第3話

「僕に和解しろと言うんですか?」


 まだ二十代後半の男はいきどおったようにそう言った。


「ええ、今のままではあなたを勝たせるわけにはいきません」

「どうしてです! 僕の証言は正しいと証明されているはずです!」


 男は勤めていた会社からの扱いで心を病み、診断を受けて会社を休んでいたのだが、会社が休職を認めず退社をするようにと迫り、それを断ったら解雇されて裁判を起こしたのだ。


 地裁での結果は男の敗訴だった。


 男が揃えた証拠は会社での上司の暴言の数々の録音、偽造されたタイムカード、想像を絶する残業時間。残業代の不正切り上げのためのアプリなど、誰が見てもパワハラ、モラハラと認定される内容には十分だと思われた。


 だが地裁は男に会社との和解を勧め、断った男は裁判に負けた。

 そして今はここ、高裁での裁判の途中だ。


「高裁で、きちんと会社の非を認めさせてほしいんです」


 男の言い分は最もだった。

 だがこちらにも色々と事情がある。


「たとえ中小企業と言えど負けたら信用をなくし、結果的に体力をなくして倒産する可能性もある。多くの従業員が路頭に迷うのは困る。和解に持っていくように」


 裁判官にそのように「お達し」があり、それで裁判官たちは判決を書くのを嫌がるのだ。


「和解と言っても内容的にはそちらの勝ちのようなものなんですよ」

「だったらちゃんと判決を出してください!」

「そうした場合会社のダメージが大きすぎる、下手をすれがあなたの同僚だった人たちがみんな仕事を失う可能性も出てくるんですよ。それを少し考えてみませんか?」

「それは会社が悪いからじゃないですか!」


 男は一層憤る。


 そうなのだ。

 男の会社は以前にも同じような訴訟を起こされている。

 男とまた違う地方の支社でのことだが、その時には地裁で和解して裁判は決着していた。

 

「会社は非を認めて解雇を取り下げる、そう言ってるんですよ」

「だったら僕は会社に復帰できるんですね?」


 男の訴訟内容にはそれも含まれていた。


 会社が今までの行いをあらため、解雇を取り消し、そして男を復帰させること。

 それから裁判には年月がかかるので、その間の給与の支給を求めての仮処分を起こしていたのだが、そちらは認められて男は毎月会社から今までの給与の平均から割り出した金額を受け取っている。

 そんなことでもないと生活が成り立たない、裁判を続けられないのだから、それは当然の結果と言えた。


「それは考えてみればちょっとむずかしいとは思いませんか? 裁判にまでなった会社に戻りたいんですか? 戻って今まで通り仕事を続けられますか?」

「それは会社が態度をあらためて、そして謝罪してくれれば可能だと思います」

「もう少し現実的に考えましょう」


 裁判官は男を諭す。


「あなたは勤めて数年です。会社に入ってしばらくは会社は社員を育てるためにお金をかけています。数年ではそれをやっと回収できたかどうか。そんなあなたに仮処分のお金をすでに勤務年数と同じぐらいの年月支払い続けています。これは大した額ですよ? それに和解金を足したら、もうそれで会社にかなりのダメージを与えられていると思いませんか?」


 確かに金銭的なことだけを考えるとそうであった。


「もしも裁判に負けたなら、あなたは今まで受け取った金額を全部会社に返却しなければなりません。そして和解を受け入れないというのなら、残念ですが1個人と数百人の従業員を抱える企業、どちらを助けなければいけないか、分かっていただけますよね?」

「それは……」


 男は少し考えて続ける。


「僕を負けさせるということですか?」

「もしもどうしても判決を出さなければならないと、そういう可能性も出てくるということですよ」


 男は黙って悔しそうに唇を噛む。


「今までの金額と、裁判の費用、それから逆に会社から損害賠償などを請求される可能性もあります」

「分かりました……」


 男が小さくそう答えた。


「では和解を受け入れていただけますね?」

「僕には分かったんです」


 男が声を大きくして答える。


「僕は会社との戦いには勝てるけど、あなたたち、裁判所と戦って勝てる自信はない。だから受け入れるしかない。そういうことなんでしょう?」


 裁判官はそれには答えず、


「理想を掲げて正義を語るのは立派ですが現実を見てください。会社を変えたい、世の中を変えたい、そんなくだらない勇気で自分の一生をだめにする戦いを続ける必要はありません。もう忘れてしまいなさい、あんな会社」

 

 男は悔しい顔で裁判官を睨みつけた。


「あなたには他に戦う方法もあるはずです。メディアに訴える、例えば投稿サイトなどというもので実録でもフィクションでもいい、何かを書いて投稿し、広く世間に訴える。そんなこともできるんです。無謀な勇気は捨て、今は会社から少しでも多く払わせることです。そのお手伝いなら私たちはできます、いいですね」


 男は裁判官には答えず、くだらないと言われた自分の勇気の次の方向性を考えていた。




※「カクヨム」の「クロノヒョウさんの自主企画・2000文字以内でお題に挑戦」の「第15回お題・くだらない勇気」の参加作品です。

同タイトル4本のうちの3本目で2022年7月14日発表作品になります。


ストーリーはそのままですが、多少の加筆修正をしてあります。


元の作品は以下になります。

よろしければ読み比べてみてください。


https://kakuyomu.jp/works/16817139556697380531/episodes/16817139556699981140

 


 


 





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