第4話 レオと狩人

 赤ずきんは葉巻の先から漂う甘い香りに目を細めた。

 アルミ製の折り畳み式イスに腰掛け、日中の太陽を浴びながら、釣りをしている狼の横顔を見つめる。

 穏やかな川に左側を向けて釣り竿を銜える狼。

 足元は白く、胴体にいくにつれ茶と灰の毛が混じる。


「お茶会が懐かしく感じるなぁ」


 狼は呆れたように鼻息を出す。


「今日も串焼きかな、それとも頑張ってムニエルにしようかな」


 狼が話せないのをいいことに、赤ずきんは呑気に喋る。

 聞き流す狼は釣り糸と竿の先を琥珀の左目に映す。

 赤ずきんは川の先に続いている町を見た。広い農場と風車が特に目立つ。


「あそこの人達、狼さんを見ただけで威嚇射撃してきたね。私も入らせてもらえなかったや」

『……』


 赤ずきんはさほど気にせず、次の町や村はどこにあるか、何日かかるか、頭の中で考え込む。


「ねぇねぇお姉ちゃん!」


 慌てたような幼い声が下の方から聞こえ、赤ずきんはそっと顔を下ろす。

 6才か7才ほどの少年が赤ずきんに真剣な眼差しを送っていた。

 ズボンの中に玩具の銃を突っ込んで、手には封筒を持っている。


「いつの間に? 全然気付かなかった」


 狼は釣り竿を引っ張り戻し、砂利の上に転がした。


『オレもだ、ニオイがしなかった。魚の釣りすぎか?』


 狼は何度も空気を嗅ぐ。


「君は町の子?」


 赤ずきんの質問に、少年は笑顔で頷いた。


「うん、ボク、レオ! お姉さんにお願いがあるんだ」


 レオと名乗った少年は封筒を赤ずきんに見せる。

 封筒はくすんだ黄色。


「それは何が入ってるの?」

「写真! お父さんにこの写真をわたしにいきたいから、いっしょに来て!」


 赤ずきんは狼は、ちらりと横目で覗くようにお互いを見た。

 赤ずきんは葉巻の先に軽く息を吹きかけて消した後、専用のシガーボックスに入れて、斜め掛けカバンにしまう。

 ボルトアクションライフルを背負い、腰に巻いたホルスターには銃身が短いダブルアクションリボルバー。

 準備が整った赤ずきんと狼は、レオを見下ろす。


「レオ、町のみんなに止められなかったの?」

「ナイショで抜け出したから。お母さんこわいんだよ、バレたらお尻たたかれるどころか、ごはん抜きだもん」

「なるほど、相当の覚悟があるとみた。それで、どこまでついて行けばいい?」


 レオは封筒を大事に抱えて近くの森を指した。木々が密集している場所は川に囲まれている。小さな橋を渡った先から道なき草むらで、中央に古い砦が見えた。


「いつもあの岩の上にいるよ! あそこで狩りをしているんだ」

「狩人さんなんだね」


 橋を渡り、よたよたと歩く狼を先頭にして、レオが真ん中に、赤ずきんは後方を歩く。


「うん、狩人さんのなかでも一番上手なんだって」

 

 父について自慢げに語るレオに、赤ずきんは目を細める。


「凄いね。上手ってことは、たくさん人食い狼さんを仕留めたわけだ」

『……』


 狼は何も言わず、前を進み続けた。


「うん。だから、お母さんオオカミを撃っちゃった」


 寂し気に俯くレオ。


「子狼がいたの?」

「うん……ひとりぼっち、かわいそうでひろったけど、森のなかに逃げちゃったんだ」


 草が激しく擦れるような音が聴こえ、レオは思わずしゃがみ込んだ。


『ニオイがする、近くにいるな』

「明るいのに活発だね。ちょっと撃つよ、うるさいから耳塞いでて」


 リボルバーを抜き、銃口を空に向けて一発、破裂音を響かせた。空に飛び立つ鳥の騒がしい鳴き声と羽の音。草の擦れる音は遠のいていく。

 両耳に指を入れたレオは、ゆっくり離して辺りを見回す。


「なにをしたの?」


 リボルバーをホルスターに戻した赤ずきんは得意げに微笑む。


「人食い狼さん達は大きい音が苦手だから、こうしておけば逃げるか、飛び出してくる」

「そうなの? すごい……お姉ちゃんは本当になんでもできるね!」

「うん? あー、そうかなぁ」

『……おい、赤ずきん』


 先頭にいる狼は声を落とした。


「どうかした?」

『赤ずきん、森の様子がおかしい……異様な空気がする』


 上を向けば、木々の隙間から覗ける森の砦。屋上から太陽に反射して光るなにかが赤ずきんの視界に映る。

 目を凝らせば、それはボルトアクションライフルに接続したスコープに反射した光だった。


「あぁ、さっき撃っちゃったから変に怪しまれたかな」


 ライフル銃を手に構えてレバーを倒し、赤ずきんはレオを木に隠す。


「レオ、狼さんと一緒にいてね。頼んだよ」


 赤ずきんに頼まれた狼は、分かった、と低く返事をした。


「でも、お父さんが」

「まぁまぁ、まずは誤解をとかなきゃ、それからだよ封筒を渡すのは」


 赤ずきんは木に隠れながら、砦に接近。


「こんにちは! 私は赤ずきんといいます! 実はレオから依頼されて貴方に封筒を届けにきました!!」


 木の陰から砦に向かって叫んだよく通る声に、


「レオだと?! 嘘をつくな!! なにが狙いだ、金か!? 弾か?! 食料か!!」


 男は警戒して叫び返してきた。

 同時に爆裂音を響かせて赤ずきんが隠れている木を抉る。皮が捲れ、木片が散らばる。


「あーもう……血の気多すぎでしょ。どうしよう、このまま近づいても銃撃戦かな」


 赤ずきんは斜め掛けカバンから取り出した空のワインボトルを前方へ投げてみた。

 容赦のない爆裂音と同時にワインボトルが破裂。破片が土を抉り飛び散ってしまう。


「うわ、一歩でも出たら撃たれる」

『おい、こら! レオ!!』


 狼の焦るような声と茂みを揺らす音が聴こえてきた。

 レオは言うことを聞かず、赤ずきんよりも前に飛び出してしまう。追いかける狼に、赤ずきんは目を大きく開けて顔を青ざめる。


「狼さんダメ!!」


 その合図に狼は、足を踏ん張ろうとしたが間に合わず、鼻先から地面に転んでしまう。

 反射して光るものが狼とレオに向いた。赤ずきんは砦にいる狩人に狙いをつけて発砲。二重に爆裂音が響き、赤ずきんは軽く舌打ち。

 赤ずきんは顔を強張らせ真っ先に狼のもとへ駆け寄る。

 狼は首をぶるぶる振り、ふらつきながら起き上がった。

 どこにも外傷はなく、赤ずきんは大きく安堵の息を吐き、狼を抱き寄せる。


『オレは大丈夫だ……それよりレオが』


 横を見ればレオが力なく横たわっている。

 出血は見られず、怪我をしている様子もなかった。


「どういうこと?」

『分からん……とにかく狩人のところに行こう。レオはオレが担ぐ』


 赤ずきんは落ちた玩具の銃と黄ばんだ封筒を抱え、レオを狼の背中に乗せる。

 砦の中にある階段から上を目指した。

 屋上には血飛沫と深い呼吸を繰り返しながら手で腹部を押さえている狩人の姿。

 厳つい顔をさらに険しくさせている。

 狼は階段の途中で止まり、狩人に見つからないように隠れた。


「なんだ……クソ、女に……」

「すぐに止血します」

「近寄るな! 撃つぞ」


 シングルアクションのリボルバーを手にもち、斬鉄に指を引っ掛けた。次に引き金へ。


「分かりました。けど、レオが貴方に封筒を」


 黄ばんだ封筒を見せると、狩人は悲し気に首を振った。


「この封筒と玩具の銃は……確かにレオの、宝物だ。だが、レオはもう二年前に死んだ。人食い狼に喰われてな」

「え?」


 赤ずきんは思わず目を丸くしてしまう。


「人食い狼は恐ろしい生き物だ……駆除しなければ。哀れみや優しさなど見せればすぐに俺達は喰われておしまいだ。お前も銃を持っているなら、1頭残らず始末するべきだ、なのに、どうして……狼なんかと一緒に」


 ライフルを抱える赤ずきんに、狩人は怪訝な表情を浮かべる。


「彼は、私の大切な相棒です」

「相棒? はっ、レオと同じことを言う……その相棒に喰われたのに」


 狩人は悔しさを嚙み千切るように呟いた。


「だとしても、私は相棒を撃ったりしません。きっとレオも、できなかったはずです」

「あぁ、だろうな。だから俺は、少しでも多く人食い狼を狩る。そして、そんな間違った感情を持った奴もな!!」


 狩人は首を横に振りながらリボルバーの引き金に力を加えた。

 赤ずきんはホルスターからダブルアクションリボルバーを抜き、破裂音を砦の中に響かせる。

 狩人はビクン、と一瞬だけ体を跳ね、そのあとは脱力気味に両手を床に落とす。


『赤ずきん!』


 隠れていた狼は砦に上がって、慌てながら赤ずきんの足元へ。


「……レオがいない」


 狼の背中には誰も乗っていない。


『どういうことだ? 何が起こったんだ?』


 赤ずきんは無言になり、狼を抱きしめる。

 突然のことに驚いた狼は、左目の琥珀を大きくさせた。


『ど、どどど、どうした?』


 赤ずきんは答えず、胴体や耳、顎の下を撫でて、閉ざした右目に口づけをする。

 立ち上がった赤ずきんは、ふぅ、と呼吸を整える。


「さぁ行こう……狼さん」


 砦の近くに土を掘り、狩人の遺体を埋めた。 

 そこにライフル銃を突き刺して、墓標代わりにした。





 暗くなる夜の時間、赤ずきんはアルミ製のイスに腰掛ける。

 金属製の箱に枝を入れてマッチで火をつけた。

 その上に鉄板を乗せ、釣れた川魚を焼く。焼けるのを待つ狼。

 黄ばんだ封筒を開けると、一枚の写真が入っていた。

 狩人と、レオとその母親。レオの胸には怯えた小さな狼が抱えられている。

 玩具の銃と一緒に火の中へ放り投げた。

 写真と封筒は一瞬にして黒く染まり、灰となって跡形もなくなる。

 玩具の銃は枝と共にゆっくり火を揺らす。

 赤ずきんは乾いた血で汚れた手紙をカバンから取る。白い部分は僅かで、辛うじて読める文字を追いかけた。


「たまに、悲しくなるんだ」

『悲しく?』


 狼は聞き返し、赤ずきんは頷く。


「人食い狼さんを駆除した時も、狩人さんを撃ってしまった時も、もの凄く自分自身を責めて、それから今すぐ消えたいって思ってしまう。なんか途端に、悲しくなる」

『…………』


 赤ずきんは手紙をカバンに戻して微笑んだ。


「魚、美味しく焼けるといいね、狼さん」


 狼は黙って、魚の焼き加減を見守り続けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る