趣味との出会い(過去の話)
「あぁーお腹空いたぁ……」
15歳になる赤ずきんは、弱く呟いた。
ボルトアクションライフルを背負い、45口径ダブルアクションリボルバーを腰に吊るす。
先を歩く体長160センチの大柄な狼。足元は白く、胴体にいくにつれて茶と灰の毛が混じる。
琥珀の左目が赤ずきんを睨んだ。
『町はすぐそこだ、さっさと歩け!』
数メートル先から叫ぶ。
「厳しいなぁ」
渋々、歩みを続ける。
どんどん前を歩いていく狼は、緩やかな傾斜の上で立ち止まった。
『……何かいるぞ、気を付けろ』
「えぇ何かってなに?」
『いいから来い』
傾斜を越えた先に、牝馬とふくよかな男がいた。
「倒れてる……お馬さんは、草を食べてるね。大丈夫そうだけど」
『つい最近まで激しい内戦があっただろ、油断するな、起きた瞬間お前の肉体を弄り、果てに引き裂くクソ野郎かもしれな』
「わ、綺麗な毛並み。大人しいよこの子」
恐れず牡馬に近づく。
牡馬の首筋辺りに手を伸ばして、軽く叩くように撫でてみた。
特に嫌がる素振りは見せず、牡馬は大人しく円らな瞳をしている。
『おい、俺の話を聞け!』
「狼さんが助けてくれるでしょ」
『ぐ……馬より、こいつだ、こいつは怪しいぞ』
街道の側、仰向けに倒れた男性の周りをくるくる歩く。
シャツの裾が捲れて丸みのあるお腹を出す男は幸福に満ちた表情をしている。
古びたハンチング帽、ボーダー柄のシャツに、青いオーバーオール、黒いブーツ姿。
男が握りしめるリュックから銀の小さなケースと、ライターがこぼれている。
「食べ物入ってるかなぁ、弾もあるといいな」
『おい、盗人に育てた覚えはないぞ』
「狼さんって人より人だね」
『俺は狼だ』
頭上で交わされる声に眉を動かした。間隔なくパッと瞼を開ける。
リボルバーに手を添え、警戒。
背中に隠れる狼。
「う、うぅーん……うん?」
見守るなか、男は上体を起こす。
「おじさん、こんな外で寝てたら風邪ひきますよ」
「あ、あーいや、すまんすまん大丈夫だ。ちょいと香りが強すぎてな。わざわざどうも、お嬢さん」
ニコニコと、リュックを片付ける。
「このケース何が入ってるんですか」
「葉巻じゃよ。ワシお手製のいい香りがする葉巻。趣味で作っとる」
葉巻の先端にゆっくりと火をつけて甘い香りを漂わせた。
不思議とうっとりする香りに、赤ずきんは目を細める。
「わ、いい香りー」
「若いのにこの良さが分かるか。うんうん、感激過ぎる。ワシはエミリオ、農業と狩人で独り生計を立てとる寂しい男だ……う、おぉ!?」
エミリオと名乗った男は赤ずきんの背後で隠れている大柄の狼に気付くと身構えた。
「おぁっ……あぁっあぁ、人食い狼……じゃない。いや、まさか」
「彼は私の大切な相棒です。意味なく人を襲いません、あと鹿肉が好物なんです」
大人しく待つ牡馬を見上げて、エミリオは微笑んで息を吐く。
「大切な相棒ならワシにもおる。ちょっと驚いただけだから、安心しなさい」
狼はゆっくりと赤ずきんのもとへ。
右目の傷と左の鋭い琥珀は、エミリオに向けて凄む。
軽い冷や汗を滲ませ、エミリオは何度も頷いた。
「安心したら、お腹空いてきた……」
「心配させてすまんな。お詫びといっちゃなんだが、ランチをご馳走させてくれないか? 孤独な老人だが、料理は得意でな」
提案に賛成していない狼。
だが、赤ずきんは元気よく頷く。
「ぜひ!」
農園が広がる町の外側にある、小屋へ。
エミリオは牡馬を柵に繋いだあと、腰に手を当てた。
「ぼろいが、独りで暮らすには十分な小屋だろう? 雨以外は外で食べとるんだ。さぁ、ここに掛けて待っていてくれ」
小屋の前に置いたテーブルとイスへ案内。
狼は赤ずきんの足元近くで座る。
『毒かもしれないぞ』
「狼さんならニオイで分かるでしょ」
小屋からニコニコと、エミリオは鉄鍋を丸ごと持ち出してテーブルに置く。平皿とコップを2人分、それと硬めのパン。
「豆の煮込みスープと、サンドイッチじゃ」
薄桃のハムと白いとろけたチーズ、トマトソースが絡むミートボールが挟まれているパンに目を輝かせる赤ずきん。
「ありがとうございます、久し振りのご馳走です!」
「どうぞどうぞ召し上がれ」
「はい」
狼は伏せたまま左目は鋭く警戒している。
エミリオが手を付けるまで待つ。
大人しく待つ様子に傾げるが、すぐに目を見開き、頷いた。
「あぁ、ははっしっかりした子じゃな」
先にスープを啜る。
「お嬢さん名前は?」
「名乗るほどの者じゃありません。ちょっと訳ありでして、何でも屋をしながら、旅をしています」
はっきりと答えられない赤ずきんは目を細めた。
皿に盛りつけた豆の煮込みスープをスプーンで掬い、口に運んだエミリオは、にこやかに頷く。
「そうかそうか、みんな色々あるな」
「おじさんはどうして狩人に?」
エミリオは葉巻を細長い灰皿に置いて、甘い香りが漂う空間を作った。
それから、寂し気に赤ずきんを見る。
「ここの狩人が、内戦で亡くなったからだ。ワシは軍の狙撃手をしていてな、内戦が終わると同時に配属された」
棚の引き出しから1枚の写真を取り出す。
差し出されたモノクロの写真。
汚れのない軍服を身にまとい、誇らし気に笑っている。
「笑顔が可愛い、素敵な人ですね」
「だがある日突然、心優しい狩人は内戦の首謀者となった」
農園で働く人々を眺める。
「この人が?」
「軍事国家の圧政に反対するやつは大勢いるんじゃ。こいつも軍に蝕まれ、増悪と正義のために命を散らした……国を変えることはできなかったが、少なくとも誰かに影響を与えたはず。ワシは勲章を受け取れなかったんじゃ」
「……」
「おっとすまん、辛気臭くなったの。お嬢さん、旅をしてると色んな奴と会うじゃろ」
足元で伏せている狼は、そっぽを向く。
「はい」
「嫌でも誰かを、撃たなきゃいけない場面もある。自分を責めたくなる時もあれば、誰かを憎みたくなる時だってある」
「はい……」
「そんな時は葉巻の香りを嗅ぎながら、相棒と過ごす。ワシにとって心を落ち着かせる魔法じゃな。吸わずにただ香りを愉しむ、これが乙ってもんじゃ」
しわくちゃに微笑むエミリオはサンドイッチを頬張り、スープを飲む。
赤ずきんは少し遅れて微笑み返した。
ゆっくりと時間が過ぎていくような、穏やかな空気が流れる町と鼻腔をくすぐる甘い香り、足元には丸まった大きな狼。
赤ずきんは冷めないうちにご馳走を完食した。
「ご馳走様でした」
「いやいやこっちこそ。久し振りに誰かと話せた楽しかったよ。そうじゃ、出会えた記念に葉巻を受け取ってくれないか」
エミリオは葉巻と保管できる専用の小さな容器を赤ずきんに渡す。
お手製葉巻が10本入っている。
「いいんですか?」
「旅のお供に使ってくれい。マッチと灰皿もつけよう。結構長持ちするぞい」
「ありがとうございます」
斜め掛けカバンに葉巻を入れる。
別れを告げて次の町に向かった。
『体に異変はないか?』
「大丈夫。とっても素敵なおじさんだったね」
『どうだか……それにまた、変な趣味が増えた』
「そうかな? ワインも葉巻も、素敵な物だよ」
赤ずきんは首を傾げつつも、どこか楽しく表情を綻ばせた……――。
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