第2話

知花にブラウスを。2


土曜日の朝。駅の改札口で待っていると、姉と手を繋いだ知花がやってきた。俺が前に作ったセキセイインコ柄のギャザースカートを履いてくれている。


「お土産は来週渡すわ。これ、帰りのチケット。」


つまり、来週も預けると言う事。毎回何かしらの都合をつけるなら、俺の所にしか泊まれないと言えば良いのに。

知花は自分から母親の手を離し、チケットを手に取った。一緒に居たいと言っても無理な事を既に知っているから。ここに来るまで母親と過ごした1時間は、彼女の心を少しばかり癒してくれただろうか。


「お母さん、またね。」


「知花、大好きよ。一緒に暮らせたら良いのに。寂しいわ。」


そう言って知花を改札口から俺のもとへ出す姉。その言葉は呪いだ。完全に見限ってくれたら、今よりどれだけ楽になれるか。いや、知花にとっては希望を持つ事も大切なのかもしれない。残酷な、希望。何を言われても母親を愛し続ける姪の気持ちは、俺には未知だ。


「姉貴は親父にそっくりになってきたな。」


「私は優秀だからね。」


俺が耐え切れずに言った皮肉に対し、笑顔で答えてくる。こういう態度も、親父にそっくりだ。


娘との別れを未練も無く去って行く母親。小走りなのは、ホームで夫か彼氏が待っているからだろう。これから待つ楽しい時間は、目の前の娘より大事なんだ。

改札越しでギュッとリュックサックのベルトを握りしめ、貼り付けた笑顔で見送る娘の様子は見えていなかった。


母親の姿が完全に見えなくなるまで、知花は見送る。振り向いて手を振ってと言っても無駄なのを知っているから。悲しい程に学習しているんだ。この子供は。


俺は何も口出ししてはいけない。元義理兄はただでさえ俺の所に知花が泊まるのを嫌がっているのに。下手な行動をとって、知花が義理兄に話せばどうなるか。それ見た事かと、2度と会えなくなる。それは、俺は嫌だ。産まれた時から世話をしてきた可愛い姪。もう、2度目の別れはしたくない。


俺は知花の側に立つ。今、感情を持ってはいけない。だけど、握った手が痛い。


「紬にいちゃん、行こう。」


気持ちを切り替えたようで、知花が俺を見上げる。彼女は俺の手を握ってこなかった。それなら、俺からも何も言わないでおこう。


「約束したスカートとティッシュカバー作ってあるよ。これから生地問屋街に行かないか?夏向けの生地が出始めているんだ。知花のブラウス作りに挑戦してみたくてさ、どれで作って欲しいか選んでくれ。」


「ありがとう。ねえ、作ってくれたスカートで行って良い?」


「勿論だ。」


少し笑顔になった知花のリュックサックを持とうとしたら、首を振られた。


「自分のものだから、自分で持つよ。」


「そうか。」


姪の成長した姿に、俺は感情が出かける。グッとこらえると、彼女の近くに寄り添いながら自宅に向かう。


「今日のご飯は何を食べたい?」


「お昼は、紬にいちゃんの食べたいやつで良いよ。晩御飯は、鯖の味噌煮の作り方を教えて欲しいな。」


「了解した。」


彼女は俺から料理を教えて欲しいと言うようになってきた。俺の所に泊まりに来るのはお終いの年頃になってきたのかな。そうだろう。寂しくなるな。


家に着き、知花が着替えるのをアイスコーヒーを飲みつつ待とう。今朝入れておいたカップに氷を入れて、一息つく。冷たいのが美味しい季節になってきた。

そうだ。メインが鯖の味噌煮だから、かき卵スープと里芋の煮っ転がしを作ろう。人参は、知花に切ってもらって。


「凄く可愛いよ。紬にいちゃん、ありがとう。」


カラカラと片手でカップの中の氷を鳴らし、もう一方の手で引き出しから花型とハート型の型抜きを取り出していると、着替えた知花が来た。

クルリと一回りしてサーキュラースカートをフワリと見せてくる所は、まだ子供だ。膝丈にと作ったスカートは少しだけ膝下だけれど。採寸を見誤ったのに喜んでくれる顔を見られて、嬉しい。頑張った甲斐がある。


俺はカタンとシンクにカップを置き、知花に笑いかける。


「それは良かったよ。行くか。」


「うん。」


知花を先に玄関に向かわせ、俺は急いで洗面台に向かい髪の毛を再度整える。髭も大丈夫。服も、雑誌で見た今年流行りの色を取り入れた。リュックサックを背負い、もう一度全身を見る。よし、行くか。


「紬にいちゃんは、そのままでも十分カッコイイよ。」


扉の外に出ると、そこで待っていた筈の知花が俺に笑う。俺は気恥ずかしくなり、無言で前を通る。


「本当だって。」


「いや、それ以上は言うな。俺はどうせ、ヘタレだよ。」


4ヶ月経っても連絡先すら交換できていないんだ。俺は月に一度来るだけの、ただの客。そこから脱却したいのに。どうやって声をかけたら良いんだ。忘れた。


相手が俺に声をかけてくれたら嬉しいのに。いや、そんな考えだからこの年になっても独り身なんだ。今日こそは。今日こそは、前に買った鋏を話題に持ち出して。それから…。


「いらっしゃいませ。」


「……えっ」


考え事をしつつ、知花がついて来ているか見つつ移動していたからか、いつの間にか目当ての店の前まで着いていた。


『塩沢服地店』と看板が置いてあるその店は、入り口にはハギレがワゴンの中につまれ、店内は所狭しと沢山のロール布が積み重ねられている。ここが俺の一番お気に入りの、原石の採掘場だ。


「…こんにちは。」


そして、目の前でハギレの整理をしているこの彼女が俺の想い人。塩沢藍さんだ。

俺は一気に現実を知り、なんとか笑顔で挨拶をする。しまった。今日も良い天気ですねとか一言付け加えるべきだった。会話が終わってしまった。


「こんにちは藍お姉さん。見てよこのスカート。紬にいちゃんが作ってくれたの。ティッシュカバーもよ。可愛いでしょ?」


知花が助け舟を出してくれた。よくやった、姪よ。照り焼きチキンをお土産に作って持たせてやるぞ!


「こんにちは知花ちゃん。よく似合ってるよ。いいね。紬さん、上手になりましたね。」


「そ、そうですか?嬉しいです。ええっと、膝丈にしようとしたのですが、長すぎてしまって。知花の普段着ている服と同じサイズで作ったのですが、何か間違えたようで。本当、まだまだです。」


「どれどれ……ウエストの高さを長く取りすぎたみたいですね。でも、とても可愛いですよ。知花ちゃんは、これからもっと背が伸びますから。これくらいの丈の方が来年も着られますし。」


優しい笑顔で、俺の作ったスカートを褒めてくれる。天にも昇りそうな嬉しさだ。眠気で針を人差し指に突き刺してしまった痛みは、これで報われたっ!失敗したけど、作って良かった。


手芸初心者の俺に親切丁寧に生地の選び方を教えてくれた。作り方がわからなかった時、挫折しそうになった時にわかりやすく教えてくれたのは、彼女だ。俺が現在も手芸を趣味として楽しんでいられるのは、全て藍さんのおかげだ。

知花に対しても、いつも優しく接してくれる。素敵な人なんだ。藍さんが、好きなんだ。


過去に恋に落ちてきた人達と違い、職人気質のその人は、動作も口調もキビキビとしていて。俺と違う世界に身を置いているから、あまりに高嶺の花過ぎて。俺は上手く立ち回れない。いい歳して恥ずかしい。


「紬にいちゃんが、私の為にブラウスを作ってくれるって言ってるの。私ね、蝶々柄の服が着たいんだ。」


「良いわね。どんな形の服を作る予定ですか?」


俺に笑顔のまま質問してきた藍さん。俺は急いで背負っていたリュックサックから服の作り方の本を取り出した。






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