第2話 星新
今から3か月くらい前だ。月が綺麗な夜だったと思う。その日は仕事で大きなミスをしちゃってさ。空を見上げながらゆっくり歩いて帰ったのを覚えてる。部屋に戻ると、丁度その辺り……本棚の横に『穴』が開いてた。穴って言っても壁に穴が開いてたとかそういうんじゃないんだ。
――空中に、ぽっかりと。
あれはおそらく時空の穴なんだと思う。とにかく僕は疲れてた。何故だか誘い込まれるように、そこに入った。穴の中は妙な感覚で、いつの間にか気を失っていたんだ。
チャイムの音で目を覚ますと、翌日の昼だった。当然、穴の事は夢だと思った。でも違ったんだ。チャイムは2度、3度と鳴った。なんとなく成瀬かもしれない、そう思った僕は玄関に向かった。
「こんにちは!」
信じられなかった。ドアを開けると、大城薫がいたんだ。大学の時のイメージそのままで。
「……大城……さん?」
「良かった……なんか、最近様子が変だったから見に来たんだけど」
「……ホントに大城さんなの?」
「どういうこと? 私は私だよ」
「だって君は……もう……」
僕は混乱した。だけど、その後さらに混乱することになった。
「何? やっぱり変だよ? 金玉くん大丈夫?」
キンタマ、と呼ばれた気がした。そんなはずはないと思った。
「えっ? 何? 今なんか言った?」
「何が?」
「変な事言わなかった?」
「変だよとは言ったけど?」
「いや、そうじゃなくて、その後」
「……金玉くん?」
「なんて?」
彼女はハッキリと僕を掌で示して言った。
「金玉くんでしょ? 何言ってるの?」
「僕の事、金玉くんって呼ぶの?」
「金玉くんは金玉くんじゃない。どうしたの?」
「僕は、星だよ」
今でも忘れられない。その時の彼女のギョッとした顔。
「ちょっと、何言いだすの?」
「何で? 僕の名前は星だよ。金玉じゃない」
「本気で言ってる?」
「僕は生まれてからずっと星だ! 星新だ! 金玉なんて名前じゃない!」
「……ごめん、今日は帰るね」
「えっ」
「私の事、からかってるんでしょ? ……酷いよ。金玉くん」
僕は去っていく彼女の背中を、ただ見ていることしかできなかった。
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