第10話
知花にブラウスを。10
姉から怒りの連絡が来た。俺の所に知花が行きたくないと言うので、知花を預かれなくなったと。知花に謝罪し、機嫌をとれと。
「何故知花は行きたがらないか、理由を聞いたか?」
「どうでも良いわよ。紬が怒らせたんでしょ。
アイツが知花が嫌がったら面会は無しだって言ってるんだから、どうにかしてよ。」
「知花は、アンタの元旦那への嫌がらせをする道具じゃないんだ。一人の人間なんだぞ。
あの子の話を聞いてやれ。母親だろ。」
「はぁ?……アンタ、まさか女が出来たんじゃない?そうでしょ?」
「だから何だ?今までアンタから感謝の言葉も何一つ貰ってない。もう、無償のお守りはしない。2度とだ。」
「知花を見捨てるなんて酷いわ。その女に言われたの?そんな家族を蔑ろにする女なんて辞めなさいよ。知花が可哀想じゃ……」
姉が騒ぎ立て始めた。何て自分勝手な女なのだろう。電話口で喚く声をこれ以上聞きたくなく、通話を切った。
「先ずは親が子供の話を聞くべきだろ。俺では駄目なんだ。」
自分に言い聞かせるように、しっかりと言葉に出す。すると、言葉が全身に染み渡ってくる。ああ、俺は耐えていたんだ。
「これで、終わりだ。」
結城さんに連絡しよう。ポトフにトマトフォカッチャを作るから食べに来てと。デザートは、任せようかな。ああ。俺は今、やっと心の重りを下ろせた。
ーーー
結城さんと付き合い始めて一月。上手く関係を築いていけていると思う。互いの家に行き来し、他愛無い会話と裁縫を楽しむ。俺は、日々の幸せを噛み締めている。
「この国旗柄のランチョンマット可愛いな。」
今日は俺の家で過ごしている。2人で料理し、食事を楽しみ洗った皿の片付けを任せていると、結城さんが食器棚の奥にしまってある知花用のランチョンマットを指差した。もういらないだろう。結城さん用があるだけで充分だ。
「もう必要無いさ。そうだ、夏用のランチョンマット作らないか?生地を買いに行こうよ。」
シンクを洗いつつ結城さんの様子を伺えば、ランチョンマットを手に取り広げている。数ある国旗の中から、醤油が染み付いた日本国旗を指でなぞる様子が悲しそうだ。
「紬さんと知花ちゃんの思い出が染み込んでるんでしょ。」
「俺は結城さんと一緒に、これからも沢山の思い出を作りたい。」
「ありがとう。私もよ。」
ランチョンマットを片手に、結城さんが俺の側に来て髪を撫でてくる。その瞬間、知花の思い出が鮮明に蘇った。
『これ、私のランチョンマットなんだね。これ、私のお箸なんだね。』
一つ一つの国旗を嬉しそうにじっくりと見ていた、あの目。俺を慕ってくれている眼差し。俺はそれが見られただけで笑顔になったんだ。でも、もう過去だ。
俺は結城さんから布を引き取り、思い出と共にそっと棚に仕舞う。俺は結城さんの手を握り、今ここにいる存在を慈しむ。
目の前の幸せを少しでも取りこぼしたくない。全部俺の大切なものだ。
「私は貴方が好き。それは、背負い込んでいた頃の貴方もってこと。一人だと重すぎても、2人だと半分の重さになるわ。」
「何だよ、唐突に。」
「貴方をとったって自覚はあるの。私は狡い女なのよ。」
「俺は誰のものでも無かった。そんな事を思わないで欲しい。」
「ありがとう。そういう所が好き。ねえ、今度知花ちゃんが来たら、私はいいから話を聞いて側に居てあげて欲しいの。」
俺は驚き、結城さんと握っている手を離してしまった。知花が俺の所へ来ないのは、きっと親と上手くやれているからだと信じていたいから。そうでなくては、俺は心が耐えられない。
「知花には俺ではなく、親の愛が必要なんだ。俺では駄目なんだ。気持ちの押し付けの俺なんかでは。
俺はさ、家族愛ってよくわからないんだ。両親と姉がいて、金銭的でも不自由なく育った。優しい両親だと、周りからは理想の家族だって言われて。でも、両親はいつもそれぞれの恋人の所に行っていて。姉も中学生になったらあまり帰って来ず、静かな家だったよ。
料理は代行の人が作ってくれていて、温かい手料理の嬉しさはそこで知れたんだ。その人の真似をして、料理を覚えたんだ。いつか誰かと家で一緒に食べたくてさ。」
俺は気がついたら、自分の左の二の腕を右手でさすっていた。自信を落ち着かせるよう。結城さんは黙って俺の目を見てくれている。その眼差しは真剣で、全て受け入れてくれているようだ。年下の彼女に俺は今、羞恥を晒している。
「気分を悪くさせたらゴメン。でも、聞いて欲しい。
女性と付き合っても、思っていたのと違うってフラれていてさ。何が駄目なのかわからなくて友人に相談したんだ。そうしたら、何でもやってくれるお母さんだからだと言われたよ。
女性の家にお邪魔して手料理を食べさせてもらったのは、実は結城さんが初めてなんだ。料理や掃除をしないで帰る。人の家に泊まらせてもらうからと好意でしていた事も、相手からしたら不快だったみたいでさ。
姉の家では当たり前は、他の女性では非常識。考えてもなかった。
ゴメン。俺はこういうヤツなんだ。幻滅させて……」
それ以上は言葉が言えなかった。結城さんの唇で塞がれた。優しいシャンプーの花の香りが鼻を擽り、彼女と過ごした夜が蘇ってくる。ああ、俺も男だな。
「私は、地元から逃げてきたの。地元ではみんなが白ければ白って思考でね。個々の意見は言えない環境だった。
みんなで同じ色の髪の毛に染め、化粧も同じ。みんなで同じ店の似た服を着る。タイプでは無いけれど、友達の彼氏の友達だからって付き合って。いつ何処で何をしていたかも、互いに把握して。しなかったら、友達達からオカシイって説教されて。みんな同じである事が安心できる環境なんだろうけど、私は耐えられなくなってさ。
22歳になったら結婚する流れがあってね。私も結婚しようって言われたわ。でも、此処にいれば、死ぬまで全て監視し合う関係が続くんだなって思ったら怖くて。彼の手を振り払って逃げた。
友達達からの連絡が怖くて次の日に携帯を変えて、会社を退職したいって手続きをしたわ。フリーターでも良いやって、1週間で夜逃げみたいにこっちに引っ越してきてさ。家族には、彼と上手くいかなくてって嘘を言って。もう、4年帰っていないわ。
彼はその後直ぐに高校時代の後輩と付き合って、結婚して子供がいるわ。こういう話は直ぐに回ってくるの。何処からともなくね。結局、お互いに誰でも良かったのよ。」
思いがけない結城さんの告白に、俺は驚き言葉を失う。彼女は大きな人生の決断をしてきたんだ。だから、出会えたんだ。
「紬さんと出会って話して、この人は今まで出会ってきた誰とも違うって感じてさ。私を一人の女性としてみてくれるって思えて。完全にとられる前にって、我慢出来なくて告白したの。幻滅した?」
俺は話しつつも少し不安な様子の結城さんの唇を自分の唇で塞ぐ。俺の気持ちが伝わるように。
「結城さんが決断して来てくれて良かった。俺は結城さんを愛している。心から。
あのさ、この流れで言ってしまいたいんだけど。実は、俺は藍さんに憧れがあって店に通っていたんだ。知花もそれを知っていて応援してくれててさ。
結城さんと付き合った結果、こういう事態になった。ゴメン。俺のせいで巻き込んでしまっているんだ。」
「いいの。全部知っていて告白したのよ。だから、私も背負うの。私は誰よりも紬さんを愛しているからね。」
そう言う結城さんは、少しだけ怖い笑顔で。そんな彼女に俺は全身がゾクゾクする。耐えきれず、そっと彼女の頬に触れた。彼女をもっと知りたい。
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