第8話

知花にブラウスを。8


結城さんは、知れば知るほど魅力的な女性だ。俺に好意をもってくれている事が信じられない。だから、申し訳なくなる。


「……そうなのか。今度、バイアステープから作ってみたくなったよ。教えてくれてありがとう。」


『いえいえ。では、明日。会えるのを楽しみにしてるね。おやすみ。』


「俺も楽しみにしているよ。おやすみ。」


ランチを一緒したその日の夜、彼女からお礼の電話がかかってきた。世間話をしていくうちに手芸の話題で再度盛り上がり、気が付けば深夜。また明日も話したいと俺から誘い、気がつけば2週間。寝る前に毎日電話をかけている。


「……優柔不断だな。」


ソファーから立ち上がり、冷蔵庫から炭酸水を取り出して直接あおる。結城さんの返事を保留にするのは失礼だ。わかっている。何かしら返答はしなければ。


俺は、まだ完成していないブラウスが入ったバッグに視線を向ける。明日、ボタン以外は完成させないと。その次の日に知花と会う約束をしているから。あの子に会うのは2週間ぶりだ。


「姉貴のようには、なりたくないんだ。」


藍さんに好意は伝えていない。あの人が俺をどう思っているかはわからない。言葉で伝えて拒絶されるのが怖い。


結城さんの好意に応えるのは悪い事ではない。だが、俺は結城さんに好意が芽生えていない。心にも無い発言は失礼になる。だが、好かれているのは素直に嬉しい。

シュワシュワとした炭酸の刺激のように、彼女の甘い優しさが俺の心を刺激する。


「俺は最低だな。」


次々と頭の中に意見がひしめき合う。俺は結論が出ないまま、翌日藍さんのお店に向かった。


「こんばんは。藍さん、今日も宜しくお願いします。」


店内に入り、肩に下げたバッグの紐をギュッとにぎり、作業台でパソコンに向かっている藍さんに声をかける。努めて冷静を保っているが、声は震えていないだろうか。


「こんばんは、紬さん。いつも来て下さってありがとうございます。ブラウスはそろそろ完成ですか?」


藍さんはパソコンを打つ手を止めて、俺に笑いかけてくる。ああ。素敵な笑顔だ。


「はい。今日はボタン以外を仕上げる予定です。」


「そうですか。では、仕上がったら見せて下さい。楽しみにしています。」


「一回大失敗をして縫い直しをしたので、恥ずかしいな。」


「失敗しない人はいませんよ。紬さんが心を込めて作った服だから、知花ちゃんも喜んでくれますよ。何かあれば呼んで下さいね。」


「ありがとうございます。」


思っていたより落ち着いて話せた。良かった。2階に上がり、縫う準備をしてミシンの前に座る。

ブラウスの裾周り。ここを縫えば、後はボタン付けで終わり。そのボタンはまだ決まっていない。


気を落ち着かせ、カタカタとゆっくりリズムを刻みながら、ミシンを動かしていく。藍さんが言っていた。早く縫えるから上手なのではないと。一針一針を丁寧に。気持ちを込めて。失敗したけれど、今の俺の全力をもって服を完成させていく。


裾を一周。裾から1センチ上をグルリと縫い、最後は玉止め代わりの返し縫いをして止める。


「はぁ……縫い終わった。アイロンをかけよう。」


我ながら綺麗に縫えたと思う。ミシンの電源をパチリと切るタイミングで、階段を登ってくる音がする。カツカツとヒールの小気味良い音が鳴るので、結城さんだろう。


どうしたんだろう。ヒールの音と共に俺の心臓が早く脈打ち、ブラウスを持つ手が汗ばむ。


「紬さん、こんばんは。」


カチャリと優しくドアノブを回し、扉から入ってきた結城さん。自作のスーツを着ていた。チェック模様の茶色の柄が彼女の肌色に合い、彼女の大人の可愛らしさを引き立てている。


結城さんが自身で作ったスーツを纏う姿が、あまりに美しくて。俺は立ち上がり、結城さんの手入れされた爪を見つめる。


「どうしたの?」


ふと視線を結城さんの顔に視線を向けると、茶色に染められた髪の毛の根本が黒くなりはじめているのに気がつく。

実姉のように完璧に手入れをしていない彼女に、俺は一気に親近感が沸いた。と、同時に自分がおかしくなった感覚に陥る。電撃を受けたとか言う表現はよく使われるが、俺は今、全身が震えている。これは、堪えきれない。自然と口が素直に心の内を述べた。


「結城さん、貴女が好きだ。俺と付き合っていただけませんか?」


「え………っ」


俺は結城さんの目をしっかりと見て言葉を紡ぐ。俺の心を込めて。

彼女は俺の言葉に驚き、暫くして涙を浮かべた。頑張って笑おうとする様子が愛しくて、彼女の側に近寄り、手を取る。


「うっ、嬉しい。嬉しいよ。ホントに、嬉しい。」


「俺を好きになってくれて、ありがとう。返事を待たせていて、ごめんね。」


俺の座っていた椅子に結城さんを座らせて、手を握り続ける。彼女の握り返してくれる温もりが嬉しくて、俺は擽ったい感覚が芽生える。


ああ、愛しいというのはこれだ。


下の階で仕事をしている藍さん。俺は、やっと理解できた。藍さんに抱いていたのは恋愛ではなく尊敬だと。


双方素敵な女性だ。だけど、双方に向ける感情に差がある。俺は結城さんを大切にしたい。


「大好きだよ。」


「私も、好き。」


気持ちが通じ合うと、一言がこんなにも心に響くんだな。久しぶりの感覚は、優しく甘い。


ーーー


目が覚めた。直ぐに枕元に置いてある携帯を手に取り、結城さんとやりとりした文を確認する。良かった。彼女と正式に恋人になっている。


ゆっくりと枕に顔を埋め、感触を確かめる。現実だ。


「……中学生かよ」


暫く体を落ち着かせつつ、頭の中を回転させる。

今日は知花とデパートで待ち合わせをしている。ランチ代わりにパフェを食べて、手芸店でボタンを買って、夕食前に帰す。


「…よし、動くか。」


平常に戻った体で準備をする。シャツに袖を通す時に結城さんのスーツを着る仕草を思い出し、顔が赤くなるのを感じる。俺に彼女ができたんだ。


次は俺用にTシャツを作ってみるか。結城さんと一緒に藍さんの店で生地を選んで、結城さんと2階で教えてもらいながら縫う。


「……藍さんに失礼かな。嫌がられるだろうか。」


藍さんには、結城さんと付き合い始めた事はまだ言わないでおこう。理由はないけど、行き辛くなるから。身勝手だけど、あの場は心地良い。失いたく無い。


「そら豆はベーコンで炒めるか。青菜は、そうだな…お揚げと煮るか。」


1週間分の料理の作り置きを用意し、知花達の分をタッパにより分ける。ピーマンのおかか和えは知花が好きだから、たっぷりと詰めた。適当な大きさに切ったカニカマの卵焼きを菜箸で摘もうとしたら、ポロリと箸から逃げた。何故だろう。嫌な予感がする。


「浮かれすぎているだけだ。」


自分に言い聞かせる。タッパを保冷剤と共に渡すバッグに入れて、ブラウスをリュックに入れ、身支度を整えて玄関に向かう。靴を履く時に、知花の顔が浮かんだ。俺はあの子に叔父として寄り添えているだろうか。


考えすぎても仕方ない。知花はどんな顔をして待っているか不安だったが、母親と一緒だからだろう。笑顔だった。


「じゃあ3時間後ね。知花、楽しんでおいで。」


「うん。お母さん、また後でね。」


これからエステに行く姉は、足取り軽くこちらを振り返りもせずに去っていく。『またね。』と一言言ってあげれば知花も落ち着くのに。


「そろそろ予約時間だから、行こうか。」


知花に催促してデパートに入店する。大人の場に姪とこうして入るのは、何だかソワソワする。場違いだと見られていないだろうか。


知花は落ち着いた様子で俺の側を歩き、カフェに着いても大人のように上品に振る舞ってみせた。父親から教わっているのだと言い、カップの取手に指を添わせて持つ爪が姉とそっくりで。姉のようにならないで欲しいと、心の中だけで思った。


「美味しかった。ご馳走様でした。」


食事が終わると、いつものように知花が俺に笑顔でお礼を言う。この子は俺の大切な姪だった。


「ああ。美味しかったな。上の階に大きめの手芸屋が入っているから、そこでボタンを選んでくれ。ブラウスは持ってきたから、合わせてみたら良いよ。」


「うん。紬にいちゃん、一緒に選んでね。」


そう言って知花は笑顔のまま俺の左腕に絡んできた。子供扱いされたくないと握ってきた事はないのに。俺はその仕草に姉貴を重ね、ゾッとした。

いや、駄目だ。周囲に変に思われる可能性があると言い、スッと手を引いて頭を撫でる。俺の気持ちが伝わるように。


「知花が喜んでくれるのは嬉しいよ。行こうか。」


「……わかった。」


少し不貞腐れた知花と共にエスカレーターへ向かった。

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