#13
かっこいいところを見せたかっただけなのか、それとも本当にもみじの会に入ってほしかったのかは分からなかったけれど、結局私はもみじの会の一員になった。
初めて参加したセミナーもそうだったようにもみじの会の構成メンバーは多種多様だったけれど、一番のボリューム層、活発に運動に参加する層は大学生だった。
二〇代の若者はパトリエ制度のメインターゲットだ。
義妊を経て愛する子と出会えたと感動的なミュージックと共に芸能人が自らの経験を語るSNS広告やふたりのイケメン俳優がカップルとして様々な困難に直面しながら義妊に挑む新作ドラマ、果てには義妊すれば単位が貰える大学の特別講義などなど、ありとあらゆる手段を用いて刷り込まれる早めに子どもを持つように、というメッセージ。
うんざりするくらいの宣伝の大群によって逆にそれに反発する人々が現れ、その中でも日々の労働に追われないヒマな大学生が運動にのめりこんでいった。
そう、私のように。
街頭での抗議活動、もみじの会新メンバーへのコンシャスネスレイジング、毎月行われる全国の支部を集めた月例大会、たまに来るフウマへの取材や講演のサポート。
仕事はいくらでもあって、人手はまったく足りていなかった。
大学生が主体になっていることもあってもみじの会のメンバーの入れ替わりは激しかった。
三年前フウマと共に団体を立ち上げた初期メンバーはどんどんと就職や進学で第一線を退いていき、中堅層が少なかったこともあって、運動に参加して半年が過ぎたころには私も立派な幹部の一員となっていて、おまけに私がフウマの彼女であることもいつの間にか知れ渡ってしまった。
皆が驚く中、アサだけは「私は最初から気付いていたわよ」と、すまし顔で一言。
「フウマの話題が出た時ひとりだけ反応が違ったし、それにノゾミちゃんフウマ好みの可愛い顔しているから」
「そんな、もっとアサさんみたいに綺麗系の顔になりたかったですよ」
アサの言葉を失礼にならない程度にやんわりと否定したけれども、彼女は冗談とも本気ともつかない笑みを浮かべただけだった。
「私も一年前までは義妊の保険適応が議論されているなんて話もまったく知らずに日々を過ごしていました。けれども、去年のクリスマス。その時付き合っていた彼氏からパトリエ制度を使って学生妊娠をしないかと提案されて、それにすごい違和感を覚えたことをきっかけとしてもみじの会のことを知りました」
もみじの会初回参加者向けのコンシャスネスレイジングで、曖昧模糊なアバターに囲まれ自己開示を繰り返すたびに、私の反応が違ったと断言したアサの言葉は絶対嘘だったと確信する。
「ええー。ひどい彼氏ですね」
猫耳のついたアバターが大きな声で感情を露わにし、私は笑みを返す。
コンシャスネスレイジングの場で、私のエピソードはバカ受けだった。
それまで緊張と若干の警戒心で反応も薄かった参加者は、私のエピソードに対し怒りという感情を露わにしてくれて、それをきっかけにして自分の体験を詳らかにするはずみとする。
彼氏から望まない義妊を求められ、それを断ると振られて、別れて数か月で元カレは新しい相手を見つけSNSでそれをこれ見よがしに自慢した。
エピソードを箇条書きすると確かに私はひどい振られ方をしたのかもしれないけれど、振られてから一年近くが経ち過去を振り返ると、破局なんてだいたいそんなものだと冷めた目で思う自分もいた。
元カレへの個人的な恨み辛みに留めておくべき感情を、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いで、義妊への嫌悪感に置き換えてしまってるんじゃないか。かさぶだを何度も何度も剥がして、いつまでも新鮮な傷が残るように本末転倒な努力をしているだけじゃないのか。
新入りメンバーに自己開示をするたびに、私はいつもそんなことばかり考えて、いつも引け目を感じていた。
そんな閉塞感と連動しているかのように、もみじの会も頭打ちの状況だった。
リアル・ディベートでの舌論で名を上げたフウマの知名度を強みに成立したもみじの会の運動は、妊娠に強い関心を持つ若者を取り込むことに成功したけれど、その波が世間一般に広がることはなかった。
街頭での宣伝活動や抗議運動で世間一般から返ってくる反応は無関心の一択だった。パレンス・パトリエ制度の正式施行から一年が過ぎ、世間の大半はパトリエに好意的かさもなくば存在さえ知らないままだった。
多くの女性にとって妊娠は自分のキャリア・スタイル・プライベートを破壊する、憧れがないわけではないけれどしんどい仕事でしかなく、男性にとっては文字通り自分には一切合切関係ないものでしかなかった。
パレンス・パトリエ制度が浸透していけば、今ある家族の形は変質し、私たちの苗字すらなくなる未来もありうると訴えても、だれしもが今現在を生きるのに忙しくて私たちの主張は空想的だと投げ捨てられた。
運動の頭打ちを察知したフウマの行動は早かった。
理由は違っても同じように妊娠を尊いものとする宗教団体や保守団体との連携、無関心層にアプローチするため若者が多く集まる場に繰り出す草の根運動。
けれども、この方針転換は新参者の私の目から見ても明らかに失敗だった。
妊娠の尊重以外ありとあらゆる考えで食い違う団体との協力は古参メンバーの反発を招いていたし、無関心層へのアプローチは政府がやるパトリエ制度の協賛広告と同様に単なるノイズとしてしか届かなかった。ダンスホールで義妊の孕む危険性について語られても引っかかるのは私ぐらいだった。
新しい路線が逆効果となり、フウマは再び方針転換の必要に迫られた。
「言論ではなく、センセーショナルな新事実が必要だ」
月例大会で、フウマは全国三〇の支部長の前でそう主張した。
「義妊市場はいまや二兆を超える巨大市場だ。これだけ急激に拡大する市場には必ず腐敗が混ざりこむ」
初めて彼に出会った日、ベッドで語ってくれたように、不妊治療の手段のひとつであったはずの義妊は、出生数を人工置換率に保つための社会保障の要へと成長しつつあった。
義胎を製造する医療機器メーカー、義胎を運用する医療法人、義胎から生まれた子を養育するパトリエ。人口再生産産業には公民問わず多くの企業が携わり、そこに雇用される人々の数も膨れ上がる一方。
「近年急増している中小規模の義妊専門クリニックでは、義胎の不適切な運用や補助金の不正受給が行われているのではないかという言説が流れている」
「言説と言っても、ネットの噂レベルの話でしょう」
フウマの主張に、ある支部長が口を挟む。
「ああ。噂は噂だ。けれどももしこれが事実だと立証できたらどうだ。義妊がただしいものとして見なされているのは、それが女性の健康問題を解決するテクノロジーだと認識されているからだ。しかし、それがむしろ胎児の健康を害しているのだと知らしめることができれば事態は一八〇度転換する」
尊大と表現しても過言じゃないほどの断言を前に、支部長たちがざわつき出す。
「私はフウマの意見に反対です」
支部長たちの動揺の中、はっきりとそう言ったのは、アサだった。
「私は、貴方の精緻な理論に感銘を受け、貴方の言葉を多くの人々に伝えたいと思い、この団体の設立に尽力してきました。それが低俗な週刊誌のように醜聞を漁るなんて」
そんなのは耐えられないとアサはかぶりを振る。
「どんな名作でも読まれなければ意味はない。リアル・ディベートで論客として名を上げたのは、それが個人が影響力を獲得するために一番手っ取り早い手段だったからだ。義妊の保険適応を防ぐという目的が重要であって、手段に拘るのは私の本質ではない」
「貴方が自分をどう思っているかも大事かもしれませんが、貴方がどう見られているかも少しは気を配ってください」
アサの言い方は懇願するようだった。
「アサは反対ってことだな」
決めつけるように言い、フウマは他の支部長たちを見渡す。
「全体の方針としては認められないのは雰囲気で分かった。が、東京大学本部の活動として行うのであれば、問題はないよな」
再び支部長の間に微妙な空気が流れ、賛成とも反対ともつかない不明瞭なざわめきのみがフウマに向けられる。
「君たちの考えは分かった」
そう言い残してフウマは壇上から消え、それから月例大会が終わるまで一言も発言しなかった。
月例大会の運営役の私は、全員が仮想空間から退出したことを確認してから、残ったスタッフに一時間の休憩後に次の月例大会のための共有ミーティングを行うことを告げ、空間を閉じる処理を行う。
「私は反対ですからね」
瞼を開き、ヘッドギアを脱ぎ去り、最初に耳に入ったのはアサの言葉。
小さな事務室の真ん中でふたりは互いに立ち上がり、面と面とを突き合わせていた。私が連絡事項をやり取りしている間に、フウマとアサの間で再び口論があったようだった。
いつも上げているアサの前髪は汗で垂れ、目元も潤んでるように見える。
「もちろん個人的に動くさ。最初からそのつもりだ」
一方、フウマは汗ひとつ掻かず、冷たい表情のまま。
その様がアサの神経を逆撫でたのだろう。
「どうぞ、おふたりでがんばってください」
厳しい眼差しを私に一瞬残し、アサが部屋から出ていく。
あとには部屋の真ん中で仁王立ちのフウマと椅子に座ったままの私だけ。
「ノゾミは僕の考えに反対かい」
フウマの声色は相変わらず冷たかったけれども、なぜだか憐れみを帯びているように思えた。
戸惑いながらも私は無言で首を横に振るしかなかった。
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