第51話 六花編 12 夢の国

 車は巨大な闇の塊のような場所の前に停まり、私達はその闇に埋没するように外へ出た。


 そして今、紅蜂と私はその異様な闇の塊……いや、を、まるで友人同士のように並んで歩いていた。 


 ここはかつて「日本」が未曽有の大災害に見舞われる以前、世界有数のテーマパークとして国内外の人々から愛され、信頼されていた場所だったという。

しかし、今はただの廃墟だ。

夢の国と言われた華やかさは見る影もない。


(潮の匂いが強い……)


 海が近いのだ。私の鼻腔を生臭さが衝く。

 それに反比例するような、辺りに聳えるメルヘンチックな造形物が夜の闇と静けさに溶け込んで、とても不気味で不愉快ですらあった。

 その薄気味悪い空気を、紅蜂は心地よさそうに吸い込んでいる。

「いいなぁ、遊園地。行ったことないんだぁ、私」

「……」

 私は何も応えない。だが、紅蜂は続けた。

「私達はそういうとこに行っちゃダメだってがあるんだよ」

 ……変な規則だよねぇ。紅蜂は苦笑いでそう付け加えた。


 私達、と言うのは彼女の仲間たち、つまり橘製作所が飼う『荒事師』の事だろう。

「六花ちゃんは行ったことある? 遊園地」

「……」

「あーあ、行ってみたいな遊園地。一回でいいからぁ」

「……行けばいいじゃないか」

 私が呟くと、紅蜂は私が反応した事を意外そうにしながらも、自嘲気味に笑った。

「え? んー、でも無理だよ。さっきも言ったじゃん。私達のルールで、ダメだって」

「だったら荒事師など辞めて、行けばいいじゃないか。自由になって、好きなだけ行けばいい」

「……紅蜂が紅蜂じゃ無くなる時は、死ぬ時だよ」

 紅蜂は歩みを止めた。


 私は少し遅れて止まったので、彼女との距離に若干の間が出来た。

 意識して作った間合いだ。そんな事、紅蜂には先刻承知の事であろうが。


「……で、決めたんでしょ? 六花ちゃん。私と一緒にって」

 紅蜂の声に不愉快そうな色はない。むしろ、楽しそうでさえあった。

「でなきゃこんなとこ来ないってーの。ね、六花ちゃん?」


 紅蜂が全てを理解した上でここまでお膳立てをしてくれた事は、彼女がここへ私を連れてきた事がはっきりと証明している。全てお見通しの上で、私の話に乗ったのだ。その真意は分からない。


 分からないが、これは私の望んだ展開だ。

 だから私はぐっと踏み込み、腹から声を出した。

 それは自分の意思をしかと、紅蜂にではなく、自分自身に伝えたかったからだ。


「そうだ。帰らない。私は静馬さんにブラックジャックを整備してもらい、自分の足で日本に帰る。そして父を治療できればそれでいい。その後なら、どのようなとがめでも受ける。その後でなら、私をお前の好きになようにしてくれて構わない」


 その覚悟に嘘はない。しかし、その為にはもう一つの覚悟が必要だ。

 その覚悟こそが、真に困難なのだ。


「その為にお前を斬らねばならないなら、斬る。だからここへ来た。お前を斬り、その骸を踏み付けてでも、私は私の意思を果たす」

「……お馬鹿だね。六花ちゃん」


 紅蜂はどこまでも空虚だ。からっぽなのだ。

「せっかく仲良くなれるかなーとか思ったのに」

 彼女の言葉には芯がない。

 人の温もりがない。

「……殺さないよ。これは本当。昨日殺すとか言ったけどアレは嘘。びびらせようとしただけ。だって任務は六花ちゃんを連れて帰る事だから」


 その空虚さを作り出したのは、或いは橘なのかもしれない。

 彼女から心を奪い去った罪は、紅蜂というモノを必要とした橘製作所にあるのかもしれない。


「紅蜂は必ず任務を遂行するんだよ。じゃないと捨てられちゃうんだ。役立たずは、いらないからね」

 熾烈な運命だ。それ故の空虚。生に対する虚無感が、彼女をがらんどうにしているのだ。


「……紅蜂。お前、歳は?」

 私が問うと、突拍子も無い質問にも関わらず、彼女は答えた。

「同い年だよ。六花ちゃんと」


 私は息を飲んだ。

 恐らく、彼女と私の16年は何もかもが決定的に違うだろう。

 密度が違う。濃度が違う。覚悟が違う。

 そんな私の緊張を見透かす様に、紅蜂はにっこりと微笑んだ。

「さぁ、六花ちゃん……遊ぼ?」




 結論から言うと、私は紅蜂に手も足も出なかった。

 絵に描いたような完敗だった。


 先ず、飛び出したのは私の方。

 最初に攻撃したのも私の方。

 そして倒れたのも、私の方が先だった。


 何がどうなったのか。

 私の方から先手を取って斬りかかったはずが、反対に鳩尾を蹴り込まれ、吹っ飛んだ挙句に吐瀉物を盛大にまき散らし、無様に悶絶するしかなかったのだ。


「うわぁっ! その反応、そそるわ~」

 紅蜂の瞳が輝いた。彼女は見世物を見る少女そのものの視線を私に向けている。

 圧倒的余裕がその表情かおから滲み出ていた。

「……くっ!」

 私だって厳しい稽古を積んできた自負がある。並の相手に不覚を取る事など無いと断言できる。

 しかし、紅蜂は並みでもなければその上でもなかった。

「大丈夫? 六花ちゃん。立てる?」

「な、なめるな!」

 私は吠え、刀を握り直して紅蜂に斬りかかった。

 剣士として、ありとあらゆる技術を総動員しての決戦だ。


 だが、起死回生の反撃はことごとく躱され、あっという間に反撃という名の弾丸たまは底をついた。

 その後は只々一方的に殴られ、蹴られ、投げつけられた。

 私の切っ先は一度も紅蜂を捉えず、そして紅蜂は得物を抜かなかった。

 真剣で向かう私を紅蜂は素手でいなし、打ちのめし、制圧せしめたのだ。


「……気が済んだ? 六花ちゃん」

 紅蜂は満身創痍の私を見下ろして言う。

 私は最早ぼろ雑巾と比喩されても仕方のないくらいに打ちのめされていた。

「これ以上やると死ぬかもよ。まぁそうなる前に気絶させておしまいだけど」

「……まだだ! まだ、まだまだ……っ!」


 まだ、やれる。

 私は屈辱と諦念をねじ伏せて立ち上がるが、足に力が入らない。生まれたての小鹿の様に震えて立とうとする私に、紅蜂は明らかな憐憫を見せた。


「気の毒だね。プライドだけいっちょ前だからそんなんになるんだよ。でも、そういうの嫌いじゃないよ。そういう人のココロをさぁ、『べきっ!』ってへし折るのって、すご~く楽しいもんねぇ」

 狂気の瞳が月光で照らされ、妖しくぎらついた瞬間だった。


「……」

 無念を抱えながらも、私の意識が遠のく。

 全身の力が抜けていく。

 蓄積したダメージは許容量を越え、私はついに限界に達したのだ。


「……?」


 不意に、ふっと浮き上がるような感覚を覚えた。

 とうとう気を失ってしまったのかと思った。

 だが、違った。気が付くと、私は背を伸ばして直立していた。


 奇跡でも起ったのか、さっきまで感じていた痛みも、苦しさも、嘘のように消え去っていた。

 訝しむ紅蜂は私の様子を見て不愉快そうに眉をひそめた。


「……なに?」

 それはこちらが聞きたい。

 目の前にあり得ないものを見たのだ。


 目の前の敵をそっちのけにして何度も目を擦る私に、彼女は異様なものを感じたのか。

「ほんと、なによ?」

 眉を顰める紅蜂を他所に、私は心のざわつきに慄いていた。


 は、何なのだ?

 目の前にあり得ないものが見えるのだ。

(なぜ、が……?!)


 橘製作所の社章が、まるで立体映像の様に私の眼前に突如現れたのだ。


「お、お前には見えないのか?」

 私の問いかけに、紅蜂は呆れた声で返す。

「はぁ? なにそれ、もしかして演技?」


 ……演技などではない。

 私にははっきりと見えている。

 しかも社章が消えたと思ったら、今度はものすごいスピードで判読不能なほど大量の文字列が現れたのだ。


 まるで古いコンピューターが起動する際にチェックディスクを作動させるような……


「っ!」

 突然、視界が真っ赤になった。同時に頭が割れるような頭痛が襲う。


「ちょっと、ホントにやめてよね。演技なら下手すぎなんですけど」

 ふらつく私に紅蜂がため息を吐く。しかし、私はそれどころではない。


「な、なに? なんだと……??」

 私の眼前には「警告」や、「攻撃」、「迎撃」、「防衛」など、ただ事ではない文字列が何度も何度も繰り返し流れている。


 やがてそれも止み、最後に問いかけるような文字が現れた。


『橘六花を遮断し、防衛システムを起動します。 10』



 訳が分からない。

 分からないまま、末尾の数字が1秒ごとにどんどん減っていく。


「おい、待て……おい!」

 私の呼びかけを無視して数字は減っていく。

 それはまるで私に残された時間の様で……。


「まて、待て! 待ってくれ!!」


 直感した。このカウントダウンは私そのもののテンカウントだ。


 何故? どうして? 何のために?


 そんな私の問いに答えるそぶりも見せず、数字は終わりを迎える。


「頼む! 待ってくれ!!」


 最後に見たのは虚空に浮かぶ「1」の文字。


 私は残された刹那に最後の希望を振り絞り、声にならない声であの人を呼んだ。


 届くはずはないと分かっていても、分かっていたからこそ呼んだのだ。


 せめて最後に、あの人を……。



 千鶴さん……!!




 六花編  了

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