第71話 ワタクシ……消えちゃうのね

【ヴォルデム魔導学院 理事長室】


「なるほどのぅ。まさかレノル先生がファントムじゃったとは」


 レノルの始末を終えた俺は、奴が盗み出した生徒達の個性入りの小瓶を全て回収し……アドルブンダ様への報告に訪れていた。


「……彼女とは古い付き合いでのぅ。あの【忌まわしい事件】で彼女が医者を辞めた後、良かれと思って学院に招いたのじゃが……」


「あ、そういうの興味ないので」


 もうファントムはこの世に灰すら残っていない。

 あんな奴の過去を知ったところで、何の意味もないだろう。


「しょぼーん」


「とりあえず、俺は一刻も早くアリシア様を元に戻したいんです。この抜き取られた個性、どうすれば元に戻せるんですか?」


「ああ、それならば……多分飲み込ませれば平気じゃろ」


「多分? もしもアリシア様に何かあれば……許しませんよ?」


 俺はチャキッと刀をほんの少し鞘から引き抜く。それを見たアドルブンダ様は滝のような汗を流しながら、コクコクコクと高速で頷いた。


「ももも、もちろんじゃ!! じゃから、そんなに怒っちゃいやーん!!」


「……では、他の生徒達への個性返却はお任せします」


 元に戻す方法が分かれば、もはやここに用はない。

 俺は一礼をすると、逸る気持ちを抑えながら理事長室を飛び出した。


【オズリンド邸 アリシアの自室】


「……ふぅ」


 魔怪盗ファントムに襲われて、個性を奪われたワタクシは……今、学院にも行かずに自室のベッドでゴロゴロとしている。

 グレイ曰く、今のワタクシは本調子ではない……との事だけど。


「ねぇ、ゲベゲベ。今日のワタクシはそんなにおかしいかしら?」


「(ヨクワカンナイヨー)」


「たしかに、前みたいに……グレイと触れ合う事は出来ないけど」


 思い出す。保健室でよろけた時、グレイの手がワタクシの腰に手を回そうとしてくれた。

 その気持は嬉しかった。でも、彼がワタクシに触れると思ったら……頭の中が真っ白になって。つい、拒絶してしまったのよ。


「そ、そそ、それに……ちゅっちゅ、だなんて……」


 過去の記憶はあるわ。以前のワタクシはたしかに、グレイに対して積極的に……あ、あんなにも淫らでいやらしい……ドスケベの権化のような振る舞いをしていたわ。


「もしかしたら……もうすでにワタクシ、妊娠しているのかも?」


 思わず、下腹部に手を伸ばしてしまう。

 ここにグレイとワタクシの赤ちゃんが宿っている……としたら。

 ああ、なんて幸せな気持ちなの。グレイの子供……ワタクシとグレイの愛の結晶。


「……名前を決めないといけないわね。何がいいかしら……」


「(キミハネーミングセンスナインダカラグレイニマカセナヨ)」


「って、まだ妊娠していると決まったわけじゃないわ!!」


「(キマッテルケドネ)」


 ペチペチペチと頬を叩いて、ワタクシは正気を取り戻す。

 昔のワタクシはどうだったか分からないけど、今のワタクシはそんなハレンチな事は絶対にしないわよ。


「…………っ」


 でも、そんなワタクシの脳裏に浮かぶのは……あの時のグレイの表情。

 ワタクシに拒絶された時、朝起こしに来ないでと言われた時のグレイの顔……あんなにも悲しそうで、苦しそうだったわ。


「……ええ、分かっているわ」


 今のワタクシは本物のアリシアじゃない。

 グレイの事が好き。大好き。

 でも、グレイの愛したアリシアは……ワタクシじゃない。


「ゲベゲベ、貴方もそう思うでしょう?」


「…………」


「本当はね、グレイがファントムを捕まえなければいいと思っているの」


 だって、そうすれば。ワタクシは今のワタクシのままでいられる。

 大好きなグレイといつまでも一緒にいられるんですもの。


「……あはっ、バカよね。それがグレイの為にならない事は分かっているのに」


 グレイが愛したアリシアに、この体を返さなければいけない。

 グレイの事を大好きな気持ちは同じ。

 それなのに……


「ひっくっ……うぇぇっ……いやよ、そんなの……ワタクシ、もっとグレイと一緒にいたいのにぃ……」


「(ナカナイデ……)」


「怖いわ、ワタクシ……どうなっちゃうの? 個性を取り戻したら、もう二度とグレイとは会えないの? やだぁ……やだよぉ……」


 どれだけ泣いても、ワタクシの運命は変わらない。

 記憶も、体も、想いも。全て同じでも。

 ワタクシはワタクシじゃないアリシアに全てを返さなければならない。


「グレイ……好き。好きよ、愛してる。ずっとずっと……貴方を」


 さぁ、涙を拭きましょう。

 ほんのちょっとでも、グレイに気付かれないように。

 消える運命にあるワタクシが、最後にあの人の為に出来ること……。

 それは、この感情を胸の奥底に閉じ込めておくこと。


「アリシア様! やりましたよ! ファントムを見つけて、無事に個性を取り戻しました!!」


 部屋の扉がノックされて、グレイが嬉しそうな声で呼びかけてくる。


「本当? それは良かったわ」


「では、失礼します」


 部屋に入ってきたグレイは笑っていた。

 ああ、この暖かい笑顔が……ワタクシはとっても大好きで。


「……アリシア様? どうかしましたか?」


「何を言っているの? 別にどうという事はないわ」


 そしてすぐに、ワタクシの異変に気付く。

 駄目ね、貴方を騙しきれるほど……ワタクシに演技の才能はないみたい。

 だから……ね。この決心が鈍ってしまう前に。


「その小瓶がワタクシの個性? ほら、渡して」


「あっ……! 待ってください!」


 ワタクシはグレイが手に持っていた小瓶を奪う。

 そこに入っている桃色の光を放つ球。

 これが……ワタクシを本物のアリシアに戻してくれるのね。


「やっぱり様子が……」


「魔法的に言うと、こういうのは飲み込むのが一番かしら」


 ワタクシは小瓶の蓋を開き、中から取り出した球を手のひらの上に乗せる。

 ああ……今すぐこれを握り潰してしまいたい。

 そうすれば、ワタクシがグレイと……


「……なんてね。あむっ」


「あっ」


 口の中に光の球を放り込んで、飲み込む。

 その瞬間、ドクンッと心臓が大きく脈打って……頭がクラクラとしてくる。


「ねぇ、グレイ……最期に、一言だけいいかしら」


「え?」


「……【ワタクシ】を必ず、幸せにしてね」


「アリシア様……まさか!?」


 ああ、駄目……もう、意識が消えていく。

 何も、考えられない……でも、これだけは言えるわ……

 














「ちゅっちゅしたい」













「へ?」


「ちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅ!!」


 ワタクシは何をバカな感傷に浸っていたのかしら!?

 ワタクシが消える!? そんな馬鹿な事があるわけないでしょう!!

 ワタクシはアリシア。いつだってアリシアなのよ!!

 ちょーっとちゅっちゅが嫌になったからって、別の人格が生まれるはずがないじゃない!!


「アリシア様? あの、ちょっと……?」


 顔を引き攣らせながら、グレイが後ろに下がってドアノブに手をかけようとする。


「あら、何をしようとしているの?」


 パチンと指を鳴らして、ワタクシはドアを氷漬けにする。

 ほーら、これでもう逃げられない♡


「グレイ……こっちに来なさい」


「あ、あのですね? 復活されたのは嬉しいですし、私もちゅっちゅしたいのは山々なんですけど……」


「二度も言わせないで」


「……はい」


 渋々といった様子で、グレイがこちらへ歩いてくる。

 その姿を見て、ワタクシは下品にもペロリと舌なめずりをしてしまう。


「んふっ♡」


 ああ、この時を待ちわびたわ。

 ようやくグレイとちゅっちゅ出来るのね。

 ふふっ、うふふふふふふふっ!


「ベッドに……ああんっ♡」


「うっ!?」


 ワタクシはグレイの手を引いて、共に倒れ込むようにしてベッドにダイブする。

 逞しいグレイの胸板に押し潰されるようにして、ベッドに組み伏せられちゃったわ♡

 んっ……すごぉい♡ なんてカチカチなの……♡


「たっぷり……イチャイチャしましょうね♡」


「あっ、あぁっ……あああああああああああああああああああああああ♡」


 さぁ、ここからがお楽しみの始まりよ♡




【史上最大のちゅっちゅ回まで……残り0分♡】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る