#22

「君がアイ君か」


 呼びかけで目を覚ますと、強烈なめまいにくらりとする。


 覆現に長時間潜った後にありがちなめまいだ。

 覆現を重ねたまま眠ってしまったことを後悔する。


「連絡をくれたアイ君だね」


 眠っていた私を呼び起こした彼の横に覆現がプロフィールを表示してくれる。

 住吉フウマ、三八歳。

 加齢のせいか多少顔がふっくらとしているけれど、手に触れるとちょっとドキドキしちゃうくらいに鼻筋が通った整った顔をした男性だった。


 彼が差し出す手を借り、立ち上がる。


「立ち話もなんだし、なにか飲みながら話そうか」


 本棟に入っているコーヒーショップでフラペチーノを奢ってもらい、ベンチに座って、これまでの経緯を彼に語る。


 自分が死後生殖で産まれたこと。

 記録ではここの病院で産まれたことになっていたこと。

 両親が残したビデオがあること。

 病院側の記録では両親の入院時期がずれていて出会う可能性さえなかったこと。

 そして、彼らの没日よりも後に、私の着床日が記録されていること。


「その動画を見せてくれないか」


 私のまとまりのない話を黙って聞いてくれた彼の最初の言葉はそれだった。


 求めに応じて動画を送る。


「この動画はディープフェイクだ」


 動画に一通り目を通したフウマがさらりと告げた。


 その言葉に返答できないでいると、彼が説明を付け加える。


「結構手の込んだフェイク動画だけどね。一〇年前だったら判別は難しかったと思うけれど、今ならアプリに通すだけで識別できる」


 彼がWebの識別結果ページを送ってくる。

 フェイクなのは最後の名づけを語る動画。


「最初の二本は本当だ。けれど最後の動画は全くのフェイク。たぶん他の二本の動画のデータを使って生成したんだろう」


識別結果には丁寧に作成に使われたソフトまで示されている。


「私の両親は存在しない、ということ」


 真っ白な頭からどうにか言葉をひねり出すけれど、自分自身で言ったことなのにあまりにも冷淡で涙が自然とこぼれそうになってしまう。


「存在はしているさ。病院のカルテにも入院歴は残っているし、白血病治療の前に配偶子を冷凍保存した記録も残っている」


 私が病院から貰った資料を流し読みしながら言う。


「しかし、彼らが親になることを決意した記録は残っていない」


 動画も最初の二本は両親の自己紹介で終わっている。

 最後の一本で母親が私を産む決意を語るけれど、それはフェイクだ。


「意味が分からないわ」


 足元がガラガラと崩れていく不安感に私は足を抱える。


「アイ君は真実を知りたいかい」


 意志を感じさせる鋭い眼光でこちらを見つめながら問う。


「真実って何よ」


「俺は今、義妊の不正疑惑を追っている。本来本人の意志によって用いられるはずの凍結配偶子が第三者の手によって義妊に使われているのではないか、という疑惑だ」


「だれがそんなことをするのよ」


 私の問いかけに、フウマはコーヒーを一口飲み、当然の事実を述べるようにこう言った。


「地域の人口動態維持に努める公務員たちだよ」


 なぜ公務員がそんなことをするのだろうか。

 他所の子どもが生まれようが生まれまいが彼らの利益にはならないはずだ。


「アイ君は今どこに住んでいるんだい」


「福岡よ」


「福岡に比べてどうだ、東京は」


 まだ一日だけだけどスクーターで巡った東京の街並みを思い返す。


「さびれているわね」


 身も蓋もない言い方だけれど、それがピッタリだ。


 かつて栄えていたものが廃れ、さみしくなった風景。


「なぜそうなったのだと思う」


「若者が東京に来なくなったからでしょ」


 カエデに同じうんちくを語ったなと思い出す。


「人々が子どもを産まなくなったからと言うかと思っていたから感心したよ」


 フウマがわざとらしげに目を見開き、「その通りだ」と言った。


「地方から余剰人口が流入することで都市は成長する。過去から一貫して東京の出生率は他地域に比べ低く、それはロンドンでもニューヨークでも変わらない」


 動物と一緒だ、と思う。


 過密になればなるほど子をよく産む動物なんていやしない。


「ある意味、都市は人口爆発を抑えるバッファーとして働いていたわけだ。飢饉や堕胎、戦争のような荒っぽい解決策に比べれば、食い詰め者たちが都市で独身のまま死んでくれた方がよっぽど穏便に人口を安定させることができる」


 増えすぎた人口を宇宙に移民させなくとも、何百年も前から人は増えすぎた人口を都市に移民させることでマルサスの罠を解決してきたわけだ。


「けれど現代社会にそのような余剰人口はもはやどこにもない。地方にも第三世界にも、地球上のどこにも。都市が持続するためには自らも人口再生産の役割を担わなければならなくなった」


 まるで都市が自ら子を産めるかの物言いに違和感を覚えるけれど、いまでは材料さえあれば、人間なしでも子を生む手段があるのだと思い出した。


「ほぼすべての子が義胎で生まれるようになった現代でも、出生率は人口置換水準に届かない。義妊費用を国家が助成し、養育義務すら市民の子としてパトリエに任せきりにすることができるのに。どんな役所にも人口課が設けられ、出生数が人口置換水準に達するよう苦心している。そして消滅の危機をなんとしても回避したい役所が行う対策の中には、補助金や双子出産の勧奨といった公的に認められたものだけではなく、公的扶助と義胎妊娠のバーター取引や義胎妊娠届の改竄といった真っ黒なものさえ存在する」


「そんな話、聞いたことないわ」


 もしそのような不正が実在すれば大問題になっているはずだ。


「だから俺が調べている。まだ決定的な証拠はつかんでいないがな。パトリエにもいるんじゃないか、一度も親が会いに来てくれない子どもたちが」


 他人の親子事情に探りを入れるようなことはしていないから正確には知らないけれども、ゲーム機の名義貸しをやってる中で、そういう親が会いに来てくれない市民の子が結構な数いることは体感で分かっていた。


「子育てに飽きただけかも」


 親の職場が変わった、両親が関係を解消した、ただなんとなく。

 色んな理由で子育ての興味を失う親は多い。


「まあそうかもしれない。たとえ生まれてから一度も子に会いに来ていないとしても、妊娠期間の十ヶ月の間に心変わりしてしまったと言われれば、それが嘘だと証明するのは難しい」


「どうやって証明するつもりなの」


 そう尋ねると、フウマはにやりと陰湿な笑みを見せた。


「死者が子を生む決断をしていれば、それは嘘だと言える」


 その笑みは私をいらだたせた。


 義胎妊娠の疑惑を追っている彼にとって、私の不可解な出生は待ち望んだ好機かもしれないが、私にとっては純粋な不合理だ。


「当時、人口課で義胎妊娠の申請を処理していた人物とコンタクトが取れている」


「よく連絡取れたわね」


 いらだちから声色がとげとげしくなったけれど、彼は私の内心は知らぬ顔で、饒舌に事情を語りだす。


「公共事業を業者に斡旋してキャッシュバックを貰う、つまらない汚職でクビになった奴で、金に困っているようでね。自分が不正に関わっていたことはほのめかすんだが、こっちから金を巻き上げるつもりなのか、核心の話にはだんまり」


 そう言って肩をすくめて見せる。


「アイ君が自らの出生の真実を追い求めれば、彼は必ず疑惑の当事者として矢面に立たされる」


「脅すの」


「単に経緯を聞くだけさ」


「あなたを噛ませるメリットは」


 私の出生記録と病院の記録に齟齬があるのは明らかだ。

 フウマの手引きに頼らなくとも、しかるべき機関に頼れば自力で真実にたどり着くこともできるだろう。


「アイ君は東京にあと何日いる予定だ」


「一週間よ」


「病院と役所から必要な情報を引き出す間に一週間は過ぎる。騙された側の病院はともかく、痛い腹を探られる役所が素直に白状するわけもない。場合によっては弁護士を挟む必要もある」


 それには時間も費用も掛かる。今の私はどちらも持ち合わせていない。


「ついさっき出会った俺を信頼できないのは理解できる。決心がついたら連絡してくれ」


 覆現を介してフウマから彼の連絡先が送られてきた。

 私はしばし躊躇して、黙ったままアドレスの一番上にそのアドレスを登録する。

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