第4話

知花にブラウスを。4


俺は知花が産まれてからは、時間があれば姉の家に寄っていた。義理兄は仕事が軌道に乗って忙しく、でも時間があれば子育てに家事をしているらしい。姉は家事全般が得意では無いから。


疎遠だった俺が家にしょっちゅう来ている事を義理兄は不思議がっていたが、俺の趣味である料理を作って置いておくと喜んでいた。助かると言われた時は、心から嬉しかった。これが普通の家族で、普通の家庭の幸せなんだろうな。知花の成長も側で見られて、お手伝いできて。日々胸がほんわり温かくなるんだ。


時折り姉の動向が気になる時もあったけれど、まだ家族になって一年程。気に入らない所も出てくるさ。互いに意見を擦り合わせて、妥協点を見つけていく。それが家族の作り方だって、俺は思っている。

姉は産後の疲れた体に慣れない育児で、つい離婚すると言っただけだ。こんなに可愛い子供に理解ある夫がいて。不自由無い筈だ。幸せな筈だ。


そう思っていたあの日。知花が産まれて一年と少し経った暑い日だ。俺はその日も学校帰りにスーパーで食材を購入し、知花の住む家で腕をふるっていた。


「紬にとってのお袋の味って何?」


牛蒡を洗い、きんぴらと炊き込みご飯にしようとしていると、姉の質問が背中にきた。お袋の味か…。


「もやしの味噌汁かな。一番安定した味だった。」


「下処理されて売っているもやしと、市販の味噌入りだしの素を使っただけの味噌汁か。懐かしいわね。」


「姉貴は?あるのか?」


おあげと人参と牛蒡を米、昆布でとった出汁を調味し釜に注いで炊飯器にセットする。振り返り姉を見ると、テーブルであかちゃんせんべいを頬張る知花を側で見ていた。珍しい。


「食パンとホイップクリームで作った、ケーキ」


「へぇ。母さん、姉貴には手作りケーキ作ってたんだな。」


「アンタがこれくらいの時に、何のお祝いの日でもなかったのだけど母さんが材料を買ってきたから3人で作ったの。

イチゴのパックのフィルムを剥がしたら、アンタはヘタごとイチゴをつまみ食いしたわ。母さんは笑って、同じように洗わずイチゴを食べた。私は、汚いから水で洗って食べたわ。


美味しいって皆でイチゴを全部食べたから、結局食パンにホイップクリームを絞っただけのを食べた。でも、あれは母さんの手作りケーキだったの。」


「ふーん。」


物事ついた時から、母も父も殆ど家に居ない。姉も帰って来たり来なかったりで、俺は小学生に上がる時には一人生活だった。

想像できない情景に、そうかとしか感情がついてこない。家族愛は、俺は本やドラマでの知識しかないんだ。


知花がせんべいを食べ終わり、手を合わせた。ご馳走様が可愛い。俺は再び背を向けてフライパンに火をつける。大人用きんぴらと知花用の柔らかきんぴらを作ったら、銀鱈の西京漬を焼いて帰ろう。豆腐とワカメの味噌汁は明日の朝の分まで作ってある。


「生活費も大学の資金も全部出してくれているからさ。両親に感謝はしているよ。」


「まあ、そうよね。金銭面では不自由無い。」


銀鱈を焼いて、知花のは骨も皮もとって食べやすくする。あとはご飯が炊けるまで待つだけだ。


「作り終わったから帰るよ。」


帰り支度をしていると、知花が寄ってきた。抱き上げると笑ってくれる。俺が誕生日プレゼントに贈った苺柄のスカート。彼女のお気に入りの一つになっているんだ。ああ、嬉しいな。可愛いな。


この服を買いに行った時。どれを買えば良いか店内で迷っていたら店員さんにサイズはと聞かれ、そういえば何も知らべてこなかったと恥ずかしくなり、逃げるようにして帰ってきたんだ。

結局姉に連絡して、どのメーカーのどんな服が良いか聞いてからそれだけを買いに行った。それからだ。服を見るようになったのは。


俺は安く着られたら良いと思っていた。けれど、服を見るようになってからは、服には様々な素材があり、形があるのに気がつくようになった。値が少し張っても長く着られる服を持つのも良いと思えるようになったのも、姪の服を知ってから。姪のおかげで新しい気付きが出来た。嬉しい。


「ちゅーにーにー、あーと」


紬にいちゃんありがとうと言っている。この笑顔の為なら、豪雨の日でも徒歩で来れるんだ。


「沢山食べてね。知花ちゃん、またね。」


知花を下ろして頭を撫でて、教材の入ったリュックを背負う。知花から行かないでと言われたので、アニメをつけてそっちに集中させている間にさっと帰る。玄関に向かうと、珍しく姉が見送ってきた。


「何だよ?」


「離婚したから、明日から彼の所に行くわ。だから、知花とこうやって会うのは最後だからね。

アイツ達も近いうちに引っ越すそうよ。住所は教えないってさ。酷いよね。私は母親なのに。電話も変えるそうだけど、アンタには教えるなって言われているから。」


姉のいきなりの発言に、俺は思考が追いつかない。何を言っているんだ、この人は。


「えっ、あ……」


「結婚前の奴とは別。彼といると、アレはいつも邪魔しに来るからさ。食べ物置いとけば半日は平気だもの。オムツ履かせてるしさ。それなのに、大事にしようとして。母親を犯罪者にしようとするなんて、馬鹿だよね。

アイツが全て面倒見るって言ったんだから、私の責任じゃないわ。知花は要らないって言ったら、直ぐにサインしてくれたの。それだけは良かったわ。じゃあね。」


義理兄からだと封筒を押しつけられて、玄関から押し出される。一方的に扉がしまった。

渡された封筒の中は、もしかしたら新しく住む場所と連絡先が入っているかもしれない。一縷の望みを込めて開けると、そこにはまとまった金だけが入っていた。材料費とは別に、家事をしてきた手間賃だろう。義理兄からの、手切れ金とも言える。


どうしよう。俺は、何で。知花にまたねって言ってるのに。


振り返れば閉まった扉。俺と遮断された空間。俺は、この金はいらない。だから、知花に会いたい。でも、義理兄がそれを拒否しているから無理だ。俺は、また捨てられた。


「最後なら、ほうれん草と卵の味噌汁を作れば良かった。」


苺柄のスカートを触りながら、幸せそうに笑顔で食べる知花が目に浮かぶ。


義理兄は覚えたのかな?あの子が好きな食べ物を。いや、これは押し付けがましいか。


涙は出て来なかった。ギュッと握りしめたカバンのベルト。俺の汗でジトリと湿って、気持ち悪かった。


ーーー


「これが良い!」


知花が手にしたのは、単色の緑色の生地。穏やかな色合いだ。

今まで好んで選んでいたファンシーな柄ではない。ああ、この子はまた一歩大人になったんだな。


「綿ブロード生地なので、取り扱いしやすいですし着心地も良いですよ。これでブラウスを作ったら、きっと素敵な作品になると思います。」


「あ、そ、そうですか?それなら、コレで作ります。あの、藍さん。いつも相談に乗って下さって、ありがとうございます。」


「こちらこそ。いつも贔屓にして下さり、ありがとうございます。

生地を選ぶって、凄く楽しいですよね。それが誰かの笑顔の為なら、尚更。」


藍さんが笑顔で生地のロールを持ち、作業台に進む。俺はその背中についていき、言うぞ言うぞと待ち構える。


「知花ちゃん、ちょっといいかな?……うん、前より高くなったね。ワンサイズアップしよう。うん、腕は長めだね。この腕の型紙プラス3センチで作るとちょうど良くなりますよ。」


藍さんがメジャーで知花の採寸をして、俺の為にとメモに細かく書き込んでいく。俺が知花の体に触るのは避けたいので、とても有り難い。


必要な生地の長さを決めてくれて、長い定規でサッと測り、側にある鋏を手に取った。今だ。今言わないと!


「そ、それ。俺も買いました。とても良かったです。」


沢山カッコいい言葉を考えていたのに、緊張のあまり口から出たのは、どこぞの子供の感想ような台詞。俺は、駄目だ。


だけど、藍さんは変わらず笑顔でいてくれる。


「そうなんですね。長く使うと、もっと自分の手に更に馴染んできますよ。」


「わかりました。沢山使います。」


俺が悪いのは十分わかっている。これで会話は終わってしまった。今回も駄目だった。


「紬にいちゃん。サブスクの登録しないの?」


側にいた知花が話しかけてくる。そうだ。まだ先はあった。知花、晩ごはんはプリンも作ってあげるぞ!俺は裁断した生地を丁寧に畳む藍さんになるべく自然な笑顔を向ける。


「サブスクの登録をしたいので、お願いします。」


「ありがとうございます。沢山使いに来て下さいね。」


こうして俺は、藍さんへ一歩近づく事ができた。

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