#6

「タイムアウトお願いします」


 青色のガウンとヘルメットで全身を覆った宇宙飛行士の明瞭な声が薄ピンク色の手術室に響く。


「患者IDは一〇〇四二、義胎番号五番、住吉ベイビー。術式は覆現エコーガイド下胎児心室中隔形成細胞埋め込み術です。間違いないですか」


 術野から少々離れた場所で今どき珍しい機械式のタブレットを持った看護師が患者情報を読み上げ、患者の取り違えや手術内容の相違がないか確認する。


 タイムアウト、手術の執刀直前に行われる患者や手術法の最終確認。

 医療ドラマで見たのと同じやり取りが交わされる様子にちょっと感心するけれど、術野を囲む私たちの中心に置かれているのは患者ではなく、薄ピンク色の義胎。


 薄ピンク色の円筒状の物体を、やけに大きなヘルメットとガウンを着こんだ全身青色の人々が囲む様子は、ここが手術室というよりは宇宙船の中だと言われた方が相応しい風景で、なんとなく可笑しみを覚えてしまう。


「ではメンバー紹介をお願いします」


 看護師の指示で、術者や助手、周囲につく看護師が自己紹介し、私たちも促されるまま名前を言う。


「大丈夫ですか」


 緊張して声が上ずったのを心配したのか、看護師が声をかけてくれる。


「手術に立ち会うのは初めてで、少し緊張してしまって」


 言い訳すると、看護師はヘルメットのシールド越しにニコリと笑みを浮かべてくれた。


「そうですよね。手術室に入るだけでも緊張するのに術者も物々しいヘルメットつけられてますし」


 義胎は感染に対して無防備だ。体表に存在する常在菌であっても感染してしまうと厄介なことになると説明を受けた。

 だからみんな完全防備体制、手術用のガウンとヘルメットで肌の露出は皆無の宇宙服姿になる必要があるらしい。


「万が一の場合、胎児移植が必要になるかもしれないと言われてるのですが、どうですか、まま起こりうることなのですか」


 手術はカテーテル治療で行うと聞いていた。

 人工子宮の外側から穿刺針を刺し、中にカテーテルと呼ばれる管を入れて治療を行う手術だ。

 順調に進めば胎児も人工子宮も少ない侵襲で済むが、問題が起きた際には人工子宮を切り開き子どもを別の義胎へと移す、胎児移植をする必要があるらしい。


「私がここで働きはじめてからはまだ一例も遭遇していませんね」


「今回も無事のまま終わってくれるといいんですが」


 ツキミが手を揉みながら、心配そうに言う。


「それでは義胎を開きます」


 助手の若い医師が緊張した高い声色で宣言し、ピンク色の義胎の正面が観音開きで開いていく。

 義胎が設置された台ごと下降し、マトリョーシカのように一回り小さな黒色の円筒の全貌が露わになる。


 助手が空で指をふらふらと動かす。覆現越しになにかを操作しているのだろう。

 天井からぶら下がった四関節式のアームが義胎の周囲にある小さなパネルから内部へと入っていき、義胎の筐体に白黒の覆現、その内部に丁寧に収められている人工子宮が重なって投影される。

 ノイズが入ったような低いコントラストで分厚い子宮の筋肉が描写され、その先にある羊水が真っ黒の空間として示されている。


「あれはなんですか」


 羊水の中に漂う何か白いものを指さす。


「たぶん手足ですね。もう少しするとはっきりわかると思います」


 その言葉の通り、アームが静かなモーター音と共に小さく動くと覆現の中で描写される空間が広がっていき、子宮の中に収まる胎児の姿がはっきりと分かるようになる。


「もうちゃんとした赤ちゃんだね」


 ツキミの声色は嬉しげだった。


「三〇週ですからね。まだまだ成長途中ですが、ちゃんと赤ちゃんになっていますよ」


 直前の健診では、体重一四〇〇グラム前後で順調に成長していると言われた。

 産まれる赤子の正常体重が二五〇〇グラムから四〇〇〇グラムなのでまだまだ小さいけれど、胎児移植もほぼ確実にできる大きさらしい。


「ここに刺します」


 執刀医が穿刺針をパネルから子宮に刺し、ゆっくりと奥に進めていく。


「ガイドワイヤー」


 覆現から目を離さず執刀医が手を横へと向ける。

 その声に反応して、天井からぶら下がったアームが手術台の脇から金属製のワイヤーをつかみ、執刀医の手にそっと置く。

 受け取った医師は手際よくワイヤーを穿刺針の中に通し入れ細かく動かしながら奥へと入れていく。


「カテーテル」


 予定の箇所までガイドワイヤーを進めた執刀医が再び掌を上に向ける。

 先ほどのガイドワイヤーの横に、場所を区切って置かれていた白いカテーテルがアシスタントロボットによって執刀医に渡される。


「カテーテル挿入します」


 カテーテルが挿入されると共に覆現の3Dモデルが精密になっていく。

 先ほどまでは白黒のノイズ交じりの荒い映像だったものが、一部の領域だけだが、血管や神経だろうか、細い脈管類が赤青白と色分けされていく。


「カテーテルの先端にもプローブがついていて、より詳しい画像を表示してくれるんです」


 そばにつく看護師の解説通り、心臓の中にまでカテーテルが入ると心臓内の様子がより事細かに描写されるようになった。目を凝らせば、血液の流れる様子や心臓の内壁のひだまで見て取れる。


「展開、お願いします」


 カテーテルが所定の場所まで達したことを確認すると、執刀医がより一層明瞭な声で指示を出した。

 助手が手元のタブレットを操作するとともに、カテーテルの先からさら細い針が三本出てきた。

 血流に押されてゆらゆらと揺れるほどの細い針は、アームのように動き、心室の穴を取り囲むように中隔へと入り込んでいく。


「注入します」


 助手の宣言と共に、針先から細胞を含んだ液が注入され、壁が少しだけ膨らんだのが見えた。

 細い針が中隔から取り外され出血がないことを確認する。ガイドワイヤーとカテーテルが回収され、穿刺針も取り除かれる。


「出血はないな」


 執刀医が確認し、「これで手術終了です」と告げた。


「もう終わったんですか」


 ツキミの驚きの声。私も正直拍子抜けした。事前に胎児移植もありうると予防線を張られていたせいか、もっと時間のかかるものだと思ってたのだ。


「ええ。打つ場所が心臓の中なことを除けば、ただの注射みたいなものですから。出血などのイレギュラーも起きませんでしたし、スムーズに手術を終えることができました」


「もうこれで大丈夫なんですか。主治医の方からは術後、切迫早産になりやすいと聞いているのですが」


 ツキミの質問に執刀医は目線を右上にちらりとやり、「たしかに術後四八時間は危険性が高いと言われています」と説明した。


「本当に大丈夫かどうかはしばらく経過を見てみないと分からないですね。どんなに手術がうまくいっても、どうしても子宮の中を触っているので」


「でしたら、その二日間私たちもここに来るべきですよね」


 ツキミが尋ねると、執刀医は「それは面倒でしょう」と目を見開き、言った。


「切迫早産が起こりやすいと言っても、それは〇.一%未満のほんの稀にしか起きない可能性が二倍三倍になるという話ですからね。わざわざ休日を潰してまで来られなくても大丈夫ですよ」


 ツキミはまだ何か言いたげだったが、そこで看護師が会話に割り込んできた。


「後は片付けだけですし、手術室から退出されてもよろしいんじゃないでしょうか。手術着も暑いでしょうし」


 手術が始まってから一時間もかかってないけれど、もうガウンの中は下着まで汗で濡れてしまった。ツキミも同じだろう。

 その言葉に頷いて、自動ドアから退出する。


「無事に終わってよかったな」


 手術室から廊下に出て声をかけるけれど、ツキミの返答はない。

 横を見ると、ツキミは閉まりつつある自動ドアの隙間から義胎を名残惜しげに見つめていた。




 運転席に座り、自動で回り続けるハンドルを眺めているといつも父親を思い出す。


 外病院での勤務が多く車に乗る機会の多かった父は運転に自信があったようで、家の車もわざわざ当時でも少数派だったマニュアル仕様にするほどだった。


「大事な家族を乗せるのに、コンピューターにクラッチ操作を任せるのは無責任だ」というのが父の言い分だった。

 自動変速機の分だけオートマ車は故障しやすく、クラッチ操作をサボるためにオートマ車に乗るのは同乗者をリスクに晒している、という理論だ。


 母が「わざわざお金を払ってまでマニュアル仕様にしなくても」と呆れても、「これは理屈ではなくて、家族の命と生活に責任を持つ父親の矜持だ」とやけに仰々しいことを言って、さらに呆れさせるのが常だった。


 車の値段もAT限定免許の母が父の車を運転できない不便さもいまいち理解していなかった幼い私は父の堂々としたハンドル捌きと迷いないクラッチ操作が好きで、助手席で自分の運転を褒めてくれる息子に対し父親は「お前もマニュアル車で免許を取れよ」と激励してくれたものだった。


 父のアドバイス通り免許はマニュアルで取ったのだけれど、去年までの私には車を買う余裕なんてなく、それどころか二〇四〇年代には世の中からマニュアル車という存在自体が駆逐されてしまった。


 二〇三〇年代に実用化されたレベル五の自動運転車はドライバーを運転操作から解放した。

 発進から車庫入れまですべての運転タスクが自動化され、ドライバーの役割は故障時の対応、システムの冗長性を担保するパーツのひとつになってしまった。


 コンピューターにクラッチ操作を任せることすら無責任だと言い切った父が私の姿を見たらどう言うのだろうか。


 妻が買った車で、クラッチ操作どころかハンドルさばきも危機判断もコンピューターに投げ捨ててただ運転席に座る夫の姿は、父の考える矜持を満たしているとは到底思えない。


「穴、塞がってよかったな」


 手術が終わって二週間。術後経過も良好で、今日の健診では元々どこに穴があったかも分からないぐらいだと医師も太鼓判を押してくれた。


 ほっと一安心、のはずなのに。


 帰り際、助手席に座るツキミの表情は暗かった。


「そうね。穴は塞がったし、」


 そう言ったきり、言葉が続かない。

 こうして次の言葉が出てこない彼女の姿にはとても見覚えがあった。

 言い表しがたいもやもやとした感情を上手く形にしようとするとき、彼女は決まって黙り込む。


「あの子のへその緒は私に繋がっていないのよ」


 義胎の中で育つ子のへその緒は母親の子宮ではなく、人工胎盤に繋がっている。


 当たり前の話だ。


「どういう意味、」


 問いかけた瞬間、車のディスプレイが着信を知らせる。

 母からの着信だ。孫のことが心配で電話をかけてきたのだろう。


 ツキミの言葉の真意は分からないけれど、母との会話で中断されたくない。


「運転中だから後にしてもらえるかな」


 そう言って電話を切ろうとするけれど、母の大声で遮られた。


「お父さんが倒れたのよ」

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