第11話

知花にブラウスを。11


今日は週の始まりの月曜日。日曜日に結城さんと一緒にオカズを沢山作ったから、金曜日まではご飯の心配はない。誰かと料理をするのは楽しい。一人だと何故だか、美味しく作っても味気なく感じるから。

一瞬、笑顔で箸を持つ知花が浮かんだ。駄目だ。あの子は俺の手を離れたんだ。俺の一番は結城さん。彼女を大切にしたい。


淡々と仕事をこなし、17時に定時退社し、家のある最寄り駅まで電車に揺られる。

駅内のスーパーで刺身を買って、オクラと山芋のあえ物と共に海鮮丼にしよう。結城さんに写真を撮って送ろうかな。そうだ、国旗のランチョンマットを使おう。箸置きはラッコかな。


電車を降りて改札口を出ると、時計の掛けられている柱に知花が立っていた。一瞬でわかった。いつもおもっていたから。

知花は今までと違い、シンプルな色のシャツとパンツを着用している。俺の作った可愛らしい服は卒業したようだ。

オレンジ色のラインストーンが輝くカラフルなランドセル。対比するように沈んでいる知花は、1ヶ月前より酷く小さく見えた。俺を確認すると、再び下を向く。


「知花。」


側に向かい声を掛ける。が、ランドセルの肩ベルトをギュッと握り、唇をギュッとつぐんでしまう。言い辛いのだろう。結城さんの言葉が思い返される。寄り添うようにと。


「今日さ、海鮮丼食べたいんだ。刺身買いに行くんだけど、知花は先に家に行っているか?姉貴には連絡しておくから。」


ブンブンと首を振る知花。一緒に行くかと聞いても首を振る。どうしようかと思っていると、意を決したように俺を見上げてきた。


「ついてきて欲しいの。」


「何処に?」


知花は再び下を向いてしまった。この子が望む答えではなかったようで、しくじった。こういう場合は黙って着いていくのがベストなようだ。俺は慌てている内心を見透かされないように、落ち着いているように話す。


「あー。あまり遠い所でなければ大丈夫だ。知花も遅くなったらお父さんに心配されるだろ?……え、ええっと、とにかく、行こうか。」


更に余計な発言だったようで、知花は完全に沈黙してしまう。俺は黙って知花に着いて行こうと、率先して改札口をくぐった。


「……。」


知花は三鷹行きの電車に乗った。吊り革を掴む俺の目の前に座る知花は、何を考えているのだろう。何処で降りるのかなと過ぎゆく景色を見つつ、知花を視界の端に入れる。グッと握った拳は、決意があるようだ。あれから、元義理兄と何かあったのだろうか。

揺られる電車内は今の俺のようだ。自分の足で立っているのに覚束ない。


「次で降りるから。」


知花が席を立ち、人達で溢れる電車内を器用に歩き降りていく。俺も手に持つ鞄を持ち直し、その小さい背中を追いホームへ降り立つ。


「こっち。」


降りたことの無い駅なので、勝手がわからない。俺は知花の後に続き改札口を抜けて歩道を歩いていく。

初めて降り立つこの場所は、賑やかな商店街が長く続いている。古着ストリートと呼ばれていたなと記憶を掘り起こしつつ、小さな歩幅に合わせてやや後ろを歩く。


ふと、古着屋の一つに目が止まる。ショーウィンドウに飾られているウサギ模様の可愛らしいスカート。いつか知花にねだられて作ったインコ柄のスカートに形がそっくりだ。

この店全体が可愛いらしい服で取り揃えてあり、知花が好んで着ていた服に系統が一緒。きっと、知花の行きつけの店だったのだろう。


「……ああ、ごめん。」


知花が少し離れた所で俺を見ていた。今はあんなに遠くなっているのか。

沈みゆく夕日に知花の背を追うと、閑静な住宅街の一軒の家に付く。知花は慣れたようにインターフォンを鳴らした。


「先生、こんばんは。」


返事があり暫くすると、和服を着た年配の女性が出てきた。俺はこの人が誰かも聞いていない。先生と言うから、教師なのだろうか。


「こんばんは知花さん。貴方が紬さんね、初めまして。肇と申します。」


「初めまして。」


「先生、あとはお願いします。さようなら。」


「ええ。また今度ね。」


「…えっ?」


挨拶しただけで知花が帰ろうとする。俺はどうしたら良いかわからず、知花に話を聞ことしたら肇先生に呼び止められた。


「紬さん。どうぞお入り下さい。」


「えっ?あ、あの。俺は…。」


知花が駆け足で行ってしまった。どうしよう。この人が誰かも知らないのに、家に入って良いのだろうか。


「その。知花についてきて欲しいと言われただけでして。今がどういった状況かわからないのですが、姪から何か相談されたのですか?」


「あらっ!知花さんたら。……私はこの家で習字を教えているんです。知花さんは年長の頃から習っているんですよ。集中力があり、努力もあるので上達が早くて。これからも楽しみな子なんです。」


言われてみれば、肇先生からほのかに墨汁の香りが漂っている。優しい香りだ。

手には美しく皺が寄り、俺の心はざわつく。


知花は音楽を習っているとしか知らなかった。知らない知花の一面か。俺には教えたくなかったのかな。


「知花は肇先生に何を仰っていましたか?」


「私が知花さんからしか話を聞いていないので憶測ですが、紬さんに恋人ができたから嫉妬している様子でして。あの子は、まだ甘えたい年頃ですから。」


桐生と同じ事をこの人も言う。だからだろうか。この人を信じて良いと思ってしまう。だから、俺は鞄の持ち手をグッと握り直し、素直に話した。


「知花には俺ではなく、親との会話が必要だと思っているんです。とくに、母親と。同性でなければ話しづらい事もありますし。俺では駄目なんです。」


「そんな事はありませんよ。親は絶対ではありませんから。」


「それだと何も解決しません。知花は母親を求めています。」


「解決はしませんよ。それに、親としての義務を負わない人は大勢います。知花さんの母親もその一人。求められた所で変わりません。」


凛と立つ肇さんは、俺にはっきりと言った。姉は親と同じ道を行くのか。知花を同じ気持ちにさせても何も思わないのか。俺は、耐えられない。


「俺は、耐えられません。」


「耐えなくて良いと思いますよ。人の思いはそれぞれですから。

私も、お節介でして。……大人の一月と子供の一月の体感は違うんです。大人だとあっという間ですが、子供にはとても長い。知花さんが一月悩み、紬さんをこうして私に会わせに来た。

知花さんにとって私の家も貴方の家と同様に、逃げ場なんです。その大切な場所を教えたという事は、知花さんは紬さんに自分を深く知って欲しいと思ったからではないでしょうか?


知花さんは、紬さんに酷い発言をし傷つけたと反省していました。その言葉は、あの子の心にも深く傷をつけた。

もう今までの関係に戻れないと震えるあの子に、私は新たに関係を築くよう助言したのです。暫く悩んだあの子から、紬さんと話をして欲しいと頼まれまして。こうしてお会いした訳です。

あの子はまだ小学生ですから。自己解決できないのは当然。私に出来る範囲で支えてあげたい。


紬さん。これからも知花さんに会ってあげられませんか?お願いします。」


肇先生は、俺に深々と頭を下げた。その所作がとても優雅で、スッと伸びた指先に目を奪われる。歳を重ねた美しさだ。と、同時に藍さんを思い出す。

藍さんのように俺に優れた所は無いけれど。でも、知花とこれからも一緒に趣味を楽しみたい。できれば、結城さんも一緒に。


俺は鞄からメモ用紙とペンを取り出す。携帯の番号、そして一言。元義理兄に向けて言葉を書き肇先生に渡した。


「知花に、コレを渡して伝えていただけませんか?お父さんが許してくれるのなら、これからは一人で俺の所に遊びに行って良いかと。」


「はい。承りました。ありがとうございます。」


「こちらこそ、知花の為にありがとうございます。」


人の繋がりはこうして出来ていくんだな。俺は、笑顔で肇先生を見る。次はきっと、笑顔の知花と共にここに訪れるだろう。





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