#17
ディベートが終わり控室に戻ると、仲間たちから熱い歓迎を受けた。
おめでとう、おめでとう、と皆から祝いの言葉を浴びせられ、疲れただろうとソファにふたり並んで座るよう促される。
「完勝でしたね」
そう言葉を掛けたアサの顔は、ディベートの熱気にあてられたのか赤く火照っていた。
「不正が暴かれたおかげでオーディエンスは最初からこっちの味方だったからな」
「議論回しも完璧でしたよ。次官の理論武装にフウマがきっちり応答して、ノゾミがきれいに反撃するって流れ」
「そりゃ俺たちの仲だから当然だよな」
ディベートの直後で鼻息荒いフウマが私の肩を抱く。
「まあ、そうね」
まさか腕を払うわけにもいかないからなされるがままに身を任せるけれど、彼とは対照的に私の心はしんと静まっていた。
私を肩に寄せたまま、今後の展望を語る彼の横顔を盗み見る。
頬を火照らせ、目を見開き、熱望にうなされて夢をまくし立てる私の彼氏の姿は、その腕に抱かれているというのになんだか遠い存在に思えた。
「ちょっといいかな」
腕からするりと抜けて、立ち上がる。
「ん、どうしたんだ」
「緊張してたからちょっとね」
気分のいいところを中断されて拍子抜けといった表情で私を見つめる彼に、お手洗いに行きたいんだと匂わせる。
「ああ、気が利かなかったな。すまない」
「ん、気にしないで」
控室から廊下に出ると張り詰めていた気が抜け、長い溜息が漏れた。
「おかしいのは私よね」
歓喜の輪にこれ以上居たくなくて出てきたけれど、なぜこんなにも白けた気分なのか、自分でも理由が分からなかった。
討論はこれ以上にない成功だったのだから。みんなの浮かれた反応の方がただしいはずだ。
なにか大事なものを見落としたような不安を抱えて、廊下の壁にもたれかかる。
「あの、ノゾミさんですか」
しばらく何も考えたくないと、ミント味のタブレットを口に放り込んでぼりぼりと噛んでいると、不意に声を掛けられた。
「どちら様で」
声を掛けた主の方へと振り向いた途端、絶句した。
相手が不審者だったからじゃない。
覆現は彼が出演者の関係者であることを示していたし、なんなら見知った顔でもあった。
いや、私が一方的に知っているだけだから知人とは言えないけれど。
「ああ、すいません。私は、えっとフウマの弟のユウです」
名乗りと共に覆現に彼のプロフィールが頭上に表示される。
頼りなさげなその笑みは、SNSで見た元カレと仲良く義胎の前で映っていた表情そのものだった。
「何の用ですか」
「いえ。フウマと話をしたいなと思って」
変な要望だと思った。
「弟だったらいつでも話ぐらいできるでしょ」
「それが、恥ずかしいことなんですけど仲があんまり良くなくて」
私の突き放す言葉に、彼は恥ずかし気に頭を掻く。
「ふん。そうなの」
なにかしらの事情があるのだろう。兄と母がイデオロギー的に対立しているのだから、軋轢のひとつやふたつあってもおかしくはない。
「後で呼び出してあげてもいいけれど。今は大歓迎会中だからちょっと間をあけてからの方がいいと思うわよ」
「ありがとうございます」
素直にぺこりと頭を下げるユウ。
SNSの投稿じゃ分からなかったけれど、顔は似ていてもフウマとはずいぶん雰囲気が違うなと思った。
よく言えばリーダーシップ、悪く言えば独善的なフウマとは正反対の、柔和でなんとなく儚い印象。
「じゃあこの辺りで待っててもいいですかね」
「覆現のIDくれたら連絡するから、控室に戻ってもいいわよ」
「母が珍しく生番組に出演するので見に来たんですけれど、あんな感じだったんだって」
討論番組ですから、勝者敗者が決まってしまうのは仕方ないですよね、と残念気に語るユウ。
彼も控室には居づらかったのだろう。
やむなく出た討論番組で結果ぼろ負けしたのだ。
向こうの控室の様子を想像したら、そりゃ廊下に避難したくもなる。
「そう」
事情は分かったけれど、私としては元カレの今カレと一緒に居続けるのもそれは居心地が悪い。
こちらの控室からはフウマのアジテーションが廊下にまで漏れ聞こえてくる。控室はもはや祝勝会ゼロ次会の賑わいだろう。
「カレとはうまくやってるの」
廊下に留まるのと控室に戻るの、どちらがいいか迷っているうちに、思わずそんな質問をしてしまった。
漏れ出た問いかけに彼は眉がピクリと動き、
「知ってたんですね」
と隠し事がバレた子どものように鼻頭を擦った。
「そっちこそ」
「アイツがバイだって話のついでに。前の彼女の話を」
「なんて話してたの」
「クリスマスに義胎妊娠しないかって提案したら、めちゃくちゃ渋られたって」
「提案を断ったのは事実だけれど。そんな渋ったってほどじゃ」
「義胎妊娠クリニックの騒動の時には自分の見る目は確かだったって大騒ぎしていました」
「そう。不愉快ね」
もはや何の未練もないけれど、私の行動にケチをつけていると聞かされるのは純粋に面白くなかった。
「もしかしてさ」
突然、ユウがこれまでで一番大きな声量で問いかけた。
「ノゾミさんがこの運動に参加した理由って、アイツに振られたからかい」
本当は怒るべきだったのかもしれない、こんな失礼な質問。
「まあフウマに声を掛けられたのは振られたのが原因って言えばそうだけれどさ。理由かまでは」
けれどもこれまでの会話で毒気が抜けていた私は、正直に自分が運動に参加した理由を考える。
いい表現を探しているうちに、口からは全く別の問いかけが飛び出した。
「貴方はこんな運動、好きになれないかな」
その質問は自分への問いかけのようにも思えた。
「どういう意味」
「だって私たちがやってることは貴方の邪魔じゃない。母親の仕事や貴方の義胎妊娠にケチをつけて」
結局私の心は一年前で止まってたのだろうな、と自省する。
人生のステップを前に進めようと誘う元カレの言葉に私は反発を覚え、ついにはこんな討論会に出るまでに至ったのだけれども、私が選ばなかった道を着実に歩んでいる人間を前にすると結局自分の反発は単なるモラトリアムで、もみじの会での努力も同じところをぐるぐる回っているだけなんじゃないかという疑いがぬぐえなかった。
「別に。むしろ僕は恵まれていると思っているけれどね」
彼は私の悔悟にきょとんとした顔を見せ、はにかみと共にそう言った。
「だって生まれる場所、時代が違えば、僕みたいな性的嗜好は存在すら認められなかったわけじゃないか。それが多様性のひとつとして認められ、ましてや子すら成せる。これ以上の高望みは有り得ない時代だよ」
「でも、」
「こんなところに来ていてなんだけれどさ。今日母さんと兄さんがやったことは、僕には政治の話というか、地に足のつかない話のようにしか見えないんだよ。母さんが義胎妊娠をいくらただしいものだと理論武装したって素朴な反感まで完封することはできないし、兄さんだっていくら母胎妊娠の尊さを説いたって、僕が子を成す権利まで侵す主張は口が裂けたってできない」
「それは、」
反論しかけるけれど、言葉が続かない。
地に足のつかない政治の話。
彼の率直な捉え方は、まさに私が感じていたことそのものだったから。
「そうかもね」
義妊をヒトのデフォルトの産まれ方にしようとする試みを頓挫させたところで、今更人々が自ら子を産み、育てる生き方に価値を見出すようにはならない。
「ふたりは僕よりずいぶん賢いから、僕に見えていないなにかが見えているのかもしれないけれどね」
その謙遜の後、彼は一度口を開き、躊躇するようにまた口を閉じた。
「どうしたの。言いたい事あるなら言ってよ」
そう催促すると、彼は私の目をじっとみて、それから恐る恐るといった様で言葉を続けた。
「ふたりがベクトルは違えど、あんなに義胎妊娠に情熱的なのは僕のせいなんじゃないかと思ってしまうんだ」
「どういうこと」
「僕は母さんから生まれた子なんだよ」
ユウが白状した話に、思わず目を見開く。
「お母さんが妊娠して産まれた子なんだ、ユウは」
別に珍しいことではない。半数は下回れど、まだまだ多くの子どもが母胎を通じて世に産まれる。
「やっぱり兄さんは言ってなかったんだ」
「てっきり義妊で生まれたんだろうって思ってた」
あれだけ義妊の普及を推し進めていた彼女が自らの腹を痛め子を産んでいたなんて想像もできなかった。
「僕らは同じ日に生まれた兄弟なんだ。双子じゃないよ。兄は義胎で、僕は母胎で、それぞれ別の場所から生まれた兄弟」
同じ日に、別々の胎から生まれた兄弟。
異母兄弟ならぬ異胎兄弟。
「ノゾミさんは知ってると思うけれど、僕らの母さんは厚生労働省のキャリア官僚でさ、子どももひとりは欲しいけれどキャリアも中断したくないからって、義胎妊娠を選択したんだ」
ユウが皮肉な笑みを浮かべる。
「けれど、まあやることやってたらできちゃったんだよ、僕が」
性愛と妊娠は分かち難いものだったというフウマの言葉が脳裏によみがえる。
「苦労なく産まれたらよかったんだけれどね。小さいころから、喘息とかアレルギーとか、まあ体の弱い子どもが掛かりがちな病気は大体コンプリートしていたせいで、結局母さんはキャリアを途中でやめることになってさ。兄さんもそんな僕のせいで色々と損をしたんじゃないかと思うんだよ」
「兄弟での産まれ方の差が、フウマに義妊への嫌悪感を形作ったんじゃないかってこと」
「いや、これは僕の想像かもしれないんだけどさ」
肩をすくめる弟。
一方は母の胎から産まれ出て、もう一方は母から疎外された義胎から産まれ出た。
そのような経験が、子にとってどのような心象を与えるのか。
私には想像もつかなかった。
「フウマはさ、」
もっと聞きたい事があったのだけれど、その瞬間背後でドアが開く音がした。
「あら、ノゾミ。その人は」
アサだった。
「えっと。フウマの弟で、フウマに会いたいらしくて」
しどろもどろになりながらもユウをアサに任せ、私は控室へと戻るけれど、頭の中はユウの話で一杯だった。
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