#8
フィフスは、セカンドが思っていたよりもずっと理性を保っている状態だった。それはセカンドにとっては幸いだったが、フィフスにとってはどうだったかわからない。
セカンドとサテライトが眼前に現れたことで、一度フィフスの頭からジャックについての思考が薄れたようである。彼は見開いた目をセカンドに向けて、苛立たしげに小刻みに揺れている。
フィフスにとってかつての所属組織からの追っ手というのは、かねてより恐れていたものなのだろう。一度逃れられたからといって、簡単に諦めてくれるような甘い組織ではない。彼も分かっているのだ。
ねえ、とセカンドはフィフスへと囁く。
「脱走したあんたの気持ち、わからなくもないよ」
彼女は、手に持った苦無を弄びながら、フィフスへ向かって薄く笑って見せた。
「あたしたちだってあの組織が、しかもあんたの居た頃は相当ヒドい場所だったっていうのはわかってるし。あんたみたいな脱走者は粛清対象だけど、組織から抜けて別の暮らしをしたいっていう気持ちはわかる」
でも、とセカンドは続ける。
「あのまま潜伏し、静かに暮らすなら追っ手がかかることもなかった。あんた、うまく消息を絶ってたじゃん」
フィフスが組織から逃げ出したのは、ここ数年の話ではない。もう十数年も前のことである。そしてフィフスが組織に居た頃、セカンドはまだ子供で彼とは全く認識はなかった。だが、子供心に覚えている。あのころ組織では大きな変革があった。そのせいで、フィフスのように逃げ出す者が続出したのである。
組織はそれらを追い、処分を加えることを決定した。責任者を筆頭に数組の追っ手がかけられ、しばらくはかなり厳しく追跡されたのだ。だがそれもはじめの数年の話。
そこからさらに組織内ではごたつきがあり、今の組織は昔とは毛色が変わりつつある。だから今後フィフスが騒ぎを起こさずにいれば、それを厳しく探しだすようなことは無かったと思われるのだ。セカンドがこうして派遣されてきたのは、あくまで組織からの脱走者と思われる者による被害を確認したからなのである。
「あんたは結局、組織にいたころと同じことをしてる。シンタローの手前ジャックに狂わされたって話をしたけど――本当は違うでしょ。あんた、自分から望んで血に酔ってるよね?」
フィフスは、セカンドを見つめたまま口を開かない。
「もっと血を浴びたくて、ジャックの手口を真似たんでしょ。そして、愉しくなってしまった。一度始めたら、戻れない」
「…………」
「もう、自分でも歯止めがきかなくなっているんだよね。そんな状況じゃあ残念だけど、見逃すわけにはいかない」
ひっそりと囁いて、セカンドは笑った。けれども彼女の瞳は真剣そのもので、決定を覆す予定のないことが明白だった。
対してフィフスは、元々血の気のない顔がさらに紙のように白くなっている。だがセカンドに屈するつもりはないらしく、強く握った刀の柄がギリギリと嫌な音を立てた。
「あいつらは……組織の連中は、いつもそうだ……私たちのようなものをつくっておきながら、都合が悪くなれば……簡単に捨てる」
掠れた低い声で、ようやくフィフスが口を開く。煮えたぎるような感情を抑えるつもりもないのか、フィフスは噛みつくように吠えた。
「組織の勝手を許すつもりならば、こちらにも抵抗する権利があるッ!」
見開いた眼は怒りに染まる。肩で息をしながらも、突きつけた切っ先はぶれることなくセカンドの急所に向けられている。
その殺気を真正面から浴びながらも、セカンドは冷静に答えた。
「……言ったでしょ。あたしも、同じだ。その言い分はわかる」
一切表情を変えないセカンドは、暴発寸前のフィフスとは対照的だった。彼女はじっとフィフスを見つめて続けた。
「あんたの罪は、組織から逃げ出したことではない。自分勝手な辻斬りで、多くの命を絶ったこと。今更正義を語るつもりはない。あたしたちは、自分たちが生み出した闇の後始末に来ただけ」
互いに睨みあう両者は、完全に正反対の立場だった。逃げ出した者と追う者。旧式と新式。動と静。そんな対極が分かり合うなど、無理なのだというように、二人の交渉は決裂する。
「ならば、殺してみるがいい。一度は最高傑作とも言われたこの能力、お前に破れるのか」
フィフスの挑発に――
「あはは、言われなくても。最新式が骨董品に負けるわけがない」
――セカンドが笑って答える。そして、戦いの火蓋は切って落とされた。
初手、仕掛けたのはフィフスの方だった。突きつけていた刃を、一度引いて繰り出したのは高速の突き。容赦なく繰り出される剣技に、セカンドは防戦に回るしかない。フィフスは刀を握る為に産まれてきたような男だ。多少狂っていようとも、その殺人剣に隙などないように感じた。
セカンドは身軽な身体能力を駆使して、フィフスの攻撃を避ける。一度ぐっと身を屈めて地面に沈みこみ、下側から彼へ向かって何かを投げ飛ばした。
セカンドが放ったのは鉄製の針。軽いが鋭利で良く刺さる。
払い落すようにフィフスが腕を振る。しかし何本かは避けきれず、フィフスに刺さった。それに気を取られている隙に、セカンドは横へ転がり――その最中に投げナイフを放った。それは真っすぐ綺麗にフィフスの首筋を狙っていた。はっと気づいてフィフスが避けようと反応し、首を守るように挙げられた彼の腕を貫いた。
「き、貴様ァ!」
激高するフィフスに、セカンドは笑う。距離をとり、口を開いた。
「ねえ、あんたみたいな逃亡者の確保、数年前までは結構本格的にやってたんだけどさ。実はあんまり大変じゃなかったらしいよ」
セカンドの言葉に、フィフスがぴくりと反応した。
「まあもちろん、逃亡者のデータを組織が持っていたのもある。そして単独で逃げたやつの能力は、たかが知れていたというのもある。でも一番はさ――生け捕りじゃなくても構わないっていう点で、追手は随分と楽だったみたい。その気持ちが今、よくわかった。殺すだけだったら、小難しいことをする必要はない」
セカンドはゆっくりと右手を伸ばす。その手に武器はない。人差し指と親指だけを立てて、三本の指は内側へ畳む。銃を模した手の形で、狙うのはフィフスだ。セカンドは目を細める。それから、にこりと笑った。
「ばん」
セカンドの唇が動くのと同時に、バン、と鋭い破裂音が一つ。
目を見開くフィフスの視線は、自分に向けられたセカンドの指先を見つめている。しかし彼の胸に穴を開けた銃弾は、そこから発射されたのではない。セカンドの位置からは、良く見えた。フィフス背後、天井近くの梁の上。サテライトが向けた銃口から煙があがっている。
フィフスの胸からジワリと血が流れだす。ぐらりと身体が傾き、そして床へと崩れ落ちる。
「さようなら、先輩」
それっきりだった。
辻斬り……フィフスは、二度と起きあがることはなかった。
◇◇◇
「あーあ、ホントに壊すなんて」
セカンドの背後から、声がかかる。
彼女が振り返ると、ジャックが残念そうな顔でフィフスを眺めて居た。俺はというとジャックから距離をとって、横並びに立っている。
ジャックとの戦闘は、セカンドとフィフスの勝負の結果を待たずに既に終わっていた。対峙して数分。すぐにお互いに理解し、停戦が決まった。つまり、今の俺とジャックでは恐らく互角であり、いつまで対峙していても勝負がつかないだろうということだった。命を掛ければあるいは、という部分もあったが、そこまでする必要性はない。――少なくとも、ジャックはそう判断したようである。既に互いに戦う意志はない。
セカンドはジャックの言葉に、嫌そうに顔をしかめた。
「何。あれだけ迷惑そうにしていながら、やっぱりこいつが惜しかったの」
「そりゃあ、当然。彼は完璧ではなかったけど、良いサンプルになる」
「ふうん、殺しといて良かった。あんたには極力情報を渡したくないから。それで、あれだけ息巻いておきながら、どうしてシンタローと戦うのやめたのよ」
ジャックはへらりと笑って、肩を竦める。
「キミが指導しただけある。この男は強いね。……無関係の男一人殺せないんだ。ボクは出直すしかなさそうだなって反省したのさ」
セカンドは、呆れたように息を吐いた。
「あんたも大したことなかったんだね。でも私からしたら、あんたには感謝してほしいくらいだけどね。だってこいつが生きてたら、地の果てまであんたを追いかけてたと思うし」
「それはそれで、ロマンチックだと思うけど?」
「あんたって本当に、自分勝手」
セカンドの返答に、ジャックが声を上げて笑う。
と、彼女はじっとセカンドを見つめた。
「残念だけど、このあたりが幕引きだな」
ジャックは、姿勢を正すと恭しく礼の姿勢を取る。
「ナンバーズは退屈だったけれど、キミたちに会えたのは大きな収穫だ。辻斬りクンは残念だけどね」
ジャックの行動の意図に気づき、あっと思ったときには遅かった。
「それじゃあ、よい悪夢を」
にこやかな笑みと共に、ぱちん、と彼女が指を鳴らすと同時に白いスモッグがたちこめる。そして視界が慣れたころには、ジャックの姿はどこにもなかったのだった。
「あーあ、逃げられちゃった」
セカンドが呟く。サテライトは、それに同調するように頷いた。
「惜しかったな。生け捕りにすれば、臨時ボーナス間違いなしだったのに」
「無茶言わないでよ。あたしたち二人じゃどうにもならない。あれは完成されてた」
「海外産の情報が得られただけ、良い土産になるか」
「でも特殊部隊を呼び寄せてたのに、無駄になっちゃったなー」
「ま、フィフスの方はなんとかなったからさ。目的は達成でしょ」
俺はつい、ちらりと動かないフィフスを見やる。
「いいのか?」
「問題ないよ。回収するときの生死は問われてないから。それに、こいつは殺しすぎた」
「今のトップの方針でね。無差別殺人は特に御法度だから。生きて持ち帰ったところで結末は変わらなかっただろうよ」
サテライトが付け足す。
セカンドは、さて、と俺に向き直る。そして、笑って言った。
「それじゃあ、シンタロー。あたしたち、行くね」
「え……」
彼女が当然のように紡いだ言葉は、俺にとっては想定外のことだった。いや……少し考えれば分かることではあった。しかし、俺は「終わった後」を考えることを、無意識下で避けていたのだ。そのことを、今になって悟る。
「目的である脱走者は確保できたし、ナンバーズももうないもの。ここにいる理由はない」
彼女の告げた内容は、当然のもので。そこには反論の余地はわずかにもなく、引き留める理由などある筈もない。
セカンドは、辻斬りの為に東京に居たのだ。仕事が終われば、元いた場所に戻る。それだけの話。それを分かっていながらも、尋ねずにはいられなかった。
「もう、戻ってこないのか」
「元々、この街の人間じゃないもん。待ってる仲間がいるんだ」
「なあ、もしよかったら。俺も」
「シンタロー」
俺が言い掛けた言葉を、セカンドが遮った。彼女は、言葉を切った俺を見てくすりと笑う。
「シンタローはさ、殺し屋、向いてないと思う」
「む、向いてない?」
「うん。ずっと思ってたんだ。優しすぎるあんたは、あたしたちとは違う。別の仕事を探しなよ」
唐突な提案に、困惑する。俺はずっと、殺し屋が天職だと思っていた。実際にうまくやっていたし、何よりもそのような環境で育ってきたのだ。異なる生き方など、考えたこともない。
「だ、だが……他の仕事なんて思いつかないが……」
素直に困惑を口にすれば、セカンドとサテライトは口々に意見する。
「そうだなあ……あ、そうだ。ラーメン屋なんてどう?」
「お、いいかもな。トンファー使ってるときのキレで、湯きりうまそう」
「あたしラーメン大好き。あ、そう思ったら食べたくなってきた」
「いいね。この後行く?」
「あたしは絶対醤油。あと、玉子増し増しで」
「…………」
俺をそっちのけで盛り上がる二人に、脱力する。あまりにも適当な意見であるようにしか思えない。しかしセカンドは、楽しげな顔で俺を見上げていう。
「あたし、見てみたいな。シンタローがお店持って、笑って仕事してる姿」
ひとつだけ、気づいたことがある。俺はセカンドの笑顔に、どうやら弱いらしかった。
ため息をついた俺に、セカンドは尚も笑って投げかける。
「楽しかったよ。シンタローとあたしは、この後進む道は違うけど、でもお互いに生きてる。また縁があれば、会えるような気がするの」
「……俺も、セカンドと会えてよかった」
「ふふ、やった。両想いだね」
ようやく笑みを返した俺に満足したのか、セカンドはくるりと背を向けた。ばいばい、と手を振って今にも去ろうとする彼女に、俺はあることを思いついてあっと声を上げた。
「最後にひとつだけいいか。君の、本当の名前は?」
問いかけに、はっとしたように彼女が一度だけ振り返る。
そして、満面の笑みと共に返したのだった。
「なーいしょ!」
これが、セカンドと会った最後だった。
そして次の日から、彼女を東京で見かけることはなかった。
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