スターサイドプレイヤー

夜理シウ

Episode 1 「日常」 side ISSEI







俺は失敗した。




何度も、


何度も、


何度も、


…何度も。





その果てに、


今があって、君がいる。


俺たちの日常がある。




俺には、


きみの隣に居るための、


──────秘密がある。






◇◇◇






『スターサイドプレイヤー』






◇◇◇







【2022.06.30】





「おはようございます」


「おはよう」



よく晴れた昼下がり。


俺の気の抜けた挨拶に、店主はすんなりと返してみせる。

こじんまりとしたカフェの扉を閉めると、雑踏の音が止み、陽だまりの残り香が漂った。


「モーニングトースト、まだあります?」


「あるよ。ドリンクはブレンドでいい?」


「お願いします」



囁かにジャジーなピアノの調べが聴こえてくる店内を見回すと、昼時にも関わらず客入りが少ない。

カウンターに腰掛けて、コーヒーマシンの立てる音がピアノに溶けるのを楽しんでいると、ほどなくして目当てのものが出てきた。



「いただきます」



手を合わせ、コーヒーを一口含むと、プレートにオムレツが添えられているのに気付く。



「あれ…朝のセット、変わりました?」


「あぁ、いや…それはサービス」



そういうと、店主は椅子を引っ張ってきて俺の前に腰掛けた。



「あんた、最近よく来てるなと思って。大通りから外れた小さな店だし、常連らしい客も初めてだから」


「そうなんです?…ここのブレンドは他より酸味抑え目で好きなんですよ。オムレツ美味しそう…ありがたくいただきますね」


「ほんと美味そうに食べるな。…出した甲斐があった」



そう言って少しだけ目尻で笑った店主は、俺と同世代か少し上くらいだろうか。

トーストとオムレツを交互に口にする俺を見遣りながら、カウンターに飾った花の手入れをしていた。



「紫陽花ですか?切り花で飾ってるの始めて見た気がするなぁ…」



俺がそういうと、花弁を見回しながら、つまらなそうに手を離した。



「だいぶ前から置いてたから、もう保たないかな。そろそろドライフラワーにでもするさ」


「へぇ…」


「何、花に興味でも?」


「いや、あんまり無いので、逆に興味深かっただけです。きちんと管理してあげてるからかな…綺麗ですね」


「綺麗なだけ、だけどな」


そんな他愛ない話しをポツリポツリと交わすと、その間に皿は空になった。

せっかくなのでコーヒーをおかわりしてから席を立とうとするが、無慈悲にもスマホが着信に震える。


電話に出ると、呑気だが早く出勤するよう促す上司の声がやんわりと飛び込んできた。

適当にあしらってカップとお別れすると、店主は流れるように会計を済ませてくれる。



「オムレツまでごちそうさまでした。色々まわってみたけど、やっぱり店主さんのブレンドが口に合う気がします」


「…戸雪でいい。気持ちのいい客はこっちも嬉しいからな。いつでも歓迎するよ」


「景井一犀です。また来ますね、戸雪さん」



軽く会釈すると、目線で会釈する彼は、すぐに俺の皿を片付けにキッチンに戻っていった。


涼しげに響く声を背に受けながら店を出ると、瞬時に熱気に包まれ、夢から現実に戻っていく感覚に陥る。



「あ、暑……」



いつもより早くどっかに行ってしまった梅雨を恋しく思いながら、歩き出す。


戸雪さんのブレンド、美味しかったな…。

でも、トーストは樒くんも負けてないかもなぁ。


空想に逃げるように、今朝はまだ会えていない彼を思い浮かべる。




──────瀬白樒。


俺のお向かいさんで、

大学時代の教え子で、

今はただズルズルと仲良くさせてもらってる子。



彼は料理が得意だから、よく食べさせてもらってるのだが、そのせいで毎日どちらかの家に入り浸るくらい一緒にいるようになった。


出会ってもうすぐ三年になる。

彼は大学生になり、俺も社会人になった。

だから、それなりに忙しくもなって、今日みたいにバラバラと食事をとったりする。


一人でご飯を食べるのが普通なのに、それを可笑しく思うようになった自分が面白くなって、笑みをマスクに零した。


今日はたくさん寝て、こんな時間からだけど。

また今日も、俺の大切な一日が始まる。




◇◇◇




「おはようございます」


「…もうお昼過ぎだよ?」



階段を上がって、汗を拭いながら重い扉を開く俺に、上司はごもっともなことを言ってのける。


自分のデスクに荷物を置いて、顔を拭くために外していた眼鏡をかけ直しながら周りを見渡した。


あといくつかあるデスクに、今日出勤日だったはずの同僚はおらず、所長デスクで頬杖をついている上司に自然と目が吸い寄せられていった。


「改めて言いますけど、今日俺お休みなんですが?」


「改めて言うけど、ご覧の通りみんな張り込みで出払ってるんだ。君にしか頼めなくてね」


「あなたがいるじゃないですか」


「私はほら、私にしかできない業務が列を成してるからね」



そういう上司は、徐ろに手帳を開くと、ずっしりと書かれた文字列を指でなぞった。



「しかも、今日の依頼は君に向いている気がするんだよね。君、探し物とか得意でしょ」


「ま、まぁ?」


「あと、めげない」


「…そういうのいいですから。依頼内容は?」



少し遊ばれている気がした俺は、彼の言葉をやり過ごして単刀直入に聞いてみる。


すると、彼は端麗な目を片方だけ閉じ、いたずらっ子のような表情を浮かべた。



あ…これ、しょうもないやつだ…。



「猫探し」


「ねこ」


「うん、猫。ここに写真あるから、探してきて」



引き出しから写真を取り出してヒラヒラと見せつけてくる。

そこには、オッドアイの子猫が写っていた。



「うち、なんでも屋じゃなくて、探偵事務所でしたよね…」


「まぁまぁ。この前見たアニメでは探偵だって猫を探していたし、見つけたらモフれるよ。癒しのオプション付き。悪い話じゃないだろう?」


「…真面目に」


「…うちの事務所の大家さんの猫だから、断れませんでした」


「うわぁ…やんなきゃいけないやつだ…」


ため息をつきながら、写真を受け取ると、ネクタイを解いてシャツの袖も肘まで捲りあげた。

この炎天下に猫探し。

身だしなみとか気にしてる場合じゃない。


俺は、クーラーの効いた事務所で涼しい顔を崩さない彼を横目に、一つ言葉を残した。



「魔法のカードで手を打ちましょう」


「よし、了解した。じゃあ頑張って」



猫の特徴と、スマホで調べた習性を脳に叩き込んで、またも外に繰り出した。




──────俺の名前は景井一犀。


歳は23。

いまさっき現物支給を約束した上司、紫合陽智が営む、

紫合探偵事務所で調査員をしている。



そして、今日の業務は…猫探しだ。




◇◇◇




「嘘ぉ……」


「いやぁ、ありがとうね〜探偵さん。ちょうど2時間くらい前になるかしら…ドアの方からカリカリ音がするから、行ってみたら帰ってきてたのよ!」



時間にして約5時間。


俺は、この街と隣町をしらみ潰しに練り歩いた。

しかし、見つかるのは野良猫ばかりで、大家さんの猫には出会えず。


さすがにもう暗くなってきたから、経過報告と明日への持ち越しを提案しに大家さんのお宅を訪ねたのだが…。


チャイムを鳴らして、扉が開くと同時に目が合ったのは、あれほど探した綺麗なオッドアイ。


俺は、思わず腰を抜かしかけた。



「見つかったなら…」


…電話を下さいよ。



そう言いかけたが、子猫はパタパタと俺に駆け寄り、頬擦りをしてくる。

可愛さに、何もかもがどうでもよくなった。



「あはは…見つかったなら、よかったです」



大家さんの安心した顔と、子猫の上目遣いに勝てるわけがなかった。

子猫を抱き上げて白い毛を整えるように撫でる。



なんか、樒くんに似てるなぁ…。

オッドアイじゃないけど。



「うちの子、シーちゃんっていうのよ。可愛いでしょ」


「し……めちゃくちゃ可愛いですね」


「暑い中迷惑かけたねぇ。お門違いとは思ったけど、すぐに頼れるのが所長さんしかいなくて…。大したものは出せないけど、冷たいの用意するからお茶だけでもしてって」


「ありがとうございます」


事務所のすぐ下ということもあり、大家さんのお言葉に甘えることにした俺は、しばらく猫と戯れた。



「君、シーちゃんっていうんだ〜」


「ニャー」


「樒くんに似た、シーちゃんかぁ…面白いなぁ」



陽智さんはいつも怖いと言っていたから、どんな方かと思ったけれど、大家さんは優しい方で、次々にお菓子や飲み物を出してくれる。

そのせいもあって、すっかり帰り時を失ってしまった。


腕時計で、そろそろ事務所を閉める時間だということを確認しながら、大家さんの話を聞いていると、俺の考えを読んだかのようにスマホが鳴る。


相手は、陽智さんだった。



「はい、景井です。あ、猫みつかりましたよ。報告に上がろうと思ってたんですが、大家さんにお礼していただいていて…そうだ聞いてくださいよ。この子猫、自分で家に……」



俺が言い訳するようにズラズラと話すと、

沈むように落ち着いた声がそれを遮る。



「…その、すまない、景井くん」



この人がこの声を出す時に、

何が話題なるかを、俺は知っていた。



「…5分下さい。すぐに伺います」



俺は大家さんに感謝を伝え、猫と別れると、既に明かりを落とされた事務所に戻り、身支度を済ませてから陽智さんの元へ顔を出した。




◇◇◇




事務所の最寄りから二駅隣。


主要駅から少し外れた駅ではあるが、帰宅ラッシュの余韻で、ホーム上の人は互いを縫うように歩いている。


陽智さん曰く、“対象者”の行動予定日が当初より早まって今日になってしまったらしい。


俺は、目線だけを動かして目的の人物を探しながらホームをゆっくりと歩いた。


列を成す時間でもなくて、電車を待つ人も好きなところに立ち、改札へ向かう人は思い思いの方向を向いていた。

どの人もスマホに目を落とすか、イヤホンで音を飾っている。


おかげで、俺は周囲が見落としたその子を見つけることができた。

一先ず胸を撫で下ろしたが、すぐに心音が五月蝿くなる。


この瞬間ばかりは慣れないし、慣れるつもりもない。



今回の対象者は、女子高校生。

彼女は今、黄色の点字ブロックの先に立っている。

ホームドアのないそこで、向かいに見える夜の訪れを虚ろに眺めていた。



俺は、息を細く吸い、歯の間を通すように言葉を口遊んだ。




《隠せ》




ほんの少しだけ重力が薄まったような、不思議な浮遊感を落ち着かせるように、深呼吸をする。


歩き出すと、先程まで俺をよけて歩いていた有象無象と肩を掠めそうになる。

その隙間に滑り込むように歩を進めた俺は、その子の鞄に左腕をぶつけ、同時に自分のスマホを落とした。



「あっ…ごめんなさい、大丈夫ですか?」


「え……あ……」


「どうしよう危ないところだった…すみません、友達からのライン確認してたら夢中になってて」


「いや…それより、これ…どうしよう、割れてる…ごめんなさい…」



謝罪を口にしながら頭を下げると、その子は俺の落としたスマホを拾って、こちらに数歩近づく。

スマホを受け取るようにして線路側に回り込んだ俺は、できるだけ大きく笑うように心掛けた。


少し騒ぐくらいが丁度いい。


どうせ“目隠し”のおかげで、

周りは俺に気を取られないようになっている。



「うっわ本当だ…あ、いやでも!あなたのせいじゃないんで!歩きスマホなんかしてるからだよな…俺としたことが。それにしてもどうしようかな…あー電源もつかない〜!ぶつけどころ悪すぎ…罰が当たったんだな…うーんどうしよう…この後上司に連絡入れなきゃいけないんだけどな…困ったな…」



そう言いながら頭を抱えてみせる。

俺の狼狽ぶりに引き摺られるように、

何も映していないようだった瞳に、困惑が滲んだ。



「あ、あの!…私のスマホ使いますか?電話したいなら…どうぞ」


「ほ、本当ですか!?ありがとうございます…あ、キーホルダー可愛いですね。このゆるキャラ最近流行ってるもんなぁ…あ、お借りしますね」



恐る恐る差し出されるスマホを受け取ると、手早く陽智さんの番号を打ち込む。


呼び出し音が鳴っている間に、今度は音にならないように言葉を紡いだ。




《隠せ》




確認も兼ねて、適当に思いついた言葉を言ってみる。

しかし、俺を見ていたはずの女の子の目は、俺が耳に当てているスマホをぼーっとみつめるだけで、何も不審がらなかった。


よし、効いてる。



「あー、あー。10連でSSR10枚引きしたーい」


『…公衆の面前で私欲を撒き散らさないの』


「あ、繋がった。…今、とりあえず“対象者”の行動を阻止できました。これから処置に移ります」


『お疲れ様。それにしても景井くん、対応速度上がったんじゃない?今度RTAとかやってみる?横で見ててあげるからさ』


「ゲームじゃないんですから…。軽口叩く暇があるなら、休日出勤させない職場作りに勤しんでください。…じゃあ、切りますね。後ほど伺います」


『耳が痛いな…。うん、最後までしっかり頼むよ』



そこまで聞くと、向こうから速やかに通話を切られる。

こちらも履歴から番号を消すと、また一つ言葉を口にし、ぼーっとしていた視線をこちらに引き戻した。




《解け》




「いやぁ、本当に助かりました!上司に報告し忘れてたことがあったので…はぁ、よかった。あ、もしかして急いでました?引き留めちゃってすみません…」


「別に。…どこに、帰ればいいかも分からないから」



そういうその子は、初めて感情の動きを見せる。

今にも泣き出しそうに歪んだ顔をみつめ過ぎないように、視線を逸らしながら語りかけた。



「…時間あるなら、飲み物でも奢らせてください」



否定を見せなかった彼女をホームのベンチに座らせ、自販機でアイスココアとアイスコーヒーを買うと、手渡しながら一つ席を空けて隣に座った。


受け取ってはくれたものの、なかなか飲み物に手をつけないのを見て、俺は自分のプルタブを豪快に引き、ガブガブと飲んでみせる。


訝しげに見上げてきた彼女は、やっとココアに口をつけてくれた。


「…すごく…悩んで、悩んで、悩み切った顔をしてたね」


「え……」


「通り掛かっただけのお兄さんが聞いてもいいことがあるなら、是非聞くよ?」


「……」



なんでもないことのように、

この後の夕飯のメニューでも聞くように、

そっと声を掛けてみる。


急行電車が2本通り過ぎ、

やっと彼女の声が小さく聞こえた。



彼女は、些細なことがきっかけで中学時代からいじめられていたらしい。

それは高校に上がっても変わらずだったが、姉が励ましてくれていたこともあって、気にしないようにして生活できていたそう。


しかし、1ヶ月ほど前、

彼女の両親と姉は、交通事故で帰らぬ人に。


叔母の家に世話になれているものの、学校でのいじめは加減を失い、心安らげる場所も頼れる人も失った彼女には限界が来ていた。

いっそのこと、電車に轢かれて、家族の元に行こうと思ったんだろう。


俺が、かける言葉を探して俯いていると、

思考を引き戻すように遠くから声がした。



「あ〜!しおりじゃん。こんな時間に何してんの?あ、もしかして〜帰るとこなくて困ってた?」


「……」


「おい、せっかく声掛けてやってんのに、無視かよ」


「うちでいいなら今夜泊まる?まぁトイレくらいしか空いてないけど〜」



やんわりと“目隠し”を残している俺が、彼女と会話しているように見えなかったのか、同じ制服の男女数名で現れた集団は、こちらに構わず女の子を囲んで小突いていた。


周りの客は、見物するように一瞥すると、関わりたくないとでもいうように目線を逸らしていく。


俺は彼女の話を聞いて、今後のアドバイスをするだけに留めようとしていたが、なかなかに不愉快な状況になってしまった。




《解け》




俺は、最後の“目隠し”を取ると、空いていた隣の席にお尻を滑らせる。

驚いた顔をする女の子を尻目に、口先を色々と動かしてみた。



「君たちガラ悪いね〜!友達ではなさそう…しかも集団と来た。わー卑怯。一人じゃな〜んもできない奴ってこう、群れたがるんだよねぇ…うん、うん。わかる、わかるよ〜」


「何、あんた」


「あ、俺?こういうものです…」


所長がいつだかやっていたような振る舞いで、俺は名刺を一人一人に配った。



「は?…探偵?」


「正しくは調査員ね。しおりちゃんの親戚の者なんだけど…うーん、しおりちゃんめんどくさい連中に絡まれてるみたいだね。話してくれないから気付かなかったじゃないか」


でまかせをつらつらと並べる。

あまり得意ではないけれど、狐に摘まれたような状態の子達に考える隙間を与えなければいいだけなので、口早に喋り続けた。



「身内として今のはちょっと黙ってられないんだけど、どうしよっか…。まぁ俺じゃ君たちとお話することしかできないんだけど。探偵事務所で仕事してるから、お巡りさんとは仲良いんだ。…あ、事務所に弁護士もいるし、俺も登録してないだけで資格は取ってあるんだよ。君らみたいに他人に時間を捨てる暇あったら自分のために勉強してたからねぇ。というか君たち、二駅隣にある高校の子だよね!今気付いた…事務所も近いんだ。あそこの先生とは一度素行調査の依頼で話したことがあってね〜君たちの何個か先輩で退学になった子がいるんだけど、今どこで何してるんだろうな…うーん」



…という具合に。



目隠しを取り去ったせいで、周りの視線がこちらに集中したが、それも戦略のうち。


どれもただの冷やかしだし、最近の子にはなかなか通用しない。

それでも、“この子に突っかかったら、面倒な親戚がでしゃばってくる”くらいの認識を持ってもらえたなら、応急処置として上々だった。


俺がさらに喋り続ける素振りをみせると、彼らは目配せし合って、俺を無視するように電車に乗り込んでいく。


「あぁ、まだ名前も聞いてないのに!…行っちゃった」


大袈裟に肩を落としながら、ベンチに座る女の子を振り返ると、吹き出すように笑いながら、涙を滲ませていた。



「…ありがとう」


「感謝するのは、まだ早いよ?また学校で絡まれても、その時俺は居ないから。それをどうにかするのは、悔しいけど、君の仕事だ」


「はい…」


「でも、学校近くに事務所があるのは本当だし、色んな手続きに詳しい専門家がいるのも本当。だから、困ったことがあったら、この番号に電話するか、訪ねてみて」


そう言って、彼女にも名刺を渡す。


「俺は君よりもう少し大人になってからだけど、君と同じく事故で家族を失ったんだ。だから、きっと教えてあげられることも多いし、少しは気持ちが分かる…と思う」


「そう…なんだ」


「うん。だから、諦めるのはもう少し後にしよう。きっと俺たちと話してたら、もっともーっと後になってくし、そのうち、諦めたくない!って思えたらいいしね」



また明日、

そんな挨拶でもするかのように言うと、

彼女の瞳には少しばかり光が戻っている。


これなら大丈夫かなと思った俺は、彼女が帰りの電車に乗り込むのを見送って、来た道を戻っていった。




◇◇◇




「お疲れ様。…はい、これ報酬」


「お疲れ様です〜…って、これ50連できる額じゃないですか!」


「うん。ふふっ…SSR50枚引きの報告、待っておくよ」


「どうせ爆死するくせにとか思ってます?」


「…君、読心術も扱えたっけ?」


「陽智さん、性格悪い」


「心外だなぁ。…まぁ今回は色々と急な案件が重なったからね。お礼は弾ませてもらったよ」


そういう彼は、マグカップ片手に、窓から夜景を見下ろしている。


のらりくらりとしていて掴みどころがない彼だが、その目元には少し疲れが滲んでいるように見えた。



「最近…多いんですか?」


「うん、そうだね。…“対象者”としてマークして、君たちが励んでくれているのは分かってるけど…やっぱり追い付かないな。毎日何人もの人間が、自分で死を選んでは、私のもとにやってくる」



そういって振り返った彼は、

細めていた目を見開いた。



「ちょっ…え、景井くん!血…鼻血出てる!」


「え、嘘…」


「本当!」



咄嗟にティッシュを宛あてがわれて、俺もやっと気付いた。

鼻血なんて久しぶりだな。

…大人になってから出したことないんだけどな。



「君の方こそ、酷い顔してるじゃないか…」


「それは、あなたがこうやって呼び出すからでしょう」


「ぐうの音も出ないな。…よし、明日はちゃんと出勤しない休日を送ってくれ。…呼び出して悪かった」


「やったぁ…」


そんな応酬をしながら、彼は俺の荷物を代わりにまとめる。

流れるように手帳を開くと、一本の線を引いた。


「今日も一人、護れたね。ありがとう」


「はい。…あと、58人で合ってますか?」


「ああ。明後日以降も、この調子で頼んだよ」


「はい」


「疲れもあるとは思うけど…君のそれは十中八九、“戻り過ぎ”の副作用だ。…もう、やるなよ」


「分かってます。…もうしませんよ」


「なら、いいけど」



このやり取りも、だいぶ慣れてきた気がする。


作業のように、

儀式のように、

それらを済ませると、

彼から荷物を受け取って、ようやく帰路に着いた。




◇◇◇



【2022.07.01】




自宅に着き、

荷物を放ると、

今日はよく鳴るスマホが、また震え出した。


表示された名前をみて、部屋の電気を点けるより先に電話を繋いでしまう。



「もしもし…樒くん?」


『一犀さん、今電話大丈夫?』



落ち着いているけど、軽やかに澄んでいる声。

それを聞いて、

あぁまた大切な一日を、無事終えられた…と身体が理解していく。


電話内容は大したものじゃない。

ただ時間が合ったから、繋いでいるだけのようなもの。


日付が変わって、7月に入ったな、とか。

夜食作りすぎたから、食べに来ないか…とか。


他愛もないけど、

だからこそ、俺にとっては切ないほどに優しい、

どこにでもあるような夜の時間。



もぐもぐと口いっぱいに夜食を頬張る彼の、聞き取れるかギリギリの言葉を聴きながら、窓から差し込む外の明かりだけを頼りに、ベッドに腰掛けた。



『で、どうします?来ます?』


「…いや、いいよ。全部お食べ」



外出着のままだし、

このまま家を出れば、

道路を挟んですぐ向かいにある樒くんの家に行くことなど簡単なことだ。


だけど、今日は心身が疲れていて、

それを彼に見せたくなかった。


暑さを口実に誘いを断った俺は、すんなり電話を切られたその画面を見ながら、なにかを一度かたちにして、俺の中に仕舞い込むように、言葉を吐いた。



「おやすみ、しきみ……」



一日が、無事に閉じていく。

彼が、くだらない一日を平穏に消費していく。



俺は、そんなことを肴にしながら、

上手く飲めもしない缶ビールを引っ張り出し、

暗い自室に身を浸すように、ただ嚥下してみた。


さっき助けた相手が、高校生だったからかもしれない。

柄にもなく、感傷に近いものに浸ってしまう。



もう記憶もちぐはぐで、虫食いのような情景しか抱えていないのに。

助けた相手に、自分や彼を重ねて、

こうしたやり場のない感情を、飲み下していく。



陽智さんの言う通り、もう“戻れない”ほど心身にガタが来ていた。

それでも、そのおかげで今がある。


なんでこんなにも彼の平穏を祈っているのか、もう曖昧になりかけているが、

瀬白樒が無事に歳を重ねていけるこの世界に、

今の俺はいる。


それだけで、俺はよかった。






──────俺の名前は景井一犀。


歳は23。

紫合陽智が営む、

紫合探偵事務所で調査員をしている。


穴場のカフェを発掘するのが小さな楽しみで、

余暇はゲームに打ち込むのが趣味。


そして、

樒くんの作るご飯を食べて、くだらない話をする時間が一番好きだ。




そんな俺には、秘密がある。




俺は、

紫合陽智に出逢い、

大事な人の運命を変えるため、

終わる前の俺をやり直す力を与えられた。



2019年7月7日から

2020年7月7日にかけての1年間。


それを何度も繰り返した俺は、

彼が最悪を免れ、今も学校に通い、他愛ない電話を俺に飛ばせるような…そんな世界にたどり着くことができた。


その代償として、

俺は100人の“対象者”…自殺志願者のそれを未然に防ぐというノルマを課された。



それを果たせば、

俺は誰の記憶からも抜け落ち、

この世から消えていく。


あの世に行くこともない。


待っているのは、

想像もつかないが、

する必要もないほどの、無。


だが、

その代わりに、瀬白樒の平穏は生き続けることを約束されていた。




俺の秘密。



俺は、

2020年7月7日に、生を終えた。



しかし、

瀬白樒の運命を変えるために、

自殺志願者の自殺を防ぐために、

一時的にこの世に留まることを許された、



──────元自殺者だ。






(続)

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