#21
途中で道に迷ったり、事前に調べていたクレープ屋で山盛りのフルーツクレープを食べたりしていたら、ホテルに着いたのはお昼過ぎ。
これから一週間の拠点となる部屋の中に荷物を投げ出し、今日必要になりそうなものだけポーチに入れていく。
「アイちゃんは用事すぐ終わりそうなの」
「たぶんね」
今日の予定は病院で両親の情報開示を行うことだけ。
私のように両親のルーツをたどる子どものために、義胎妊娠を行っている病院には遺伝的両親の情報保管義務がある。
病院の案内に従って前日に申し込んであるからスムーズにできるはずだ。
情報開示の中に両親の生前を知る人々の連絡先が含まれていたら連絡を取りたいと思っているけど、今日いきなり会おうという話にはならないだろう。
「カエデは分からないんだっけ」
「うん。仕事があるみたいで、時間を作れるかどうか分からないんだって。もしできれば晩御飯一緒に食べたいと思ってるけど、無理だったら明日ね」
子どもが自分に会いに来たというのにずいぶん冷淡な態度だ。
「会ったらなに聞くの」
「名前の由来かな」
「ID由来だったんじゃなかったっけ」
カエデのIDの末尾にはCAEDEの五文字が入っていて、自分の名前はそこから取られたんだと昔聞いた覚えがある。
「それは私の想像。母が言うには、父が名前を申請したらしくて。IDから名前を取ったのかもしれないし、別のちゃんとした理由があるのかも」
「聞けるといいね」
親しげに答えるけれど、私は内心後ろめたい優越感に浸る。
私は自分の名付けの理由を知っている。
両親は死にゆく体と闘いながら、自分たちの愛が永久に続くよう願いを込めて私を産んだ。
私は結晶だ。
私の名はふたりが互いに愛していたこと、ふたりが私を愛していたことを示す、アイの結晶。
「じゃあまた夜にね」
そんな傲慢さを気取られたくなくて、必要な荷物を整理すると早々とホテルを出て、ひとり病院を目指す。
ホテルから病院まではちょっと距離があった。
ここ一〇年くらいで建て替えられたのだろうか。
3Dプリンティング工法に特有の曲面で建物全体が波面のようにうねった芸術性の強い建物が、覆現のナビが指示する目的地だった。
覆現の指示通りにスクーターを駐輪して、院内に入るとコンシェルジュAIに訪問理由を尋ねられた。
覆現に映るスーツ姿のAIに義胎妊娠の両親照会であることを伝え、身元確認のため十六桁の個人識別番号を入力する。
すぐにお呼びしますとの返答だったのに、ずいぶん長く待たされた。
老人たちでいっぱいの総合受付で、読書でもして暇をつぶそうとするけれど、ソワソワしてページが進まない。
「お待たせしました。アイ様でいらっしゃいますか」
文字が頭に入ってこず、同じ文章を三回ぐらい読み返していると、上から声をかけられた。
顔を上げると、眼鏡を掛けた真面目そうな職員が立っていた。
そうです、と返すと、小さな面談室へと案内された。
「こちらへ」
そう促され椅子に座ると、目の前のテーブルに紙媒体の資料とフラッシュメモリが収められた分厚いファイルが差し出される。
もっと簡素な形でデータだけもらえると思っていたのに、こんな仰々しい形で受け渡されるなんて思っていなかった。
びっくりしていると眼鏡の職員が、
「結論から申し上げます」
と重々しく口を開いた。
「あなたのご両親は確かにこの病院に入院されていました。ですが、ふたりの入院時期は被っておらず、またおふたりはアイ様の着床日よりも前に亡くなっています」
言葉の意味が理解できなかった。
両親はそんな話はしていなかった。
両親が残してくれた三本の覆現ビデオ。
父と母がそれぞれ自分の来歴と子を持つと決意するまでの葛藤を語る短めの動画が二本と両親が二人一緒に私の名付けの理由を語り、私が生まれる前に自分たちが死んでしまうかもしれないと泣きながら謝る長い動画。
一緒に動画に映るふたりの入院時期が被っていないなんてそんなことはありえないし、私の着床日が両親の死後だなんて理解不能だ。
「記録が間違っている可能性は」
職員は山のような書類の中から二組の束を抜き出す。
「これはご両親のカルテです。長い間当院で入退院を繰り返していたお父様が亡くなられたのは二〇六二年の三月一八日。お母様はその後、他院から転院してきて亡くなられたのは二〇六三年の七月四日。アイさんの着床日は二〇六三年の九月一五日ですから」
職員はそこで言葉を切り、心底申し訳なさそうないたたまれない憐みの表情をこちらに向ける。
一〇年間聞き続けた私のルーツが間違っていると指摘する男の言葉は私を混乱に突き落とす。
「でも両親とも同じ病気で死んだんですよね。なら治療か何かで会ったことがあるのかも。で、着床日が遅れてるのはなにかの不手際があったんじゃ」
「お父様は最期の半年はクリーンルームで治療を受けていました。面会すら必要最低限に制限されていたのに、まだ他院で治療中だったお母様がこちらの病棟を訪れて、クリーンルームで隔離されていたお父様に出会うというのは」
そこで言葉を濁すが、言いたいことは伝わった。
そんなことはありえない。
「でも、」
とにかく職員の言葉を否定したくて口を開くけれど、何を言ったらいいのか、そもそも事実を伝えているだけの彼を否定して何の意味があるのか分からなくなってしまう。
「あまり外には伝えてほしくない話なのですが、」
呆然とする私に職員はそう前置きして、
「実は他の病院でも同じような事例が起きているらしいのです」
と神妙に告げた。
「同じような事例って」
「役所の書類と病院内の記録に矛盾がある市民の子が何人もいるようで」
私の覆現に職員からもみじの会という名の団体の連絡先が送られる。
「そちらの団体が義胎妊娠の適正運用について調べているようで。もしかしたらアイさんの助けになるかもしれません」
他にも仕事を残していた職員が面接室から出ていき、ひとり取り残された私はしばらく考え込んで、もみじの会の代表に連絡を取った。
二コールで通話に出た古川を名乗る男に経緯を説明すると、なぜだか彼は、「本当に死後出産で生まれたのか」と念押しして聞くほどに、私が死後生殖で生まれたことに興味を引かれた。
「ええ、そうよ。ふたりとも白血病患者だったから」
そう説明しながら、本当にそうだったのだろうかと拠り所ない不安を感じる。
「一時間後にはそちらに行く。もっと詳しく話を聞かせてくれないか」
こちらの同意も取らないまま通話が切れ、本当の意味で手持無沙汰になった私は古川が来るまでの間、病院内を見て回ることにした。
記録がどうであれ、動画の中に映る風景と同じ風景を見つければ、そこに映る両親が存在したことの証明になるのではないかと思ったのだ。
「この病院は何年前に建て替えられているの」
コンシェルジュAIに尋ねる。
「外来が入っている本棟は一〇年前に建て替えられています。病棟は三〇年前に新築され、一〇年前に耐震補強工事を行っています」
「なら病棟は一六年前の建物が残っているのね」
コンシェルジェAIに院内の地図を出してもらうと、胎育室は本棟の三階にあった。私が生れ出た義胎を見ることはできない。
けれど、両親が過ごした病室はそのままのはずだ。
病院から貰ったカルテを参考にふたりが入院していた病室を探す。
三本の動画の最後の一本は病室の中から撮られていた。
カルテにもふたりは同じ病棟に入っていたと記録が残っていた。入院時期がかぶっていないという致命的な矛盾はあるけれど。
「ここだ」
覆現のマップを頼りにたどり着いたのは西病棟の六階。
強化プラスチックの自動ドアには、ここが血液内科の入院病棟で、入院患者と家族、医療従事者しか入れないと注意書きされていた。
自動ドアの隣の認証機に手をかざし、ナースステーションを呼び出す。
「ご家族の方ですか」
応答したナースに、自分がここの入院患者から死後出産で産まれた子であると告げ、ふたりが入院していた病室を見たいと頼む。
こんなことを頼まれるのは初めてだったのだろう。ナースは戸惑い、「師長に聞いてきます」と言った。
「入れ替えでちょうど開いているから。少しだけならいいでしょう」
今風の薄緑のナース服ではない、昔ながらの白色のナース服を着た年配の師長が自動ドアの向こう側から現れ、私を病棟の中へと招く。
「両親が入院していたのは一六年前なんですが、それからずっと居られる方はいますか」
「私がここにきて一〇年目で一番の古株だから、看護師にはいないだろうねえ」
「そうですか」
「先生方も出入りが激しいから、事務方なら何十年か勤続している人はいるんだろうけれど」
事務が入院患者と接しているとは思えない。
当時を知る人がいるかもしれないという望みは希望的すぎたようだった。
「ここの部屋よ」
六一七号室と表示された扉を開け、準備室でスリッパに履き替えてから病室の中へと入る。
病室の中には、透明なカーテンで仕切られたベッドがひとつだけ。
「ベッドは昔からこれなんですか」
動画の中で見たベッドとは意匠が異なる。私は不安になる。
「いいえ。病床数が増えたり減ったりはよくあることだから。このベッドをいつから使ってるかはさすがに分からないわね」
ベッドの耐容年数が何年かは分からないけれど、一六年前からなら変わっていても不自然ではないはずだ。
そう言い聞かせ、動画で見た母親の姿を思い出しながら、ベッドの斜め前に立つ。
「ちょうどこの向きです。動画の中では西日が差しこんでいて」
両親が残してくれた三本の動画の内、最後の一本はこの病室で撮られていた。
「私はあともう半年も生きていられないでしょう」、と単刀直入な語りだしで始まる動画の中で母親は自分の病状がもはや回復の見込みが薄いことを平然とすべてを受け容れたように語っていた。
私が生まれるまで持つか分からないと言ったとたんに彼女の瞳に涙があふれ、父に励まされながらそれでも自分は子どもを授かりたいと言い、私の名付けの理由を語る。
私はこの動画が一番好きだった。
西日差し込む部屋の中で、見るからにやせ衰えた母親が一生懸命に言葉を連ねる様子は私への愛を感じさせてくれた。
「この病棟に西日は差し込まないわよ」
師長がおかしいわね、と不思議げに首をかしげる。
彼女の顔をぎょっと見つめる。
「ほら、あの隣のビル。昔、景気よかった頃に建てられた高層マンションらしいんだけど。あれがあるおかげで、西日が入らないのよ」
窓から外を覗くと病院から二区画ほど離れた場所に黒いビルが建っていた。
時刻は午後四時。太陽がちょうどビルの背後に隠れようとするところだった。
もう意味が分からなかった。
昔の先輩の連絡先を渡すという師長の提案を断り、病棟を出る。
ふらふらと病院内を彷徨い歩いていると、いつのまにか病棟に囲まれた中庭へと出た。
入院患者や家族の憩いの場になっているのだろう。
中庭は丁寧に整えられた花壇が並び、庭の真ん中には立派なクスノキが生えていた。
そのクスノキには見覚えがあった。
最初に撮られたであろう動画。
カメラマン役の病院職員に促されて、母はその木の前で私に自分の半生や病気について自己紹介してくれた。
一六年の年月によって木の幹は太くなり、周囲に敷き詰められた石レンガも古めかしくなっていたけれど、でもその光景は動画で見た通りだった。
「やっぱり、ここで撮影されたはずよ」
私は呟き、木の根元で足を抱えて座る。
「わけわかんない」
もしすべてがまるっきりの嘘だったら逆に冷静でいられたかもしれない。
けれど見覚えのある景色の中に矛盾の種がいくつも交じっている様に、私はもうそれ以上なにも考えたくなくて、覆現の世界に潜った。
何千回も繰り返し見たおかげで、ショートカットの一番上に乗っている一〇分ばかりの動画ファイル。
「私たちは、あなたの、アイの幸せをいつまでも祈っています」
何百回も何千回も聞いた母親の声。
ベッドに座る母親は話している最中に泣き出してしまい、撮影役の父親に励まされ泣き顔に笑みを浮かべながら、なんとかそのセリフを言う。
私は辛いことがあるたびにこの動画を見る。
どんないやなことがあっても、私が愛されて産まれてきたことを再確認すれば立ち直れる。
「お母さん」
鼻声で語る母の言葉を脳裏に響かせ、彼女の実在を信じたいと、つぶやいた。
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