第5話

知花にブラウスを。5


何か人生の目的が欲しい。


付き合ってきた女性から、細かい所まで気遣ってくれるのは嬉しいが、親といるみたいでつまらないとフラれてきた。前の彼女と同じフラれ方だ。どう愛せば良かったのだろう。俺は、わからない。


やりたい仕事も趣味も無い。熱意を失った、空っぽの体を動かしているだけの、カラクリ人形のような日々。


「八丈はそんな宙ぶらりんな状態なのに、よく面接で落とされなかったよな。」


俺の部屋だけど、我が家のように寛ぐ桐生。片手でビールを煽りながら俺を恨めしそうに見てくるのは、専攻が同じでほぼ同じ学力なのに、俺の方が優良企業に就職出来たから。


「俺も不思議だよ。」


「そんな態度が気に入られたのかもしれねぇな。……この酢豚、ビールも良いが米も食いたくなるな。」


ブツブツと文句を言いつつも、俺の作った料理を美味しそうに食べてくれる。

彼は良い人だ。人付き合いも上手く、友人が多い。そして、程良い距離を保って俺に深入りしてこない。俺の扱い方を熟知している。


だから、今日は深く聞いてみたい。彼なら話しても大丈夫だと思えたから。


「桐生の意見を聞きたいんだ。いいか?」


「何だよ、改まって。俺はお前に対しては思った事しか言わねぇぜ。」


「だからだ。」


俺は、桐生に知花の話をした。彼は話終わるまで箸を止め、黙って聞いてくれていた。


「……姉貴の浮気をずっと義理兄に黙ってたのは、それでも最後は家族のもとへ戻ると思いたかったから。でも、実際は俺は一つの家庭を壊す手助けをしてしまった。知花を傷付けていた。俺は、姉と同罪だと思うか?」


俺の問いに、桐生はおもむろに酢豚の人参を箸でグッと刺し、答えてくれた。


「俺が義理兄さんの立場だったら、お前達の顔面をぶん殴ってるだろうな。何度も放置されていた知花ちゃんを想像するだけで、胸が苦しくなる。胸糞悪い。よくもそんな事ができたな。お前ら姉弟はクソの犯罪者だ。」


人参をバグッと口に放り込み、奥歯で噛み締めるように食べる桐生。俺は自分でも思っていたとおり、クズだった。


「桐生、ごめんな。ありがとう。

俺、誰かにそう言って欲しかった。俺は、やっぱりクズだよな。そうだよな。」


「まあ。お前は、姉さんの浮気を事実ではないと思い込みたかったんじゃないか?」


桐生は大根おろしの乗ったシラス入り卵焼きを大口で食べ、ポツリと口を開く。


「これは、酔っ払いの独り言だからな。わかったか?……八丈は大学時代から良くやっていた。一度も休まずに授業を受け、率先して教授の手伝いもしていた。誰よりも熱心にな。成績うんぬんは置いておいて、それが今のお前の結果に繋がっているんだ。

料理も、お世辞抜きにいつも美味い。丁寧な味だ。お前だけの味だ。


過去の行いは、許されると思うな。お前は、理解し行動できる男だ。姉に良いように使われるな。いつかまた。知花ちゃんに関われる時が来たなら、もう。失敗するなよ。」


グビリとビールを煽りフゥと一息つく彼は、俺を憐れんだ目で見てこなかった。だから、身に染みる。


「そうだな。ありがとう。桐生に話して良かったよ。」


「元義理兄さんも、そんな女だったなんて知らなかった訳ないだろうにさ。見て見ぬふりして大事になって、八丈に責任転嫁したのかもしれない。本当の所はわからん。


はぁ……俺さ、野郎と二人きりでこんな雰囲気になるの嫌なんだよね。気持ち悪い。

感謝しているなら、飯作ってくれ。酢豚のお陰で腹がへってきた。焼き飯が良いな。アレだ、生姜タップリ入れたやつ。」


渋い顔をしながら桐生は残りのビールを飲み干す。俺だって同じだ。そうだ。俺は、相手の気持ちを理解できるんだ。


「柚子胡椒を効かせても美味いよ。」


「んじゃ、それで。」


無性に腹が減ってきた。冷凍ご飯を全部使おう。沢山つくって、沢山食べよう。いつか、知花に食べてもらいたいな。


ーーー


藍さんの始めたミシンのサブスクは、順調に人を集めているらしい。平日の昼間が混んでいるそうで、俺がよく来る土曜日の夜は静かだ。今日は2人しかいない。


カタカタカタ


フットコントローラーを踏むとミシンが動く。

ゆっくりではあるが、一定のリズムを刻んでミシンを進ませていく。首周りにバイアステープを縫うのが上手くいかず、一度糸を解いて再度縫っているんだ。2度目の失敗はしたくない。針が刺さる度に生地は痛むから。


「………はぁ。なんとか縫えた。」


緊張していて、息をするのも忘れそうになる。フットコントローラーから足を離して布地を確認。縫い目はまあまあ綺麗にできたと思う。


「紬さん。ロックミシン片付けて良いですか?」


「はい。お願いします。」


藍さんの店にミシンのサブスクで通うようになり、洋裁仲間ができた。自分用のスーツを作っている結城(ゆうき)さん。若いが学生時代から洋裁を趣味にしているそうで、手芸を少しずつ始めて2年の俺とは雲泥の差だ。


彼女がトルソーに着せている、チェック模様の茶色のスーツ。ウエストが細身で綺麗なシルエットだ。これぞオーダーメイド。素敵だな。俺もいつか作ってみたい。


「綺麗ですね。結城さんが作っているのを見るまでは、スーツを自作できるなんて考えた事がなかったですよ。」


「へっ?……あ、ああ。ありがとうございます。自分好みに出来るから、自作って楽しいんですよね。」


結城さんはスーツをトルソーから脱がし、ハンガーに掛けて仕舞う。ふと、俺は彼女の丁寧な指先に目が奪われた。綺麗な手先。綺麗な爪。よく手入れされている、若い女性の手。

彼女が作業の邪魔にならないようにと結んでいたヘアゴムを取ると、サラリと茶色の髪が背中に流れた。涼やかな初夏の香りが俺の鼻を擽る。

彼女の歳の頃の俺は、死んだような日々を過ごしていたな。だから、今が大切に思える。


「結城さんは作業がスムーズですよね。俺なんて、失敗した襟を直すだけで2時間かかってしまいましたよ。今日はロックミシンで袖まで縫いたかったのに。」


片付けを終えた結城さんが、俺の側に来る。作りかけの知花へのブラウスを見て、微笑えむ。笑顔が可愛い人なんだ。だから、俺も話しやすい。彼女と話すのがここに来る楽しみの一つになっている。


「綺麗に出来ているじゃないですか。綺麗に丁寧に作ってもらえた服を着られるなんて、姪っ子さん羨ましいですよ。

早く作れないからとかは、気にしなくて良いです。趣味だから、楽しんで作れるのが一番じゃないですか。」


「そう言ってもらえると、嬉しいです。ありがとうございます。」


「ブラウスに付けるボタンは、知花ちゃんと買いに行くんですか?」


「ええ。明日遊びに来るので、ここら辺でに買いに行こうかと。」


「ここから少し行った所に、可愛いボタンが揃っているお店があるんです。そこの通りにはリボンの専門店とか、パーツ専門店も並んでいまして。ブラウスに合わせて知花ちゃんの髪飾りも考えてみたらどうですか?……私。明日、丁度買い物に行こうとしていまして。よければ、一緒に行きませんか?」


俺はそういったお店に行ってもよくわからないので、有り難い。俺は何故か少し緊張している結城さんに頭を下げた。


「お願いします。最近、知花の好みが変わってきまして。あの子の意見を聞いて、良さそうなのを見繕ってあげて下さい。」


「はい!楽しみにしていますね。」


「あ、結城さん。連絡先交換していただけますか?」


「ええ。勿論です。嬉しいなぁ。」


髪飾りなんて俺の専門外だから、知花は喜ぶだろうな。どれにするか選ぶだけで時間がかかりそうだ。付き合ってくれる結城さんに、お礼にお昼をご馳走しよう。


「結城さん。よければランチもご一緒していただけませんか?知花は和食が好きなので、おススメのお店があればそこで。」


「和食か……。親子丼が美味しいうどん屋さんがあるので、そこはどうでしょうか?」


「良いですね。では、そこでお願いします。」


どんぶりを持つ知花の笑顔を想像し、俺は自然と微笑んでいた。


「それでは、明日。また。」


帰る結城さんを作業しつつ見送り、キリの良い所で終える。そろそろ閉店の時間だ。


服を仕舞い、ミシンにカバーをかけて周りを軽く掃除する。藍さんは下で閉店作業を終えただろうか。パチリと電気のスイッチを切り、薄暗い階段を下りる。


「藍さん、使い終わりました。ありがとうございました。」


「はい。ありがとうございました。」


藍さんは裁断台にパソコンを置いて作業していた。職人の指がボードを叩く様子にドキリとする。素敵な人だ。手に汗を滲ませつつ、会話を試みる。


「あ、あの。明日、知花のブラウスに合う髪飾りを見に行こうと思いまして。えっと、どんな形とか色が合うと思いますか?」


「知花ちゃんの好みの物で良いと思いますよ。色で悩むのでしたら、結城さんにお願いしたら良いと思います。実際に髪に合わせた方が決めやすいです。」


結城さんが話をしたようだ。藍さん、何だか素っ気ないな。仕事が忙しいのかもしれない。それなら、邪魔しない方が良さそうだ。


「そうですね。結城さんにお任せします。

あの、藍さん。俺、次は自分の服を作ってみたいんです。その時は、生地を一緒に選んで欲しいです。


では、また、宜しくお願いします。」


「えっ…あ、ありがとうございました。」


赤くなった顔を見せたくなくて、足早に店を出る。


よし!言えたぞ!藍さんの店に通える口実がまた出来た。そうだ。ボタン付きのシャツを作りたいって言ったら、藍さんをデートに誘える口実になるかな?


「楽しみだな。」





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