#4

 彼は羽織ったオーバーサイズの外套の、フードを目深に被っている。重そうな鞄を背負い、頑丈そうなブーツを履いている為、場所が異なれば登山者にも見えるかもしれない。だが、そうではないのは肩に担いだ武器――恐らく、先程矢を発射したものだろう。機械式の弓なのだろうか。あまり見たことがない――からも明らかである。表情や容姿ははっきりとしないが、かなり若い男であることは確かだろう。そして、俺を見つめる姿はどこか楽しそうだ。

 窮地を救ってくれたのは、この男だ。しかし味方かどうかはわからない。警戒を解かないまま、どうしたものかと思っていたところで、横から声を上げたのはセカンドだった。


「もう、シンタロー! 油断してるから、やられそうになるんだよ!」


 セカンドは仁王立ちで、俺の前に立ちふさがる。


「連絡がつかないから、まさかと思ってかけつけて良かった。後少し遅れてたら、間違いなくあんたミンチになってたよ」

「ミンチはいいすぎじゃないか」

「それだけ辻斬りは厄介なの。でも、すごい引きだよね。まさか単独で、シンタローが辻斬りに遭遇するなんて」


 運がいいよね、と拗ねたように口を尖らせるセカンドに、俺は黙って肩を竦めた。どう考えても、運が悪いの間違いである。だが自分でも先に「宝くじに当たるような確率」と思った節もあり、なんとも言えない微妙な気分だ。


「ああ、でも君、今のは本当に危なかったよ。僕が彼女と居るときでよかったね」


 フードの男が口を挟んだ。彼は気さくな口調で、フレンドリーに俺に向かって笑いかける。セカンドとはどうやら知り合いであるらしいが、一般人でないことは明らかだ。


「君は?」

「僕のことは、サテライトって呼んで」

「サテライト……同業者か?」

「いいや、正確には違うな。同じ業界にいる人間ではあるけれど」


 セカンドが、サテライトの背中を勢いよく叩いた。サテライトが、少しよろける。


「こいつは、あたしの協力者。情報屋で武器庫みたいなことをやってるの」

「情報屋?」


 思わず眉間に皺を寄せる。情報を取り扱うような者は何人か覚えがあるが、このような若い男――そしてサテライトという特徴的な名前は聞いたことがなかった。しかし俺の反応にはお構いなしに、彼は高らかに声を上げる。


「そう!僕こそが神出鬼没、裏社会の情報屋さ!セカンドとは腐れ縁でね。主に、武器の斡旋と情報の横流しをさせてもらってる」

「胡散臭いやつだけど、信用はできるから安心して。サテライトは、あたしを絶対裏切らない」


 悦に浸るサテライトの横で、セカンドが呆れたように肩を竦めた。

 その絶対的な信頼はどこから来るのだろうか。しかし、セカンドとサテライトがお互いに信用しているのだということは、見て明らかだ。


「シンタローくんの話も聞いてるよ。良い腕を持った武術使いだってね。しかも、トンファーも使うんだろ?」


 サテライトがじっと俺に目を向ける。


「さっきも見ていたけれど、本当に良い動きをしてる。そして、そのトンファーはカスタマイズ品だな? 小型の携帯式とは暗殺にはもってこいだ。それに、色々と仕様変更もできそうだな」


 先ほど、一目見ただけでそれだけわかるのか。辻斬りとの戦闘は一瞬だった。情報屋、そして武器を取り扱う仕事をしているだけあり、彼の目は確かなようである。

 ところで、とセカンドは話を戻した。


「どうだった? 辻斬りに対峙した感想は」

「……聞いていた以上に、化け物だな。悔しいが、俺では全く歯が立たないと感じたよ」


 俺は、先ほどの戦闘を思い返す。――いや、戦闘とすら言えないものだった。あれは、一方的な攻撃を、なんとかやり過ごせただけにすぎない。


「相性が悪すぎる。それに何だあの……影、のようなものは」


 正体どころか、容姿すら定まらなかった。逆光だったとか、不意打ちの遭遇に俺が動転しただとか、そういうレベルじゃなかった。実際に何らかの形で「見えない」ような細工がしてあったとしか思えない。しかし、それがどういうカラクリなのかは皆目検討もつかないのだが。


「あれは、……本当に人間か?」

「人間だよ。種も仕掛けもある。でも、シンタローの常識外の仕組みかもしれないけれど」


 セカンドが不満そうに言った。


「もしかして、あいつの事を何か掴んでいるのか」

「半分は憶測だけどね。あたしだって、これでもナンバーズの幹部だよ」


 その答えを聞いて、俺の中でわき上がってきたのは強烈な悔しさだった。

 セカンドの言葉をそのまま拝借するのであれば、「俺だってナンバーズの幹部」なのである。だというのに、辻斬りの相手にすらならなかった。セカンドに見えている「仕組み」に心当たりすらない。戦いにおいて、自分はそれなりの実力者だと思っていた。だというのに、この様だ。


 ――ぐつぐつと、腸が煮えくり返るような衝動。

 それは、「勝ちたい」と「知りたい」という二つの感情によるものである。


 セカンドは、辻斬りに関しての情報を俺に共有するつもりはないだろう。もちろんだ。俺は、彼女のように辻斬りに関わることを、一度躊躇っている。それも、組織に逆らうことへの不安からだ。

 彼女は、今日得た情報を元に辻斬りを追うのだろう。そして、いずれあれに戦いを挑むのだと思う。それを考えたらーー居ても経ってもいられない気持ちになった。

 少し、言葉を躊躇う。しかし、勢いよく切り出す。


「セカンド。俺も協力させてくれないか」


 この申し出は意外だったらしい。セカンドが大きな目を丸くした。


「俺も一緒に、辻斬りを追わせてくれ」

「いいの?」


 一度は断っている話である。そして、辻斬りに関わるのは大きなリスクを伴う。しかし俺は、迷いなく大きく頷いた。


「ああ、気が変わった。このまま、負けっぱなしなのは性に合わないんだ。俺はやつに再戦を挑みたい」

「いいね。そうとなれば、あんたの武器も俺が見立ててやるよ」


 横で見ていたサテライトが笑った。


「そうと決まれば、作戦会議だな」

「なんであんたが仕切ってるのよ」


 意気揚々と言うサテライトを、セカンドが押しのける。


「作戦というほど、今できることは多くない。もう少し調査が必要だね。でもナンバーズの手前、今までどおり大々的な行動はできない」

「今まで通り、仕事をこなしながら……ってことか」

「そういうこと」


 セカンドは頷いた。

 遭遇は果たしたものの、依然として辻斬りのことは謎だらけである。手探りでの調査は続けなければならない。地道な方法しか取れないのは歯がゆいが、今はこうするしかない。


「こっちでも、情報は引き続き探すよ。また何かわかったら連絡しよう」


 サテライトはそう告げると、鞄を背負いなおす。そして、身軽に塀をよじ登り、去っていった。その動きは相変わらず、ただの情報屋には見えなかった。


「サテライトとは、随分親しいようだな」


 つい気になって言うと、セカンドは苦笑した。


「さっきも言ったけれど、腐れ縁だよ。なんていうのかな……兄弟みたいなものなの。あいつとは、同郷だから」


 意外な言葉に驚く。


「セカンドは、このあたりの出身じゃなかったのか」

「聞くのそこ?」


 彼女はくすぐったそうに笑う。


「そのあたりは、秘密。教えられるのはここまでだよ」


◇◇◇


 その後の数日は、それまでの日常の延長だった。変わったのは、仕事以外の時間を辻斬り捜索へと費やすようになったことだ。

 都内のあらゆる場所を手分けして調べた。辻斬りが出たとされる場所へ赴き、少しでも情報や痕跡が残っていないか探す。人々の噂話に耳を傾け、情報の取り残しがないようにあらゆる方向へ働きかけた。


 しかし難しいのは、他のナンバーズ幹部に気づかれてはならないということだった。都内の同業者は、ほとんどがナンバーズの関係者である。人伝にも俺たちの行動が知れてしまえば、厄介なことになるだろう。

 しかしセカンドと俺は、よくやったと思う。秘密裏に、しかし無駄なくタスクをこなしていった。二週間経った頃には、分け振られた仕事を淡々と片づけ、そして地道な情報収集もようやく、形になってきた。


「そういえば、聞いたことなかったけど。シンタローってどうして殺し屋やってんの」


 セカンドが尋ねてきたのは仕事後、情報のすり合わせをしている時である。


 今日のやるべきことは終えて、あとは雑談といういつもの流れだった。このときまで、セカンドは俺についての質問は殆どしてこなかった。だから、彼女の問いかけを新鮮に思う。


 この仕事を生業としている者たちは皆、それぞれ楽しくない事情を抱えているのが大半だ。だから、互いの込み入った事情を聞く機会も、聞かれる機会もあまりなかった。もちろん、そのあたりの事情はセカンドもよく承知だろう。その上での問いは、彼女のどのような心境によるものなのだろうか。

 そして俺も彼女に尋ねられた事に対して、不快は感じなかった。


「……成り行きだ。気づいたら、この道しかなかった」


 どう答えるか迷って、出たのはそんな言葉だった。

 もしこれがセカンド以外の者からの問いであれば、適当にあしらって終わっただろうと思う。しかし彼女に対してであれば、話してもいいような気持ちになっていた。


「以前、師に仰いでいた人がいる。ならず者だった俺を、育ててくれた恩人だ。その人の元で、殺人術を学んだ」


 師と出会った頃の俺は、ただただこの社会の底辺にいる、ろくでもないガキだった。

 師は俺に見込みがあると言い、自分の持てる技の全てを継ぐ相手に選んだからと無理矢理俺を弟子にしたのだ。最初こそ反発したものの、師は俺の知る誰よりも強かった。俺は生きる為の術として、師の技を継承したのだ。


 とはいえ、師もまた裏社会に生きる者。殺人術が非人道的な代物であることは否定できない。けれども、俺はこの力を汚れたものだとは思いたくなかった。


「殺しは、自分の為にしてしまえば、それはただの人殺しだろう。だから、それだけはしないと決めた。俺は感情ではなく、仕事としてこの力を使いたい。だから殺し屋として、殺人技術を売ってる」

「ふうん、案外ちゃんと考えてるんだね」


 セカンドは、関心したような声をあげる。

 しかし、じっと俺を見て首を捻った。


「でも本当にその力って、殺人にしか使えないの? もっと他にも、有効性ありそうだけど」

「さあ……考えたこともなかったな」


 セカンドの言葉には曖昧に答えたが、殺人術を有効に使う他の用途はまるで思いつかない。やはり俺には、この仕事しかないということだろう。


「君はどうなんだ。なんでこの仕事を?」

「あたし?」


 セカンドは小首を傾げる。それから、あっさりと答えた。


「あたしは、生まれついての殺し屋っていうかね。そういう風に、つくられてるから」

「つくられている?」

「そ。シンタローも知らない世界ってのがあるの。私はそれを不幸とは思わない。この仕事、向いてるしね」


 特に躊躇いもなく、セカンドは答えた。しかし彼女の答えを、どう解釈すればいいのかはまるでわからない。

 俺がかつて居た「底辺」もひどい世界だったが、セカンドのいう「生まれついての殺し屋」は全く想像がつかなかった。しかも、彼女のような若い女子がである。けれど、セカンドが嘘を言ってごまかしているようには感じなかった。


(サテライトも、同じなのだろうか)


 彼女はサテライトと同郷だと言っていた。そう言われてみれば、二人の纏う空気はどこか似ていたようにも思う。独特で……掴みようのない、それでいて芳醇な薫りに、つい手を伸ばしてみたくなるような。


(しかしきっと手を伸ばせば、こちらの命が狩られる)


 まるで、猛毒を持つ美しい妖花のように思えて仕方ないのだ。


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