#12

「初めまして。特定非営利組織もみじの会の事務局局長のアサです。今回はもみじの会に興味を持って、このセミナーに参加してくれてありがとうございます。一時間程度の短いセミナーですけれど、みなさんの関心の種が少しでも大きなものになるようがんばりますのでよろしくお願いします」


 瞼の裏、角膜に投影される覆現ののっぺりとした仮想世界で、スーツ姿の品位を感じさせる女性が、周囲を取り囲む三〇人ばかしの参加者に自己紹介する。

 自らの姿をさらけ出しているのはアサだけで、他の参加者は全員キャラ調のアバターや印象派の絵画のようなぼやけたシルエット。

 私もプリセットのアバターを使っておいてなんだけれど、解像度がチグハグで夢の中みたい。


「局長といっても単に唯一のフルタイム事務員ってだけなんですけれどね。本当は団体代表のフウマがあいさつするのが筋なんですが外せない用事で多少遅れるということで、彼目当ての方には申し訳ないですが、しばらくの間私が進行を務めさせていただきます」


 冗談交じりの自己紹介に、周囲からクスクスと笑い声が反響する。


「さて、みなさんはもみじの会がどんな団体か説明できますか。じゃあ、あなた」


 場が和んだのを見てアサが参加者のひとりに質問する。


「えっと」


 突然指名されたアニメ調のアバターの参加者は言い淀み、視線をちらりと右上にやってから、

「ナチュラル・フェミニズムの団体、ですか」

 と答えた。


「正解ですけれど、もしかして今検索しましたね。カンニングですよ、カンニング」


 にやりと笑ったアサが茶化す。


「突然質問してごめんなさいね。もみじの会の活動目的を分かりやすく説明すれば、それは女性の妊娠する権利を護ることです。安全安心にお産ができる産婦人科クリニックの紹介や妊娠中の不安を語り合える互助会の運営といった妊婦への支援活動、最近の義胎利用の急速な進展、テクノ・フェミニズムの膨張に対する抗議運動など、私たちが取り組んでいる活動は多くありますが、すべては女性が自らの子宮で子を育む権利を護り後世に残していくための活動です」


 つらつらとアサの説明が続く。大体はフウマから聞いた話だったけれども、小さな団体だと思っていたのが、全国三〇の大学に支部を持つ大きな組織だったのには驚いた。

 フウマが団体を立ち上げてから三年。最近では学生団体の枠組みを超えて、同じく義胎利用の急速な進展に反対する様々な団体とも協力関係にあるらしい。


「さて、私たちの紹介は軽く済ませておいて、これからはみなさんのことを教えてもらおうと思います。といっても、あんまり個人情報をアレコレ聞かれるのも嫌だと思うので、自己紹介の代わりに、自分がもみじの会の会合に参加することになった動機について自己開示しあいましょう」


 一通り説明を終えたアサが周囲のシルエットを見渡し、提案する。


「始める前に注意点をひとつだけ。母胎妊娠、義胎妊娠という表現は禁止です」


 なんでだろう、と疑問が浮かぶと同時に、

「今、みなさん、なんでだろう、と思いましたね」

 と、アサが言い当てた。


「なぜなら、この表現は義胎とヒトの子宮を同等のものとして並列化する言い方だからです。ヒトに生来備わっている子宮で子どもを身の内に孕むことと人工に造られた義胎で外部に子どもを育てることは別々の体験です。母胎妊娠、義胎妊娠という表現は、まるで両者が些細な違いがあるだけの同じ妊娠かのように錯誤させ、差異を矮小する言葉です。代わりに妊娠、義妊という言葉を使い議論しましょう」


 アサはそこで言葉を切り、周囲の反応を伺う。

「と言っても、自分から話すのは緊張するだろうから、まず私が自己開示しますね。私は今ではここで事務員をしていますが、三年前までは普通に会社員をしていました。で、夫とも相談して子どもをそろそろ産みたいと妊活を始めたんです。なにも恥ずかしいことじゃないから同僚にも妊活を始めたんだって雑談で話したりしていて、そしたらキャリア面談で何と言われたと思います」


 アサノは一呼吸おいて、次の言葉に感情を込める。


「『義胎妊娠の方がいいんじゃない』って言われたんです。義妊だったら産休を取る必要がないから」


「ムカつきますね」


 アニメ調のアバターが同調する。思わず口に出たのだろう。


「ほんとね。でも、キャリア担当は『私の時代は自分の子が欲しかったら自分で産むしかなかったんだから。いい時代になったわよ』とか言ってきて、その場では私も自分の気持ちに自信が持てなかったの。ただ感情的になっているだけなのかなって。そんな風にモヤモヤしていたら、ちょうどあのリアル・ディベートで義妊制度の歪みについて鋭く論ずるフウマを見たのよ」


「リアルタイムで見たんですか。いいな」


「私も録画ですけれど見ました。リアル・ディベートすごかったですよね」


 今度は印象派風のアバターが感嘆の声をあげる。

 彼の話題が出た途端に、会場が一気に盛り上がった。

 最初にフウマ目当ての人、なんて言ってたから察してはいたけれど、どうやら彼のファンは多いらしい。なんとなく嫉妬してしまう。


「私が抱えていた言い表せないモヤモヤをすべて言い尽くしてくれて、すがすがしい気持ちになったのを覚えているわ。番組の最後に彼が団体の設立を考えているって言ってて、それなら実務を担う人材が必要なんじゃないかと思ってすぐに連絡したのよ」


 とても行動力に溢れた自己開示だった。


 アサの自己開示に続いて、初回参加者が次々と自己開示していく。


 アサと同じように会社で義妊を半ば強制されそうになった会社員。

 三〇代を過ぎ、妊孕性が落ちるからと不妊治療ではなく義妊で生むよう家族総出で説得された主婦。

 学校の保健体育の授業で先生から妊娠が古い動物がやる産み方だと言われて反発を覚えた高校生。


 みな、人生の様々な段階で義妊を当たり前とする風潮に傷ついて、もみじの会へとやってきていた。

 他の参加者の自己開示が終わり、アサの視線が私に向いた。


「元カレがきっかけなんですけれど。クリスマスのディナー中に学生出産しないかって聞かれたんです。パレンス・パトリエ制度を使って、私たちはまだ大学生だから就職する前に子どもを作ったらいいって」


「えー。それは酷いわね」


 自分の自己開示が受け入れられるかドキドキしながら話し出したけれど、すぐに同調の合いの手が入って内心ほっとする。


「その時は断ってそれっきりだったんですけれど。その一か月後に振られちゃって。で、その後元カレは新しい相手を見つけて義妊で子どもを、」


 もう平然と語れる過去になったと思っていたけれど、会場の空気もあってそれ以上言葉を続けることができなかった。


「それでこのセミナーに参加してくれたんですね。ありがとうございます」


 思わず涙がこぼれた私を慮って、アサがそばに寄って、覆現の多知覚リンク越しに彼女が私の背を撫でてくれる。


「ええ。そんな感じですね」


 本当はその後、ダンスホールでフウマと出会ったのだけれど、なんだかこれを言うのは場違いな気がした。


「すまない、遅くなった」


 と、そこでタイミングよくフウマが覆現空間に入ってきた。

「遅いですよ。もう自己開示全部終わっちゃいました」


「ああ。後でまた聞かせてもらうよ」


 アサの文句を軽く流し、彼が壇上にあがる。


「初めまして。特定非営利組織もみじの会代表の吉野フウマです。年度始まりだからかな、三〇人を超える参加者が来てくれてうれしく思います。皆がこのセミナーに来た理由は色々だと思うけれど、義妊を手放しで褒めたたえる常識、妊娠は迷惑という雰囲気、義妊で早くに子を作るのが正しいという風潮、なんとなくおかしな気がするけれど、なぜおかしいのか上手く言葉にできないモヤモヤの答えがここでなら見つかるかもと思って、まだ何の成果も達成していない私たちの言葉を聞きに来てくれたんだと思います」


 ダンスホールで見せたような熱い語りをするのかと身構えていたら、彼の語り掛けは予想外に普通で、柔らかかった。


「ニュースではナチュラル・フェミニズムの急先鋒として紹介されがちだから、もみじの会のことを義胎廃絶を叫ぶ団体のように思っている人もいるかもしれないけれど、私たちは義胎そのものを悪として断じているわけじゃない。悪性腫瘍で妊孕性を犠牲にせざるを得ない人、元々持っている病気によって妊娠が生命のリスクとなる人。そんな人々に後ろめたいところのない受胎を提供するという意味で義胎はまさに救世主だ。けれども、どのような技術もそれを使う人の意志によって善にも悪にもなる」


 覆現の多知覚リンクで感じる彼の演説は、まるで彼がすぐそばで私にだけに語り掛けているかのように感じてしまう。


 視野一杯に彼の姿が映り、彼の言葉は大きすぎず小さすぎず、刺々しい言葉遣いも言い淀みもなく、心地よく脳裏に響く。


「義胎が世に現れてから四半世紀。妊娠が叶わない人々のための夢の技術として始まったはずの義妊は、いまでは妊娠というヒト本来の産み方を駆逐しようとするまでになった。自動車があるから足で歩く必要なんてないなんてだれも言わないのに、義胎があるから子宮は必要ないと主張するテクノ・フェミニズムが世の主流となってしまった。私はこの流れを阻止しようと三年前から活動を始め、今ではもみじの会は全国三〇の大学に支部を持つまでに大きくなったけれども、パレンス・パトリエ制度の正式施行を止めることはできなかった」


 フウマがこぶしを握り締める。

 それは彼の心底からの悔悟を表しているように思えた。


「今、義妊を健康保険の適応とし、代わりに出産への様々な補助金を廃止しようとする動きが進んでいるのは知っているだろうか」


 問いかけに皆がうなずく。


「妊娠・出産はいつまで経っても保険適応にならないというのに、『母胎妊娠は疾患ではないが、義胎妊娠は身体的・精神的・社会的障碍により母胎妊娠を行えない人々のための医学的治療である』という理屈で義妊だけが皆保険の枠組みに入ろうとしている。義妊の保険適応を推し進める人々はこれが制度上の細かい変化に過ぎないと嘯くけれど、義妊と妊娠に必要な費用の差がなくなることで結果的に多くの人を義妊の道へと進ませることになる。義妊保険適応の企みを阻止し、妊娠の本来の尊さを取り戻すために、みんなの力を貸してほしい」


 フウマが語気強くアジテーションを終えると、自然と拍手が湧きあがった。


 覆現によって脳裏に響く拍手の響きにつられ、私も手と手を弾けさせ、覆現の視界一杯に映るフルカワの火照った顔をいつまでも見つめた。

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