第2話 心音フェチな彼女の心音を聞かせていただく
俺の第一の感想はそれだった。
と言うか、そもそも心音フェチって何だ。そこまで恥ずかしがるものなのか。
「心音フェチと告げただけで分からないのですか透流那さん。それはあまりに世界が狭い。良いですか? 世の中に数多あるフェチズムの中でも一二を争うほどに刺激的な快楽を得られることで有名で、しかしながら世の中に数多あるフェチズムの中でも一二を争うほどに知名度がない。そんな心音フェチをご存知ないと?」
「壮大に矛盾してない?」
「表裏一体というやつですよ。とにかく! 私は他人の心臓の音を聞くのが何よりの楽しみな、心音大好き少女なのです」
あれから俺たちは、牧場を後にして再び電車に乗って登校していた。時刻的には一限目があと十分くらいで終わるくらいだ。
「何で俺にそんなことを話した? 初対面に近いのに」
「えっ。言わせますか? それを。私が、その……ごにょごにょ、フェチだと伝えた時に、何もかも理解していただけたと思ってました」
「いや、全く全然一切、分からないんだけど」
心底失望したようなため息が聞こえてくる。
「電車の中で、あなた、聞かせたでしょう。実にゾクゾクくる心臓の音を! あんな卑怯でバイオレンスでマーベラスな音を持つあなたが、まさか、自分の心音に、無頓着だと?」
「俺の心音……心臓の音ってそんなヤバいことになってたの」
「ええ! 心音フェチが群がりますよ。あなたの存在は心音フェチ業界には秘密にします。そうでないと、あなたの心臓を取り出して奪い取ろうとするフェチストたちが殺到しますからね」
「俺の息の根が止まったら、鼓動も何もないよね」
「はっ……迂闊でした。あなたの心音を独占したさ過ぎて、話をだいぶ盛りました」
「まあ、心臓を取り出そうとするってのは流石に言い過ぎだよね」
「いえ。それ以前に心音フェチ業界なんてものは存在しません。私以外に確認していません」
「そんな雑な盛り方ある?」
「素直に謝罪します。しかし、許せない点が一つあります。自分のあの特別な心音を耳にしたことがない。それは罪です。無知の罪です」
「だって、自分の心臓の音なんて、それこそ持久走の後とか、駅の階段から転げ落ちそうになった時とか、限られた所でしか聞けないし」
「そういう時に耳をすませないのが、もう既にダメなんです。それなら、まず自分の心音を聞くところから始めましょうか。もしかしたら、新しい世界が開けるかもしれませんよ」
「えっと……今から持久走すればいい?」
「そんな時間はありません。便利な道具があります。ただ、私が心音フェチであることは、隠し通された秘匿事項。自宅はもちろん、何でも話せる親友の所にも置いておけません」
「……また話盛った?」
「ふふ、私の扱い方が分かってきましたね。ごめんなさい盛りました」
「自宅には道具があるんだろう?」
「いえ、自宅にはありませんし、何でも話せる親友なんてものはいません。何なら友人もいません」
「結構、衝撃なんだけど」
「友人なんてそうそうできるものじゃないですよ。言わんや、親友も。です」
俺は嘘をつかれているのだろうか。
土岐野の周りには常に人がいたし、休み時間や放課後ともなれば、クラスメイトたちと歓談する姿だって俺は目にしていた。
あれが友人でないのなら、一体何だというのか。
ともあれ、奇妙な一件に巻き込まれた。
土岐野に特殊性癖を暴露された。そして、自分の心臓の音を聞かされることになった。
「しかし、今からあなたに心音を堪能していただくとなると、部室まで来ていただなくては」
「いや、まずは授業だろ」
きっと心音のことで周りが見えなくなっていたのだろう。土岐野は今の時間帯に学校で何が行われているのかをすっかり忘れていたようだった。
そんなことある?
心の底から残念そうな反応を見せて、「それでは放課後には必ず部室に来て下さいね。約束を違えたら、心臓を奪いに参りますよ」と言ってきたので、冗談がきついなと返したのだが、彼女はにこりともしない。本気だってことかよ、怖いな。
金剛石よりも硬そうな約束を交わされて、土岐野は校舎へと向かおうとする。
しかし、そこで俺はまたしても彼女を呼び止めた。
「時間差で入るとかしとかないと噂になるぞ」
その点にも土岐野は気づいていなかったらしい。
全く、ガードの緩いやつだ。
俺は土岐野に抱いていた印象を変えていた。
以前は近づきがたい人と言うか、俺のような陰の者は一才眼中に入っていない人かと思っていた。
でも、話してみれば全然そんなことはない。俺が思い込んでいただけだったのだ。
ここまでが今朝の出来事だ。
俺はその後、放課後になるとすぐに土岐野に捕縛されて、校舎の三階へと連行されていく。
そこで有無を言わせず上着を脱がされて、ワイシャツの胸元を開けさせられる。まるで彼女の手つきは魚を捌くかのようだった。
取り出したのは聴診器。
お医者さんが使っている、患者の心臓の音を聞くために胸に当てる道具だ。
土岐野はそれをいきなり俺の胸に突き立てるように接着させて、耳にはめた管から音を吸い取ろうとしていた。
だが、数秒で止めてしまう。
「違います。心臓の音が違います。どうなっているんですか透流那さん。もしかして、心臓をすり替えたんですか? だったら、そんな小癪なことはやめて、早くあの時の心臓を装着してください」
「組み立て式パソコンじゃないんだよ俺は。正真正銘、これは俺の心音だ」
「嘘ですね。これまで一千人以上の心音を聞いてきた私を誤魔化そうなんて、何もかもが浅いです透流那さん。あの時、電車の中で私に聞かせてくれた心音。あれは、まさに体の芯に深く染み込んで、あらゆる私の感覚を刺激する甘美でかつジューシーな音でした。あの味をもう一度味わうまで、ここからあなたを外には出しませんから」
結構面倒なことになってきた。
いや、かなり厄介な事態だ。
学園一の美少女と共にいられるのは嬉しいけれど、それにも限度というものがある。
外が暗くなったらきっと帰れる。そんな期待はとっくに捨てていた。
必要とあれば俺はいつまでもこの場に監禁され続けるだろう。
その決意が土岐野の目から伝わってきていた。
しかしながら、ひたすら二人で向き合っていても、何かの変化が起きる訳でもない。
いい加減、胸に当てられた聴診器の部位が冷たさでもどかしくなってきた。
「ふうむ……このまま初めての男性の心音を味わい続けるのも良いですけれど、やはりあの電車の中での『黄金の心音』には遠く及ばないですね」
「何か変な言葉が出てきた」
「今命名しました。『黄金比』や『一分のFゆらぎ』といった、自然界には人間の感覚に訴えかける絶対的な美しさの構図が眠っているのです。間違いありません。良いですか透流那さん。あなたのあの時の心音は、まさにその領域へと達した音なのです。早く聴かせなさい」
「心臓の鼓動なんて動かせないよ」
「直接は不可能ですね。ですが、意識で変えることは可能と思われます。実演しましょ。透流那さん、これを」
聴診器を手渡された。
こういうのは通販で買うのかなとか思っていると、目の前で土岐野が制服のブレザーを脱ぎ始めた。
「?」
慌てて目を逸らすと、どうして俺が顔を背けたのか気になったのか、土岐野は前のめりになってこちらの表情を覗き込もうとしてきた。ブラウスの隙間から胸元が見える。ふっくらとした胸部が形のいい谷間を作っていた。
「服の上からでは生きのいい心音は聞けませんよ。あなただって脱いでいるでしょう? たったら、私も」
「君が脱がせたんだろこれは。あっ、せめてブラウスは脱がないで……心臓が爆発して心音どころではなくなる」
「それは一大事ですね。では、第二ボタンまで……。これならば隙間から聴診器が入るはずですよ」
そんな一定の配慮をしていただいて、土岐野は脱衣を止めていた。そこから聴診器を滑り込ませ、自ら胸に押し当てた。そして耳の部分を装着するように促す。
土岐野は目を閉じて呼吸を整え始めた。肺をグーっと伸ばすように息を吸い、一秒くらい止めてから、ゆっくりと吐き出していく。もう吐き終えただろと思ったところから、さらに放出していき、五秒ほど肺を圧縮していく。
そして、再度酸素を取り入れ始めていた。
「コツは、ですね、ふぅーーーー……息を……完全に……吐くことなのです。吐けなければ、吸えません。お腹が空かなければ、食べられません。飢えなければ、勝てません」
とにかく吐くところに意識が行けばいいのだろう。
「おお……」
土岐野が呼吸を始めた途端、聴診器からゆったりとした心音が聞こえ始めた。
とくん、とくん……。
さっきとは違い、今の彼女から鳴り響く鼓動は耳に触れると心地よい。
耳に意識を持っていくと「と、と、と、と……」と、薄い膜を指でタップするような音が続く。確かに癖になりそうな感覚だ。
「どうです? 全然違うでしょう? 心音の奥深さを理解してもらえましたか!」
「う、うん……」
本当はもっと聞いていたい。そんな欲求も生じたけれど急いで蓋をする。変な世界に目覚めてしまいそうだ。
「次は透流那さんの番ですよ。さ、私の言う通りに呼吸をしてください。そしてイメージするのです。『黄金の心音』を」
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