第43話 この世で最も嫌いな男よ

【オズリンド邸 ディランの書斎】


「グレイよ。私の話は分かっておるな?」


「はい」


 学院から帰ってきて早々に、俺はディラン様に書斎へと呼び出されていた。

 アリシア様も一緒に付いて来ようとしたのだが、俺と一対一で話をしたいというディラン様の厳命により……俺は今、ディラン様と二人きりで話している。


「ほう? 分かっている、だと?」


「……」


「いいや、お前は分かってなどいない。何一つとして」


 ディラン様は椅子から立ち上がると、俺の方へゆっくり歩み寄ってきた。

 そしてその両手を俺の肩に置き、あのアドルブンダ様にも負けずとも劣らない気迫を放ちながら……叫ぶ。


「よくやった!! それでこそ我が娘の騎士だ!!」


「……へっ?」


 てっきり、怒鳴られて殴られるものだと思っていた俺は……そのあまりに予想外の言葉に唖然とする。


「おお、すまん。いきなり、こんな風に言われても分からないだろう。とにかく、そこへ座ってくれ」


「は、はぁ」


 俺は言われた通りに来客用の椅子に座る。

 そしてディラン様も、俺の正面の椅子へと腰を下ろした。


「ガドモンとの経緯は聞いている。あの男は我が娘に無礼な振る舞いをしただけではなく、お義母様……つまり、アリシアの祖母をも愚弄したとか」


「ええ。それはもう、ハラワタが煮えくり返りましたよ」


 今思い出しただけでも腹が立つ。

 俺はお会いした事がないが、アリシア様のお祖母様にあのような言葉を!


「無論、アリシアへの行為だけでも奴は万死に値する。しかし、お義母様……エリア様への無礼だけは絶対に許せないのだ」


「……どうして、そこまで?」


「彼女は本当に素晴らしい方だった。私もアリシアも……いや、オズリンド家の全てのものがエリア様を慕い、敬っていたのだ」


 それは知らなかった。

 でも、孫娘のアリシア様を見ていれば……そのエリア様がどれほど素晴らしい方であったかを想像するのは難しくない。


「そうだったんですね。いや、私はてっきり……お叱りを受けるかと」


「……ああ、そうだろう。だが、今回の一件で私はもう吹っ切れた」


 ディラン様はそう言うと、いきなり頭を下げてきた。

 それも、テーブルに額を擦り付けるように。


「な、何を!! おやめくださいっ!」


「すまなかった。私は今まで、お前を平民というだけで……アリシアに相応しくない男だと決めつけていたようだ」


「ディラン様……!」


「……本当はもっと早い時から気付いていたのだ。アリシアを舞踏会から救ってくれた時や、本性を暴かれたフランチェスカを救った時。そして――イグナイテを打ち破った時」


 顔を上げたディラン様の顔は、これまでのようなしかめっ面ではなく。

 憑き物が取れたかのように晴れやかな笑顔だった。


「貴族ではなく一人の男として、お前を素晴らしく思う。父親として、お前のような男にアリシアを幸せにして欲しいと願う。これは私の偽りのない本心だ」


「なんという、勿体ないお言葉でしょうか……!」


 俺は胸の奥からこみ上げる感動で、涙をボロボロと流してしまう。

 俺の一番愛する人は当然、アリシア様だ。

 だが、それと同時にディラン様の事も……俺の恩人として敬愛している。

 そんな彼にこうして認めて貰える日が来るなんて!


「……だが、グレイよ。個人的にお前を応援したい気持ちはあっても、貴族である立場上、お前とアリシアの結婚を認めるわけにはいかん。それを叶える為には……」


「承知しております。金騎士となり、貴族の地位を得ない限り……自分はアリシア様と結ばれるつもりはございません」


「うむ。私も表立って反対するような真似は控えるが……くれぐれも、イチャつくのもほどほどにするように。さっきも、馬車の御者から苦情が入ったぞ?」


「あははは……すみません。つい、盛り上がっちゃって」


「ちゅっちゅモードだろう? 私も若い頃は、アリシアの母……私の妻によくせがまれたものだ」


「ディラン様も!?」


 まさか、アリシア様のちゅっちゅモードが母親からの遺伝だったとは!


「あの地獄のような責め苦を、ディラン様も経験していらしたんですね」


「責め苦……? ああ、私の場合は我慢する必要がなかったからな。あっという間にアリシアを授かったよ」


「……うぐぅ!?」


 なんて羨ましいんだ!!

 俺だって、俺だって貴族になれば……ちきしょい!


「はっはっはっ、そう悔しがる必要はない。継承戦が始まる以上、そう遠くない内に決着は付く事になるだろうからな」


 アドルブンダ様も言っていたが、これまで膠着状態だった王位継承者同士が……俺達の継承戦をきっかけに動き出す可能性は高い。


「……頑張ります」


 ディラン様にこうして認めて貰えたんだ。

 なんとしても最後の上位10名に勝ち残ってやるぞ!



【オズリンド邸 アリシアの寝室】


「ふーん? そんな話だったのね」


「はい。正直、驚きましたけど……すごく嬉しいです」


 ディラン様と話した内容をアリシア様に伝えるべく、俺は彼女の寝室を訪れていた。


「そうね。お父様が認めてくれたのなら、もうこれで気兼ねなく……」


ネグリジェ姿のアリシア様は、ゲベゲベを抱きしめながらベッドの上でゴロゴロと転がっていたのだが……

 俺の話を聞くとゲベゲベを置いて、俺の方へと向き直る。


「ねぇ、グレイ……口にちゅーしてぇ」


「ダメです」


「ふぇ? なんでぇ……?」


「約束したじゃないですか。キスも、アレも……俺が金騎士になってからだって」


 今、そういう事をするのは簡単だ。

 だが、今はなんとしても継承戦を勝ち上がらないといけない状況。

 アリシア様とのキス。アリシア様との初体験。

それらも、勝利への原動力にすべきだと俺は思う。


「……ぶぅー」


「頬を膨らませてもダメです」


「何よ……いいわよ。別に、そこまでしたいわけでもないし」


 すっかり拗ねて、アリシア様は布団の中にもぞもぞと潜り込んでいく。


「はぁ……しょうがないですね」


 俺はベッドの傍まで近寄ると、布団の膨らんだ部分をぽんっと叩く。


「アリシア、出ておいで」


「!!」


「キスはダメだけど、抱きしめてあげるよ」


「グレイ!!」


 ガバッと布団がめくられて、中からアリシア様が飛び出してくる。

 俺はそんな彼女を受け止めると、そのまま強く抱きしめた。


「呼び捨てにされるの好きぃ……♡」


「いくらでも呼ぶよ。アリシア」


「んんぅ~~~~っ!! グレイ、グレイグレイグレイ!」


 名前を呼んで頭を撫でると、アリシア様は俺の腕の中でぷるぷる震える。

 ああ、なんて可愛い生き物なんだろうか。


「ところで、アリシア。一つ聞いてもいいか?」


「なぁに?」


「継承戦で戦う相手の事なんだけど……」


「!」


 俺が質問した瞬間、甘えん坊モードに入っていたアリシア様の顔が強張る。

 そして、スッと俺の傍から距離を取ると。

 深いため息混じりに……ポツポツと語り始めた。


「ふぅ……そうね。情報は共有しておくべきだもの」


「お、お願いします」


「相手の名前はグラント。ガドモンの甥で、ワタクシとは再従兄に当たる男よ」


「再従兄……」


「貴方がお父様と話している間に調べたら、継承順位は24位だったわ。今のワタクシが29位だから、勝てば順位は上がるわね」


 一気に5位もランクアップできるのか。

 それはかなり美味しい話だが……


「グラント様ってのは、どういう方なんですか?」


「……最低最悪の男よ。ワタクシがこの世界で一番大好きなのはグレイだけど、アイツはその反対。この世で最も嫌いな相手ね」


 かつて、フランチェスカ様が苦手だと吐き捨てた時のアリシア様も酷い表情をしていたが……今の彼女はその比ではない。

 とにかく嫌悪を全面に出した表情で、苛立たしげに拳を握りしめている。


「……そのグラント様が、継承戦の条件に何を求めるのか。アリシア様は、分かっていらっしゃるんですよね?」


「ええ。あの男は間違いなく、こう言うでしょうね」


 忌々しげにアリシア様は口にする。

 この日すでに、凄まじい怒りをガドモンへとぶつけて……もはや怒りという感情を出し尽くしたかのように思われた俺の体に。


「『ボクが勝ったら、アリシアを貰う。ボクと結婚して貰うよ』……ってね」


「は?」


 その言葉の意味を脳が理解した瞬間。

 全身の血液が沸騰するかのように滾り、枯れたと思われていた憤怒が激流のように噴き出してくる。


「俺のアリシアを、貰う……?」


 ああ、いけない。

 俺はそのグラントという男になんの恨みもないというのに。

 どうしても、ある感情が俺の心をドス黒く染め上げていく。


「……ろし……やる」


「え? グレイ?」


 何があろうとも。どんな手を使っても。

 俺のアリシアに手を出そうとする者は許さない。


「ぶっ殺してやるよ……!」


 顔も知らないグラントとかいう男。

 お前には、ガドモンへの仕打ちすら生ぬるいと思える程の苦痛を与えてやる。


「アリシアは……俺のモノだ!」


「きゅっきゅーん♡」


 














【グラントの命日まで残り3日】

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