第4話 3度目
俺は毎日お爺さんを指名していた。お爺さん時間前にちゃんと俺の住んでいるマンションの前に来ていた。
「おはようございます」俺は頭を下げた。
「おはようございます。足ケガしてるんですか?」
また、同じことを尋ねる。
「はい。雨の日に滑って転んでしまって」
「ああ。大変ですね。骨折ですか?」
「はい。ギブスが外れるまで1か月くらいはかかるみたいで・・・」
「今はいいですよね。ギブスなんてのがあるから。私の時は、木を添えて紐で縛るだけでしたからね。松葉づえもなくて、片足ではねてましたよ」
「骨折したのは、いくつくらいの頃ですか?」
「8歳くらいですかね」
おじいさんはまた八幡での話を始めた。そこから始めると、俺の会社にたどり着いた頃までに新しい話を聞けなくなってしまう。
「どうやって東京まで来たんですか?」
「八幡から下関に移って、その後は大阪、名古屋、浜松、東京ですよ」
「へえ。ずいぶん、いろいろなところに住んでおられたんですね」
「ええ。大阪では釜ヶ崎というところにいましてね」
「ああ、あいりん地区の辺りですね」
大阪にある有名なドヤ街だ。ちなみに、ドヤ街は日雇い労働者が多く住む街のこと。
「まあ、そこで10年くらいいましてね」
「じゃあ、1960年代ですか?あの、釜ヶ崎暴動があった頃」
釜ヶ崎暴動というのは、あいりん地区の日雇い労働者たちが起こした暴動のことだ。
「そうそう。あの頃。ちょうど大阪万博で仕事がいっぱいあって。でも、ピンハネされてるから全然金が貯まらなくて・・・」
「まだ若い時期にそんなところにいたらもったいないでしょう」
「そう、そう。それで寮のある会社に転職したんですよ。建設会社。高度経済成長期だから、そっからはよかったですよ。金があるから夜キャバレーに出かけて。そこでホステスさんと知り合って、初めて結婚しました。そんなに、美人でもないけど、家庭的で愛情深い女でした」
刺青があると結婚も大変だったろうと思うけど、ホステスさんも似たような生い立ちの人だったんだろうか。「愛情深い女でした」という風に過去形になっているってことは、離婚したか、亡くなっているんだろうか。さすがに、今奥さんはとは聞きづらかった。
「子どもが3人できて、やっと人並みの家庭を持てるようになりましたね」
多分、俺と年齢的にほとんど変わらないだろうと思う。
俺は高度経済成長期の話を聞きながら、俺が生まれるわずか10年ほど前でしかないことにむしろ驚いていた。昭和40年代には、社会基盤がほぼ出来上がっていて、俺たちは先人たちの努力の結晶をただ享受するだけの世代だった。1970年代(昭和45年以降)は、一億総中流と言われた時代で、貧しい人もいたかもしれないが、みなが同じような生活をしているのが当たり前だった。
「また、明日もお願いしますね」
俺は金を払ってタクシーを降りた。
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