がやって来た。やはり行くなら、耕平の出かけて行った公園のあの場所から行こうと決めていた。
食料品などの詰まったずしりと重いリュックを背負うと、自転車に乗って公園に向かって走り出した。まだ見ぬ縄文時代とはどんな世界なのだろうという、一抹の不安はあったが耕平が行ったんだから、だぶん大丈夫だろうと自分に言い聞かせなからブランコのある場所まで辿りつくと、自転車を止めて周りを見渡した。辺りに人影がないのを確かめるとマシンの年代計を紀元〇〇〇〇年に合わせた。それからもうひとつ年代を繰り上げると、すべてがハイフンマークに変わった。山本は周りを見回してから、ゆっくりとスタートボタンを押した。
こうして、山本徹は二〇二〇年四月二十六日、まだ見ぬ紀元前一年の世界へと旅って行った。第三十二回オリンビック東京大会が、あと三か月後に迫りつつある時期であった。
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