第7話
知花にブラウスを。7
知花に俺が作ったエプロンを渡した時の事は、今も鮮明に覚えている。
「紬にいちゃん、こんにちは。」
駅前で待っていると姉と共に歩いて来た女の子。久しぶりに見る知花は想像より成長していて、俺に流暢な言葉で挨拶をしてくれる。
「久しぶりだね。知花ちゃん、元気だった?」
「うん。」
母親の手をずっと握ったままの知花。恋しい母親の温もりを感じているようで、俺にはあまり関心が無い。それで良い。
「マーチング入ったって聞いたよ。楽器は何を担当しているんだ?」
「シンバル。楽しいよ。」
「そうか。良かった。これ、衣装。」
「ありがとうございます。」
母親と握っていない方の手で俺からエプロンの入った袋を受け取り、俺に丁寧に頭を下げる。父親から教わったのだろう。成長したな。
「それで良いか見てくれ。」
知花は母親の手を名残惜しそうに離し、袋からエプロンを取り出し広げる。
手縫いでなんとか真っ直ぐ目を揃えて縫った、真っ白なエプロン。形を整えて、アイロンをかけてパリッと仕上げた。
「すっごく可愛い。」
笑う知花の歯は所々抜けていて、大人の歯が生え初めている。ふいに、幼い頃の笑顔と重なった。やっと。やっと、知花の笑顔が見られた。ああ、なんて嬉しいのだろう。作って良かった。
「良かったじゃない。紬に裁縫の才能があったなんて知らなかったわ。
そうだ、次はスカート作ってあげてよ。サイズは120ね。ピンク色よね?」
「えっ……うん。ピンクが良い。」
「やっぱり女の子はピンクよね。じゃあ、宜しく。」
母親の提案に知花は頷く。120か。知花に初めて服を買った時のサイズは、確か80だった。数年で子供はこれ程までに成長するんだな。
「紬にいちゃん、またね。」
「うん。うん、またね。」
知花は俺に手を振り、母親の手を再度握った。それは、本当に嬉しそうで。俺は去る背中を温かくなった心と共に、見えなくなるまで見送る。
『紬にいちゃん、またね。』
知花からの言葉が胸に響く。スカートを縫えれば、また会えるんだ。俺は携帯を取り出して、情報を収集し始める。
「スカートって、どうやって作るんだろう。ミシンが必要かな。へぇ。繊維街っていう所があるんだな。……塩沢服地店か。老舗っぽいし、手芸初心者歓迎って書いてある。相談してみようかな。」
これが、藍さんと知り合うキッカケとなった。
ーーー
今日は土曜日の夜。藍さんの店の2階に行くと、結城さんが1人。スーツを作っていた。もう完成かな。
「あの。先週は本当にすみませんでした。」
俺は結城さんに頭を下げて謝罪する。折角誘ってくれたのに、申し訳ない事をした。
「いえいえ。そんな、もう大丈夫ですから。謝罪のメールもいただいたのに。こちらこそ、気が利かなくてすみません。」
結城さんは両手を振り、俺に謝罪してくる。彼女は何も悪くない。上手く立ち回れなかった俺が悪い。
「知花に理由を聞こうとしましたが、貝のように口をつぐんでしまいまして。年頃なのでしょうかね。俺、嫌われたみたいです。」
「それは違います。知花ちゃんは紬さんが大好きですよ。」
「そうですかね。」
俺は彼女の隣に鞄を下ろし、道具を取り出す。作りかけの知花のブラウスを手に取り、知花に睨み付けられた時を思い出す。あの目は、悲しかった。
結城さんに失礼してしまったお詫びにと、鞄から小さなラッピング包みを取り出して渡す。
「これ、俺の気に入っているほうじ茶です。ティーパックなので淹れやすいので。よければ。」
「えっ?そんな……ありがとうございます。紬さんのおススメなら、絶対に美味しいでしょつね。帰って飲みます。」
結城さんの笑顔に、俺はホッとする。良かった。彼女とはこれからも、洋服作り仲間として仲良くしていきたい。
互いに作業にうつり、俺はブラウスの袖口をゆっくりとミシンで縫う。
知花にこれからどう接していけば良いのだろう。子供扱いし過ぎてはいけないんだ。あの子は大人になろうとしている。見守ってあげたい。
「知花ちゃんは嫉妬したんですよ。」
「……え?」
スーツのボタンを縫い付けていた結城さんが、手を止めずにポツリと呟いた。
「どういう事ですか?」
「私に紬さんが取られるって、それで焦ったんです。彼女なりに紬さんの気を引きたかったんですよ。」
俺は結城さんの言わんとしている事を悟り、焦る。そんな気はなかったからだ。
「えっと、その。すみませんでした!知花には違うと言っておきますから。本当、ご迷惑をおかけしました。」
「違わないですよ。知花ちゃんも女ですから、わかっていたんです。」
結城さんがボタンを縫い終わり糸を鋏で切る。スルリと音を立てて裏地のついた袖に腕を通し、完成したスーツを着た。ピッタリだ。美しい。
俺は彼女の言葉に理解が追いつかず、彼女の手を眺めていた。手入れされた爪は嫌味の無いラインストーンが輝いている。
「私、これが完成したら紬さんに告白しようと思っていたんです。
このお店で出会って、紬さんとお話ししている内に貴方を好きになりました。私と付き合っていただけませんか?」
結城さんのスーツのボタンの一つが光を反射し、淡い茶色に輝く。俺は、彼女の言葉が胸に染み渡っていた。こんな気持ち、久しぶりだ。
同時に、下で働いている藍さんを思う。俺は彼女が好きだ。だけど、ずっと想いを告げずにいる。藍さんは高嶺の花だから。
「えっと、俺なんかで良いの?8歳も年上だし、結城さんは魅力ある女の子だからさ。」
「私は紬さんが良いんです。私を知ってから、お返事をいただけませんか?」
結城さんの目は真剣で。だから、俺は無碍に出来なかった。俺に出来なかった事を彼女はした。尊敬したい。
「ありがとうございます。あの。よければ明日、お時間ありましたら。結城さんのオススメのうどん屋に連れていっていただけませんか?2人で行きましょう。」
「はい……はい。喜んで。」
頬を染めて笑う結城さんが可愛いくて。藍さんと全く違うなと比べてしまう。最低だな。俺は。
「楽しみにしていますね。」
明日知花が俺の所へ来たくないと拒否した事が良かったと思った。そんな自分を軽蔑した。
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