第6話
姉が離婚して地元を離れて行ってから、何年か振りに戻ってくると連絡があった。長く付き合ってきた彼氏と此方で同棲をするそうだ。再婚相手はどうするんだろう。俺はあえて何も聞かない。
姉に会いたいと言われたので、俺の住む最寄り駅近くのカフェで待ち合わせをした。久しぶりに会う姉は何も変わっていない。時が止まっているような人。あまったるく香る香水に、ゾッとした。
喉が渇いたと促されて店内に入り、とりあえずコーヒーを頼んで待っていると、姉が彼氏の羽振りの良さを自慢し始める。金があっても見た目はダメだと嘲笑う様子に、何故男は姉に貢ぐのかと不快な気分になる。いや、理解しないほうが良い。俺はこの人達とは違う。
俺は知花の様子だけを知りたいんだ。聞けば、知花と月に一度会っているらしい。知花の食べたいご飯を食べさせ、欲しい物を買い与えるそうだ。
「アイツは金が無いわけじゃ無いのに、記念日以外は知花にゲームソフトを買い与えないそうよ。本当、ケチな男。
知花ったら、私ともっと一緒に居たいって言うの。今度一緒にお泊まりしようねって言ったら、帰ってアイツに話したそうよ。アイツから電話かかってきてね、口だけ何でも言うなって怒鳴りつけられたわ。冗談も通じないなんて、だからアイツ再婚できないのよ。」
「知花ちゃん、それだけ嬉しかったんじゃないか?あの人は、それだけ知花ちゃんに向き合っているからじゃないか?」
「どうだか。馬鹿な奴らよ。」
優雅にカップを持つ姉。綺麗に手入れされた、ラインストーンの輝く真っ赤な爪。吐き気がしてきた。俺は、この人と血族なんだ。その事実は受け入れ難く、同じ空間にいたくない。
「俺を巻き込むな。俺は何も知らない。帰る。」
まだ熱いコーヒーを飲み干し立ち上がろうとすると、姉はブランド物のバッグから紙と布を取り出す。何だ?
「知花がマーチングバンドに入ったらしくて、今度の衣装が全員お揃いのエプロンだって。
真っ直ぐ縫うだけだから簡単らしいの。この紙に作り方が載っているわ。皆親に作ってもらっているらしいんだけど、私はこういうのやりたくないから。アンタが代わりに縫ってよ。」
ポイとテーブルに無造作に投げられたそれは、真っ白な布。店内の照明を受け、輝いて見えた。俺はゴクリと唾を飲み、震える指でそれに触れる。少し硬い触り心地。無垢の色。
「縫ってくれって頼まれたのか?」
「嫌だから断ったんだけどさ、そしたらアイツがクソババアに頼むって言うの。ムカついて奪ってきたわ。
クソババアがまた嫌味言うのわかりきってる。離婚する時に『貴女の代わりにはなれないけど、知花ちゃんが生きやすいよう手助けしていくわ。だから、安心してね。』って偽善ぶちかましてきたのよ。あー。思い出しただけでムカつく。クソババア。」
クソババアとは、元義理兄の母親だ。優しくて、俺にも手料理を食べさせてくれて。あの人の出汁の効いた薄味が、好きだった。
桐生の言葉が思い返される。あの子に笑顔を届けたい。失敗してはいけない。ああ、俺はまた、知花に関われるんだ。
「期限は?」
「来週の日曜日までに作っておいて。出来たら、知花に直接渡せば良いわ。」
知花に直接会える。その言葉に、俺は涙が溢れそうになった。早く帰って作り方を調べないと。取れたボタンを付け直すくらいしかやった事のない俺に作れるかはわからない。けど、作ってあげたい。作りたい。
俺はテーブルに置かれた伝票と布類を手に取る。すると、姉から伝票を取られた。
「金には困ってないの。お礼に払っておくわ。」
「……待ち合わせ場所が決まったら、連絡くれ。」
微笑む姉に俺は無表情で返し、足早に店を出る。家にある裁縫箱で事足りるだろうか。他に必要な道具があれば、買いに行かないと。自分がワクワクしているのに気がつく。誰かの為にと行動するのは、とても楽しい。久しぶりに感じる幸せだ。
ーーー
知花を姉から引き受けて、その足で結城さんとの待ち合わせ場所に向かう。
知花の履いている淡い桜色のギャザースカート。俺が始めて作ったスカート。縫い目が一部歪になっているから、俺としては恥ずかしい作品だ。だけど、着てくれるのは純粋に嬉しい。
この失敗から更に服作りの勉強をして、今はブラウスに挑んでいる。知花が喜んでくれるから、頑張れる。
「紬にいちゃん。何だかご機嫌だね。」
「そうか?今日は知花のブラウスに付けるボタンを探しに行くよ。知り合いがオススメの店に案内してくれるんだ。」
「知り合い?藍さんじゃないの?」
「違うよ。ミシンのサブスクで仲良くなった人で、結城さんって言うんだ。優しい人だよ。」
「紬にいちゃんがそう言うなら、良い人なんだろうね。私ね、ボタンの色は決めてあるの。形はどうしようかなって迷っているんだ。」
「そうか。結城さんに相談してみたら良いよ。俺が選ぶより確実に良い物を選んでてくれるからさ。」
「紬にいちゃんが一緒に選んでよ。」
知花を見れば、少しむくれている。他に人が来ると伝えていなかったからだろうか。人見知りというわけでも無いのに。
「取り敢えず、行こうか。」
知花を気遣いつつ待ち合わせ場所である駅の花壇に着くと、すでに結城さんが待ってくれていた。
乳白色のサマーコートに、白いレース生地を合わせた淡いピンクのマーメイドスカート。自分で作ったのだろう。彼女の体型にピッタリだ。あまりの出来の良さに思わず彼女の全身を見回してしまう。いいな。俺も自分の服をこんな風に素敵に作りたい。
知花の視線を感じ、見過ぎでいた自分が恥ずかしくなった。気を引き締める。
「おはようございます。結城さん、失礼しました。あまりに素敵な服でしたので。それもご自分で?」
「おはようございます。そうですよ。褒めてくださって、ありがとうございます。
貴女が知花ちゃんね。はじめまして。私の事は結城って呼んでね。」
「………」
「知花?どうした?」
知花は下を向いたままだ。照れているのかもしれない。
「すみません。姪は恥ずかしがり屋で。」
「いえ、私も昨日いきなり誘いましたし。驚いたよね。今日は宜しくね。」
「……」
「えーと。結城さん、お願いできますか?」
「はい。行きましょう。」
結城さんに連れ立って歩くが、知花の足取りが重い。そんな知花に結城さんは優しく歩調を合わせてくれる。全く、知花はどうしたというんだ。
「ここです。わかりづらい場所にありますけど、可愛いボタンが揃っていて有名なんですよ。」
結城さんが連れてきてくれたのは、裏路地を少し入った木造の建物。木を基調としたなんともお洒落な雰囲気で、看板に沢山のボタンが飾られているのが可愛らしい。俺一人だと絶対に入れないだろう。
店内に入れば、箱に入ったボタンがズラリと並んでいる。全員が光を反射して輝く様は、まるで宝石箱のようだ。可愛らしくて、綺麗で。見ているだけで楽しくなる。
俺は場の雰囲気を感じ、何となく結城さんの側で話をしながら商品を見る。知花は結城さんが話し掛けても無視し、一切視線を向けず、少し離れた所で一人でボタンを見ていた。
「これ、どうでしょうか?」
暫くして結城さんが手にしたのは、真っ白な貝殻のボタン。花の形に加工してある。可愛らしくて素敵だ。なる程。あのブラウスにピッタリだ。
「素敵ですね。なあ、知花。これはどうだ?」
結城さんから受け取り、ボタンを見ていた知花に近づく。知花は俺を睨んできた。
「こんなの嫌。」
「こんなに可愛いのに?知花はどんなボタンが良かったんだ?」
「………これ。」
知花が指差したのは、茶色のシンプルなボタン。こちらも合うな。
「ねえ。紬にいちゃん。どっちにする?」
知花は俺の手に乗る真っ白なボタンと茶色のボタンを交互に指差す。俺は素直に両方良いと思う。だから、選べない。どうしよう。
「どちらも素敵だから、両方買おうかな」
「もう、いい……。帰る。」
知花の目は、絶望の色に染まっていた。理由が全くわからない。俺が狼狽えていると、知花が出入り口に向かっていく。様子がおかしい事を感じたのか結城さんが来てくれた。
「どうしましたか?」
「あ、結城さん。すみません。俺、知花を追いかけるので。すみません!」
ボタンを結城さんに渡し、俺は出て行った知花をあわてて追いかける。預かっているのに、一人で帰す訳にはいかない。
「知花!待て!」
脇目も振らず、ズンズンと駅の方角に足早に向かっていく知花。直ぐに追いついて隣を歩きながら様子を見れば、怒っている。何か気に触る事をしただろうか?わからない。
「知花、どうした?」
改札口前に着いた時だ。知花は俺を睨みつけてきた。
「ついて来ないで。結城とかいう人と遊べばいい。帰る。」
「一人で帰せない。お母さんが迎えに来るまでまだ3時間ある。俺の家に行こう。」
「………」
「結城さんはいないから。何を食べたい?オムライスか?」
知花はスカートのポケットに手を入れた。モジモジと動かしている。おそらく、結城さんが居たのが予想外で動揺しているのだろう。
結城さんには後ほど謝罪すれば良い。あの人ならわかってくれる。
「さあ。行こうか」
俺は携帯を取り出し、改札口にタッチし通る。知花が後ろについてきているのを確認しながら、結城さんに謝罪文を打った。
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